後編

 数時間後。

 陽も沈み、しかし街の明かりは消えないまま、僕は居酒屋に入った。


 騒がしいなかを抜けると、男二人が手を挙げた。一人は少し肥満体型で細目な男、もう一人は細身で頬がこけた男だった。


「初めまして、ケンのお兄さん! こう見ると顔が似ていますねえ」

「初めまして、よろしくお願いします」


 僕は黙ったまま頭を下げて挨拶をした。ケンは弟のハンドルネームだ。

 この二人は、弟がインターネットで知り合ったアイドル友達、らしい。これまでも二人は、大学生と高校生という年が離れたことを感じさせないくらい、弟と仲良くしていたそうだった。


「まさかこんなことになるとはなあ……この度はご愁傷様です」

「お二人から見て、弟はどんな人でしたか……?」


 太っている方の男は、一気にビールを流し込み、うつむきながら、

「そうですねえ、まあ変なやつでしたよ」


 はっはっはっ、と大きな声で笑う男に、細身な男は本気な様子で慌てながら、「おい!」と制止している。


「いや、すみません。今回の事件とは関係なしに、プレジュアのなかでも、なかみーを推していたり、しかも熱狂的だったりは、ケン以外のファン仲間では見たことなかったって意味ですよお」


「……それは、どうしてですか?」


 すると、太っている男の方がスマホを何やら使い始め、画面を僕の方に見せた。


「この人、何度もネットで炎上している人なんですよお。グループのなかでも、そのせいで人気ないし」


 画面には弟が好きだったアイドルが中学生のときに万引きをしていたという記事が書かれていた。


「弟はなんで、この人が好きだったんですかね」

「弱い立場の人が好物とか言っていましたけどお、それよりも多分……」


「実際にプライベートで会ったことあるらしいですよ」

 細身の男がぼそっとつぶやく。


「……会っていた?」

「俺らも鼻で笑っていたんですけどねえ、写真とかもなく、ただ話を聞いていただけなんで。でも今回の事件があったから、もしかしたら本当かも」


 太っている男の方が苦笑いの表情をして言った。


 僕は老婆の言葉を思い出して、身震いした。老婆がいたと証言した女、あれはそのアイドルだったんじゃないだろうか。


「事件があったところは、プレジュアのメンバーがよくライブのときに泊まっているっていうホテルの近くだったし、本当に会っていたんでしょうかねえ」


「……」

 僕は強く、拳を握りしめた。





 数か月後。夜、僕はホテルの傍で張り込みをしていた。ライブ前、弟と会っていたというアイドルは、たしか にこのホテルに泊まっているはずだった。


「たしかめる、だけだ」


 すると、一人の女性がホテルの入り口から出てくるのが見えた。マスクもせず、誰に見られようが構わないというように堂々と歩いているが、それが僕には有難かった。

 弟が死んだとき、目の前にいた例のアイドルだ。


 そして、僕はそのアイドルの目の前に立った。


「弟を覚えているか」


 そのアイドルは、怪訝そうな顔をした。

「誰、あんた。ファン?」


 僕は声を震わせて、

「俺の弟を、お、覚えているか」

「はあ? ……気持ち悪っ。警察呼ぶよ?」

「あなたの目の前で、死んだ男の、ことだ」


「……なんで、知ってんの」


 そのアイドルは、初めて顔をゆがませた。

「隠蔽してくれたって聞いたけど」

 その言葉に、僕は確信して、少し嬉しくなった。


「あのとき、あなたと弟が、会っているのを見たって人が、いたんだよ」


「……そう、それで? あんたは何?」

 そのアイドルはスマホをいじり始める。変わらない横柄な態度に、僕は笑う。


「お前が、殺したんだろ?」

「あんた、家族なのに何も知らずにこんなことしてるわけ?」

「知ってる、よ。自力で全部調べた、からな。あんたが大事な弟を殺したんだと、そうに決まってる」


 そのアイドルはため息をついた。

「陰謀論でも聞かされたか知らないけど、ニュースが真実よ、隠していることと言えば私がいたってことくらい。あんたの弟は、私の前で自分のお腹にナイフ刺して、死んだ。目の前で見たんだもの、間違いないわ」


「……は?」

 自分で刺しただって? あの弟が?

「そんなわけない」

「そんなわけあるのよ」

 頭が真っ白になる。そんなわけない。


 そんなことじゃ、納得してくれない。


「俺のことを一生覚えていてほしい、とかなんとか言っていたわ。あー、今思い出しただけでムカついてきた」

「嘘、言うな」

 僕は声を震わした。


「嘘のわけがないでしょ……あんたの弟、学校でいじめられていたらしいじゃない。その反動なんじゃないかって。私には、本当にどうでも良いことだけど」


 そして、そのアイドルは鼻で笑う。

「それにあんた、その弟のこと本当に大事だったの? ただ憂さ晴らししたいだけじゃないの? さっきから一度もその弟の名前を言ってないし。ちゃんと、名前言える?」


 フラッシュバックが起きる。


 中学時代、いじめられたこと。大学受験で失敗して、母にため息をつかれたこと。就職できずに引きこもりを続けていたとき、弟から散々馬鹿にされたこと。


 僕の頭のなかの何かが弾けた。ポケットに潜ませていたナイフに触れる。


「そんなこと、どうでもいい! 僕はここでお前を殺せば、お母さんがきっと褒めてくれるんだ! 昔みたいに!」


 吐き捨てるように言い、ナイフを取り出す、はずだった。


 いきなり僕は後ろから腕をつかまれた。そして、振り返る暇もなく、羽交い絞めにされた。


「確保!」


 男の声がする。そのあとに続いて男が複数人駆け寄ってくる音がした。警備員らしき制服を着ていた。


 そこで僕はどういう状況か、把握した。

「ふざけんな! 捕まえるのはそこの女だろうが! こいつは弟に何度も会って、すり寄って、弟を騙していたんだ! そうに決まってる!」


 どうにか引きはがそうと暴れるが、ひ弱な体の僕ではびくともしなかった。そのアイドルは少しおびえた様子でこちらを見ている。

「会っていたって、そんなわけないじゃない、ただの妄想よ」


 そして、そのアイドルは僕に指差し、声を少し震わせながら言う。


「私はこれから真っ当に頑張るの。だからあんたらみたいな頭のおかしな人と関わっていられないから!」


 顔がゆがむ。僕は警備員に引きずられていった。

 涙で、視界が霞んでいった。





 ――後日。田中悠馬は殺人未遂の容疑で逮捕された。犯行の動機として、「弟を殺した犯人を殺せば、母が褒めてくれるから」と供述している。

 弟の田中健太は数か月前、某アイドルの目の前で、包丁を自らの腹部に刺し、自殺するという事件を起こしている。

 田中悠馬はそのことについて、「弟は自殺していない、殺されたんだ」と供述。包丁の刺し傷から見て自ら腹部を刺したことに違いはなく、田中悠馬は事実を誤認し、犯行に及んだと考えられる。

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アンナチュラル 柊木舜 @hiirgi_sh999

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