手枷


 真っ暗闇の中、通気口の出口に出るために、私は十数分も這っていた。十数分というのは体感なので、もっと長い時間が経過している可能性もある。早く脱出するなり、何か情報を掴んで先程までいた牢屋に戻るなりしないと、アイツらに私が脱走したことに気づかれ、私の捜索が始まる。そうなれば、逃げることは困難になってしまうし、捕まってしまうと、処刑されるまでずっと厳しい管理下に置かれてしまうことは明白だ。早くしないと。

 焦燥感に苛まれるが、それと同時に疲労感や眠気だったり、通気口の出口が詰まったり塞がってしまうのではないかという不安も襲いかかってくる。

 それだけは勘弁だと、森の中を歩き回ったり、匍匐前進することでいつもは使わないような筋肉を使っているせいで痛む体に鞭を打ち、なんとか前に進む。

 なんの手がかりもなく帰っては、ハノーヴァーに何されるか分からないから進むしかない。

 いつ出口に出られるのか、出口はどこに繋がっているのだろうか。出口まで行かなければ分からない疑問がどんどん出てくる。このままだと、体力が限界を迎えてしまう。

 

「あ……出口?」


 微かな光が、もう少し先の上の方から覗いていた。私の中の期待が膨れ上がる。

 そこからは早かった。限界に近い体と精神を叱責し、スピードを上げ張ってゆく。砂利で手や膝に傷を負っていくが、そんなことはもはやどうでも良い。1秒でも早く、あの一筋の光に届きたい。その一心だ。

 

 ーーあと、もう少し!


 あと、何回か手と足を動かせば、あの光の元へ辿り着ける。先ほどとは違った焦燥感に駆られる。

 ようやく光の元へ辿り着けるーーそんな時だった。


「あ、れ?」


 先ほどまで鼻の先にあった光は消えた。

 おかしい、おかしい。なんで、どうして。私は混乱する一方だ。真っ暗闇でいつ崩れるかもわからない小さな穴の中、必死に這い進んできたというのに、これはおかしい。

 少し先の正面に大きな光が見える。先ほどまで追っていた今にも消えそうな光とは全く違うものだ。

 そして、なによりあの光が照らす光景に見覚えがある。


「さっきまでいた牢屋?」


 道はほぼ一直線だったはずだ。分岐点なんてもちろんないし、来た道を戻るような真似なんてしていない。そもそも、穴の入り方が正面にあること自体おかしいのだ。

 どうなっているんだ。疲弊しすぎた頭には疑問しか湧いてこない。

 もう一度穴に入り直してチャレンジする気持ちも体力も残っていない。頑張った努力がパーだ。

 情報も手に入れられなかったし、ここから逃げ出すこともできなかった。ハノーヴァーに何されてもおかしくない。かと言って、この穴の中で潜伏していても餓死するのがオチだ。

 とりあえず、私がなんらかの成果を上げることを期待しているハノーヴァーに結果を教えておこう。穴から出ずに、顔だけ出して。

 そして、ハノーヴァーが怒り狂うのだったら、穴の中で潔く土の栄養素になろう。

 出口からハノーヴァー以外の人がいないことを確認し、彼にだけ聞こえる声量で話しかけた。


「あの、戻ってきました」


 出口の下で胡座をかいて座っていた彼は、無言で私を見上げた。

 情報を言えということだろうと適当に解釈する。違っていたとしても無口な彼が悪いのだ。


「情報は何も仕入れられませんでした。一直線だったはずなのに、なぜかここに戻ってきてしまって……」


 ハノーヴァーは、怒るでもなく立ち上がり、背を私に向ける形で静止している。

 良かった。怒ってはいないようだ。私が出口から上半身を乗り出すと、彼の頭に慎重に捕まり、落ちないように力を入れた。そして、足を彼の肩にかけると、彼はゆっくりとしゃがみ、私が降りられるようにしてくれた。


「ありがとうございます」


「本当に一直線だったのか?」


「ええ。真っ暗で見えませんでしたが、分岐点がないか確認しながら進んできたので。でも、上から光が差している場所がありました。その光を目指して進んだのですが、到達できると思った瞬間、この穴の入り口付近に逆戻りしてしまっていたんです。私でも何が起こったのか分かりません」


 ハノーヴァーは、顎に手を当てて考え込んでいる。そして、彼は奇妙なことを呟いた。

 『魔術や魔法の類いか』と。


 ーー魔術?


 魔術といえば、子供の頃に見た夢の中でフリューゲルに術式を教えてもらったことがあった。他のことを習わなくてはいけなかったので、基礎の基礎しか習っておらず実践には使えないものばかりなのだが。

 フリューゲルの時代にはあったものが時代が進むにつれて廃れたのかもしれないと思ってはいたが、脈々とごく一部の人間に受け継がれてきたのかもしれない。


「魔術ってなんのことですか?」


「……あいつらは奇妙な術を使うんだ。俺はそれの正しい呼称を知らないから勝手に魔術と呼んでる。例えばこの手枷。普通、俺ならこの程度のもよなら破壊できる。でも、こうしてーー」


 ハノーヴァーは両腕に力を入れて手枷を破壊しようとするが、それはバチっと嫌な音を立てながら一瞬眩い光を放った。そして、手首周りには焦げができている。

 これでは確かに手枷を破壊することは困難だろう。

 

「それが、魔法ですか」


「ああ、この通り引きちぎれる前に俺が焼け焦げて死んでしまうだろう。色々試してはみたがお手上げだ。この手枷さえ取れればな」


 彼は苦虫を噛むような顔をする。

 私が単体でここから生きて出られることはまずない。そうなると、かなり危険であるが彼の協力が必要になってくるので、まずは彼の手枷を取る方法を考えないといけない。

 何か方法は何かないものか。幸い、私は子供だから油断ができたのか、拘束具はつけられていない。食事をとりにどこかに行ったあいつが戻ってきた時、私も拘束されてしまう可能性があるので、今のうちになんとかしなければならない。

 私は彼の高さをまじまじと見る。木でできた二枚の板の結合部分に新品の金具が取り付けられているというシンプルな形状だ。

 とりあえず、この金具を取ってみようと考えた。


「この、金具を取ってみようと思うんですけどいいですか? 焦げてしまう可能性もありますけど」


「他に手はない。やってくれ」


 私は近くに落ちていた手頃な石を掴み、金具に何度も振り下ろす。どうやら、これはハノーヴァーの手首は焦げないらしい。

 10回、20回と何度も石を金具にぶつけるが、私の力ではこの金具を壊すに足りないのか、それともこの金具の強度が高いからかは分からないがいっこうに壊れる気配がない。少しも変形していないのだから驚きだ。

 石を掴んでいた私の掌は皮がむけたが滲み、ビリビリとした痺れが伴ってきている。これ以上は無理だ。


「すみません。これ壊せそうにないです」


「……だろうな。見てて思った」


 私もハノーヴァーも大きくため息をついた。

 他に何かないのかとよく手枷を観察していくと、気になるものがあった。それは、彼の手首に接した手枷の側面に小さく彫られた何かの模様だ。こんなものは、貴族や商家の家紋や企業のロゴでも見たことがなかった。


「これ、何か知っていますか? 何かの模様みたいなものです」


 私は手枷の一部分を指差し、彼にそれを指摘した。

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処刑された彼女が幸せを掴むまで 千歳飴( ・`ω・´) @usp_la

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