因習の継承者

仁科 はばき

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『……本日は因習航空をご利用いただき、まことにありがとうございます……』


 無機質な機内放送が、おれをまどろみから揺り起こした。アクビをかましながら辺りを見やると、おれと同じように起こされたのだろうか。もぞもぞと動く頭がちらほらと見える。


 窓からは穏やかな光が差し込んでいた。旋回を始め、空港に向けて降り始める機体。その下には、風光明媚な緑と、鮮やかな赤が広がる島が見えた。これがトロピカル因習アイランドか! 因習なんぞとは無縁の爽やかさを空の上からでも感じるぜ!


『お客様に大切なお願いです。着地に際しましては、安全のため自分の席にお座りいただき、シートベルトをしっかりとお締めください。また、搭乗の際にお渡ししたお餅を額に当て……』


 ピンク色の光に包まれるのを信じながらお待ちください、だろ? わかってる。わかってるから。


 おれは有線イヤホンを耳に嵌めると、モチを額に当てた。そのままに再び、遥か下方の島に目を落とす。


 おれの祈りはピンク色の光じゃあない。あの島が、トロピカル因習アイランドが因習に満ちた島でないことへの期待だった。






因習つみの継承者】






 2123年。世界は因習に支配されていた。


 因習は法や条例よりも上にある。謎めいた儀式は日常に根付き、それを守らぬ者は『神』とやらの怒りに触れ、その市町村ごと消されるという考えが浸透していた。破滅を回避するには、掟を破った者を生贄に捧げなければならず、そのための業者……因習代行すらも生まれた。かく言うおれも、因習代行の一人だ。因習代行は人気の職業で、初任給も高い。おれが因習代行になったのは、単にカネに惹かれてのことだった。


 掟を破った者を因習駆動トラックで轢き、因習チャカで撃ち殺し、或いは捕らえて因習的拷問を加え、生贄に捧げる。楽な仕事。その筈だった。


 おれは因習に家族を奪われた。それから目を逸らし、因習そのものとなったおれへの罰だろうか。ある日、おれはしくじった。トラックで轢き殺すべき掟破りを、即死させ損なったのだ。


『ひ……人殺し……』


 一撃で致命傷を負っていた祠破壊ギャルは既に発声機能を失っていたが、バラバラになった夜間行動チャラ男の傍らで、確かにそう言っていた。


 おれはロウソクの火を指でもみ消して因習トラックを再始動させると、バックでギャルを轢き殺した。何度も。何度も。何度も。何度も。彼女の存在が、何より恐ろしく感じた。その時、おれの中で何かが壊れていた。


 業績が低迷したおれは、無期限の無給休暇を言い渡された。事実上の解雇だ。因習社会に馴染めなくなったおれは、何も頼れるものがないままに放り出されたのだ。


 おれは自活能力を失っていた。因習ガスコンロを点火するには、丑寅の方角に祈祷を捧げる必要がある。買い物に行くには車があった方がいいが、因習車を動かすにはロウソクが必要だ。何らの儀式もできなくなったおれは、何もできなくなった。


 緩やかに餓死するしかない筈のおれだったが、散歩中にあるチラシを見かけた。それが『トロピカル因習アイランドツアー』だった。わずかな情報と写真しかなかったが、そこにある爽やかさは、因習とは無縁のものに感じた。ここならば、おれも生きていけるのではないだろうか。


 この島の下見をしたい。だがツアーなどでは、どんな掟を遵守させられ、破ればどんな目に遭わされるかわかったものではない。如此、おれは最後の力を振り絞り、自らの力でトロピカル因習アイランドに赴いたのだ。




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 トロピカル因習アイランド空港を出たおれを迎えたのは、真っ白な雪であった。


 トロピカル因習アイランドはハワイ領、つまり南国と呼んでいい場所にある。そこに不似合いな白を目にしたおれは思わず空を見上げるが、突き抜けるような青が広がるばかりだった。


「ふふ、驚きました?」


 一人の娘が近寄り、微笑みかけて来た。


「この島では、訪れた人に塩を撒いて祝う風習があるんです。一般的に塩を撒くのはあまりよくないイメージがありますが、この島では別なんですよ」


「へえ」


 口を突いて関心の息が出た。確かに、舐めてみると上品なしょっぱさを感じる。


「そして塩は、全ての人に降り注ぐわけではありません。幸運な旅人の元にしか訪れないといいます」


 悪質な詐欺みたいな風習だな。


「あはは、確かに私もそう思うことがありますね! けど、色々考えて考えて、最終的にそれくらい楽に生きた方が楽しいなって思うんです」


「……まあ、それくらいで生きられればいいよな」


 おれの脳裡を、灰色の因習コンクリートジャングルが過ぎ越して行った。きっと、おれにはもう関係のないものだ。


「なあ、あんた」


「はい」


「ここで話し掛けてくれたのも何かの縁だ。少し案内を頼まれてはくれないか?」


「……はい!」


 花開くような笑顔を見せた女を伴い、おれはゆっくりと歩き始めた。



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 トロピカル因習アイランドの散策を始め、2時間が経過した。


 からっと気のいい太陽は、しかし容赦も呵責もなく照りつけて、おれたちの心をただならぬ何かに向かわせる。それは原生物とて同じらしく、浜辺には多数の陸サーファーが生息していた。墓標めいて突き立つサーフボードは実際墓標らしく、R.I.Pなどの物々しい単語が彫られており、仲間と思しき者が哀悼を捧げていた。陸サーファーと海サーファーの抗争は激化の一途を辿り、彼らはバーベキューをする時しか交流の機会がないそうだ。


 不倶戴天の者同士が輪になって舌鼓を打つというグルメは、とても素晴らしいものだった。ケバブサンドやカレー、タコライスなどは如何にも南国らしい味付けであり、ココナッツの甘さとキリッとした辛さが両立する。甘さに包まれた刺激が口の中で弾け、食えば食うほど腹が空いていくような旨味となっておれを満たしてくれた。


 それら食欲を鎮めるのは、ココナッツ、パパイヤ、ハロハロ、タピオカ・ドリンクなどといった甘く冷たい飲み物、スイーツだ。強烈な揺さぶりによってメロメロになったおれの味覚中枢を優しく撫で、ゆっくりと無我の境地へと導いてくれる。


 その感覚を噛み締めながら歩くおれたちの耳に、音楽が届いた。


「Ah……♪ フンバルト・デルウンチ……ケドゲリハ・ヒトリデニ……Wow wow……♪」


 ネグロイド青年がウクレレで奏でるボサノバ調の音楽は、ひび割れた器に優しく染み渡るような響きがあった。


「トロピカル因習アイランドに伝わるわらべ歌です」


 いつの間にか足を止めていたおれに、案内の女が言った。


「この島の古い言葉で、再生について歌っています。第三次、第四次大戦でトロピカル因習アイランドは大きな傷を負いましたが、この歌の通りに、立ち上がってきたんです」


 女は足を止め、言った。おれは少し迷ったが、しかし彼女に合わせ、止まった。


「それは……いいことだ。きっとな」


 おれたちはしばしウクレレの旋律に耳を傾けていた。彼女の表情は、ここではないどこか遠くを見る者のそれであった。音楽にそういう力があるのは、万国共通らしい。


 やがて演奏が終わった。それと同時に、まばらな拍手の音が響く。いつの間にか、周囲には複数の老人が座り込み、あるいは多数のレゲエ的少年少女がバスケットボールをしていたようだ。


「幸運な旅人、良い旅を!」


 おっ……おお? 演奏していた若者がおれに手を振った。何故おれが旅人、しかも塩の洗礼を受けたことが?


「頭にまだ塩が付いてるからですよ」


 曖昧に手を振り返すおれの疑問を察知したらしい女が、悪戯っぽく笑った。振った手を頭にやると、確かに白い粒、塩がそれなりの量、付着していた。まさかさっきから島を巡ってるとき、ずっとこう見られてたのか?


「ええ! みんな、普段じゃしないようなサービスもりもりでしたよ?」


 ……何故だか急に恥ずかしくなってきた。


 女から顔を背けると、山の下の方に明らかな人造広場が見えた。黄色く塗られた大きなステージ異彩を放ち、木々の中に近寄りがたい雰囲気を醸成していた。しかしその中にも、慌ただしく動き回る人々がいる。


「あれは……?」


「祭祀場です」


 女が隣に立ち、神妙にステージを見下ろした。


「今晩行われる祭りの最終準備をしているんです。邪魔しちゃいけないから、案内は祭りが始まってからと思ってまして」


「祭り」


「最強残酷稀人ひえもん掴み取り大虐殺フェスティバルです」


「変わった名前の祭りもあるもんだな」


「ええ。まあ、この島の守り神さまからして……」


 女はそこまで言って、はっとしたように口をつぐんだ。何か、触れてはいけないものに触れようとしてしまったかのように。


「どうした?」


「……掟その1。れれん様について口にしてはならない」


 ……何? 掟、だと? れれん様とは、何だ?


「掟その2。れれん様について口にしてはならない」


 どうやら女は、それ以上語るつもりはないようだった。おれの第六感が警鐘を鳴らす。だがしかし。掟。れれん様。一体、何だろうか?


「……わかった。けど、祭りについては気になるな。今晩だったか? 案内を頼みたいのだが」


 そう口にした瞬間、石のように固まっていた女の顔がぱあっと華やいだ。


「本当ですか!? それはもうぜひぜひ……! 島の外の人にも、トロピカル因習アイランドの伝統祭りに興味を持っていただけて本当に嬉しいです!」


 ……このテンションの変わり様がは、一体なんだ?


 わずかな不安を覚えたが、しかし怯んではいられない。それに、まだホテルについてのアレコレもしていないのだ。彼女と夜に祭祀場で落ち合う段取りを付けてから、一旦別れることにした。



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 太陽が姿を隠し、最後の残滓が闇に敗北を喫して尚、しかしトロピカル因習アイランドは明るい。道々に並べられた篝火。そして、それすら吹き払うように響く太鼓の音。音は振動となり、突き上げられるような轟きとなって島を満たしていた。


 祭祀場特設ステージの前にはゴザが広々と敷かれ、そこに島民が並び座っている。彼らは手に手にケバブサンドを、アドンコを、ビールを持ち、ステージ上を眺めていた。


 当のステージ上には薩摩隼人も此くやという屈強な半裸の男性がずらり。彼らの前には数人の死装束男女が並べられ、後ろ手に縛られ跪かされていた。彼らの表情は虚ろで、何某かのクスリがキマっているようだった。ステージ上には既に緊張が走っている。何かの合図と共に弾けんばかり。最強残酷稀人ひえもん掴み取り大虐殺フェスティバル……これから何が始まると言うんだ?


「こんばんは!」


 その時、後ろから昼間のガイド女が現れた。


「おう、こんばん……ワオ」


 挨拶しようとしたおれは、しかしそれを最後まで言うことはできなかった。彼女はビーチサンダルと尋常ではないローライズ・ホットパンツにビキニという、とてつもなくホットな出で立ちであった。ホットパンツからはまるで紐のような下着が見え、そしてビキニで辛うじて支えられたオッパイの……何と巨大なことか! この地球を母なる星と呼ぶ所以。それをおれは、理屈ではなく心で理解した。


「……南国にいると、随分と開放的になるみたいだな」


「その方が楽しいじゃないですかー」


 女はおれの隣に座ると(オッパイがすごく揺れていた)、タピオカ・ドリンクを差し出した。礼を言って口を付けようとすると、ストローの先端がわずかに赤いことに気付く。


「あ、あはは……すみません、自分の分を飲んだあと、おいしくて我慢できなくて……」


 ドンコドンコドンドン! ドンコドンコドンドン! 太鼓が勢いをいや増す。おれの心臓も早鐘を打つ。高校。大学。就職。因習代行時代も、何一つ浮いた話はなかった。それが。まさか。おいおいおいおい……まさかこんな所で、常夏のハワイで! 突然、人生の春が!? いや、夏が来たと言うのか!? 昼間、おれに撒かれた塩は幸運な旅人にしか訪れないという。おお、おれは何てえラッキーボーイなんだッ!


「な、なあ……」


「「「「「イヨォォォォーッ、ハイッッッッッ!」」」」」


 おれが口にしようとした言葉は太鼓クライマックス、そして鬨めいた掛け声に掻き消された。


「あっ、始まりますよ!」


 女は楽しげに笑い、ステージを示した。まあいい。まだ時間はある。おれはステージに目を戻し……その瞬間、屈強な半裸男性たちが、居並ぶ死装束たちに飛び掛かった。


 筋肉に埋め尽くされて数秒。その隙間から、赤い液体が、絞られたグレープフルーツ果汁めいて飛び出す。同時、肉と生命の臭い……血の臭いが、たちまち充満してきた!


「なッ……お、おい! あれは何をしているんだッ!?」


「あれこそが最強残酷稀人ひえもん掴み取り大虐殺フェスティバルの主題メインディッシュ、名前の元にもなった『最強残酷稀人ひえもん掴み取り』です。幸運な旅人さんの生肝ひえもんを素手で毟り取り、神に捧げるのです。生肝を奪い取った者は、生涯の安寧サクセス祝福ギフトが約束されるのですよ」


「何だってッ!?」


つまり生贄の儀! なんということだ……トロピカル因習アイランド。華やかな見た目の下には醜い因習が血液めいて脈動する、悪辣たる因習の島だったのだ!


「それより」


 女はおれの肩に手を置くと、体を擦り寄せてきた。巨大極まりないオッパイが惜しげもなく押し付けられる。殺戮の狂熱は、瞬く間に遠くへと消えて行った。


「私に、愛の告白でもするつもりだったんですか? それとも……ファックしたいだけ、ですか?」


「い……いや、おれは……」



「エッ!?」


 おれと向かい合うように、女はおれに跨った。扇情的に腰をグラインドさせながら、オッパイを押し付けてくる。腰が揺れる度にオッパイが擦れ、おれにその感触をまざまざと伝えてきた。おれの息子は、たちまちにやる気を出しやがる。くそ、こんな時に……!


「私ね、あなたって悪くないなって思うんですよ。いま触れ合って、けっこう鍛えてるってわかりましたし。それにポーカーフェイスに見えて意外と感情豊かで、この島のものに対してころころと表情を変える」


「ア……ア……」



「……」


……」


 鼻と鼻が触れ合うほどの距離で、女は囁いた。その瞬間、女の顔面縦真一文字に、朱色の線が走った。それに沿って顔が開き……奈落の底めいた穴、そしてそこから無数の触手が飛び出してきた!


ェェェェェ──────ッッッッッッ!」


「アアアアア────ッ!」


「ビルビルーッ!」


 この女……この女、人間じゃあなかったのかッ!? そして周りの島民たち! この騒動を見ても何も動かない! ならばこいつらも……!


「アアアアア────ッ!」


「ファハハハハ! あなたは『選』ばれたッ! この島の土を踏んだ時に烙印を捺塩で味付けされ、ひえもんをれれん様に捧げられ主なる神の血となり肉となり糧となることを運命サダメられたッ!」


「アアアアアーッ!」


光栄に思いなさいDon’t mind……あなた犠牲の羊の肉はれれん様の中で永遠エタニティに生き続け、この島に繁栄シアワセをもたらすッ! この体、この力我が身、我が心こそその証明也かつて主より賜ったGIFTその物ッ!」


「う、うう……!」


「けどその前に前頭葉チョットだけ毒味アジミくらい……イイわよねェェェェェ私が連れてきた獲物故に、当然の権利

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッッッ!」


 女……否、触手醜悪食人怪物は、抱き着いたままおれを押し倒して来た! 何て力だ、逆らえない……!


 だが、それならそれで利用させて貰う迄。おれは押し倒されながら足をヤツの腹下に差し込み、倒される力と勢いを利用して投げた。


「ウッギャアアアアーッ!?」


 他の島民を薙ぎ倒しながら飛び、もんどり売って倒れ込む怪物。おれは巴投げの勢いのままムーンサルト跳躍を決めると、ヤツの頭を踏み潰して殺害した。


 その瞬間、島民たちにどよめきが走る。しかし慌ててはいないようだ。どうやら生贄候補者の脱走は、今に始まったことではないらしい。島民は次々と顔を割って醜悪な触手を顕にすると、たちまち襲い掛かって来た。


 おれはシャウトと走り出し、手近な怪物にボディブローをかました。防御も取れず腹に衝撃を受けた怪物は、全ての内臓が破裂して即死。勢いの低く身を沈め、後ろからの攻撃を回避すると、そのまま蹴りで背後襲撃者の軸足を刈る。浮き上がったそいつを掴むと、肉の盾としながら怪物が固まるところに突進した。


「う……うおッ!?」


 狼狽する怪物たち。だがもう遅い。肉盾怪物を蹴り飛ばし、一網打尽に薙ぎ倒してやる。


「「「グワーッ!」」」


 乱戦中に固まるのが悪い。


 与えられた力とやらに頼り切りで、コイツらはまともな戦闘経験が浅いようだ。既に実力差を理解したか。残る住民は、遠巻きにおれを伺うばかりだ。


 何もして来ないなら、それでいい。船でも作り、島を出させて貰うとしよう。おれはゆっくりと歩き出す。血の臭いを孕んだ風が吹き、篝火をぼう、と燃やした。


 それと同時に理解した。住民が手出しをやめたのは、おれの実力故ではない。用心棒が来たからだ。おれの前には、筋骨隆々たる白人の半裸ブロンド男性が立っていた


「ハッハー……格闘技経験者イキリボーイ不当防衛ヨワイモノイジメをしていると聞いて駆け付けてみれば、まさかこんな黄色モヤシ野郎陰キャオタククンとは。落胆ビックリデース」


「開口一番、人種差別発言か。古い因習に縛られた島らしいな」


絶対的否定ノンノン! 言論不自由シバラレてるのは我々ではアリマセーン、非島民ミカイノサル=サン。全ての因習は我々トロピカル因習アイランド後追いフォロワーに過ぎず、我々こそが先駆ホントウノジユウヲエタ者なのデース」


「生贄の上にしか立てない自由か。さぞ快適なことだろうな」


超絶快適、アナタ見る目ありマースオフコース、ザッツライ! 非島民ミカイジンにしておくには惜しいデース……ま、仕事はやらせてもらいマース」


 用心棒はサメのように笑うと、手近な島民2人の首を掴み、篝火の中に放り込んだ。粘ついた悲鳴と共に焼死した彼らを省みることなく、その場で演武を始める。正拳突き。回し蹴り。短打と足刀の連打。嵐のような拳撃は、やがて炎を纏い始めた。朱色の軌跡が夜に残り、演武を鮮やかに彩る。最後にサマーソルトキックが炎の円弧を宙に描き、それが消えると共に用心棒は残心した。


「ワタシが授かった異能GIFT……生贄を捧げることにより、炎を我が拳に纏わせることができマース。因習が生んだ、人智を越えた拳法デース。その名も……」


「因習拳。ウィッカーマン派だな」


 用心棒の眉がピクリと動いた。因習に語られる事実を逆手に取り、掟の実行を以て様々な奇蹟を顕現する拳法。それが因習拳で、ウィッカーマン派は特に炎を操ることに長けている。まさかただの旅人が、これを口にするとは思っていなかったようだ。だがしかし、ヤツはすぐに答えに辿り着いた。


懐疑的存在オーマイガー……アナタ、因習代行デスネ?」


解雇クビになったがね。現役時代もついぞ、因習拳の領域には辿り着けなかった」


「fufufu……HAHAHAHA! 幻想存在オーマイガー! 因習拳も使えない因習代行! そんなものが科学的事実ジツザイしていていいのデスカ!? 日本の因習、低レベルデース!」


 用心棒はひとしきり嘲笑うと、ピタリと動きを止めた。そして次の瞬間、大砲めいて突進してきた!


「うッ……!?」


 放たれた火炎アッパーカットを、交差した腕で辛うじて受け止める。重い……重すぎる! 何だ、この威力は!?


「Yeeearttt!!」


 地面に焦げ跡を刻みながらノックバックしたおれを、用心棒は容赦なく追撃する! 猛烈極まる突きラッシュ! 突きラッシュ! 突きラッシュ! 小手調べのような一発一発のパンチが伴う威力はしかし圧倒的! おれの腕では耐えきることができない! ダメだ……コイツの攻撃を、受けてはいけない!


 だが、どうすればいい!? 受けから捌きに転ずることもできない。その隙がない!このままでは……!


「Yeeearttt!!」


 おれがそう考えた瞬間、防御が完全に跳ね上げられた。おれの胴が。致命がガラ空きになった。用心棒の目がギラリと光り……炎を纏ったサイドキックが、槍のように飛んできた。


ったりーッ!」


 叫ぶ用心棒。だがその瞬間、おれは防御を弾かれた勢いで、さらに仰け反った。虚しく宙を焼き切るキック。おれはそこに絡み付き、捻り上げ、踵を極めながら倒れ込んだ。


「Aaaargh!?」


 おれと共に倒れながら絶叫する用心棒。完全なヒールホールドから、逃れることはできない。用心棒に侍っていた炎も、消え始めていた。どうやら生贄の効果は長続きしないようだ。ここが好機ッ!


「このまま脚を捻じ斬ってやるッ!」


「Aaaargh……Aaaargh……!」


 獣めいて用心棒が唸る。彼の筋肉が膨張し……おい、嘘だろ? ヒールホールドが外れかかっている! 筋力で無理矢理ハネ返してやがるッ!


「AAAARGH!」


 咆哮と共に、おれはついに弾かれた。用心棒は同時に逆脚を繰り出しており、おれの首を挟み込み切断しようとしていた!


 ……正直、予想ができていなかったではない。おれは素早く跳躍して攻撃範囲から脱すると、そのままに後ろ回し蹴りを浴びせた。用心棒はそれを防ぐ。おれはその反動で飛び退ると、残心した。


「ンンー」


 ゆっくりと立ち上がった用心棒の目からは、一切の慢心が消えていた。


「通常の拳法では因習拳に太刀打ちはできまセーン。にも関わらず、アナタはワタシと渡りあってマース……」


「………………」


「ワタシも戦士。語り合え拳を交せばわかることもありマース。アナタは、因習を憎んでいる。厭っている。アナタの拳からは、それしか感じまセーン」


「…………」


「習慣には理由がありマース。長い時に理由が擦り切れ失われ、誰も真実がわからない習慣となった時。それが因習が生まれる時デース。では、理由とはどこから来るものデショー?」


「……」


「それは『願い』。『エゴ』と呼んでもいいかもしれまセーン。超常存在に殺されたくない。平穏無事に過ごしたい。幸せになりたい。どんな因習も、根底にあるのはそういう『願い』……ならば、そういうものを抱いた者が揮う拳は、果たしてどうなるか」


 用心棒は歩み出た。そしてその手に、何人もの島民を掴んでゆく。


「アナタを侮辱したこと、Apologizeしなくてはなりまセーン。アナタの拳は、紛うことなき因習拳デース」


「それが、どうした」


「ワタシも本気を出さねばならないということデース」


「「「「アバーッ!」」」」


 用心棒は手にした島民の首をへし折り、残りの数人を篝火に焚べ殺した。するとヤツの手に脚に、炎が蘇る。その勢いは、先よりも強い。


 そしてそのままに、足を踏み鳴らし始めた。ドンコドンコドンドン。ドンコドンコドンドン。太鼓よりもなお強い響きが地面を走る。そしてその度にヤツの炎は勢いを増していった。


 ドンコドンコドンドン。ドンコドンコドンドン。ドンコドンコドンドン。ドンコドンコドンドン、ドン! 最後に強く地を蹴り、用心棒は跳躍! その時、ヤツは完全に炎の鳥となっていた!


「我が必殺業アルティミット・アーツッ! 通常パンチの2倍の威力ッ! さらにいつもの倍の生贄を捧げて2倍ッ! いつもの倍の祈りを捧げて2倍ッ! いつもの倍の跳躍で2倍ッ! そしていつもの倍の信仰心エナジーで2倍ッ! 合わせて10倍破壊力でェェェェースッッッッッ!」


 ヤツは炎と共に降り注いだ! その火勢は瞬く間にステージを焼き尽くし、灰に還す! ダメだ……防御など考えてはいけない。逃げなければ! どこに!?


「クソォォォォーッ!」


 おれは遮二無二走り出した。だが、隕石めいた炎の矢は決しておれを諦めず……否。おれはその範囲から逃げることもできず……。


 燃え盛る神の鉄槌は、トロピカル因習アイランドを粉砕した。



────────────────



 雪の降る夕方だった。


 小学校から帰ったおれを待っていたのは、母と姉の無残な亡骸だった。彼女らには拷問と凌辱の跡があり、因習代行による因習的制裁だとわかるのに、そう時間は掛からなかった。


 おれたちの家は貧乏だった。電気代を払うこともできず、掟で禁止されていたマッチを使って夜を明かしたのだろう。おれはちょうど友人の家に泊まっており、制裁対象には含まれていなかった。


 因習からは逃れられない。そう理解したのは、正にその時だった。おれたちが生きていくには、因習と共にあるしかないのだと……。



────────────────



 目覚めたおれが目にしたのは、鋼鉄の部屋だった。赤、青、黄色、緑。様々な色の光がぼんやりとした音と共に走り、明滅し、部屋そのものがひとつの機械であると気付く。


 ここは……どこだ?


『ここは君たちがトロピカル因習アイランドと呼ぶ島の地下666mだ。ようこそ、旅人』


「誰だ!?」


 バチバチと部屋全体に稲妻が走る。赤、青、黄色、緑。極彩色の稲妻は部屋の中央に収束し、それが消えた時、そこには円筒形の水槽があった。水槽には、一匹のイルカがいた。


『私はカレルレン。トロピカル因習アイランドの者が『れれん様』と呼ぶ存在だ』


「れれん、様……」


 様々な疑問が言葉にならぬまま、頭の中で混ざり合う。いつの間にやら歩み寄ろうとしていたおれを、カレルレンと名乗ったイルカは、ヒレで制した。


『この機械は精密機器でね……済まないが、そこで頼むよ。代わりと言っては何だが、君の疑問に答えよう。

あの用心棒は『全ての因習はトロピカル因習アイランドの後追いに過ぎない』と語っていたな。あの言葉は紛れもなく真実だ。全ての因習は、ここから始まった。私が始めたのだ』


「何……?」


『少し身の上話を聞いてもらおう。私は有り体に言えば宇宙人だ。母星はこの地球とは比べ物にならない程に技術が発展している。だが常に人手が足りなくてな……時として、他の星から労働力を得なければならない。私がこの星に来た理由はそれで、出稼ぎと言ったところだ』


「…………」


『私はこの星の生命に進化を促し、器用な手を持つ生命を作り出した。それが君たち人類だ。人類は数多の生命の中で最高傑作と言える出来だったが、ひとつ問題があった。自意識が高すぎるのだ』


「……」


『そこで私は、介入させてもらうことにした。君たちのよき指導者となり受け入れてもらうために。

私は様々な規則と規範。それに従う者に祝福を与えるシステムを作り上げた。君たちが因習と呼ぶものだ。因習に従えば、よい生活が送れる。中には力を得られる者もいる。その味は、つい先ほど知ったばかりだろう』


「……つまり、貴様が全ての元凶なのか……」


 俺の中で何かが煮え滾る。それに任せるように、おれは一歩、踏み出す。


「貴様が……貴様が、おれの、おれの家族を……!」


『私が悪ならば、確かに私が元凶だ。だが、因習は人々に受け入れられた。そして……今も、それを守ろうとする者がいるぞ』


 カレルレンは、おれの後ろを示した。そこには全身を黒く焦がし、ボロ雑巾のようになった用心棒がいた。


『私に何かをしたくば、彼を斃すがいい。勝てば、もう私を守るものは何もないぞ』


 ……おれは今一度カレルレンを睨みつけると、用心棒に歩み寄った。脚が重い。先の一撃は、おれをも瀕死に追いやることに成功していたようだ。


「あなたは……何故、戦うのデショー」


 用心棒は問うた。


「因習代行だったなら、知っている筈デース……人々は、因習の下で……穏やかに暮らしていたと……事実、犯罪発生率は……100年前の、97%以下、デース」


「……因習は、おれの家族を奪った。それが、気に食わない。何より……全て、誰かの掌でしか……なかったなんて……!」


「……浅はかデース。人は、最早……因習なくして、生きられない……」


「構わない。因習を潰す。それがおれの願い……おれの……エゴだ」


 用心棒は深く笑うと、ファイティングポーズを取った。おれもまた、それに応じた。じりじりと躙り寄り……制空圏が触れた瞬間、同時に拳を突き出した。拳は同時に敵の顔面を叩き、仰け反ったおれたちは、しかしすぐに体を起こし、再び殴った。


 それは、もはや戦などとは呼べぬ無様な殴り合いだった。既に精も根も尽き果て、ただ意地のみで立ち、相手を打ち負かさんとする。条件が同じで、意地も互いに強いなら、明暗を分けるのは何だろうか?


 わからない。わからないが、負けたくはなかった。家族が死んだあの日から。因習に殺されたあの日から。おれは、何かから目を逸らし続けてきた。しかし、あの日に轢き殺した祠破壊ギャルの姿は、網膜に焼き付いて離れなかった。それは、おれがどれだけ目を逸らし塞ごうともついて回り、おれの罪を、今から逃げることを責め続けた。


 因習。辞書を引けば『古くから伝わり、とかく弊害を生むしきたり』と出てくる。何故、人はそれと立ち向かえないのか? 何故、おれはそれと向き合えなかったのか? わからない。わからないことだらけだ。それについて考えるのは、きっと疲れる。大変だ。目を逸らし、その流れに身を任せてしまいたくなる。それでも、いつになっても掟を破る者は絶えなかった。


 その理由が今、なんとなくわかった。自分が自分であるために。誇りと納得。己の心にそうあれかしと叫ぶために。


 おれの心は何だ。おれは何がしたい。決まっている。家族が死んだあの日から。因習に殺されたあの日から。そんなありきたりな悲劇を見たくないから。あの日のおれを救いたいから!


「負けたく、ねえんだよッ!」


 叫びと共に放った拳は、過たずに用心棒の顔面を穿った。顔を大きく陥没させた用心棒は、ぐらりと体を傾がせ、糸が切れたように倒れ込んだ。そしてヤツは、二度と動くことはなかった。


 おれの体もまた、それに続こうとした。全霊をもって踏み留まり、体を持ち上げる。視界が霞む。力が入らない。だがそれでも、まだ斃れるわけにはいかない。おれは振り返り、水槽に浮かぶイルカ野郎を睨み付けた。


『……見事なり』


 カレルレンは言った。


『この場に於いて、君の意志は証明された。君は私をどうする?』


「殺す」


『ああ。だろうな』


 観念したように力を抜き、ぷかりと浮かぶカレルレン。おれは水槽に歩み寄ると、維持装置を叩き壊した。水槽は瞬く間に濁り、カレルレンの姿が薄れ始めた。


『確かに、始祖は私だ。だがこれ程の大プロジェクトは私一人では動かせん。世界中に、敵はいるぞ』


「なら、全員ブッ殺すさ」


『……君と同じことを言った者は、これまでに何人もいたよ。支配を望まないのもまた、人類のエゴか』


「……」


『覚えておくがいい。自らを律し己にのみ寄って立てるというエゴもまた、古きから続く人類の習性。『因習』に過ぎないのだと……!』


 それきり、カレルレンの声は聞こえなくなった。それと同時に、部屋のそこかしこで爆発が起こった。主の消滅により意義を失った部屋が、自らの存在を隠そうとしているのだろうか。おれはゆっくりと振り返り、部屋の出口へと向かった。


「……知ってるよ。だから、戦うのさ」



────────────────



 秋も終わり際、冬も近い。極圏にほど近い地域は寒い。おれはGPSを確認しながら、数日前に軽装で街を経った過去の自分を恨んだ。


 トロピカル因習アイランドは水底に沈んだ。その全ては闇に消えたのだ。辛うじて小舟に乗り込んだおれは、しかし直ぐに眠り込んでしまい、目覚めた時はどこかもわからぬ大海原にぽつねんと浮かんでいた。そうして漂流する羽目になったのだ。


 幸い、通りがかった漁船に拾われ(その船は因習漁船であり生贄にされそうになったので、結局沈めることになったが)、因習大国アメリカへと渡ることになった。さらに幸いなことにパスポートも持っていたために大きな問題になることもなく、アメリカの中長期滞在が許されたのだ。


 世界は因習に支配されている。ならばカレルレンみたような支配者は、そこかしこにいる可能性がある。それを潰すことは、世界に混乱を招くかもしれない。それでも、いつか因習に全てを奪われる者がいなくなるなら。おれは、そうしたい。


 おれの歩く道は、いつの間にか雪に覆われていた。少し先には雪山。斜面に据え付けられたリフト。ゲレンデである。


 スキーリゾート『因習』。おれの新たなる戦いの舞台だ。






因習つみの継承者】

おわり

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因習の継承者 仁科 はばき @habaki_247

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