🐎番外編🏡

第28話・バンクラインの家の人々


「陛下。根を詰めすぎです。少し休みましょう」

「ありがとう。バン」


 即位してから3年。執務室で会議の書類内容を確認していたクランベルは顔を上げた。バンから声をかけられるまで、夢中になって書類に目を通していたので、食事を取ることも忘れていた。


「サンドイッチをご用意させて頂きました」

「まあ、私の好きなキュウリのサンドイッチね?」

「はい。こちらにマカロンもご用意させて頂きました」

「ピンク色なのね。可愛い。あなたが作ったの?」


 クランベルは執務室に入ると、食事のことも忘れ仕事に夢中になる。仕事熱心さは買うが、食事がおろそかになりがちだ。それをバンは心配していた。

 しかもクランベルは、仕事の最中はあまり食事に時間をかけたくないようで、なるべく簡単に食事を済ましたがる。それを良く分かっているバンは、なるべくクランベルが手を汚さずに、片手でも食べられるような昼食を出すようにしていた。


「そう言えば本日は、午後からルドラード辺境伯との面会がございます」

「覚えていてよ」


 一応、お知らせしましたとバンが言いたげな顔で見る。これも毎度のことだ。執務に夢中になると、クランベルは忘れがちになる。でも、ライアンとの月一の面会は、自分から望んだことでもあり忘れないらしい。しっかり覚えていた。


「ライアンさまと話しをするのは楽しいわ。色々なことに気付かされるもの。為になるわ」


 忙しい合間を縫って、元宰相であるライアンとの面会日を設けていた。その日までに執務で困った事や、何か不測の事態など起こると相談させてもらっている。

クランベルはこれまで、ルドラード辺境伯領でのみ保護されてきた螺鈿細工を、国内外に流通させることに成功した。ミデッチ家当主コージモの支援もあり、海外へと紹介されて各国で注目されるようになったのだ。いまやイモーレル国を代表する人気工芸品となって、国内でも家具や、食器、アクセサリーなど様々な分野で使われている。


 また獣人達の生活や、貧しい者達を救う為の生活保護や、保証を行う為にその役場を設け、無職の者の求職の案内を始めた。皆が使えるような綺麗な飲み水や、大衆浴場も作り衛生の問題にも着目した。そのおかげで王都の裏通りで、薄汚れて転がっている者はいなくなってきた。

 それでもまだまだやれることはあると、クランベルは思っている。時間が足りないくらいだ。

そんなクランベルの密かな楽しみは、バンが用意してくれる昼食にあった。


「このマカロン。とても美味しいわ。バン、また作って」

「御意」

「あなたの作るスイーツが美味しいから、毎日、何が出てくるか楽しみだわ」


 お褒めに与り光栄です。と、胸元に片手を置いて、バンが一礼する。バンは年々、凜々しくなり、美々しくなっていく。クランベルは彼の美しい所作に見とれ、そんな彼を自分だけが独占していて良いものかと、悩むようになっていた。


 バンはいま、若い女官達に大変人気がある。そのうち何人かはバンに告白して玉砕したと噂が立つぐらいに。クランベルは、バンを手放したくないと思いつつも、彼の幸せを考えるならば、早めに手放す方が彼の為になるのではないかと思い始めていた。


 自分は他の女性のように結婚して、家庭を持つことなどしばらく望めない状態だ。戴冠したばかりの頃は、色々と心細くもあり、惚れているバンに側にいて欲しいと身勝手にも押付けてしまった。

 バンが自分の気持ちを知り、突き放せないことを良い事に、側に起き続けているのは自分だ。それは果たして彼の為になるのだろうか?


 彼にだって新しい出会いがあり、自分よりも身近に感じられる可愛い女性と一緒になる機会があっても良いはずだ。それを自分が彼を好きで手放せない為に、彼が望む可能性を潰してしまったのではないかと思っていた。


「クランベルさま。どうしました? 今日は浮かない顔をなさって」


 面会時間になってライアンを出迎え、執務室の応接間で話し合いを始めたクランベルだったが、なぜか思ったよりも会話が弾まなかった。それをライアンに見咎められた。そんなに顔に現れていただろうか。

 ライアンとは、ルドラード辺境伯領で匿われていた時から親しくしてもらっている。戦闘奴隷から身を起こし、宰相まで上り詰めたライアンを、クランベルは尊敬していた。そのような相手に気遣われて、クランベルは胸の内を明かしても良いものか一瞬、悩んだが、ライアンと目が合うと気持ちを誤魔化しきれずに明かしていた。


「実は──、バンの事なのです」


 クランベルはバンへの想いや、現在の心境、そして今後の彼の事を思えば、自分から離すべきなのではないかと思うが、彼を手放したくない想いが強いために切り離せないのだと話した。


「クランベルさまも、そのような事で悩むお年頃になられたのですね?」

「ライアンさま?」

「祖父と孫でありながら、あなた方は良く似ておられます」


 ライアンがしみじみとした様子で言う。そこにはクランベルの成長を見守ってきたような、感じが見受けられた。


「以前ロマさまも、あなたと同じような事で悩まれていました。愛する者を手元に置いておくのは自分のエゴではないかと。相手の幸せを願うのならば、手放す方が良いのではないかと思われて……。でも、その時にはお相手のお腹の中にお子がいたのです」

「セーラお母さまですね?」

「ええ」


「それでライアンさまは、ロマお祖父さまにどのようにお返事なさったのですか?」


「……! クランベルさま。気付いておられたのですか?」

「はい。何となく。ライアンさまが時々、話して下さったロマお祖父さまの話は、主従関係を越えているように感じられたものですから。それと父がライアンさまを前にすると、人一倍気を遣っているのも感じていたので……」


「そうでしたか。クランベルさまに悟られてしまったなら、隠しておく必要もありませんね」

「どうして言ってくれなかったのですか? ライアンさまが私のお祖母さまなのでしょう?」

「それは……、生まれて間もないセーラをミデッチ家に託した時から、私は母を名乗る資格がないと思っていたからです」


「でも、こうして再び繋がりました」


「クランベルさま。私は母らしいことをあの子に何一つ出来ずにいたのですよ。妊娠を知った時もこれではロマさまの迷惑になるとか、負担になりたくないなどと考えて、堕ろすことも考えたくらいなのです。そのような私は母親失格です。その私が今更、あなたに祖母であるなどとは言えませんでした」


 高揚するクランベルに、ライアンは首を振った。


「私は尊敬するライアンさまが、お祖母さまだったと知って誇りに思っています。当時のライアンさまが望む形ではなかったとしても、お母さまはミデッチ家で大事に育てられ、私が生まれてこうしてこの国に帰って来る事が出来ました。それもこれもあなたさまが、お母さまを無事に産んで下さったおかげです。そのおかげで私はこうして生きております。命を繋げて頂いて感謝しております。ありがとうございます。ライアンさま」


「あなたには敵いませんね。あなたにはロマさまだけではなく、ミデッチ家の前ご当主さまの血も流れているのを感じます」

「……? ミデッチのお祖父さまに、私は似ていますか? そんなに似ていないような気がしますが?」


 ミデッチ家の祖父は、貴族に生まれながら商人気質な部分があり、どことなく物事を損得勘定で考える部分がある。そんな祖父の血が流れていると言われて、クランベルは首を傾げた。


「前ご当主さまは、私が妊娠に悩み堕胎を考えた時に、命の大事さと尊さを説いてきたのですよ。人間、何に生まれようと、五体満足で生まれるだけで得だとも言っていましたね。命あっての物種だと」

「ミデッチのお祖父さまなら、そのようなことを言いそうです」 


「妊娠中は気弱になりがちでしたが、色々と励ましてもらいました。安心して出産出来ないと言うのなら、自分の持つ別邸を貸してやるからそこで出産すればいいとも言ってくれましたし、イモーレル国で赤子を育てるのに問題があるなら、自分が引きとって育てても良い。その場合はミデッチ家に来て働かないかとヘッドハンティングもされましたね」


「でも、結局、ライアンさまは、ロマお祖父さまの側を選んだのですね?」


「ええ。表向き私は魔法で姿を男性と偽り宰相職に就いていましたが、出産ともなれば本性を露わにすることになります。そうなると黙っていないのがコーニル家です。グイリオ卿の話しにもありましたが、あの家は王家の妊娠や出産に携わってきました。私が獣人でロマ陛下のお子を妊娠していると知られれば、獣人の血を王家に入れるなどとんでもないと処分対象になります。その事をロマさまも懸念しておりました」

「それで密かにミデッチ家に匿ってもらい、母が生まれたのですね?」

「そうです。セーラと共にいられたのは、床上げするまででしたが、私にとっては一生分の幸せを得たように感じられました」


「その時、ロマさまはご一緒だったのですか?」


「コーニル家の者らに目を付けられないように、ミデッチ家所有の船を見学にきた振りをして、その時に生まれたセーラに会いました」

「それってお母さまは船で生まれたのですか?」

「はい。本当はミデッチ家の別邸まで、船で連れて行ってもらう予定でしたが、乗船してから産気づいたので……」


 ライアンが当時を思い出すように言った。その話を聞いてクランベルは、母の名前の由来にピンときた。


「お母さまの名前を付けたのはロマお祖父さまですよね?」

「はい」

「もしかしてセーラという名前は、船員の服から?」


 ライアンが黙って頷く。祖父王ロマのネーミングセンスは、いまいちだったようだ。


「本人としては、いつまでも想い出に残るような名前にしたかったようです。セーラが船の中で生まれた事を忘れられないように」


 ライアンが苦笑し、クランベルは微笑み返した。そこへノック音がする。バンがドアの外から面会時間の終了を告げてくる。ライアンは椅子から立ち上がった。


「それでクランベルさま。私の話はあなたの悩みの参考になりましたか? 私の口から言える事は、このような悩みは1人で解決しようとしないで、2人で納得の行くまで話し合うことをお勧めしますよ」


 独りよがりの答えは、誰も幸せになりませんから。と、ライアンは言って退出した。

 退出したライアンの背を見送っていると、入れ替わるように執事のバンが入室してきた。


「ベルさま。少し休憩を挟みますか?」

「バン。私そんなに悪い顔している?」

「お疲れなのか、浮かない顔をされているように感じられます」

「先ほど、ライアンさまにも指摘されたわ」


 応接間のソファーに深く腰を下ろすと、バンがお茶を入れてくれた。


「あなたも座って。少し休憩にするわ」

「お休みなさるなら私は退出しますが?」

「待って。少し話があるの」


 この場にクランベルだけを残して、退出しようとしたバンを呼び止める。


「何でしょう?」

「バン。今まで私、あなたが優しいことを良い事に甘えすぎてきたわ。そろそろあなたを私から解放した方が良いのではないかと思って。あなたはどう思う?」


 クランベルは膝の上で両手を握りしめる。本心としてはまだ彼を手放したくない。でも、それは自分がそう願っていることで、バンとしては望んでないことかも知れない。彼の本心を聞くのは怖いが、一度ちゃんと聞いておきたかった。


「そうですね。私もずっと考えてきたことがあります。今まで執事として、陛下のお側にいられれば良いと考えてきました。でも、最近それではいけないような気がしています」


「バンは何かしたいことでもあるの?」


「はい。執事を辞めてお店でも始めようかと思います」

「お店を?」

「お菓子のお店です。皆が笑顔になれるようなお菓子を作って売りたいと思っております」

「それは良い考えね。あなたの作るお菓子はとても美味しいもの。私だけが独占しているのが勿体ないくらいよ」


 バンはお菓子作りがとても得意だ。いつお店を出しても良いくらいに美味しいのは認める。風味も色合いも良い。彼の作るお菓子は、これまで政務で忙しいクランベルを支え、楽しませてくれた。

 これがバンのやりたい事なら快く送りだそう。彼には彼の人生があるのだから。


「分かったわ。ではいつから始めるの?」

「きりの良いところで辞めさせて頂きたいと思います」

「そう。あなたが離れていくのは寂しいけど応援するわ」


 バンは決意したように言った。迷いはないように感じられた。


「お店の名前はシェ・バンクライン(バンクラインの家)にする予定です。この先、あなたさまが女王の職を失う羽目になった時の、再就職先として考えておいては頂けませんか?」

「バン。それって……?」

「私の所に就職したら永久なので、そう簡単には辞めることは出来ませんよ。相当、覚悟をして頂かないと。その代り、食い逸れる生活にはならないことはお約束致します」


 バンは真剣だった。その心が有り難かった。彼は知っていたのだろう。クランベルがこの国の未来を考え、獣人や人間達が仲良くやっていく為にも、特権階級を生み出す身分制度に疑問を抱いていたことを。

王制の廃止。簡単なようで容易ではない問題が立ちはだかっていた。それを彼が後押ししてくれたような気がした。


 陽だまりのなか、燕尾服を着たバンが騎士のように、クランベルの前で跪く。


「女王陛下の執事の代りは幾らでもいますが、食いしん坊なあなたさまの夫としては、私しかいないと自負しております。この手を取っては頂けませんか?」

「……はい。謹んでお受け致します」


 思いがけないバンからのプロポーズの言葉に、クランベルは目元を潤ませた。







 それから数十年後。王制は廃止された。民主制国家となり、国民投票で選ばれたブイヤール元伯爵だったリエール氏が初代大統領に就任していた。王都は以前よりも活気に溢れ、その中央の表通りには人気で評判のお菓子店がある。地方にも名の知られるそのお店には毎日、大勢のお客が訪れる。

そのお店の名前は「シェ・バンクライン」。


 そのお店のご夫婦は美男美女で知られ、2人とも大きな子供達がいるとは思えないほど、若々しく仲が良かった。大統領もそのお店のファンらしく、その秘書が時々、訪れていた。


「お父さん、いい加減にしてよね。お母さんもデレデレしない。もう、2人ともいい歳なんだから、お店の中でいちゃつくのは止めてくれる?」


 バンとクランベルの間に生まれた娘、プリムローズは頬を膨らませる。藍色の髪に、椿色の瞳をした彼女は18歳。美人で知られている。5歳年上の兄のロメオは4年前に幼馴染みと結婚し、すでに3歳の息子がいる。

 両親は孫もいるのに恋人同士のように仲が良い。生まれて18年、恋人もいないプリムローズとしては、結婚して家を出た兄とは違い、毎日のようにラブラブ状態の両親にあてられて辟易していた。


「プリムローズさん。こんにちは」

「あら、マックスさん。いらしていたんですか? ごめんなさい。みっともない所をお見せして」


 作業場で両親に文句を言いながら、店頭に出たプリムローズは眼鏡をかけた青年と目があい苦笑した。マックスは大統領の秘書。ほぼ毎日のように大統領に頼まれているのか、お菓子を買いにお店に来ていた。


「今日はどれにしますか?」

「そうだなぁ。この薄いピンクの丸くて愛らしいものを」

「マカロンですね。幾つ差し上げましょうか?」

「ここにあるのを全部で」


「いつも沢山、購入して頂いてありがとうございます。大統領さまは甘い物がお好きなんですね?」

「大統領は自分だけではなくて、僕達、職員にも配っているんですよ」

「そうなんですねぇ。じゃあ、オマケしておきます」

「ありがとう」


 プリムローズが箱の中に、マカロンを詰めて渡すと、お金を渡して来た青年が言った。


「プリムローズさんはいつ、お休みですか?」

「私? 明後日はお休みだけど?」

「じゃあ、もし、良かったら王都の美術館に一緒に如何ですか?」


 当然、お店の常連となっている青年に誘われてプリムローズは驚いた。このような経験は彼女にとって初めてのことだ。


「あの、美術館って……」

「嫌いですか? そこのチケットを二枚頂いたので一緒に行って頂けたら……と」

「あら。良いじゃない。ローズ。行ってきなさいよ」


 プリムローズが固まっていたら、背後から明るい声が上がった。


「お母さん。あっち行ってて」

「はいはい。お邪魔虫は引っ込んでいるわね」


 そう言うプリムローズの顔は真っ赤だ。それを見てあてられたように青年も頬を染めた。母親は失礼しましたと作業場へ戻っていく。


「あの、私で良いならその……、行きたいです」

「本当ですか? じゃあ、明後日の午前中にお迎えに来ます」


 マックスは恥ずかしそうに微笑むと店を出たが、すぐに店からプリムローズが買ったばかりの箱を持って追い掛けてきた。


「マックスさ──ん。忘れ物」

「あ。いけない」


 マックスはこの店の看板娘に惚れていた。どうやって声かけようかとほぼ、毎日のように通って来ていたのだ。それが今回デートの誘いが上手く行き、浮かれて買った物を置いてくるという失態を犯していた。


 王都の大通りで2人のやり取りが皆の注目を集めたが、2人は気にしていなかった。お店からもプリムローズの両親達が顔を出して、こっそり様子を窺っていたのにも気がついていなかった。お互いのことしか目に入ってなかったからである。


 後日、二人の事は大衆紙に載り、王都では語り継がれていくようになる。晩年は小説にもなった。このイモーレル国、二代目大統領夫妻の若かりし日の出来事を綴った本になったのだ。


 二代目大統領の名前はマックス・レセッシュ。

本の題名は「人気菓子屋の看板娘の夫が大統領になった話」。初代大統領はカリスマ性があって人気を集めたらしいが、こちらは真面目で愛妻家として良く名が知られていくことになった。

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🏰🐎最後の女王クランベル~断罪王妃は草食系執事に愛される~ 朝比奈 呈🐣 @Sunlight715

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