通気口


 私は彼を知っているし、彼も私のことを知っていた。しかし、それは知り合いだからというわけではなく、どちらも全く接点もないお互いの耳に入るくらいにあまりにも有名過ぎたのだ。

 私は、公爵家の1人娘として、周りの近しい人を喰らう食人鬼として、よく通っていた服屋の店主のように私となんらかの接点を持った人物によるさまざまな悪評やレッテルの貼り付けによる悪女として、噂により王子エリオットに婚約破棄された自業自得なバカ女として、公爵家の人間であるにも関わらず職務を放棄して田舎に引きこもったクソ女としても有名だった。回帰前の世界が続いているとすれば、不名誉な名前と行いが、尾鰭と誇張がついた形で後世にずっと語り継がれて笑いものになっているだろう。

 対して、彼は、連続殺人や国家反逆、人身売買の主導など様々な罪を犯していたため、極悪非道の囚人たちの中でも一際目立つ存在だった。関わりたくない人物とはこういう人を言うのだろう。ーーまあ、周りからしてみれば私も関わりたくない人物ランキングで一位を収める自信があるのだが。

 そういえば、彼はこの時代に人身売買の罪で捕まったことをメイドから聞かされたことを思い返す。当時、子どもが行方不明になったという話はあまり聞かなかったのでとても驚いた記憶がある。

 それもそのはずだ。人身売買されていたのは、1日に何件も凶悪な殺人事件が起こると有名な無法地帯となっているスラム街ベロソスに住んでいた孤児や、違法に我が国に滞在している子どもたち、人身売買を行っていた組織と繋がりのある孤児院に預けられていた子どもたちだったのだから。

 つまり、いなくなっても探す人がいなかったり行政に駆け込む手立てがない人たちを狙った犯行であった上、孤児院での人身売買は何人もの役人も関与していたため何年もの間その事件が表に出てくることはなかった。

 現時点より少し前の時期に、スラム街周辺の地域や孤児院の近くで妙な人を見た、または子供があの場所に行くと悪い大人に連れて行かれてしまうなどという都市伝説じみた噂がちらほらと流れていたようだ。その嘘か本当か分からない噂を調べたのが、その当時たまたま用事で噂のある街に赴いたフェベル・アギヨンという騎士が噂を確かめようと色々調べ、そして大規模な人身売買の市場とそれに加担した一味を摘発したようだ。フェベル・アギヨンという騎士は、この事件をきっかけに頭角を表し、民衆の支持を受け私が処刑される頃には騎士団長となるほどまでになっていた。

 彼は社交的で誰に対しても公平に接する貴族出身であった他、頭も非常に切れ剣術も素晴らしく、将来有望の騎士として平民貴族問わず絶大な人気があった。しかも、超の付くほど美青年ということで、幅広い年齢層の女性にファンがいた。オペラの俳優もビックリするほどの人気だった。

 ブランシュ家とは対立する家だったので、私と彼は数回しか話したことはなかったが、政敵であるこの私にも公平に接する姿はまさしく紳士そのものであった。

 フェビレルの話はひとまずこれくらいにして、ハノーヴァーのことを話そう。

 人身売買とその他諸々の罪で拘束されたハノーヴァー。彼と、彼の組織の悪名は瞬く間に国土全域に広がった。極悪非道でまさしく血も涙もない人間とは彼のことを言うのだと誰もが口にした。人間ではなく、悪魔なのではないかとも囁かれ、彼は生まれてくるべきではなかったと誰もが彼の存在だけでなく本来なら良いことだと解される出生そのものまでも否定し罵った。

 拘束されてからも囚人や看守を何人も残虐な方法で殺していると噂のハノーヴァーが収容されていることで有名なカレギュマレー牢獄に私も入れられることが分かった時は流石に血の気が引いた。私は全身が引き裂かれて殺されるのではないかと心の底から心配し、ただひたすらに祈った。

 神がいるのなら今すぐ私を助けて!、とファブリス教の神だけではなく、古今東西私が知っている限りの別の宗教の神に対しても祈りまくった。

 しかし、何百もの神に対して行ったその祈りは通じることはなく、最悪な方向へ転がっていった。

 なんと、私にあてがわれた牢屋がハノーヴァーの目の前の牢屋だったのだ。鉄格子だけで仕切られていたので、私生活・プライバシーなんて全くない。ここまでくると、神たちは私をわざと不幸にし、その様子を見てゲラゲラと品もなく笑い転げて笑い死に寸前までいっているのではないかと思うほどに酷かった。

 10年と少しの間、牢屋に入れられ拷問されたハノーヴァーは廃人に成り果てていた。四六時中鎖に繋がれた彼は、1人でぶつぶつと何かをつぶやいていることがほとんどだったが、時折、憎悪をたっぷりと含んだ声で何やら叫ぶことがあった。ほんの少ししかない睡眠時間を彼の叫び声で起こされてしまうことも時々あったが、それがかなり頭にきたことを覚えている。

 とにかく、このハノーヴァーという人物はやばいとしか言いようがない。こんな奴と一緒の場所に入れられているというのが何よりも恐怖だった。

 ただひたすらに静かに隅っこでおとなしくしていようと、壁際に寄るために立ち上がった、のだがーーおい、とぶっきらぼうに彼に話しかけられてしまった。


「な、なんですか」


「ちょっとこっちこい」


 何を言われているのか分からなかった。


「ちょっと、何言ってるのかわかんないです」


「だから早くこっちこいって言ってんだろ!」


 先入観込みなせいでさらに怖く感じる。もう私の足はガタガタ震えている。ハノーヴァーは手枷をはめられているので、彼の手で頭を握りつぶされることはないだろうが、それでも手枷でぶん殴られる可能性もある。半径100キロメートルくらい距離を取りたい気分だが、このままごねても事態は悪化してどうせ殺されそうな気がするので、彼に恐る恐る近づいていった。

 彼は背中を壁に預けて鎖で繋がれた足を大の字に広げて座っていたが、私が近づくとヤンキー座りの体勢に入った。両腕で両足を抱えている。

 何をしたいんだと戸惑っていると、彼が、んっ、と何やら合図を送ってくる。

 ーー貴方と会話したことは一切ないから、合図されても困るんだけど。

 彼は一切動かない私に業を煮やしたらしく、怒気を含めながら私に指示を出した。


「俺の肩に乗れ」


 私の頭上には疑問符が大量に浮き出ているのではないだろうか。言葉足らずにも程がある。私をどうしたいんだ。

 何か手がかりはないかとキョロキョロと周りを見ていると、彼の身長でも届かない位置に排気口代わりの穴があった。ちょうど、彼に肩車をして貰えば、その穴の中に潜り込める高さだ。穴の大きさも子供の私がギリギリ入れるくらいだ。

 なるほど、と納得し私は彼の肩に乗った。穴に潜って助けを求めてくるか有益な情報を仕入れてこいということだろう。

 私が彼の頭に掴まると、彼は立ち上がり壁ギリギリまで寄った。

 私は彼の頭を掴み、地面に落ちてしまわないように細心の注意を払いながら彼の肩に両足を乗っけて、穴の中に入った。

 風が吹いているので、どこかに繋がっているんだろうと期待が持てる。

 私は出口を目指し這い進め始めた。

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