2022年 冬
2022年 冬
「ママー、これなぁに?」
そう娘が「六実」と書かれた箱から持ってきたのは、古びたクマのぬいぐるみだった。
「ああ、それね」そう思わず笑みがこぼれた。
「マーマ、マーマ、この子のお名前は?」
クマのぬいぐるみを握りしめて、私に尋ねてくる娘に、こう言った。
「六ちゃんっていうんだよ」
「ろくちゃん?」
「そう、六ちゃん。ママの唯一のお友達。
…ね?六ちゃん」
そう、黒い目のあなたに問いかけた。
返事をしてくれないかな、という僅かな希望も込めて。
「ろくちゃん、ろくちゃん、今日から私のおともだち!」
わーい、とはしゃぐ上機嫌な娘と対照的に、
その腕の中にいる六ちゃんは無表情だった。
*
母親に捨てられ、大人に連れられるがまま訪れた施設。
そんな施設の遊び部屋の隅っこに六ちゃんがいた。
いつも私の話を聞いてくれて、私の心配をしてくれて、私と一緒に遊んでくれた。
六ちゃんがいれば、あの腐った田舎にいても、怖くなんてなかったんだ。
そんな六ちゃんが話さなくなったのは、上京して1年ほどたったときだった。
今の夫と付き合い始めた時期だろうか。
最初は、最近忙しくてかまってあげられないから、拗ねてるだけかと思った。
でも、何度話しかけても返事はなくて。
いつもの私のひねくれた考えを、ただただ聞いてくれなくて。
そんな日々が続き、いつの間にか六ちゃんの居場所はベットの枕元から、押入れの箱の中になってしまった…
*
「六実?こんなところに座り込んでどうしたの、冷えるからリビングにおいで」
その夫からの呼びかけで、はっと現実世界に引き戻されたような気がした。
黙ったままの私を不思議そうに見つめながらも、優しい表情で
「ほら、今日は大雪なんだから」そう中腰になって手を差し伸べた。
「うーん、やっぱり六実の冷え性は手強いなあ」
そうぼやきながらも、不器用に私の手を包みこんでくれるから、夫の熱が伝わってきて徐々に温かくなった。
「いつもありがとう」
そう私が言うと、
「僕は体温が高いことだけが取り柄だからね」なんてドヤ顔を決めてきた。
何それ、って自然に笑いが込み上げてくる。
温かいスープを飲んで、夫が手を添えてくれて…
窓の外を見れば激しく吹雪いているのに、
私のいる空間は穏やかだった。
「そういえば、さっき『ママかいたー』って言ってたよ」
「ほんと?見たいな」
「そうそう。茶色のクレヨンで描いててさ、六実は茶髪だからちゃんと特徴を捉えてるよね。子供の成長は早いなー」
「ね。もう三歳だもん」
「ちょっと今、絵を取ってくるね」そう夫は席をたった。
すると少し歩いたところで、床に落ちている何かを拾うようにしゃがみ込んだ。
「この写真はどうしたの?」
そう夫が持ってきたのは昔、東屋で撮った写真だった。
先程、六ちゃんを見つけた箱の中から娘が取り出したのだろう。
「私さ、生まれ育った町がすごく嫌いでね、でも唯一、この東屋だけは好きだったんだ。でももう…」
「…もう?」
「…ううん、何でもない」
その後に言おうとした言葉 ――
「もう取り壊されちゃったんだ」
これを口に出してしまったら、本当にあの日々が無かったことになる、そんな気がした。
今までの数年、六ちゃんのことは思い出さないように生きてきた。
夫と娘。
愛する存在ができて、幸せなのも事実。
でも、今この瞬間。
思い出さないようにしても、忘れられない、
六ちゃんとの日々が走馬灯のように駆け巡った。
「っ……」
「うん、うん。…大切な思い出なんだね」
夫はただただ、涙を流す私に何も聞かず、優しく泣き止むまで背中をさすってくれた。
*
「ママー、パパー、お腹すいたぁ」
かなりの時間が経った後、元気な娘の声が家中に響いた。
急いで涙の跡を袖で拭いて、
「はーい、今作るからね」
そう笑顔で愛しい夫と娘に答えた。
孤独な私を救ってくれた六ちゃんは、
茶色の毛並みが愛おしく、
私を幸せにしてくれた、
そんな「イマジナリーフレンド」だった。
フレンド なまけもの @namakemono_10
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