【二番】 その少女、ひょうたんを携えて来る。

 刻は正午。お天道様が一日の中で一番高いところで見える頃。

 早朝の汚い──もとい、一生涯でなるべく記憶には残したくないであろう出会い方を道糞と乱破の少女は果たしたわけだが。


「つまり、おぬしは黒田様の使いとしてわしのところへ来たというわけか」


 乱破の少女──つばきの話を聞いた道糞が唸る。

 道糞が言う黒田様というのは、黒田官兵衛──羽柴秀吉の家臣の名である。羽柴秀吉といえばあの織田信長亡き後、織田家家中の家老を差し置いて、後継者後見人としての地位を確立しつつある大傑物である。

 黒田官兵衛は、その羽柴秀吉の側近中の側近。

 今年になって石山本願寺跡に築かれる平城──大阪城築城の総奉行を務めていると聞く。


「そうですよぉ……」


 縄を解かれ、道糞の正面で正座するつばきが弱々しく答える。

 最初に出会った時の威勢はどこへやら。道糞にゲロをぶちまけられたのがよほど効いたらしい。小便とゲロまみれだった体を水で洗い流し、身に着けていた服も道糞の小袖を借りたので、身なりはそれなりにはマシになった。

 乱破とは思えぬような、艶やかかで芯の通った黒髪。瑞々しい健康的な肌。十二単でも着せれば、良家の姫にも劣るまい。

 しかし、そんな風格は今のつばきにはなかった。

 鼻を突くような刺激臭までは落とせなかったらしい。「うぅ、臭いよう」と自分の体から匂う刺激臭に時折鼻をひくひくさせながら、泣き言を口にする。


「これ、つばき。いつまでめそめそと泣き言を言っている? くどいぞ」


「少なくとも、貴方にそんなことを言われる筋合いはないですよ……」


 加害者にも関わらず、まったくつばきを気遣う素振りを見せない道糞。

 出会ってからまだ半刻しか経っていないが、道糞という坊主がどのような男なのか実感しつつあるつばきであった。

 そんなつばきの小言を無視し、道糞が口を開く。


「というか、おぬし、黒田様の使いならば何故それを直ぐに伝えなかった? わしが聞いても口を割ろうとしないから、刺客かと思ったぞ」


「う。それは……あんな辱めを受けて……ちょっと、頭にきて」


「乱破として、それでよいのか……」


 気まずそうに目を逸らすつばきに、道糞は呆れたようにため息をこぼす。


「まぁ、よい。それよりも黒田様から預かったという言伝だ。『堺の町に潜む獣を駆除されたし』だと? 何の話だ、これは」


「そのままの意味でございますよ」


 つばきが肩を竦めて、答える。

 嘘つけ、と道糞は内心で思いつつ思案を巡らせた。

 明らかに含みのある言い回しだ。しかも、何故が自分のような一市井いちしせいの坊主に向けて、乱破を通じてこのような言伝を送ったのか。

 厄介ごとの匂いがぷんぷんとする。自分は何かの思惑に巻き込まれようとしているのではないか──そう勘繰った道糞は、この場はしらばっくれることにした。


「ふん、そうか。そのままの意味か。黒田様はお噂通り、慈悲深いお方のようだ。たしかに、堺の町で最近を見ることも増えた。わしのような坊主がお力になれるとは思えんが、出来ることがあればご助力させて頂こう」


 そう言って破顔する。

 どちらとも取れるような、含みのある回答。これを回答として、つばきには黒田様の下へ帰ってもらえばいい。

 そもそもつばきは書状を持っていない。事の厄介さゆえ、万が一にも文書として残せなかったか。兎に角、これが黒田様からの依頼だと証明するものはないのだ。

 さらに言えば、このつばきという少女が黒田様からの使いであるという証明もない。なので、所詮は見知らぬ少女の戯言と笑ってもよかった。しかし、もし他に黒田様からの使者であるというあかしを出されても厄介。

 ゆえに、先のような回答が最適解なのだ。


「さ、つばきもご苦労であった。疾く黒田様の下へ帰られよ」


 道糞は破顔したまま、さっさと帰れ、疫病神めと内心で毒づく。

 何を考えて、あの『両兵衛』と謳われた黒田様がこのような未熟な乱破を寄こしたかは知らないが、つばきという少女に、舌車したぐるまにおいてこの道糞の相手が務まるはずがなかった。

 しかし、返ってきたのはつばきのなんとも言えない表情だった。

 話の雲行きが怪しくなって、道糞が「ん?」と首を捻る。


「えぇと……道糞殿。お気遣いは有難いのですが、そういうわけにはいかぬのです」


「……え? なにゆえ?」


 予想外の回答に、道糞が間抜け面をさらす。


「黒田様から、獣退治の際には道糞殿にお力沿いするように厳命されているのです。併せて、獣退治を終えた時、報告に来るようにとも」


「な、に?」


 目を見開く道糞。

 それでは、黒田様の言うそのとやらを退治するまで、このつばきという乱破は自分に四六時中ついて回るという事ではないか。

 それは監視されているのと同じこと──冗談ではない。

 道糞は策を変更することにした。


「ふ、あははははっ!? なんてのっ? はここまでじゃ! つばきと言ったかの。おぬし、なかなかの演者よの。よい暇つぶしに──」


「あぁ、そういえば黒田様からコレを見せなさいと言われていたのを忘れていました」


 道糞の言葉尻を奪って、思い出したように、手の平にこぶしをのせるつばき。

 そそくさと立ち上がって家の外へと出る。そして、外に干してあった道糞と出会ったときに身に着けていた衣服からごそごそと小物を取り出した。

 口を開けて固まっていた道糞が首だけ動かして、差し出された手の中にあるものを凝視する。

 それは片手で包み隠せるほど小さい──だった。

 一市井の人間が持てるものではない。なにより、この金色に輝くひょうたんというのは羽柴秀吉の馬印に使われてたもの。

 つまり、この少女は羽柴秀吉に関係する人物であり、黒田様からの使いであるという事を嫌というほど示していた。


「…………んが」


「んが?」


「ふぅんがぁああああああああああああああっ!?」


「ちょ──っ! 何をしているんですか、貴方は!?」


 気でも狂ったような叫び声を上げて、つばきの手から金のひょうたんを奪った道糞は、それを口の中へと放り込んだのだ。

 黒田様からの使者だろうが知ったことではない。証である金のひょうたんさえこの場から無くなれば、このつばきという少女はただの乱破に過ぎない。

 そう、道糞とはまったく関係性のない他人になるのだ。


「この酔っ払い! それの価値が分かっているんですかっ?」


 しかし、そこは少女でも乱破。素晴らしい反応速度で道糞の首根っこを掴むと瞬く間に締め上げるように体に絡みつき、古びた木張りの床に道糞を押し倒した。


「ぐえっ」


 潰れた蛙のような声を上げる道糞。金のひょうたんを飲み込むことは叶わず、まだ口内に残っている。再度、なんとか飲み込もうとするが、つばきに首を両腕で押さえつけられているため喉が思うように動かない。


「まったく強情な人ですね! ほら、早く! 吐き出しなさいぃいいいいいっ!」


「ふ、ふぐぅううううううううっ(こ、断るぅううううううううっ)!!」


 なお体に力をいれて抵抗する道糞に、つばきは首を挟んだ両腕ごと上体を上向きへと反っていく。

 それにともなって、道糞の上体も腰から反っていく。

 きりきり、きりきりと。


「ふが、ふがぁああああああああっ(腰、腰がぁああああああああっ)!?」


 己の体が弦の張った弓のように反っていくのを感じて、道糞の顔がみるみる青に染まっていく。今年で齢五十に差し迫った老体がしていい体幹ではない。

 もはや、命の危機。金のひょうたんどころではなかった。


「───────っ! ─────っ!?」


 ぷっと、金のひょうたんを口から吐き出した道糞は必死に降参の声を上げようとするが、完全に喉が絞められて、うまく声が出せない。

 つばきも道糞が金のひょうたんを吐き出したことには気づいていないようだった。

 思考がうまく働かず、意識が遠のいていく。




 ──こんな、馬鹿な終わり方があるか。

 よもや、金のひょうたんを飲み込もうとして、それを止めに入った少女に締め殺されるなどと。

 己の愚行を呪いながら、道糞の意識は暗転した。



 

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道糞がゆく! 〜ロクでなし僧はくのいちと堺の町を奔走する〜 灰猫 @urami

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