第6話

 家の前に車が止まると急いで外へ出た。

「じゃあまた明日。」

 窓ガラスの隙間から先生の顔が覗く。

「えっ。」

 先生を家に上げるのは気が引けるが、一緒に探してくれるものだと思っていた。

「明日、じゃなくてもいいから、いつか落ち着いたら俺にも教えてくれ。部外者だけど、野次馬だけど、それでも良ければ。」

 先生は自分が野次馬であることを自覚していた。

 彼と私との関係に興味がないのは、興味を持たないように配慮していたからなのかもしれない。

「分かりました。約束します。」

 私は送ってもらったお礼をして家に向かった。自室に入り、迷うことなくクローゼットを開ける。奥から白い段ボールを取り出した。

入院中、母は参考書や本を病室に持ってきていた。私が生き返る希望を捨てたくなくて、未来を考えていたのだろう。蓋を開け、中に目的のものを探した。

 特徴のない無地の封筒と便箋だったが、それはすぐに見つかった。

ベッドに腰かけて封筒を見つめる。封を開けかけて、やめた。

彼は自分を犠牲にして私の死と戦い続けた。死という運命と。だけど、それは決して逃れられないものではない。自殺なのだから。事故でも病気でも他殺でもない。私が止めようと思えば止められる。そんなものに彼は命を懸けた。

 彼は何を思ったのだろう。私に何を言いたかったのだろう。

 恐る恐る封を開けると便箋が2枚と、枯れたお花が一輪入っていた。

 綺麗に咲いていた頃はどんな姿だったのだろう。コスモスみたいだけど色が着いている面影がある。

 私は花をベットに置いて手紙を開いた。

『岩崎怜さんへ

 十年前、初めて会った時に僕は君を好きになりました。』

 最初の一行だけ読んで手紙を閉じた。

 遺書だと思って広げた紙はラブレターだった。

『だけど、僕をよく思わないで欲しい。僕は君からお父さんを奪った人間だから。

 あの時、あの瞬間、僕は轢かれると思ったと同時に、轢かれてももいいやって思ってしまった。だから、君のお父さんは僕のせいで死んだんだ。

小さい頃の僕は、いや、今もだけど、透明人間だった。少しだけ裕福な家庭に生まれてしまった不良品は、家族から暴言を吐かれたり、暴力を振るわれたり、無視をされることはなかったけど、愛されてはいなかった。どこか心の距離があって、僕から話かけないと会話が生まれないみたいな。ネグレクトでも虐待でもないこの状況を何と呼べばいいのか分からず、ただ弟との態度の差に苦しんでいた。

愛されたいと思わなければ楽になれることを悟った僕は、人と話すことをやめて、何も聞こえないフリをした。学校で仲間外れにされても、悪口を言われても聞こえないフリをすることで自分を守れた。だけど、次第に生きる意味が分からなくなって、消えたくなったんだ。君みたいに特別大きな出来事があった訳じゃない。むしろ、もう何もないから、孤独だから、消えたかったんだと思う。

そのせいで、あの時、助かることを躊躇してしまい、君のお父さんは亡くなった。生きたいと思っていれば、君のお父さんが亡くなることはなかったし、君は今よりは幸せだったと思う。

誰も僕を責める人はいなかったけど、死にたかった人間が生きていて、そうでない人間が死んだなんて知られたら、みんなに責められるんだろうなって思って怖かった。特に君には。

そんな恐怖を抱きながら眠った夜、僕は夢を見た。それは高校生の僕の葬式だった。

形だけの、温度のない葬式。僕の死を悲しむ人なんていなかった。情けなかったし、こんなもんかと馬鹿にもした。だけど、そんなしょうもない僕の葬式を知らない女の人がぶっ壊したんだ。名前も知らないその人は、唯一僕の為に泣いていた。

それが、雨がいい天気と言った君だったらいいなと、当時そんなことを思った記憶があります。

数年経って君と再会して、あれが予知夢だと確信した。いつか君と関わる日が来ることを悟りながらも、自分から声を掛けることはできなかった。僕の正体を知ったら君は僕を恨み、未来が変わってしまうかもしれないって思ったんだ。

だけど、意図しないところで未来を変えてしまった。誰もいない教室に一人でいる君を見かけて、思わず引き寄せられた。

運命なんてそう簡単に変わらないと思っていたけれど、それはフィクションの世界の話で、考えてみれば毎日沢山の選択をしているのに、ひとつの未来だけに収着することなんてないのかもしれない。僕がみた予知夢は無数にある可能性のひとつなんだろう。

未来を変えてしまった僕は、必死に君を助ける方法を探した。償いなのか恋心なのか分からない。きっとどっちもなんだと思う。

君は生きることを望んでいないかもしれないし、僕の分まで生きてなんて言わない。だけど、君には死にたくないと思いながら死んでほしい。きっとそれが一番の幸せだから。

僕は今、死にたくない。出来ることなら君と生きたかった。君の声を聞きたかった。僕の声を聞いて欲しかった。でもそれは叶わないから、来世にでも託すよ。2017年11月6日 深山慎樹』

 彼の言葉をゆっくりと消化する。彼の言葉は私の知っている彼の言葉だった。冷たくて暖かい。

 彼はこの手紙を書いて私の荷物に忍ばせて、屋上へ向かったのだろう。この花は私の病室にあった紫苑かもしれない。

 あの日の彼を、今までの彼を想像する。その姿は幻で見た彼そのものだった。

 現実では、彼とほとんど話したことがない。

 どうして彼がお父さんが助けた少年であると知らなかったのに、私は幻想の彼にその設定を付けられたのか分からない。もしかしたら潜在的に彼があの少年であると分かっていたのだろうか。

 手紙の中に二人で過ごした日々はなかった。でも彼の中に私はいた。それだけ分かれば十分だった。

『出来ることなら君と生きたかった。君の声を聞きたかった。僕の声を聞いて欲しかった。』

 もしかしたら成仏できずに私だけに見えたのかもしれない。



 冬休みが終わり、登校日が来た。2週間という時間の中で私は私なりに彼の死を受け入れた。そう、受け入れた。でもそれは乗り越えられた訳じゃない。むしろ乗り越えるものではないんじゃないかと考えたらなんだか楽になった。

葬儀で暴れて以来取り乱すことも無かった。それは彼がいないと分かってはいるものの、どこかで彼が見守っている気がするからだ。


「お疲れですね。」

 放課後の英語準備室に新井先生がいた。先生は休憩中なのかソファに座ってアイマスクをしている。

「おっ、えっ。」

 私の声に驚き、アイマスクを急いで外した。

「あぁ岩崎か。驚かせんなよ。」

「サボってたんですか?」

「違うよ。」

 先生は頭を掻きながら、自分とは向かいのソファに積み上げられていた書類の山を机に移動させた。「どうぞ」と言われる前に、ありがたく腰を下ろした。

「何か、痩せたか?」

「そうですか?普通に食べてますよ。」

「ならいいけど。大丈夫か?」

「大丈夫です。…いや、大丈夫なふりをしてます。」

「そうか。素直だな。」

 久しぶりに見た先生の顔は前より柔らかかった。

「それで、用事はこれだな?」

 先生はデスクの引き出しから、白い封筒を取り出し私に差し出した。

 私は冬休み中に先生との約束を果たすために彼の遺書を先生に渡していた。

「はい。ありがとうございます。」

 封筒の中を覗くと、枯れた花がちゃんと入っていた。

「それ、君を忘れないって花言葉あるらしいぞ。」

「へぇ。彼はロマンチストですね。」

 先生は苦笑いした。

「もう一つ用事があって来ました。」

 私はブレザーのポケットに入れた一枚の紙を先生に渡した。先生はそれを広げてじっくりと読む。目が潤んでいるように見えた。

「そうか。決めたのか。ちゃんと前に進もうとしてるんだな。」

「はい。せっかく助けてもらった命なので。死にたくないって思いながら死ねるように生きます。」

「そうか。よく…頑張ったな。」

 先生は柄にもなく泣いていた。

「彼のお陰です。」

「そうだな。俺も二人に会えてよかった。あいつに出会ってなかったら俺は教師を続けてなかったと思う。」

 私たちは彼を想って泣いた。ここにも彼のために泣いている人がいて、胸が熱くなった。

「彼に報告してきます。」

「あぁ。」

 新井先生の笑顔を初めて見た気がする。いつもの不愛想な顔とは裏腹に、父親のような顔で私を送り出した。



 彼の眠る墓地の近くの花屋に遅咲きの紫苑が咲いていた。

紫色の花束を彼の眠る墓石に置き、私は新井先生に見せた紙を墓石に見せつけた。

「私決めたから。」

 内部進学者用の進路希望書には翠蘭の付属大学の名前と、学部を記入する欄がある。いつも適当に書いていた欄に私ははっきりと書いた。書いたのはついこの前。

『教育学部』

(未来を捨てようとした私を君が救ってくれた。君がくれた言葉は魔法みたいに私に生きる希望をくれた。でも、私は君みたいに自己犠牲を厭わず誰かを助ける立派な人間にはなれないと思う。だけど、少しでも君みたいになりたくて、誰かの為に生きてみたいから、教師になろうと思う。私は一生)

「君を忘れない。」

 将来の目標は出来た。生きる為に私は教師になる。

 さぁ、何から始めようか。

もう一度佳恋に会おう。彼女が彼を刺したのは私の妄想だったけれど、彼女への償いは終わっていない。

杏奈にも会わないと。和解したけど、あれから連絡が着いていない。

颯の将来も見守る義務があるし、美月の夢も応援したい。

まだまだ生きる為にしないといけないことが沢山ある。

(見守ってて。)

その瞬間、雨が降って来た。白色雑音のなかで君の聲が聴こえた。


『(いい天気だったよ。)』

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