終章
ドラセナ城は今日も爽やかな風が吹き抜けている。
「リリスーっ!」
「あらソフィア、ごきげんよう」
後ろからうきうきとした足取りでやってきたのは、ソフィアだ。
褐色の肌に、彼女の魔術的素養の高さを示す刺青が映えている。
こうして見るとこうもりめいたところはまるでなく、元気な年上のお姉さんといった印象だ。
闇夜に輝く月のような目が、好奇心たっぷりに私の手元にある古い書物を見下ろす。
「ねえねえそれって、新しいコレクション? すっごい禍々しい感じがする」
「ええ。また飾りますわよ。私の鈍感体質は少しばかり弱まったようですが、まだまだ痛みには鈍感ですもの」
「実際変わったのって、私たち魔族の姿がちゃんと見えるようになったくらいだもんね」
『狭間』から帰って来た私は、少しだけ毒や呪いに弱くなった。
恐らく魔力を使いすぎたことと、『狭間』から抜け出すことに成功したことで、『狭間』との繋がりが少しだけ弱まったのではないか、とサキは言っている。
鈍感ぶりが少しだけ弱くなったわけだ。
敏感令嬢と呼ばれてしまう日もいつか来るのかもしれない。
けれどここドラセナ城で暮らす分には問題はなく、むしろ魔王やソフィアの姿が正常に見えるようになったため、良かった。
「だからって、あんな呪われた品々をまだ集めてるってのは理解できないけどね。リリスってほんと変わってるわ」
でも、とソフィアはどこか誇らしげに言う。
「そのくらいじゃないと、魔王様の奥さんなんか務まらないものね!」
魔王が私を探しに『狭間』に向かってから一年後に、私たちは帰って来た。
その間魔族はもちろんのこと、王宮もずいぶん慌ただしかったらしい。
特に魔族だ。魔王は自分がいなくてもダンジョンを守れるように、魔術陣を展開していったが、いつ人間が攻めてくるかとソフィアたちは気が気でなかったらしい。
もっとも、今となっては杞憂だった。
聖女の蛮行と、私の成し遂げたことを知った王宮が、異例の速さで聖女に処罰を下したからだ。
聖猊下は罷免され、今では国王の息のかかった修道士が、その任を務めている。(お父様ったらちゃっかりしてる!)
修道院は魔族に対して、村に危害を及ぼす場合は対処するが、情勢が変わらない限り、自分たちから攻め込むことはしないと告げた。
それを受け、王宮と執務院も、魔族を一方的に狩るような真似は禁止する旨の法律を成立させた。
ここまでが大体一年くらいかかったのだという。
そろそろ情勢が落ち着いてきたかなというところで、私と魔王は帰って来たのだ。
――婚約した、というニュースを引っ提げて。
もちろんこれを受け入れられない魔族や人間は大勢いた。
だが私は幽閉され、王位継承権を持たなくなった。王宮とは関係が切れたのだ。
そして魔王ははばかることなく、私を愛しているという。
結果、私たちを止められる者はいなくなり、来月結婚式を挙げることになっている。
「そうそう、魔王様が呼んでらしたわよ。温室にいらっしゃるって」
「参りますわ」
私はドラセナ城の温室に向かった。
そこでは美しい銀髪を持つ男性が、本に目を落としながら、優雅に足を組んでいる。
とても見た目が良い。美しい。
この男が私の夫になるのだと思うと、歯の音が浮くような、お尻がむずむずするような、変な感じだった。
「ディル様」
「アマリリス。またお前の兄から脅迫状が届いた」
そう言って指さす先を見れば、呪いを示す魔術陣と、それを串刺しにしているナイフがあった。
「ちょっと、壁にナイフを刺すの止めて下さいな。何本目ですのこれ」
「それはお前の兄に言え。何度言われても結婚は取りやめないぞ」
「私は元王宮関係者で、有効活用できますものね」
「ああ。人間側の情報をいち早く手に入れることができる。この間の聖女のようなことがまた起きたら嫌だからな」
私は魔王――ディルムッドの前に座った。本を見下ろす彼の、伏せたまつ毛の長さをじっと眺める。
本を読んでいるだけなのに、嫌になるくらい様になる。
「前ははりねずみだったのに、生意気ですわよ」
「なんだ、また見とれていたのか」
「芸術品みたいな姿をしておいて、それをはりねずみの姿に隠していたなんて。出し惜しみするもんじゃありませんわよ」
そう言うとディルムッドはくすっと笑った。
率直に言って、ディルムッドの外見は、ものすごくタイプだ。
最初からこの姿で見えていたら、あんな言動はしなかっただろうなと思う。
けれどディルムッドは、私のあの歯に衣着せぬ物言いが気に入ったというのだから、何が幸いするか分からない。
「ドレスを着てあなたの隣に並ぶの、何だか気が引けますわね。あなたの方がウェディングドレスをお召しになったら?」
「なぜだ。俺はお前がドレスを着ているところが見たい」
「え~? 大した見世物でもありませんわよ」
「だがあの純白の衣装は、お前が俺の物になったという証なのだろう。ならば大事だ」
しれっと言ったディルムッドは、静かに本を閉じた。
赤い眼差しが私を見つめる。この綺麗な顔でまじまじと見つめられると、未だにたじろいでしまう。
いい加減この癖をどうにかしなければと思っていると、ディルムッドが立ち上がって私の元へ来た。
「指輪は」
「へっ?」
「俺がお前にやった、赤い宝石のついた指輪だ」
「ああ。ここにはめていますわよ、ほら」
右手を差し出すと、ディルムッドは流れるような仕草で自分の手を添え、自分が贈った指輪を眺めた。
何だろう、今更返してくれというつもりだろうか。
「これは婚約指輪だからな。結婚指輪も必要だろう」
「えっ、これって婚約指輪だったんですの? 食事のお礼に頂いたものとばかり」
「俺の魔力が込められていたんだ、婚約指輪以外の何がある?」
「魔族の常識、たまによく分からないですわー……」
ディルムッドは右手を握り締めると、口の中で小さく何かを唱えた。
手を開けると、そこには大きなダイヤのついたエタニティリングが転がっていて、その輝きに私は目を奪われた。
「メリケンサックにはならなさそうですが、素敵な指輪ですわ」
「だからメリケンサックにはするなと……まあいい」
ディルムッドは結婚指輪を手にし、少し拗ねたように、
「そう言えばまだ求婚に対する返事をもらっていない」
「そもそもちゃんと求婚されていませんわよ」
呆れながら指摘してやると、ディルムッドは目をまたたかせ、そうか、と呟いた。
見た目に反してどこか間が抜けている。そこが良いのだと分かっているが。
ディルムッドは真面目な顔で私の前にひざまずく。
「ならば改めて言う、アマリリス。……奉仕活動をするお前も、マザコン兄の手紙を読みもせず焼き捨てるお前も、だらしなくいびきをかいて寝ているお前も、コレクションを眺めながら涎を垂らしているお前も、」
「ちょっとそこまで羅列する必要あります!?」
「では諸々省略しよう。――病めるお前も健やかなるお前も。全部大切なお前の一部だ。どんな姿のお前であっても、ずっと俺の側にいて欲しい。だから、どうか、結婚してくれ」
ふいに鼻の奥がつんとなる。
『狭間』でディルムッドを見た瞬間。本当に、泣きたくなるほど嬉しかったけれど、同時に怖くもあった。
本当にこの人は、どんな私でも受け入れてくれるのだろうかと。
役に立たない私は切り捨てられるんじゃないか、そんな思いがぬぐい切れなかった。
でも今、私を真っすぐに見上げ、ほんの僅か不安と緊張に震えているまなじりを見ていると――。
自分の疑惑が全て杞憂であることが分かる。
この人はきっと、言葉通り、どんな私も大事にしてくれるだろう。
そう確信できるから、私はこう答えるのだ。
「ええ、喜んで。魔王様!」
鈍感令嬢ですが幽閉先で魔王に求婚されています(でも魔王の姿が見えないのですが……えっこのはりねずみがそうなんですか?) 雨宮いろり・浅木伊都 @uroku_M
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