第九話 異同(その2)ハイブリッドな対処法

1 はじめに


耳原病院事件に際しては訴訟と並行して〈ジパング通信局〉を出版し、法的主張と同時に社会的観点からも理解を得られるよう、小説という形での当方の主張を展開したことは、先の第八話で述べた。これをハイブリッド戦略と呼ぶことが可能であるなら、今回の正五郎が被ったパワハラ事件についても、この戦略を踏襲したといってよいであろう。


力関係や情報量等につき、圧倒的不利な立場に立たされた者の闘い方というか戦略としては、何らかの工夫をしなければ敗者の地位におとしめられることから、法的主張との対抗ないし異次元的主張としてよく用いられる政治的ないし社会的態様としての武器。私に関して言えば、この中でもっとも使い勝手がよく手っ取り早い手段を選ぶことによって、微力ではあっても当面の怒りを鎮め、冷静に事件に対処することが出来るのではないか。現時点では、これがベターないしベストではないかとの結論に至ったのだった。


正五郎の無念を晴らさねば、との焦りから性急に事を進めれば、あまり良い結果は生まれないと判断しての手段選択だったが、容易に心の鎮まらない、というか決して鎮まることのない苦悩には今も悩まされている。が、結論的には先に述べたように、父の事件と同じく、今回も小説を書いて事案の内容の頒布を図るとともに、病院内外の良識派の方々の協力を求める方向に舵を切ったのだった。


もっとも今回は、耳原病院事件の場合と異なり、ネットという無料での使用が可能な媒体が出来上がっていることから、費用も掛からず、また時間の点でも驚くほどの節約を果たすことが出来た。正五郎を偲んだ〈キスユーハンサムあなたと吉岡〉や〈サヨナラうつ引きこもり〉それに〈まほうの吉岡〉等のテーマ曲の作詞作曲にも、素人的挑戦であるが、親である我々夫婦が亡くなっても正五郎の思い出が残るようネット上に作品をアップすることが出来た。


今回も、弁護士事務所に委任したことから、もし審査請求が不調に終わることがあれば、それはハイブリッド戦略の社会的主張態様での、私のとった方法も残念ながら、非力であったとの証明になるのではないか、との認識は持っている。いずれにしても、今回の審査請求は正五郎の休業期間の給与に限っての請求に関するものであり、審査官が認容してくれずに請求棄却の判断が下っても、事の性格上これで終わることはなくて、我々家族にとって次なる長い闘いの日々が待ち受けている。



2 人間が判断する故のブレ


私はこれまで十件近い裁判の当事者として、裁判所の手を煩わせてきた。大半が原告として提訴したものだが、被告として応訴した事件もある。それらのすべて、と言いたいのだが、一件を除いて、私の勝訴判決か、実質勝訴の裁判上の和解が成立している。敗訴の一件は、これまでで一番勝訴が見込まれると判断して臨んだ裁判で、実際、出てくる数々の証拠資料を眺め、名物裁判長との異名をとる(良きにつけ悪しきにつけであるが)、その裁判長が「私も長いこと裁判官をしてますが、こんな区画整理は初めてですわ」と、思わず漏らしてしまうほどの、呆れんばかりのデタラメな区画区画整理事件だった。


当然、原告である私の勝訴判決が出ると思いきや、「原告の請求を棄却する」との、私の敗訴判決が出てしまった。一番驚いたのは恐らく、被告たる区画整理組合とその関係者達であろう。信じ難い違法手段を駆使し、裁判の俎上に乗れば、誰が見ても是認されるはずのない区画整理であるのは明らかだったからだ。


しかし名物裁判長と呼ばれる所以であろう、彼は自分の判断が高裁及び最高裁で覆されることのないよう、巧妙というか使い古されたセーフティーガードまで付けていたから恐れ入ってしまうのである。結果的には、楽勝ムードにどっぷり浸かって油断した原告たる当方の、名物裁判官の行為を甘く見たツケが招いた敗訴といってよかった。


さて、名物裁判長の、あっ! と 驚く判決の内容や法的分析は専門的になってしまい、本書の守備範囲からも離れることになってしまって読者の方々の関心から大いに逸れてしまう。そこで、興味をお持ちの方には無料で読んで貰える【整形外科医南埜正五郎追悼作品・五兆円の埋蔵貴金属と外科医を目指す六人の高校生】の第16話〈地獄の果てまで〉に、名物裁判長の人間分析を含め、私なりに詳しく書き連ねたので、こちらを読んで戴くことにして、本書は医療事件とパワハラ事件関連におけるハイブリッド戦略の考察に続けたいと思う。


情報量や力関係で圧倒的優劣関係が支配する医療事件とパワハラ事件。ここにおける闘い方の異と同のうちの―――同、すなわち類似点に関連する問題に戻ると、区画整理という同じく情報量や力関係で圧倒的優位にある区画整理組合と組合員である私の争い。この不利な立場に立たされる事件に際し、社会的観点からの闘争手段としての小説を書かなかったのかというと、実は書いたのである。そう、【ジパング通信局】や【整形外科医南埜正五郎の、パワハラによる死の真相】と同じく、事実を知ってもらうために必死に、且つ正しい法理論に基づく計画行政(区画整理も計画行政の一つ)の進展にも貢献出来ることを願って、大部の小説を書きあげた。正五郎との共著という形で出した【判決と、女の髪1部】である。


そしてそこにおいては、法的主張と同時に社会的観点からも理解を得られ、また不正を知って貰えるよう、可能な限り事実を小説に移し替えた。が、しかし初めての敗訴判決が出てしまった。これは、出るべくして出た敗訴判決だったのか。


この検証はさほど難しいものではなく、法的観点からは私の勝訴は理論的には何ら、問題なかったはずだった。だが負けてしまった。ハイブリッド戦略としての小説の頒布による世間、特に裁判官に対する社会的事実面における説得の点では、この手段というか戦略は全く効を奏しなかったのであろうか。


この点の判断は微妙で、書籍の出版が遅れ且つ注目度のさほど高くない出版社による差し替え出版という、出版媒体の約束違反をどのように評価するかでも結論が分かれる(この出版の遅れと出版媒体の約束違反は、私の提訴により、相手方に損害賠償責任を認める裁判が確定している)。ただ、私は敗訴の最大の要因は、先の参照作品内で詳しく述べているが、裁判長の資質というか、人間性にあるように思えてならない。通常の裁判官であれば、法的にも社会的観点からも問題なく区画整理組合敗訴の判決が導かれる道理であったからである。


失望きわまりない判決だったが、少し救われたのは、専門的になるが〈組合施行の区画整理では増換地は許されない〉との初めての判断がなされ、不正の温床の目が将来にわたり断たれたことだった。彼の裁判官としての良心―――職業倫理としての良心の、かろうじて成せるワザだったのかな、と思っている。結局のところ、現象面では私は相撲に勝って勝負に負けたと言ってよい事件評価になってしまったのだった。


以上を踏まえ、ハイブリッド戦略が有用であるか否かの検証としては、私に関する限り、出た結果でいえば医療事件については取り敢えず合格点。パワハラ事件につては現在進行中であるため、審査請求及びそれに続く裁判結果により注意深く検証したいと思う。では、類似事件である区画整理事件に関してはどうであったか。既述したように、ハイブリッド戦略が奏功したか否かは出版物の頒布が遅れてしまったことから、社会的認知が十分でなかった点で何とも言えず、またアクの強すぎる人物の関与があった点で、判断がより不確定なものとなった。残念ながら現時点では、このような曖昧な検証結果しか述べることが出来ないことを許して戴きたい。



3 本話の終わりにあたって


医療事件とパワハラ事件の異同(その2)ハイブリッドな対処法の検討、という小見出しの本話としては、これまでの類似点について述べたボリュームに較べ、その後の分量幅としては、〈異同〉の〈異〉である相違点につき、全体の八割あまりの紙面を割くのが妥当だと本話の最初に述べさせて貰った。確かにまとまった論文の体裁としては、差異については類似点について述べた四倍あまりの紙面ボリュームが望ましく、また収まりも良い。が、パワハラ事件については審査請求及び裁判のいずれについても結論が出ておらず(裁判に関しては未だ提訴もしていない)、その結論が出た後で、加筆して、後付けの解説を加えさせて戴くのが、作者としての責任を果たせ、ハイブリッド戦略プロパーに絞り込んだ、その効果における正確性の検証が可能になるのではないか。


早晩、審査請求の結論が出、また裁判所への提訴も控えていることから、ハイブリッド戦略などは判断する人たち次第で、彼ら(彼女ら)にとって歯牙にもかからないものか、それとも突き動かす有用な秤となりうる僅かな可能性を秘めているのか。それほど遠くない先に結論が出されるであろう。


以上、中途半端な提案になってしまったが、医療事件やパワハラ事件に悩まれている方々には、社会的ないし政治的戦略手法の一つとして、ネット上に作品をアップしマンモスな相手と闘うことを決意して実行に移されることも一考の価値あり、と推奨したい。何度も述べるように費用も掛からず、また時間の点でも有意義と思われるからである(名誉毀損罪や損害賠償責任の発生を避ける手立ては当然であるが)。


喪失のつらさやジリジリと募る〈待つ焦り〉が消えることはないが、しばし忘れさせてくれ、また希望の明かりが灯って、懐かしい思い出に浸ることも出来るからである。


審査請求は年内に、訴訟は数年を待たねば結論が得られないと思うが、結論が出た折に、先ほども述べた様にそれらを本書に書き足して行きます。正五郎に良い結果の報告ができるよう、ベストを尽くしているつもりでいるのですが、空回りがあるかも知れないし、人間がするゆえの判断の多様性に進路を阻まれるかもしれません。


考え出すときりがないが、書いてネットへ上げることによって、情報収集の可能性が生まれ、精神が落ち込むことへの抵抗エネルギーも生まれます。少なくとも私に関しては、上の二つが利点として作用してくれました。



4 追記 母親である南埜和子の、審査官への陳述書のたたき台(たたき台であることから、ここでも原則として実名は控えます)


 請求人南埜和子の陳述書



⑴ はじめに


 私は性格的には、争いごとが好きではないというか全く苦手な分野なのですが、息子正五郎と過ごした六カ月余りの生活の中で、正五郎へのK医師の数々の理不尽な行為を聞かされ、また本人のパワハラ被害に対する争う強い意志を聞かされてきたことから、ここに審査請求人として請求した次第です。つまり、労災申請やのちに控える訴訟は本人の強い意志に基づくものと理解してのものです。


⑵ 診療録の父親に関する記載についての驚き


 診療録を読んで、これでは父親が誤解を受けると思い、私の感想を述べさせていただきます。私もマンションへ通いはじめた当初は、うつ症状に苦しむ正五郎からひどいことを言われ、うつという病気の怖さを知りましたが、徐々に信頼関係を取り戻すと、心を開いてくれて、「お母さん、ひどいことを言ったみたいでごめん」と、よく謝ってくれましたが、父親も後に密接にサポートするようになってからは、「お母さん、お父さんにありがとうと言っといて」とよく言われるようになりました。ただ、父親と直接話すのは緊張するようで、私が間に入っての接触が多かったです。結局、うつという病気の怖さで、改善に向かうまではかなり私も苦しめられましたが、父親との関係が改善される以前に本人が亡くなってしまったことから、父親に対する排斥的表現が残ったまま、診療録の記載につながったのではないかと考えています。


⑶ 本人が苦しんでいたパワハラの数々の一部


① まず手術ミス後の、人前での耐え難い𠮟責の数々が挙げられます。人前で一時間や二時間にも及ぶ𠮟責。手術ミスをした僕が悪いとひたすら黙って耐えていたが、一度などは見かねた病院長が「食事に行きませんか」と、食堂へ移動したものの、食事中も延々と非難が続く有様でした。これらの事実は、病院長も当然認識していることで、しかも周りの多くの人たちも認識していることです。この長時間に及ぶ人前での叱責と、僕が悪いという思いから、正五郎は非常につらくて苦しんで、耐えられない思いをしていました。


② 病院内の電子掲示板に「こんなあほな医者がいてる」とのひどい書き込みをされ、たぶん病院長が翌日削除してくれたのでしょうが、このような攻撃にもずいぶん苦しみました。


③ 電子カルテにも信じがたいほど多くの書き込みと修正要求がなされ、常に監視されているという恐怖心にも悩まされました。


④ K医師とは医局での別室を強く希望したのに、病院がとってくれた接近禁止措置は、アクリル板を隔てただけの前後の席で、電子カルテの監視も禁止されていたのに、これでは常に監視されているという恐怖にさらされました。手の打ちようがないとの判断でしょう、後に病院はリハビリテーション病院への預かりの身として、K医師と距離を空けてくれましたが、本院への勤務もあり正五郎の病気の改善にはあまり効果的とは思えなかったと、母親である私は判断しています。


⑤ 母親である私と過ごすようになって、うつも改善し体調もよくなったことから、7月末に復職した際、少女(13歳)の診断をしたのですが、正五郎は骨折していないとの判断(信頼する先輩医師も同じ判断)をして、それを電子カルテに記載直後、看護師さんから「K先生がその診断、間違ってて、骨折を見逃しているとおっしゃってます」と伝えられ、それを聞いて先程の先輩医師が「監視カメラでもあるんか!」と部屋の中をきょろきょろと眺めまわしたとのことでした。この事実からわかるように、電子カルテの覗き見は常に続いていたのでした。どれほどのプレッシャーを正五郎に与え続けていたかお分かりいただけるでしょう。なお、正五郎と信頼する先輩医師がなした、骨折はないとの両者の判断は正しく、また念のためにもレントゲンを撮らなかったのは、少女への被ばくを避けたかったからで、結果的にも二人の判断は正しかったのでした。


⑷ 最後に


① 正五郎の高く評価されている、患者さんの全身に打てる硬膜外ブロック注射に関してですが、K医師はこれまで正五郎のこの技術を非常に批判してきたのですが、彼は痛みの取れない自分の患者さんを正五郎に振って痛みをやわらげさせることは平気でした。


② また、自分の手に負えない手術を、外科のドクターに振ることなども平気で行う人物とのことで、外科のドクターやスタッフの方たちとも仲が悪い理由の一つであると聞いています。


③ K医師のことを考えると、息子正五郎の無念が込み上げてきますが、私が一番後悔しているのは、どうして正五郎を助けてやれなかったのか、どうして正五郎の意思に反してでも、もう少し早く救急車を呼ばなかったのか、父親の意思には従うようになっていたので、どうして夫に当日来てもらわなかったのか、その思いで日々過ごしています。本当に残念でなりません。



5 陳述書として審査官に提出すべきか、請求人である南埜和子が迷っている記載事項


① 先日(2023年7月21日)、兵庫労働局労働基準部労災補償課で口頭での意見陳述の機会を与えて戴いたのですが、このような場での陳述は初めてで、しかも私は普段から口下手で、おまけにメニエール病が悪化の一途をたどっていて、うまく真意をお伝え出来ませんでした。そこで、書面による陳述書の提出の機会を与えて戴き、先程の内容のものをしたためました。


② 夫南埜純一に内容を検討してもらったのですが、読む前から、審査請求に対する裁決については、あまり期待しない方が良いかもしれないと伝えられました。というのは、以前、夫が区画整理に関する行政不服審査法に基づく不服申し立ての中で、堺市長への審査請求をしたらしいのですが、手続きを進める意味がないと判断して、途中で手続きを打ち切ったらしいのです。その時と同じ雰囲気が先日の兵庫労働局労働基準部労災補償課でのやり取りの中で感じられた、とのことです。


③ 加古川労働基準監督署長がなした、未支給の休業補償給付不支給処分について、昨年10月に夫南埜純一が加古川労働基準監督署に問い合わせたところ、男性職員の方が「病院は指導を主張しています」と明言していたのに(順心加古川病院の事務長も、声を震わせながら夫に電話で【指導】を明言)、先日の兵庫労働局労働基準部労災補償課での意見陳述の場では、出席していた加古川労働基準監督署の女性課長の方が、K医師を正五郎の同僚であると何度も主張していたのを聞いて、これはダメだと思ったようです。


④ 同僚としてのK医師の叱責や嫌がらせは、パワハラと認めにくいとの主張を、病院側と共に展開する方向での女性課長の【同僚】発言であると夫は理解したようです。


⑤ 後に数々の犯罪行為が立件された堺市長とは同列には扱えないのは当然だが、審査官が女性だからといって、母性的な細やかな審理判断をしてくれるのではないかとの、甘い期待や認識は持たない方が良いだろうと、夫にくぎを刺されました。確かにその通りかもしれません。


⑥ 以上、加古川労働基準監督署の男性職員の【指導】発言と女性課長の【同僚】発言は、夫に大きな不信と失望感を抱かせたようですが、私は正五郎のために出来ることをして行くことが自分の務めだと考えて、先の陳述書を書きあげた次第です。審査官におかれましては、公正な判断を是非とも宜しくお願いします。



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モンスターパワハラと、整形外科医南埜正五郎の死の真相(スマホが語る異常パワハラと、急浮上したカルテの改ざん及び偽・変造) 南埜純一 @jun1southfield

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