2022年 冬

2022年 冬



「ママー、これなぁに?」


そう娘が「六実」と書かれた箱から持ってきたのは、古びたクマのぬいぐるみだった。


「ああ、それね」そう思わず笑みがこぼれた。


「マーマ、マーマ、この子のお名前は?」


クマのぬいぐるみを握りしめて、私に尋ねてくる娘に、こう言った。





「六ちゃんっていうんだよ」





「ろくちゃん?」


「そう、六ちゃん。ママの唯一のお友達。

 …ね?六ちゃん」



そう、黒い目のあなたに問いかけた。

返事をしてくれないかな、という僅かな希望も込めて。



「ろくちゃん、ろくちゃん、今日から私のおともだち!」


わーい、とはしゃぐ上機嫌な娘と対照的に、

その腕の中にいる六ちゃんは無表情だった。







母親に捨てられ、大人に連れられるがまま訪れた施設。


そんな施設の遊び部屋の隅っこに六ちゃんがいた。


いつも私の話を聞いてくれて、私の心配をしてくれて、私と一緒に遊んでくれた。


六ちゃんがいれば、あの腐った田舎にいても、怖くなんてなかったんだ。






そんな六ちゃんが話さなくなったのは、上京して1年ほどたったときだった。


今の夫と付き合い始めた時期だろうか。


最初は、最近忙しくてかまってあげられないから、拗ねてるだけかと思った。

でも、何度話しかけても返事はなくて。

いつもの私のひねくれた考えを、ただただ聞いてくれなくて。



そんな日々が続き、いつの間にか六ちゃんの居場所はベットの枕元から、押入れの箱の中になってしまった…







「六実?こんなところに座り込んでどうしたの、冷えるからリビングにおいで」


その夫からの呼びかけで、はっと現実世界に引き戻されたような気がした。


黙ったままの私を不思議そうに見つめながらも、優しい表情で

「ほら、今日は大雪なんだから」そう中腰になって手を差し伸べた。





「うーん、やっぱり六実の冷え性は手強いなあ」


そうぼやきながらも、不器用に私の手を包みこんでくれるから、夫の熱が伝わってきて徐々に温かくなった。


「いつもありがとう」


そう私が言うと、

「僕は体温が高いことだけが取り柄だからね」なんてドヤ顔を決めてきた。


何それ、って自然に笑いが込み上げてくる。



温かいスープを飲んで、夫が手を添えてくれて…

窓の外を見れば激しく吹雪いているのに、

私のいる空間は穏やかだった。




「そういえば、さっき『ママかいたー』って言ってたよ」


「ほんと?見たいな」


「そうそう。茶色のクレヨンで描いててさ、六実は茶髪だからちゃんと特徴を捉えてるよね。子供の成長は早いなー」


「ね。もう三歳だもん」



「ちょっと今、絵を取ってくるね」そう夫は席をたった。


すると少し歩いたところで、床に落ちている何かを拾うようにしゃがみ込んだ。


「この写真はどうしたの?」


そう夫が持ってきたのは昔、東屋で撮った写真だった。


先程、六ちゃんを見つけた箱の中から娘が取り出したのだろう。


「私さ、生まれ育った町がすごく嫌いでね、でも唯一、この東屋だけは好きだったんだ。でももう…」


「…もう?」


「…ううん、何でもない」



その後に言おうとした言葉 ――


     「もう取り壊されちゃったんだ」


これを口に出してしまったら、本当にあの日々が無かったことになる、そんな気がした。


今までの数年、六ちゃんのことは思い出さないように生きてきた。


夫と娘。

愛する存在ができて、幸せなのも事実。



でも、今この瞬間。

思い出さないようにしても、忘れられない、

六ちゃんとの日々が走馬灯のように駆け巡った。





「っ……」




「うん、うん。…大切な思い出なんだね」





夫はただただ、涙を流す私に何も聞かず、優しく泣き止むまで背中をさすってくれた。









「ママー、パパー、お腹すいたぁ」



かなりの時間が経った後、元気な娘の声が家中に響いた。


急いで涙の跡を袖で拭いて、


「はーい、今作るからね」


そう笑顔で愛しい夫と娘に答えた。






孤独な私を救ってくれた六ちゃんは、

茶色の毛並みが愛おしく、

私を幸せにしてくれた、

そんな「イマジナリーフレンド」だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

フレンド なまけもの @namakemono_10

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ