打ち切りは許しません

秋月流弥

打ち切りは許しません

「確認ですが、あなたはあの大人気漫画【Z】の作者の樫野環かしのたまき先生でお間違いないですか?」


「はい」


「うわぁ! 感激です。この度は【世界を揺るがす漫画グランプリ】最優秀賞受賞おめでとうございます」


「ありがとうございます」


「憧れの先生にお会い出来て嬉しいです。ていうか、当たり前だけど存在するんですね」


「そりゃ僕だって人間ですから。存在しますよ」


「先生の漫画楽しみに読ませてもらってます。ハラハラする展開から泣ける場面や笑える場面まで凝縮されていて【Z】は自分にとって生きる糧です! ていうか底なし沼です!」


「光栄ですね。そこまで称賛されるとなんだかお恥ずかしい」


「最終回とか結末はもう決められてるんですか?」


「はい。今から読者の方の反応が楽しみです」


「うわぁ、やっぱり最後は用意されてるんですね。今から【Z】ロスに陥りそうで不安です……」


「こちらも誰もが納得してくれる最終回を描けるかどうかプレッシャーではありますね」


「アニメに舞台化ときて、ついにハリウッド映画になってしまうなんて勢いが止まりませんね!」


「そうですね。自分でもあれよあれよと事が運ばれていって驚いています」


「ちょっとゲスい話になるんですが……やっぱすごいお金が入ってくるんですよね。使い道とか決めてます?」


「まあ、うん、そうですね……大事に使わせていただきます」


「困らせる質問してすいません。いやぁ、本人目の前にしているとどんな質問していいのかわからなくなっちゃいますね」


「そうですか。それではこちらから質問してもよろしいですか」


「あ、はい! 先生から質問なんて緊張しちゃいますね! なんでしょう」



「先程から気になっていたんですが……」



 あなたはオートロックの僕の家の中にどうやって入ったんですか?





 マンションの一室で樫野は部屋の中にいた人物に質問をする。


「僕は知人にも自分の家を教えたことがない。合鍵だって誰にも渡していない、親ですら。一体君はどこから入ってきたんだ?」


「そうですね。こちらはそういう職業なんで標的の家に侵入するのはお茶の子さいさいなんですよ」

 少女は笑った。


「標的? ヒットマンか何かかな。だとしたら、僕は君に今から殺されるのか」


「そんなことしませんよー。だって樫野先生」



 あなたは自ら命を絶とうとしてるじゃないですか。



 樫野は少女の言葉に肩を強張らせる。少女は続ける。


「時計の針が十二時、明日になった瞬間そこのロープで首を吊って死のうとしていた」


「……」

「大人気漫画家で名誉もお金も莫大で誰も羨ましがるくらい素敵な人生を謳歌している先生が何故自ら命を絶とうとするのか。私はそれが気になってしょうがなかったのです」


 少女からは樫野を殺そうとする殺気は感じられない。ただ純粋に樫野が死ぬ理由を知りたがろうとしている。

 好奇心だけを含んだ瞳に樫野は答えることにした。


「僕はどうしても復讐したい奴らがいてね」


「復讐ですか?」


「そう。小学生時代のクラスメイトなんだけど……復讐の理由は単なるいじめだよ。いじめは僕じゃなくて妹が標的にされたんだ。僕の妹はクラスの奴らにいじめられていて、最後は校舎の四階から飛び降りて死んでしまった。でも周囲は妹の死に何の反応もしなかった。まるで何事もなかったかのように妹の自殺は片付けられた」


「それはお気の毒に」


「悔しくて悔しくて、ならば自分も死んでもっと大ごとにして奴らに罪を背負わせようとも考えた。でも、ある経験から僕はそれを先伸ばしにした」


「ある経験ですか?」


「妹が生きていた頃最後の誕生日、十歳の誕生日に国民的スターが亡くなったんだ。新聞の一面がその記事で外を歩いてもその話題でいっぱいで、皆暗い顔をしていた。ふざけるなと思った。今日は妹の誕生日なのに。でも思い知ったんだ。人間、実力のある奴、有名な奴、多くの人に愛されている奴こそが真に価値のある人間だと」


 樫野の話を聞くと少女は口元を押さえてふふ、と笑った。


「面白い考えですね。確かにそこらの素人の犯罪よりも芸能人のスキャンダルの方が報道される場合が多い」

「ああ。だから僕は誰もが知るような有名で価値のある人間になってやろうと決めた。漫画を描いたのもたまたま絵が得意だっただけだから。すべては僕が誰からも知られる存在になって自殺することによって妹を苦しめた奴らを地獄へ落とすためだった」


 用意した遺書には小学生時代妹をいじめてきた奴ら一人一人の名前が書いてある。いじめられた内容も残さずすべて。


 明日には自分の遺体が発見されて警察が動き、奴らの地獄が始まる。


 夜の十一時四十五分。


 明日を迎える十五分前。まさに今から首を吊ろうとしていたのに、振り向くといつの間にか部屋にこの少女がいた。


 質問に答え終わった樫野は少女に言う。

「もう満足しただろう。僕は今から復讐を始める。帰ってくれ」

「残念ですが帰るわけにはいきません。むしろ私はそのために来たんです」


「は?」

 少女はニタリと笑う。


「私は『死神』という職業をしているんですよ。樫野環さん」


「死神……?」


少女の言葉に樫野は眉をひそめる。

 いきなりこいつは何を言い出すんだと思った。だが、彼女の言ってることが本当だとすれば、自分の部屋に入れたことが納得できる。


 しかし死神と聞いて納得出来ないこともある。


「死神なら来る時間が早すぎたんじゃないか? 僕はまだ死んでないぞ」


「はい。死んでないから来たんです……あなたを死なせないために」


 死なせないだって?


 どうして死神が人が死ぬのを阻止しに来るんだ。

 樫野の中に疑問の嵐が吹き荒れる。


「樫野先生。あなたは世界中で評価される漫画を描きました。いまや子供からお年寄りまであなたの名前を知らない人はいないでしょう」


「……だからなんだ」


「ご自分の描いた作品が民衆にどれだけの影響を与えるかご存知ですか? 例えば先生の考えた一番人気のキャラクターが『俺、ショートヘアが好きなんだよね』といった場面がありましたね。あれでどれだけの女子が髪を切りにいったと思いますか。あれでどこの美容院も満席になる異常現象が起きたんです」


「……くだらない」


「そう、くだらないんです! でもこれって危ないんですよ。先生の作品で世の動きが変わってしまうんです。考えてもみてください。これで先生が死んでしまったら作品は、キャラクターはどうなるんですか?」

「……」


 そんなこと考えたことがなかった。

 自分はいつでも復讐のことばかりで、奴らがいかに苦しむことだけを考えてきた。


 そうだ。思い出した。


 妹の誕生日だったあの日も国民的スターの後を追って亡くなる人が後を経たなかった。

 あの人が亡くなったのは事故か自殺かは覚えていないが、あの一件で多くの死者が出てしまった。



 もし自分がこの瞬間死を選んだら、どれだけの人が死んでしまう?


「……」

 呆然と立ち尽くす樫野に死神は言う。


「樫野先生、あなたは価値のある人間になりすぎたんです。あなたが死ねば多くの救われない魂でこの世が飽和してしまいます。あなたのやることは復讐なんて生易しいものにはならないのです」


「じゃあ、僕はなんのために……」


 今までの生きる糧だった復讐も実行できない。

「もう、自分には何もないじゃないか……」


「ありますよ」


 死神は強い声音で言った。


「復讐をするには先生は多くのものを与えすぎたんです。そう、与えること。先生には人々に感動や喜び、悲しみなどを作品を通して伝えることができる」


 死神は樫野の手を握り笑う。


 その温度のない手は少女のように小さく幼かった。


「先生は復讐のためと云えど、多くの人に希望を与えてきました。それは紛れもない事実。先生のおかげで明日の朝陽を浴びられる人たちがいるんです。あなたはこれから作品で人々を幸せにしてください」


「そんな、今さら復讐に生きてきた僕が人に希望を与える作品なんて考えられないよ」


 うつむく樫野に「むぅ」と少女は唇をとがらせる。


「まぁ、どうしてもっていうなら作品の中に自分の過去を描いちゃうのもありですよ。辛気臭い話は人気出ないですけどね。いくら先生でも打ち切りになっちゃうかも」

「それは……嫌だな」

「でしょう? それに私は先生の【Z】のファンなので連載を続けてくれないと困ります」

「ファンというのはキャラ作りではなかったのか」

「ガチのファンですよ。あの世でも大人気ですからね。先生の作品は」


「そうなのか」


「だからあの世に来ても先生には漫画を描いてもらいますよ。まだ来させませんけど」


 それは参った。


 しかし、あの世にも作品が届いているのなら、もしかしたら妹の手にも届いていたりするのだろうか。


「……ならもう少し頑張ってみないとな」


 俺が言うと死神の少女は安心したように微笑んだ。


 いつの間にか窓からは淡い光が入ってきていた。夜明けだ。


「あなたは復讐なんかよりも素敵なものに囲まれて死ぬ方があってますよ」


 そう言い残すと死神は朝陽に溶けるようにして姿を消していった。


「……?」


 姿を消す寸前、彼女が何かを言っていた気がするが、一体なんと言ったのだろう。






「ありがとう。私は充分幸せだったよ、お兄ちゃん」



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