赤ちゃん公爵のビンセントは、哺乳瓶を所望す

岡田 悠

赤ちゃん公爵ビンセントは、哺乳瓶を所望す。 


 父亡き後、この世に生を受けたビンセント。


それは、生まれながらにして公爵家の家長としての宿命を背負ったことを意味していた。


この物語は、赤ちゃん公爵ビンセントの、のんびりとした成長記録と滑稽かつ温かな家族の絆である。



***




 ぼくの名まえは、ビンセント・オブ・ノーリッジ・Ⅱデューク・オブ・フランシス。


フランシス公爵家の家長にして、赤ちゃんだ。


赤ちゃんなので、まだ0歳の乳飲み子だ。


かわいいだろう?


赤みの強いブラウンの巻き毛がカワイイと、メイドたちに大人気だ。


なにより、母上のローラ・オブ・ノーリッジ・Ⅱデューク・オブ・フランシスからは、ぼくが生まれる前に亡くなった父と同じだと喜ばれた。


あの誕生の日のことを、昨日のことのように覚えている。


母上は、王家の出のせいか、かなりおっとりした性格の持ち主だ。


だが、一生懸命なその姿は、健気で愛らしい人だ。


だから、ぼくの頭脳明晰な、知力によって、母上のローラを、フランシス公爵家家長としてお守りするのだ。




 しかし、赤ちゃんというのは、実にままならないことが多い。


成人と違い、会話による他人との意思疎通ができない。


さらに加えて、体も小さい。


だが、ぼくは、フランシス公爵家家長だ!


大人をも凌ぐ、知性がある。


……が、生かせたためしはない。


わかっているのだ。


わかっているつもりだ!生後ふた月!


いかな天才といえども己が意志により体や環境を掌握することは、難しい。


よって、これがフラストレーションとなり、ついつい感情的にギャン泣きしてしまう。


とくにこの行動が、顕著にあらわれるのが、食事の時間だ。


誕生まもないころは、母上から母乳を与えられていた。


いかな母上とはいえ、女人の露わな姿をみるのは、とても恥ずかしい。


だが、ぼくは、赤ちゃん。


恥を忍んで、母乳を飲む日々だった。


だが、そんな試練の日々は、長く続かなかった。


ぼくの誕生を祝いに、母上の生家の王家より第二王妃がいらっしゃった際に、事件はおこった。


第二王妃、つまり国王の2番目の妻であり、母上の義理の御母堂ごぼどうが、母上にとっての御尊父ごそんぷである国王や、母上にとっての兄御前あにごぜにあたる王太子の名代として、母上とぼくのためにおいでになった。


無論、母上は、第二王妃をきちんともてなしていた。


和やかな雰囲気から、二人の間に対立はうかがえなかった。


談笑しあう場面も、多々あった。


たが、母上の思いがけないひとことが、風雲急を告げることになった。


「あらっ!?そろそろミルクの時間ですわ」


母上は、いつものようにぼくをぼくの執務室に自ら抱っこしてむかおうとした。


ぼくの執務室とは、世間でいうところの、『子供部屋』だ。


「それでは、しばらく、席を外させていただきます」


「フランシス公爵夫人!?なにを言っているの?」


「ビンセント坊やにミルクを飲ませるのですが?なにか?」


母上!ここは客人の前ですぞ!


ビンセント坊やなどと呼ばないでください!!


恥ずかしい!


「うヴヴヴヴぅ~」


ぼくは、すこし抗議の意味を込めて声を発した。


あぁ、はっきりと言語化できないこの口が呪わしい!


しかし、身内とはいえ、客人の前で、母上に明確に異議を申し立てるのも大人げないというもの。


ぼくよ、冷静になれ。


「あらあら、可愛いビンセント坊や?むずがったりして、もうすぐミルクの時間ですよ?」


そうでんはありません!母上!!


ぼくが言いたいのは、


「ここには!乳母のひとりもいないのですか!?」


えっ!?


母上とぼくは、思わず第二王妃を見やった。


いや、首すら動かせないぼくだが気持ちのうえでは、確かに見たのだ。


「!?……必要ないかと思って……」


第二王妃のいう通りです、母上!


「王家の子女が、自ら乳をあたえるなど……恥ずかしい!!すぐに乳母の手配を!!」


そうだったのか……やはり、恥ずべき行いだったのか!!


「ああ、これは、その……」


鼻息の荒くなっている第二王妃にいささかの不信感と嫌悪感を抱いた。


だが、ぼくが考えていたことは、妥当だと証明された瞬間でもあった。


ぼくは、母上の行動改善につながる結果には一応、満足した。


フランシス家は、これ以降、この日のことを「お七夜の悲劇」と呼ぶようになった。


「お七夜の悲劇」以降ぼくには、乳母がついた。


しかし、だれもかれも長くは続かない。


しごく当然のことだ。


なぜなら、ぼくが、絶対拒否のギャン泣きをするからだ!


考えてもみたまえ、母上ならまだしも!


見も知らぬ女性の乳房を吸う、あまつさえ、その姿を見られるなど、恥辱の極み。


ならば、くさっても公爵家家長!


断固!拒否する!!


よって、ぼくは瞬く間に何人もの乳母をクビにした。


口を開かず、ギャン泣きで強い抗議の意を唱える。


結果、最近では、重湯しか口にしていない。


しかし、それでは、腹がすいて仕方がない。


なぜか、身体も重く感じる。


あんなに、気力、体力ともに充実していたのが、ウソのようだ。


そして、家の中の空気が、暗く感じる。


なぜだか、母上の笑顔も減っている。


フランシス公爵家家長として、一家の安穏(あんのん)を願い、導くことが第一の使命だ。


そんな時は、母上と一緒に庭園での散歩をする。


日の光を浴びると、人の体にはいいと、かかりつけの医師も仰っていた。


ここ最近は、毎日のように往診がある。


そのときに、耳にしたのだ。


大のお気に入りの芝生で、手足を動かす。


久しぶりに母上の笑顔を見た。


「まぁ?ビンセント坊や、そんなに手足を動かして元気ね……」


色とりどりのダリアの花が咲いている。


花に負けぬくらい、母上に笑ってほしい。


なのに、母上は、急に口ごもった。


そして、暗い口調で話しかけてきた。


「ビンセント坊や、どうしてお乳をのまないの?」


恥ずかしいからです、母上。


それより、どうしたのですか?


急に元気をなくされて。


「あんなに丸々としていたのに、こんなに小さくなって」


えっ!


ぼくは、太っていたのですか!?


「手や足もハムのように立派だったのに……」


どうりで動かしやすいはずだ。


母上?


ぼくの顔に雨粒が落ちてくる。


こんなに快晴なのに。


いな、母の涙だ。


「ビンセント坊や、あなたも、あの人のように、わたくしを置いていくの?」


あの人とは、父上のことを指していると、察しがついた。


そんなわけありません。


ぼくは、これから100歳を目指し、母上をご安心させ……


「わたくしが、いけないのね」


なにを馬鹿なことをおっしゃるのですか、母上!?


「ビンセント坊やのことがわからない、わたくしはやはり『母親失格』なのね……」


どっどうして、そのようなことに?


母上のなにが、『母親失格』なのですが!?


誰がそのような偽りを申しているのですか!?


母上!


母上は、細い肩を震わせて泣くばかりだ。


これでは、埒が明かない。


「お願い、ビンセント!お乳を飲んで!!」


母上は、ぼくをやおら抱き上げ、きつく抱きしめた。


母上!ちっ乳房が、顔に当たっています!!


母上から甘いミルクの香りがほのかにする。


ううっ!


理性では、抗いがたいほどの魅惑的な香り……。


「でないと、あなたは……」


母上は、腕を緩め、ぼくを見つめる。


「お医者様から、危険な状態だと……」


母上の目に涙がせりあがり、ポロポロとこぼれ落ちる。


ぼくの顔をさらに母上の涙が濡らす。


ふとぼくの手に白いダリアがふれた。


ぼくは、今出せる精いっぱいの力をこめて、花をへし折った。


母上、どうです!


ぼくには、このような蛮行を働ける力があるのですよ。


どうか、ご安心を。


へし折った花を母上に見せて安心させる。


「ビンセント!!これは!?」


母上は、ご乱心なさった。


青空の下、柔肌をさらし、ぼくにお乳をのませたのだ。


……うっ、うまい!!


濃厚で、まったりとした口触り!!


乾いた体にしみわたっていく!


「ビンセント、たんとお飲みなさい。ああ、あなた!あなたがわたくしのために、植えてくださった、ダリアの花々。このなかから、ビンセントは白のダリアをくれましたわ!第二王妃様になんといわれようと、わたくしは、ビンセントの母親!ビンセントは、わたくしが守ります」


ぼくは、我を忘れて、母上の乳房を頬張った。


乳房越しに見える母上は、もう、泣いていなかった。


母上の美しい笑顔が、戻った。




数日後、いつものようにお医者様が往診にいらっしゃった。


「もう、ビンセント様は、大丈夫でしょう」


「本当ですか!?先生」


「はい、顔色もずいぶんよくなり、体に丸みが戻りました」


やっ!またも、太ってしまったのか!?


「そうですわね。わたくしもそう感じておりましたの。近頃では、母乳だけでは、足りないようなのですが……」


はっ!母上!そのようにはっきりと申し上げないでください!!


ぼくが、母上の乳房にむしゃぶりついてると思われるのは、心外です!


「丁度よかった。公爵夫人、もしよろしければ、こちらをお使いください」


カバンから、何やら、ビンと缶を取り出した。


「まぁ、これは、なんですの先生?」


「これは、哺乳瓶と粉ミルクです」


「?」


「最近、王都の小児科にて発明されたアイテムです。実際、病院でも使われ始めています」


「入院中の赤ちゃん用ですか?」


「いまは、そうですが。母乳の出が悪い。授乳できない場合などに、こちらを代わりに使用するのです」


「ですが、先生、ビンセントは、またお乳を飲んでくれるようになりましたのよ」


「ですが、飲む勢いが良すぎて、足りない場合などにお使いいただくのがよろしいかと」


「なるほど!そうすれば、ビンセント坊やは、もっとぷくぷくになりますわね!」


お医者様と母上はひとしきり談笑している。


この哺乳瓶なるモノ、ぼくの空腹を満たすアイテムとな!?


これがあれば、母上の乳房を見ないでも済むではないか!!


ぼくは、気に入りましたぞ!母上!


フランシス公爵家家長として、哺乳瓶を所望す。



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