第58話 未来を掴む腕

「この摂津せっつしとねちゃんだってさ、無策で界人かいとの病室に突撃したわけじゃないんだよ!」


 唐突にしとねが顔を近づけるので、界人は思わず上体を起こしていたベッドの上で仰け反ってしまう。



 しとねが初めて界人の病室を訪れた翌日のことだった。


 病室には、界人の父・征人せいとが時間を作ってやって来ていた。


「何かアイディアがあるというのかい?」


 ごく普通に尋ねる征人だったが、しとねは警戒したように身構えた。


「な、なんか、おじさんがいると〝しとねちゃん時空〟が狂うんだよな……。ホントにアドキーパーと同一人物なの……?」

「はっはっは、何を言っているのか、私にはさっぱり分からないな」


 しとねが複雑な表情を浮かべると、界人は愉快そうに歯を見せた。


「お前があたふたしているのを見るのは気持ちが良い」

「急にSっ気出してくるな~!」


 しとねが腕をブンブンと振り回していると、征人が口を挟む。


「すまないが、私も暇というわけじゃない。何が始まるのか教えてくれないか?」

「それはすんませんでした。じゃあ、早速……」


 しとねが手を叩く。


 病室のドアが開いて。白衣に身を包んだ集団がゾロゾロと入って来る。彼らの白衣の胸元に〝X〟を模したロゴマークが入っている。


「この人たちは、ゼノゲニア・テクノロジー──通称ゼノテックと呼ばれている企業のみんなだよ。界人には話したけど、折衝役コーディネーターは生傷が絶えないんだ。そこで彼らにお世話になってるの」


 具合が悪いんじゃないかと感じるほどに土気色をした顔のやせぎすの男が喉の奥で笑い声を転がしながら前に進み出る。


「小生はゼノテックのバイオニック拡張研究部門責任者の窓野まどの才円さいえんと申す者……以後お見知りおきを」


 そう言って窓野は笑みを浮かべるのだが、落ち窪んだ目といい、色の悪い唇といい、古びた片眼鏡モノクルといい、なにか不気味な空気感を纏っている。


 界人たちの表情を見て、しとねは言う。


「めっちゃやばそうな見た目なんだけど信頼できる人だから、安心していいよ~」

「摂津殿、小生は第一印象でそこまで説明されねばならぬ風貌でしょうか? 甚だ心外でありますぞ」

「ああ、うん、大丈夫だよ。腕は確かだからさ」

「摂津、それはフォローになっていない」


 界人が指摘すると、しとねは舌を出した。


「腕のない人に言われちった★」

「いい加減、僕も怒るぞ」

「ごめんて。今回はその腕について、マッド──じゃなくて、窓野さんに協力してもらうと思ってわざわざ来てもらったんだよ。この摂津しとねちゃんのコネがなきゃ、こんなことは不可能なんだぞ。お礼はラングドシャの詰め合わせでいいよ」

「説明を始めてよろしいですかな、摂津殿?」


 窓野が大きな樹脂製のハードケースを近くのテーブルの上に載せてウズウズしている。しとねが合図を送ると、窓野はそのケースをゆっくりと開いた。


 中には、黒いマットな素材で作られた腕が入っていた。


「こちらは現在ゼノテックで開発中の筋電義手バイオニックアーム・〝銀の腕アガートラーム〟でございます」

「銀の腕なのに黒なの最高にイカしてるね!」


 しとねがはしゃぐが、征人が唇に人差し指を当てているのを見て、口を閉ざした。


「無論、色はご希望とあらば変更することはできます。ここにございますのはプロトタイプで、界人殿が実際に装着するものではございません。あくまでプレゼンのためのものでございますよ」

「僕が……、義手を……?」


 界人の中に不安が湧き出る。


 テレビなどで何度か観たことはあるが、義手のリハビリなどには相当な苦痛が伴う場合もあると界人は記憶していた。


 窓野が喉の奥で笑う。


「ただの義手ではござらんというのが、この銀の腕アガートラームでございます。この筋電義手バイオニックアームは、生体に筋電素子などをインプラントし、接続することによって意のままに動かすことができるばかりでなく、人間の触覚の七十パーセントを再現した触覚フィードバック機能も有しております。つまり、簡潔に申し上げますと、本来の腕とほとんど同様の機能があるということでございます」


 窓野の片眼鏡モノクルが光る。ボルテージが高まってきたのか、身振り手振りが激しくなってくる。


「あにはからんや、それだけではございません! こちらの銀の腕アガートラーム折衝役コーディネーター協会との共同開発による世界初の機構システム・〝中道主義者接続ニュートラ・リンク〟によって、個人が契約しているのとは別に、広告術アドフォースをカートリッジのように入れ替えることができるのです! 前腕部分には、装備されている広告の企業ロゴを表示できる窓もついておりますから、ある種ヒーローのような演出も可能となっておりますぞ!」


 もはや舞いを踊っているかのように窓野は続ける。


「他にも、銀の腕アガートラームは通信機能を持ち、インターネット接続された機器を操作することもできるのです! これによって、仮想空間内に腕を持つことも可能となっておりますぞ!」


 窓野は力の限りプレゼンを行って、ゲホゲホと咳き込んでしまった。


 そばに居たアルビノの女性にミネラルウォーターの入ったペットボトルを渡されると、窓野はそれをチビチビと口に運んだ。


「しかし、それほど高性能な義手なら──」

筋電義手バイオニックアームでございます、市長殿」

「失礼。それほど高性能な筋電義手バイオニックアームであれば、かなり高価なものになるでしょう。いくつか機能を落として安価なものにして頂くことはできるのでしょうか?」


 征人の懸念に窓野は曰くありげに笑みを浮かべる。何かを企んでいるようにしか見えないが、おそらくは見る者の気のせいだろう。


「それに関しては、広報部門の責任者であるシャルンホルスト未生みおからご説明がございます」


 窓野にペットボトルを手渡していたアルビノの女性が膝を曲げて挨拶をする。


 華奢な身体だが、女性らしい曲線美を持っている。まるで彫刻のような顔立ちに、アルビノ特有の透ける肌が相まって、俗世と隔絶されているような雰囲気がある。


「只今ご紹介に預かりました、ゼノゲニア広報部のシャルンホルスト未生と申します。お二人と共にこのプロダクトに関わるプロジェクトへのアサインについてアジャストして参りたいと存じます」

「プロジェクト? どうやら私がここに呼ばれた理由と関係がありそうですね」


 征人の眼差しが鋭さを増す。シャルンホルストがニコリと微笑む。


「ご明察でございます。結論から申し上げますと、我々ゼノテックは界人さまの銀の腕アガートラームに関わる代金コストを頂くつもりはございません。これから提示させて頂きますプロジェクトへのアサインが必要ではございますが」


 征人も界人もシャルンホルストの不敵な微笑みに気圧されそうになるが、しとねは訳知り顔で成り行きを見守っている。


「その前に、銀の腕アガートラーム装着までのプロセスをご案内いたします。まず、右腕の上腕骨内にチタン製のインプラントを埋め込むオペを行います。その後、数か月でインプラントと骨の融合──オッセオインテグレーションが起こりますので、筋電義手バイオニックアームをコネクトするための処置と、筋電義手バイオニックアームを動かすための電極や神経バイパスなどを施すためのオペが行われます。続いて、筋電義手バイオニックアームに内蔵されたAIに筋肉の活動電位を学習さたり、界人さまが筋電義手バイオニックアームを動かすためのトレーニングを仮想空間VR拡張現実AR上で行います。それを終えて、いよいよ実際に銀の腕アガートラームを装着してのリハビリとなります。そこで触覚フィードバック機能のアジャストメントが行われ、日常生活での使用となります」

「かなり時間がかかるんですね……」


 界人は頭の中で素早く期間を見積もっていた。シャルンホルストはうなずく。


「オッセオインテグレーションとその後のオペまで二、三か月、リハビリとトレーニングで一、二か月、最長で半年といったところでしょうか。最短であれば、三か月強でコミットすることも可能です。ASAPなるはやで、しかし、丁寧に進めて参りたいと思います」

「通常の義手であれば、現状の息子ならば、この後からすぐにでも義手装着に向けたプログラムを始められるはずですが、それと比較するとかなりの時間を要しますね。完了する頃には夏から秋にかけてだ」


 シャルンホルストはまたもやニコリと笑顔を見せる。


「オッセオインテグレーションまでの数か月で、実空間での銀の腕アガートラームのトレーニングを並行することができます。それが今回ご提案させて頂くプロジェクトになります。界人さま、征人さまには、ゼノテックと提携を結んで頂きます。そうすることにより、広告術アドフォースによる銀の腕アガートラーム装着が可能になり、トレーニング環境へ即時移行することも可能です」

「なるほど。そう来ましたか……。つまり、界人と広告契約を結びたいということですね」


 征人は悩ましげに苦笑した。シャルンホルストはさらに言葉を加えていく。


「現状、我々のプロダクトには唯一の懸念点がございます。それがバッテリー問題イシューです。通常、バッテリーは丸一日の稼働に足りるのですが、毎日の充電やバッテリーの劣化など解決すべき問題イシューが山積みとなっております。そこで、ゼノテックでは無線電源によるデバイスへの恒常的な給電システムを構築、そしてその無線電源網を配備した都市構想・〝電池のない都市アバタリア・シティープロジェクト〟を提唱、阿戸あど市にその実証都市として加盟ジョインして頂きたいのです」

「なんと……」

「もちろん、フィックスには時間を要するでしょう。ひとまずはプロジェクト推進へご協力頂けるというコンセンサスを頂ければ、プロジェクト自体はゴーできるのですが」


 シャルンホルストはその赤い目で征人を真っ直ぐと見つめた。



***



 界人たちはシャルンホルストの提案に即決の回答を保留した。


「摂津さん、君はとんでもない話を持って来たね」


 ゼノテックの人間が帰っていくと、征人はどっと疲れたように溜め息と共にしとねを見つめた。


「ごめんごめん。わたしもあんなにグイグイ営業かけると思ってなかったからさ、あの人たちがあんな野望を抱えてここに突撃する覚悟だったとは知らなかったんだよ……──え、ホントだからね! わたしを信じてくれたら、もれなくこの摂津しとねちゃんからの親密そうな視線をプレゼントするよ」

「それは申し訳なく思っているだけだろう」


 界人に痛いところを突かれて、しとねは舌を出す。


「でもさ、あのオーガズムとかいう義手があれば──」

銀の腕アガートラームだ。わざと間違えているだろう」

「そいつがあれば、普通の義手よりもきっと快適に過ごせると思うよ。っていうか、普通の腕以上の機能ありそうじゃん」

「それはそうなんだが……」


 窓際で佇んでいた征人が腕組みをする。


「界人個人としてはどうだ? 銀の腕アガートラームを試したい?」

「以前、筋電義手バイオニックアームについて取り上げた動画を観たことがあるんだけど、自分の意思で腕や指を動かせるようなんだ。従来の義手とはまるで設計思想が違う。僕は……銀の腕アガートラームを選びたい。でも……」


 界人としては、阿戸市が重大な決断を行わなければならない問題に安易に自分の意思を表明することは気後れのすることだった。


 しかし、征人は首を横に振る。


「いや、その先を考える必要はないよ。界人は当事者なんだ。選びたいものを選ぶのがいい。ただ、確認しておくべきことはあるがね」

「確認しておくべきこと?」

銀の腕アガートラームに搭載されている中道主義者接続ニュートラ・リンクという機能だよ。中道主義者ニュートラリスト折衝役コーディネーター協会のものだ。場合によっては、その機能だけは落とすことになるかもしれない」

「え~、別にいいじゃん。『カートリッジ・オン!』とかいって、特撮ヒーローみたいにやればきっとカッコいいのに。おじさんだって、そういうの好きでしょ。ヒーロー的なやつ。みんなにお披露目したいでしょ」


 征人は知らんぷりをする。


「僕は腕として使える最低限の機能さえあればそれでいいよ」

「なんだよ~、親子揃ってつまんないな~! いいじゃん、フルモデルでいきなよ。きっとみんなからの視線独り占めだぜ。写真・動画の撮影ルール取り決めんといかんくなるよ」

「おそらく、それが彼らの狙いでもあるのは僕も承知さ。僕を銀の腕アガートラームの、いや、ゼノテックの広告塔にしようとしているわけだからな」

「界人がそう考えているなら問題はないよ。パパの問題は、ちょっと個人では決められないものだ。電池のない都市アバタリア・シティープロジェクトとやらについて、議会に議題を提出することはできるだろうが、その前段階でプロジェクト自体に問題がないかどうかの調査をしっかりと行わなければならない。無線電源網を敷くことで市民に健康被害などがあってはならないからね」


 界人は征人へ顔を向けた。


「じゃあ、みんなに……──、ウォッチドッグスに調ベてもらうしかないね」


 自分が離れることになった組織のことを思い出して、界人は寂しげな表情を浮かべる。


「彼らに少し残業してもらうしかないか」

「う~わ、世界で一番苦手な言葉!」


 しとねが頭を抱えて床に大袈裟に両膝を突く。

 界人はベッドの縁に腰かけた。


「父さん、とにかく、銀の腕アガートラームをつけるにしても、そうでないにしても、普通の義手をつけてリハビリとトレーニングをしないといけないのは変わらない。とりあえず、頑張ってみるよ」


 そう告げる界人の目が生き生きと輝いているのを見て、征人は胸を撫で下ろした。頼人らいとから聞いていた話では、界人はずいぶん参っているようだったからだ。


 昨日、ひどいことを言ったと界人から頼人へ謝罪があったらしいが、何か変わるきっかけがあったのだろうと、征人は想像していた。


「わたしもついてるからさ、大船に乗った気持ちでいてよ! 後悔させないよ!」


 しとねの自信満々な言葉にはにかむ界人を見て、征人は想像を確信した。


「では、頼んだよ、摂津さん」


 征人は別れの挨拶をして、病室を颯爽と出て行った。

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これはCM上の演出です! 山野エル @shunt13

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