アンナチュラル
柊木舜
前編
先日、六つ下の弟が殺された。
女性アイドルグループ「プレジュア」が好きだった弟は、プレジュアのライブに行っていた。そして深夜、弟は包丁を腹に刺され、殺された。
その話を母から聞いた僕は、言葉が出なかった。
弟はとても優秀で、今年から入学した高校は、毎年多くの東大合格者を生み出している名門校だった。
最近はそのアイドルにどっぷりハマっていて、両親は心配していた。働き始めた僕も、気になっていたタイミングだった。
その事件の日以降、連日やってくるマスコミたち。
僕は弟の死を言い訳に、そのまま会社を休み続け、外界からの情報は一切絶つことにした。ニュースは一度も見ていない。
マスコミは、あてにならないからだ。
「あの女のせいよ」
やつれてしまった母は、弟が大好きだったアイドルを指差して言った。マスコミに対しても、そう叫んでいたのを、部屋から僕は聞き耳を立てていた。しかし、その話は鼻で笑われたのだろう、母が家で怒りをあらわにしていた。
両親は毎夜喧嘩して、ついに父は家から出て行ってしまった。僕だけが、母に寄り添っていた。
「あの女、絶対殺してやる。何もかも、あの女のせいよ」
まだ殺した犯人は捕まっていないと母は言っていた。アイドルのライブに行っていただけで、そのアイドルを弟の死の理由にすることはできない。怒る相手は、弟を殺した真犯人だ、と僕は思う。
弟が殺された日から二週間ほど経ったころ。家に突撃してくるマスコミや野次馬も少なくなり、僕の怒りは明確にふつふつと湧き出していた。
「出かけてくる」
夕方、久々に出かける準備をして、リビングで寝ている母にぼそっと言う。リビングは食べかけの容器やビール缶が散らばり目も当てられない状況になっていた。ほとんどの時間、部屋に引きこもっていたせいもあり、僕は今の今まで気づかなかった。
家を出ると、僕は弟が殺された場所へ向かった。ライブがあったアリーナ周辺のホテル近くが、その場所だった。
電車で一時間ほど、ようやく僕は初めて事件現場に来た。辺りを見回す。
なんでもない、普通の歩道。血痕はすでに洗い流されており、ここで人がつい最近死んだということに、気づく人はいないだろう。
僕の右側にはガードレールを挟んで車道があり、車の往来はそこまで多くはなさそうだった。左側はコンクリートの壁が二メートルほどあり、その上には草が生い茂っている。
「手がかりは何もない……か」
事件日から数日の間は、両親が警察と話をしているのを少しだけ眺めていたが、結局犯人は捕まらず、両親が喧嘩をするだけだった。
警察は役に立たない。そんなことは始めから分かり切っていた。
僕は中学生のころ、クラスメイトからいじめられていた。あのころを思い出すと、今でも心が締め付けられる。
中学二年の夏、僕はコンビニで万引きをしてこいと言われた。
地獄のような日々から抜け出したい。そう思った僕は、勇気を出してわざと店員に捕まった。警察も来て、最終的には父親も来て、僕のなかではかなり大ごとにまで発展した。
でも、結局は父親に叱られるだけで、その件は終わってしまった。警察には、いじめられて万引きさせられたと、訴えもしたが、子どもの言い訳だと流された。
あのときから、僕は警察を信用していない。
「そこの坊や、事件の関係者かい?」
後ろを振り返ると、白髪の老婆が立っていた。白髪といえども綺麗に整えられており、化粧もしっかりしていて、リッチな雰囲気を服装や指輪といった装飾品から漂わせていた。
「そ、そうですけど……どうして」
老婆は僕の言葉に嬉しかったのか、口角を上げた。
「私はね、あのマンションに住んでいるんだけどね」
老婆は車道を挟んで反対側に高く聳え立つマンションを指差した。
「長い間、そこでうろついているのが窓から見えてねえ。ちょっと話してみたくなったのさ」
僕はその発言に眉をひそめた。
「野次馬なら、帰ってください。僕は……家族を失ったんです」
老婆はふたたび口角を上げる。
「これはまた面白くなってきたねえ。なに、ただの野次馬なんかじゃないよ、私は。警察には結局無視されちまったがねえ……」
「何が、無視されたんですか」
「私の話さ。私はねえ、あの事件をたしかにこの目で見たんだよ」
僕は思わず、えっ、と言葉が漏れた。老婆の口角は上がりっぱなしだ。
「ちょうど部屋の窓からね。あの事件の犯人は、女、だよ」
「おんな……」
僕が茫然と立っているのを楽しそうに、老婆は話を続ける。
「そうだ、男と髪の長い女が話しているのが見えたと思ったら、男の一人がいきなり倒れたのさ。あとは、女がすぐにその場から逃げ出していったんだ。これは恋のもつれが原因で起こった殺人事件だったんだよ!」
「……」
僕は考え込んだ。だが、僕はその可能性に縋りたくてたまらなかった。
「その女は、誰なんでしょうか」
「そんなの分からないよ。が、そうだね。そこはあんたの仕事なんじゃないのかい?」
僕は息をのむ。
「僕の、仕事……」
そのとき、後ろから男の声がした。
「おい、母さん! 勝手に外へ出るなって言っているだろ!」
振り返ると、中年の男が眉を寄せ、イライラした表情で走ってきていた。
「なんだい、私の身体なんだから自由だろう」
「それでこの間も警察に補導されたんだから、もういい加減にしてよ」
老婆の息子らしきその男は、僕の方を見て頭を下げた。
「すみません、母がお騒がせしました。最近ボケてきてるみたいで」
「あ、はい」
間抜けな返事をした僕を横目に、男は老婆を連れて行ってしまった。
僕がその姿を見ながら呆けていると、ズボンのポケットに入れていた携帯電話が鳴った。
画面を見ると、今日待ち合わせをしていた人たちからの連絡だった。
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