噓の三郎
むかし江戸深川に原宮黄村という男やもめの学者がいた。支那の宗教にくわしかった。一子があり、三郎と呼ばれた。ひとり息子なのに三郎と名づけるとはさすがに学者らしくひねったものだと近所の取沙汰であった。どうしてそれが学者らしいひねりかたであるかは誰にも判らなかった。そこが学者であるということになっていた。近所での黄村の評判はあまりよくなかった。極端に
三郎の噓の花はこの吝嗇から芽生えた。八歳になるまでは一銭の小遣いも与えられず、支那の君子人の言葉を暗誦することだけを強いられた。三郎はその支那の君子人の言葉を
そのとしの夏、三郎は隣家の愛犬を殺した。愛犬は
そのとしの秋、三郎はひとを殺した。
三郎はなんともなかった。豆腐屋の葬儀には彼も父の黄村とともに参列した。十歳十一歳となるにつれて、この誰にも知られぬ犯罪の思い出が三郎を苦しめはじめた。こういう犯罪が三郎の噓の花をいよいよ見事にひらかせた。ひとに噓をつき、おのれに噓をつき、ひたすら自分の犯罪をこの世の中から消し、またおのれの心から消そうと努め、長ずるに及んでいよいよ噓のかたまりになった。
二十歳の三郎は神妙な内気な青年になっていた。お盆の来るごとに亡き母の思い出を溜息つきながらひとに語り、近所近辺の同情を集めた。三郎は母を知らなかった。彼が生れ落ちるとすぐ母はそれと交代に死んだのである。いまだかつて母を思ってみたことさえなかったのである。いよいよ噓が上手になった。黄村のところへ教えを受けに来ている二、三の書生たちに手紙の代筆をしてやった。親元へ送金を願う手紙を最も得意としていた。たとえばこんな工合いであった。謹啓、よもの景色云々と書きだして、御尊父様には御変りもこれなく候や、と虚心にお伺い申しあげ、それからすぐ用事を書くのであった。はじめお世辞たらたら書き
三郎は思案した。こんなに日に幾十人ものひとの手紙の代筆をしてやったり口述をしてやったりしていたのではとても煩に堪えぬ。いっそ
傑作「人間万事噓は誠」のあらましの内容は、嫌厭先生という年わかい世のすねものが面白おかしく世の中を渡ったことの次第を叙したものであって、たとえば嫌厭先生が花柳の巷に遊ぶにしてもあるいは役者といつわりあるいはお大尽を気取りあるいはお忍びの高貴のひとのふりをする。そのいかさまごとがあまりにも工夫に富みほとんど真に近く芸者末社もそれを疑わず、はては彼自身も疑わず、それは決して夢ではなく現在たしかに、一夜にして百万長者になりまた一朝めざむれば世にかくれなき名優となり面白おかしくその生涯を終るのである。死んだとたんにむかしの無一文の嫌厭先生にかえるというようなことが書かれていた。これはいわば三郎の私小説であった。二十二歳をむかえたときの三郎の噓はすでに神に通じ、おのれがこうといつわるときにはすべて真実の黄金に化していた。黄村のまえではあくまで内気な孝行者に、塾に通う書生のまえでは恐ろしい訳知りに、花柳の巷ではすなわち団十郎、なにがしのお殿様、なんとか組の親分、そうしてその辺に些少の不自然も噓もなかった。
そのあくるとしに父の黄村が死んだ。黄村の遺書にはこういう意味の
三郎は父の葬儀を近くの日蓮宗のお寺でいとなんだ。ちょっと聞くと野蛮なリズムのように感ぜられる和尚のめった打ちに打ち鳴らす太鼓の音も、耳傾けてしばらく聞いていると、そのリズムの中にどうしようもない憤怒と焦慮とそれを茶化そうというやけくそなお道化とを聞きとることができたのである。紋服を着て数珠を持ち十人あまりの塾生のまんなかに背を丸くして坐って、三尺ほど前方の畳のへりを見つめながら三郎は考える。噓は犯罪から発散する音無しの屁だ。自分の噓も、幼いころの人殺しから出発した。父の噓も、おのれの信じきれない宗教をひとに信じさせた大犯罪から絞り出された。重苦しくてならぬ現実を少しでも涼しくしようとして噓をつくのだけれども、噓は酒とおなじようにだんだんと適量がふえて来る。次第次第に濃い噓を吐いていって、
噓のない生活。その言葉からしてすでに噓であった。
ある朝、三郎はひとりで朝食をとっていながらふと首を振って考え、それからぱちっと箸をお膳のうえに置いた。立ちあがって部屋をぐるぐる三度ほどめぐり歩き、それから懐手して外へ出た。無意志無感動の態度がうたがわしくなったのである。これこそ噓の地獄の奥山だ。意識して努めた痴呆がなんで噓でないことがあろう。つとめればつとめるほど私は噓の上塗りをして行く。勝手にしやがれ。無意識の世界。三郎は朝っぱらから居酒屋へ出かけたのである。
縄のれんをはじいて中へはいると、この早朝に、もうはや二人の先客があった。驚くべし、仙術太郎と喧嘩次郎兵衛の二人であった。太郎は卓の東南の隅にいて、そのしもぶくれのもち肌の頰を酔いでうす赤く染め、たらりと下った口髭をひねりひねり酒を吞んでいた。次郎兵衛はそれと相対して西北の隅に陣どり、むくんだ大きい顔に油をぎらぎら浮かせ、杯を持った左手をうしろから大廻しにゆっくり廻して口もとへ持っていって一口のんでは杯を目の高さにささげたまましばらくぼんやりしているのである。三郎は二人のまんなかに腰をおろして酒を吞みはじめた。三人はもとより旧知の間柄ではない。太郎は細い眼を半分とじながら、次郎兵衛は一分間ほどかかってゆったりと首をねじむけながら、三郎はきょろきょろ落ちつかぬ狐の眼つきを使いながら、それぞれほかの二人の有様を盗み見していたわけである。酔いがだんだん発して来るにつれて三人は少しずつ相寄った。三人のこらえにこらえた酔いが一時に爆発したとき三郎がまず口を切った。こうして一緒に朝から酒を吞むのも何かの縁だと思います。ことにも江戸を半丁あるくと他郷だと言われるほどの混みあったところなのに、こうしてせまい居酒屋に同日同時刻に落ち合せたというのは不思議なくらいです。太郎は大きいあくびをしてから、のろのろ答えた。おれは酒が好きだから吞むのだよ。そんなに人の顔を見るなよ。そう言って手拭いで頰被りした。次郎兵衛は卓をとんとたたいて卓のうえにさしわたし三寸くらい深さ一寸くらいのくぼみをこしらえてから答えた。そうだ。縁と言えば縁じゃ。おれはいま牢屋から出て来たばかりだよ。三郎は尋ねた。どうして牢屋へはいったのです。それは、こうじゃ。次郎兵衛は奥のしれぬようなぼそぼそ声でおのれの半生を語りだした。語り終えてから涙を一滴、杯の酒のなかに落としてぐっと吞みほした。三郎はそれを聞いてしばらく考えごとをしてから、なんだか兄者人のような気がすると前置きをして、それから自身の半生を、噓にならないように噓にならないように気にしいしい一節ずつ
ロマネスク 太宰治/カクヨム近代文学館 @Kotenbu_official
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