サンドウィッチウィッチ

鳥辺野九

サンドウィッチの魔女


 三澤澪佳みさわみおかはサンドウィッチウィッチと呼ばれている。


 魔女が作るサンドウィッチの具材が誰にも予想できないクセの強いモノばかりで、ランチビンゴでの大穴的存在だからだ。


 ランチビンゴとはクラスメイトの弁当のおかずでビンゴをするくだらないゲームだ。他人の弁当を勝手に予想し、挙句の果てに食べてる側で中身を覗き込んで答え合わせ。今にして思えばほんとに趣味の悪い遊びだ。


 あいつの今日のおかずは何だ? あの子の弁当は? 保温ランチボックスの奴はカレー一択だろ。いやむしろ当てにくいぞ。唐揚げはセンターに据えるべきか。そこは玉子焼きだろ。おまえシャウエッセン派? 俺はアルトバイエルン派。ハンバーグは角に置くべきだな。さて、今日の魔女はパンに何を挟む?




 中学生男子は世界で一番バカな生き物だ。


「サンドウィッチウィッチは何を挟んでくる?」


 ニヤニヤした顔で村西が言った。まるで胴元のように場を仕切りたがる奴だ。


 クラスメイトの弁当を覗き見るビンゴゲームも中盤。もうそろそろ誰かしらビンゴ宣言してもいい頃合いだ。


「おい、賢弥。三澤に聞いてこいよ」


 サンドウィッチウィッチこと三澤澪佳は家庭環境が少し特殊で扱いが難しい。


 この春から澪佳のお弁当はサンドウィッチが続いている。おかずである具材を覗き見るのは難しく、直接本人に訊ねる以外にそれを知る方法がない。


 澪佳とマンションの隣同士に住んでる幼馴染である僕が使いぱしりされる。デリケートな領域に踏み込める幼馴染ならではのデリカシーのない質問者というわけだ。


「澪佳はいいだろ。どうせ誰も当たりっこないんだ」


「いいから行ってこいよ。俺、リーチかかってんだ」


 他の男子どももやいのやいの言ってくる。ランチビンゴはくだらない遊びだ。しかし、購買のカフェラテが一等賞品ともなると話は変わってくる。誰だってあのカフェラテで優雅な昼休みのひと時を過ごしたい。


「わかったよ。どうせ変わり種だろうけどな」


 ビンゴに参加してる男子たちの視線を背中に、教室前側窓際の席、一人でサンドウィッチを食べている澪佳の元へ。澪佳は僕をちらっと一瞥して、食べているサンドウィッチを隠すように手で覆い、窓の外へ視線をやった。


「賢弥も暇ね」


 猿みたいな男子どもの喧騒。狭い教室でこれだけバカ騒ぎしていれば、そりゃ聞こえているか。


「静かにお弁当食べてれば?」


 澪佳は空いている前の席をコツンと蹴り上げて言った。勧められるままにその空席に着く。前後ろに座り、持参した弁当を澪佳の机に置く。


「あんたら評判悪いよ」


「知ってる」


 澪佳は自分のサンドウィッチを包んでいたプラパックをちょっとずらして僕にスペースを分けてくれた。サンドウィッチに挟まれた具材は、魔女の手が邪魔してまだ見えない。


「バカみたい」


 少し斜めった姫カットの黒髪を掻き上げて、澪佳は退屈そうに笑った。艶がきれいな長髪だけど端々が整っていない。自分でカットしてるとの噂だ。


「バカなんだよ」


「あんたも?」


「だろうね」


 昨日は串から外した焼き鳥とオニオンサラダ。焼き鳥がでこぼこしてて厚みがあるサンドウィッチだった。一昨日は肉じゃがとチーズのホットサンド。焼き過ぎなパンの焦げ目と溶けてはみ出たチーズが手作り感を演出していた。


 はたして今日は。これら魔女のオリジナルレシピラインナップを参照に、どう予想しろと言うのか。


「パンの中身が知りたいんでしょ」


「うん。見てもいい?」


「お好きにどうぞ」


 澪佳はかじりかけのサンドウィッチをちらりと開き、前髪がかすかに揺れる程度に首を傾げて応えてくれた。


「照り焼きサバ缶とマヨたっぷりコールスロー。昨夜の残りを挟んだだけ」


 ほらな。これは当たるわけがない。


「意外と美味そうだ」


「美味しいに決まってる。あたしが作ってんだ」


 そう言ってしまってから澪佳は表情を曇らせた。突然降り出した空のように。雨が空に戻らないのと同じく、吐き出した言葉はもう返らない。


 どうやら僕は澪佳に言わせたくないことを言わせてしまったようだ。小さな失言を覆い隠すように、サンドウィッチの魔女はすぐに小声で言葉を継いだ。


「ほら、もう行きなよ。バカどもが待ってる」


 僕もそのバカどもの一人か。幼馴染との距離が少し広まってしまったような気がした。


 気まずい空気が僕を押し返す。澪佳はもう僕を見ていない。窓から校庭を見下ろし、自分で作ったサンドウィッチを押し黙った口へ運ぶだけだ。


 僕の帰還を待つバカどもの元に戻る。すぐさま結果を知りたがる胴元の村西が詰め寄ってくる。


「よう、どうだった? サンドウィッチの魔女は何を挟んでいた?」


「今日のサンドウィッチウィッチのサンドウィッチは──」


 自分でも何故だかわからないが、僕は嘘をついた。


「──ツナ缶とポテサラのサンドウィッチだってさ。今日は普通のサンドだよ」


「ポテサラ来たー!」


 誰かがビンゴを揃えたようだ。どうでもよかった。


 澪佳にも聞こえるくらいのはしゃぎようだったが、サンドウィッチの魔女はこちらを振り返りもしなかった。




 学校帰り。部活の仲間とは帰り道が違う。一人でとぼとぼ歩いていると、近所のスーパーから出てくる澪佳を見かけた。


 制服のままの澪佳。学校帰りにスーパーに寄ったのだろう。薄っぺらい布地のエクバッグに8枚切りの食パンと牛乳を詰めて、部活帰りの僕に気付くと、顔馴染みの野良猫を見かけたようにエクバッグを掲げて見せた。


 どうやらサンドウィッチウィッチの明日のお弁当もサンドウィッチのようだ。魔女に挟まれる具材は何だろう。僕たちが親に作ってもらったお弁当のおかずで一喜一憂してる時、澪佳は何を思って自分で作ったサンドウィッチを食べているんだろう。明日は何を挟もうか、とか。


 何となく、今日は一緒に帰る気分ではなかった。同じ方向、同じマンションに帰るというのに、わざわざ道路反対側の歩道を歩いて家路に着いた。




 その夜。僕は澪佳の部屋の呼び鈴を鳴らした。いつもよりも少し押し心地が硬く思えた。電子的なコール音さえ尖って聞こえる。


 僕と澪佳は昔からマンションの隣同士。彼女の家庭環境はちょっと特殊だが、家族ぐるみの付き合いがあり、よく澪佳をうちの夕食へ呼んだりしている。


 余計なことを考え込む暇もなく扉は開き、澪佳は素直に僕を招き入れてくれた。


「どうしたの?」


「晩ごはん、もう用意しちゃってるか?」


「まだ何も。何食べようか迷ってたとこ。明日のサンドウィッチも考えないと」


 サンドウィッチウィッチらしい答えだ。


「今夜カレーでさ、たくさん作ったから良かったら来ないかって、母さんが」


「わ。うん、助かる。行く行く」


「うん。宿題ノート持ってこいよ。見てやるよ」


「ほー、賢弥のくせに言うじゃない」


 さらっと澪佳は笑った。どうぞ、とラフな部屋着のまま奥の部屋に引っ込んでいく。


 相変わらず無味乾燥をそのまま体現したようなリビング。女子中学生が好みそうなチャラチャラした色合いのものはなく、ただただ生活をする場という簡素化されたシステムのような部屋。


 おまえの母さん、また帰ってきてないんだろ? と、僕は言い出せなかった。


 澪佳の母親は17歳の時に彼女を産んだ。父親はどこかに消えたらしい。それからシングルマザーとして一人で子育てをして、澪佳が中学生に上がった頃から家に帰ってこなくなることが増えた。


 澪佳の母親がどんな仕事に就いているのか、付き合いも古く親しいうちの母親も言葉を濁すばかりで教えてはくれない。


 澪佳も母親のことは多くを語らない。


 家賃や光熱費はちゃんと振り込まれてるようだし、たまに帰ってきて食べてくだけに十分なお金は置いてってくれると澪佳は言う。それでも、多感な中学生にとってこの家庭環境はあまりに不憫だと思う。


 不憫? 僕は何様だ。どんな立場から、どれほど上から目線で澪佳を語るつもりだ。


 同情。憐れみ。澪佳と同い年の僕にそれをする資格なんてあるのだろうか。幼馴染の、単純な友達として、澪佳と同じ目線で彼女の目を見るべきじゃないのか。


 僕に出来ること。世界で一番バカな生き物である男子中学生に出来ること。


「そういえばスーパーで買い物してたよな」


 彼女の部屋に上がり込んだついでにキッチンを覗いておく。生活感がまるで感じられない乾いたキッチンがそこにはあった。


 あの食器棚に置かれた大皿も、きっとしばらく温められたこともないだろう。小さなテーブルには澪佳愛用のお弁当袋と空のプラパック。それとマグカップが一つだけ。それらが静かに乗っている。


 僕たちバカどもがランチビンゴなんてくだらない遊びを開発してる時、澪佳は独りで起きて、お弁当の用意をして、学校へ行き、買い物をして、掃除洗濯をして、また食事の準備をして、宿題を済ませ、独りで眠っていた。


「明日のサンドウィッチの具材は決まったか?」


 僕に出来ることは、僕がやるべきことは、いつも通り澪佳と話すことだ。彼女をサンドウィッチウィッチと名付けたのは誰あろう僕だ。サンドウィッチの魔女を魔女たらしめるため、僕はバカになりきる。世界で一番バカな生き物の『ザ・男子中学生』らしく駆け抜けてやる。


「ランチビンゴでイカサマするつもり?」


 少しでこぼこと揃っていない姫カットを揺らして魔女が笑う。僕の悪巧みに気付いている様子だ。


「インサイダー取引と言ってくれよ」


 澪佳は自分でサンドウィッチを作っている。誰もお弁当を作ってくれる人がいないから。だからこそオリジナリティのあるサンドウィッチを作れるのだ。そしてその独創性サンドウィッチはみんなの予想を遥か彼方飛び越える。そう。魔女の裏の顔を知る僕だけがサンドウィッチの中身を知っているわけだ。


「見事僕が一番でビンゴったら、購買のカフェラテを奢ってやるよ」


「よし、のった」


 サンドウィッチウィッチが笑う。教室では見せたことがない明るい笑顔で。


「でも何でサンドウィッチなんだ? 普通のお弁当の方が楽じゃないか?」


 澪佳は少し考えるように小首を傾げて前髪を揺らして見せた。


「ザキヤマ春のパン祭りやってるよね。白いお皿が欲しくてさ。食パンはポイント高いのよ」


 なるほど。僕は納得した。


「食パン買って来てくれれば、賢弥の分もサンドウィッチ作ってあげるよ」


 春のパン祭りポイントも貯まるし、ランチビンゴのヒット率も上がる。いいアイディアだ。




 短い中学生時代を終えて同じ高校に通っても、春のパン祭りが始まれば澪佳はポイントシールと引き換えにサンドウィッチを作ってくれた。


 しかし相変わらず油断ならないサンドウィッチだった。一口食べれば、その中身が予想を斜め上に越えてくる。


 大人になって、それぞれ別の道を歩むようになり、共働きしてる今でもサンドウィッチウィッチは健在のようで。お弁当に作ってくれるサンドウィッチの中身は食べるまで謎だ。魔女、今日は何を挟む。

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