僕の紅茶が好きな理由

ろくなみの

僕の紅茶が好きな理由

 僕は白い部屋にいた。

 僕はその部屋にいることに、何の疑問も感じていない。きっと、夢の中で知らない場所にいても、違和感がないのと同じだろう。

 部屋の形は丸くて大きなドーム状。

 真ん中には部屋の壁と同色の、白くて長いテーブルと、小さな椅子が二つだけ。僕はその椅子に座っていて、その向かいにとても長い髪の女の子が座っていて、マグカップで何かを飲んでいた。湯気が立っていて、優しい紅茶の香りがした。

 白い部屋の壁には等間隔に、小さな窓がある。窓の外は、水族館のように、水の中が見えた。なぜ水の中か分かったかというと、窓の外を魚が泳いでいて、水草がゆらゆら揺れていたからだ。ここは潜水艦なのだろうか。それとも水の中にある彼女の家なのだろうか。

「ねえ」

部屋にいる理由は気にならなかったけれど、どういう場所か。そして、彼女は誰なのか。そんなことを尋ねたかった。

 だけど、どういうわけか彼女は僕の言葉に答えない。

 彼女はお茶を飲みほした後、椅子から立ち上がる。そして、スタスタと部屋の奥へと向かった。僕も立ち上がってついて行く。別に走るつもりはない。

なんとなく、彼女はこの部屋からいなくならない。そんな確信があったから。


 部屋の奥には壁があって、左右には同じように白い扉があった。

 彼女が開いた扉は左側。僕も続いて中に入る。

 今度は少し狭い部屋だ。さっきまでいた部屋の三分の一ほどだろう。中央には丸くて、中央部分がくぼんでいる不思議な机が全部で六つほど、円を描くように置かれていた。

 彼女は入り口から一番近い机の前へと向かった。

 中央のくぼみをよく見ると、そこには小さな金魚が入っていた。

 生きてはいない。目の光は失われていて、鱗の潤いはなく、カピカピな状態だった。

 彼女はその金魚をそっと両手にのせる。別に悲しんでいる様子はない。ただ、その手つきは優しかった。彼女は金魚を手に乗せたまま、僕の方に関心は向けず、部屋を出る。そして、向かい側のもう一つの扉を開ける。僕もそれを追いかける。


 もう一つの部屋は、とても広かった。

 今まで僕が見てきた部屋で、一番大きいかもしれない。天井は見えないくらい高かった。壁には、大量の白い引き出しのようなものが取り付けられていて、その壁に登れるように、とても長い白い梯子がいくつか並べられていた。左右に移動しやすいように、下部分にはキャスターがつけられている。

 彼女は、引き出しだらけの壁を見上げる。よく見ると、ほのかに光っている引き出しと、光っていない引き出しがあった。彼女は両手で持っていた金魚を片手に乗せ、梯子をまた慣れた様子で一歩ずつ上り始める。あまりの高さに落ちないか心配になり、「大丈夫⁉」と声をかけるけれど、案の定彼女は僕の言葉なんて無視して、梯子を上り続けて、引き出しを開けて、その中に金魚を入れた。

 そのまま彼女は梯子から降りると思いきや、彼女は手を梯子から離し、思い切り飛び降りる。僕なら大けがをしてしまう高さだ。けれど彼女は音もなく床に降り立ち、ゆっくりと入ってきた扉へ向かい、部屋を出ていった。窓の外の魚たちは、僕らのことなんか気にしている様子はなく、すいすいと泳いでいた。

 

 部屋を出ていった彼女について行くと、彼女は再び死体があった部屋の扉を開く。今度の机のくぼみにいたのは、小さなカエルの死体だった。カエルはぺたんこにつぶれていて、とても安楽に死んでいるようには見えなかった。

 彼女はカエルを手に持って、部屋を出ていった。

 あとはやることは同じだ。

 向かいの部屋で梯子を上って引き出しを開け、死体を入れる。

 また隣の部屋で死体を拾って、向かいの部屋で梯子を上って、引き出しを開け、死体を入れる。

 

 これは彼女の仕事なのだろうか。


 何度も何度も彼女は左右の部屋の往復を続ける。彼女の往復について行くのも疲れはじめた僕は、白い床に座って、彼女の往復を眺めることにした。

 時折彼女は中央の部屋に行き、いつの間にか置かれているマグカップに注がれている紅茶を飲んで、何もせずにぼんやりしていた。僕も真似して向かい合って座って、のんびりすることにした。

 そして、あまりにも退屈してきた僕は、彼女が引き出しの部屋に入った時、好奇心で、死体の部屋に戻ってみた。死体を彼女は何度となく回収しても、別の小さな生き物の死体が机には配置されている。他の机にも死体があるのだろうか。

 僕の予想は的中した。

 机のくぼみには、干からびたトカゲの死体があった。

 別に彼女に任せてもよかった。これは彼女の仕事だし、僕がやっていいなんて一言も言われていない。けれど、何もしないのはそろそろ飽きてきた。

 だから僕はトカゲをそっと手に持った。とても軽くて、冷たかった。

 トカゲを彼女の要領でゆっくりと隣の部屋へと運ぶ。落としても、別に誰かに怒られるわけじゃないし、なんとなく彼女が怒る姿も想像できなかった。でも、あくまで生きていた命だから、大切に扱いたいと思った。

 彼女は梯子に上って、すでに引き出しに死体を入れていた。

 周りを見渡すと、梯子はいくつかあった。

 僕は干からびたトカゲをもって、梯子を上る。梯子の先に、光っている引き出しがある。僕はそれを開ける。中は空っぽだ。だから僕は引き出しの中にトカゲを入れて、そのまま引き出しをしめた。

 

 引き出しの光は消えた。

 いつのまにか彼女は床に降りていた。ちらりと梯子を上っている僕を見た後、特に何事もなかったかのように部屋を出ていった。どうやら僕は彼女の仕事を手伝っていいらしい。

 

 僕と彼女は死体を引き出しに入れ続けた。

 カエル、トカゲ、バッタ、カマキリ、ハエ、テントウムシ、セミ、メダカ、ネズミ、オケラ、モグラ、子猫、子犬、亀、ザリガニ、カニ、タニシ、オケラ、アメンボ、スズメ、カラス、ちょうちょ、芋虫、毛虫、イモリ、ヤモリ、蛾、ウサギ、蟻。

どれもこれも小さな死体ばかり。

 死体は安らかな寝顔のものもあれば、苦しそうな顔のものもあった。僕も死体に慣れているわけじゃない。時には顔をそむけたくなることもあった。ただ彼女は、どんな死体だろうと、何事もなかったかのように、丁寧に、ゆっくりと運び続けた。

 彼女を見習って、できる限り僕も感情を乱さないように、落ち着け、落ち着けと心の中で唱えた。

 

 

 そんな時間がどれくらい過ぎたかわからない。今が何月何日で、何時何分かをわかる必要はない。だって今僕は何かに追われているわけじゃないから。

 久しぶりに彼女は引き出しの部屋から出た後、中央のテーブルでお茶を飲み始め、

「ふう」

と息を吐いた。

 疲れているのだろうか。

 もしそうなら、いつも表情が能面のように変わらない彼女なだけに、少しだけ意外だった。いい香りが部屋に充満する。ここにきてから何も食べていないし、何も飲んでいない。不思議と飢えや渇きはないのだが、少しだけうらやましく思えた。ただ、もともと彼女だけの空間だと言うのに、僕もお茶が欲しいなんて言うのも、なんだか申し訳ない。だから彼女が休んでいる分、死体の部屋と引き出しの部屋を往復して、死体を入れ続けることにした。

 ルーティン化しているその作業に、ずいぶん慣れたと思っていた。

 どんな死体だろうと、何も気にしないと思っていた。

 もともと干からびていたり、つぶれていたりといった死体は多かったし、そこまで驚くことはなかった。けれど、その死体を見たとき、呼吸が止まった。

 ただでさえ静かな部屋に、張り詰めた空気が漂う。手が震えて、頭が割れそうなほど痛くなる。額からにじみ出た汗が、ぽたりとその死体に落ちた。

 

 僕は死体を運ぶという仕事を、甘く見ていた。

 

 机の窪みにあったのは、ばらばらにされたネズミの死体だった。

 

 手足も尻尾も、内臓までもが、ずたずたに切られている。明らかに誰かにされたものだ。

 ひどい。あまりにもひどい。その無惨さにおなかの奥がぐるぐると回る感じがして、しばらく体が動けなくなった。けれど、こんなところで折れているわけにはいかない。彼女が休んでいる分、僕はこの子だけでも引き出しに入れようと思った。ばらばらになっている体のパーツを、一つ一つ引き出しに入れていく。僕は引き出しに入れるとき、そのネズミの体のパーツを、できるだけもとの形と思われる箇所に添わせるように、配置する。ネズミはもう死んでいるから、お礼なんて言えるわけないし、そもそも人間じゃないから言葉なんて言えない。僕の自己満足だ。だけど、そうしたかった。

 ただ、精神の疲弊は相当だった。頭は沸騰寸前なほどくらくらしていたし、お腹もぐるぐるしていた。ひどいめまいを呈したまま。僕はよろよろと引き出しの部屋から出る。

 死体運びをすることに、初めて苦痛を感じた。

 やめてしまいたくなった。けれど、彼女の習慣が僕も身についたのだろう。体は勝手に死体の部屋に向かった。

 

 その時だった。

 死体の部屋の扉の前に彼女は立っていた。

 てっきり入って仕事を再開するのかとも思ったが、そういうわけでもなさそうで、まるで通せんぼでもするかのように立っている。そして、黒い瞳でじっと僕を見つめた。

 出会ってからほとんど何も言ってこない彼女の、初めての主張だった。

「どうかしたの?」

 僕が尋ねると、彼女は中央のテーブルへと目を向ける。

 中央のテーブルに乗っていたのは、白いマグカップ二つ。一つは彼女のもので間違いない。ただ、二つ目は、もしかして。

「飲んでいいの?」

 彼女は頷かず、中央テーブルへと向かう。否定している様子はない。

 彼女は先に席に座って、お茶を飲む。いつも冷たい表情の彼女の顔が、少しだけ和らぐ。

 僕も続いて席に座って、お茶を飲む。

 彼女の仕事を手伝い始めて、初めての休息だった。

 一口飲むと、甘みと苦みの入り混じった、深みのある味わいが口いっぱいに広がった。のどからお腹に流れ込み、そこから体と心に、大きな温もりが巡り始める。

疲弊した体と脳みそが浄化されていくのを感じる。

 ただの紅茶じゃないことはわかった。きっとこの世界にしかない、特別なものなのだろう。体に悪い感じはしない。

 確実にその紅茶は、死にかけていた僕の心を救ってくれた。

「君も、疲れてたの?」

 彼女は何も言わずにお茶を飲み続ける。それが答えなのかもしれない。

 彼女は僕よりも、ずっとずっと、多くの死体を運んでいる。綺麗な死体もあれば、そうじゃない死体もある。いや、むしろ後者の方が多いだろう。それを一人でやり続けるには、きっとこんなお茶の一杯くらい、飲みたくなるはずだ。

「ありがとう」

 お茶を用意してくれた彼女の心遣いに感謝した。

 

 それからも僕たちは死体を運び続けた。

 心なしかこの仕事の一連の流れが、僕にとって自然な行為となって馴染み始めていた。その間彼女との会話はないが、特別僕のことを拒否しているわけではなく、あのお茶の一件から、どこか彼女からの信頼を感じるようにもなった。もしかしたら、仕事仲間として、僕のことを認めてくれていたのかもしれない。

 

 そんな時間が、気が遠くなるほど続いた時だった。

 僕がいつものように梯子に上って、子猫の死体を引き出しにしまった後だった。降りるために、下を見ると、床から一番近い引き出しが、再び光り出したのだ。

 何もない引き出しは発光し、死体を入れると光を失う。

 それがこの部屋のルールだった。いや、そう思っていたが正しい。

 となると、引き出しの中に、何か変化が起きたのかもしれない。好奇心から僕は梯子を下りて、光を失った引き出しを開けてみた。

 

 そこには何もなかった。

 引き出しの死体は、時間が経つと消える。この部屋で初めて知るルールだった。

 なるほどなと思いながら、引き出しをしめようとしたとき、その引き出しから、懐かしい香りがした。藁と獣の香りを混ぜたような、独特な香り。僕の好きな香りだった。

「ねえ」

 死体を入れ終わり、梯子の上から飛び降りた彼女に尋ねる。

「ここに入ってたのってさ、灰色で、縞模様の入ったハムスターだった?」

 覚えているわけないかとも思ったし、彼女はここに入ってから一度たりとも口をきいてくれなかったから、返答は期待していなかった。

 予想通り、彼女は何も言わない。

 ただ、僕の方をじっと見つめた。

 どれくらいの時間かはわからない。何時間かもしれないし、あるいは数分かもしれない。無音かと思っていた部屋に、かすかに川の音が聞こえてきた。

 彼女は何も言わない。ただ、僕から視線をそらさない。

 引き出しの中に入れられた死体がどうなるのか。それを僕は知らない。でもきっと、入れる必要があるから、彼女が存在するのだろう。

 けれどなぜ、僕はこんなところにいるのだろうか。

 

 夢が夢であると気づいた時、夢から覚めてしまう。

 きっと、僕は、元々どこにいて、どういう存在だったのかを、思い出してしまったのかもしれない。

 


 だから気が付いた時、僕は白い部屋にはいなかった。


 激しい水の音と、夕焼け空が目に入る。辺りを見渡すと、そこは僕の家の裏手にある河原だった。

「……あれ」

 夕日が差し込んでいて、河原の石が黄金色に染まる。ずいぶんと長いこと寝ていたのか、背中が河原の石に押さえつけられ、とても痛い。そして思い出した。

「ハムスケ?」

 ジャンガリアンハムスターのハムスケを探してここまで来たのだ。ケージから逃げたハムスケが、家から脱走し、家の裏にある河原にいるのではないかと、探していた。

 けれど、見つからなかったんだ。

 そして、なんとなく僕は、ハムスケが死んでいるのだと感じた。

 家に帰ると、兄貴が申し訳なさそうに玄関で出迎えてくれた。

「なあ、ハムスケ、なんだけど」

 ハムスケは僕にずいぶんと慣れていた。そして、ケージから脱走をするほどやんちゃな子でもなかった。僕と、いつも一緒だったから。

「うん。わかってる。死んでたんでしょ? 僕が出かけている間に」

「なんで知ってるんだ?」

「別に。なんか、そうかなって」

「隠しておくつもりだったんだけど」

 兄貴は、僕を裏庭へと案内する。裏庭には、少しだけ小さく盛られた砂と、その上には小さな丸い石が置かれていた。墓石のつもりだろうか。兄貴らしいといえば、兄貴らしい。

「お前さ、身近な存在が死んだことって、ないだろ? だから、まあ、言わない方が、いいかなって、思ったけど、でも、やっぱ、隠すの、しんどいっていうか……」

 僕のおじいちゃんもおばあちゃんも、元気だ。誰かの葬式に、この年になるまで出たことはない。兄貴は色々とごちゃごちゃと余計なことを考えるタイプだから、気を回しだのだろう。前までの僕なら、きっと、ハムスケの死に直面したら、狂ったように泣いて、しばらく学校にもいけなくなるかもしれない。

「うん。でも、大丈夫」

 事実、ショックだった。大切な家族を失った。ハムスケのヒマワリの種をかじる音が好きだった。夜中に滑車を回す音が好きだった。独特な獣臭さも好きだった。時々僕の手をあまがみするのが好きだった。小さく「チュッ」となく声が好きだった。

 ハムスケが僕のことをどう思っていたなんかわからないけど、僕はハムスケのことが好きだった。

「なんか、あんまり落ち込んでねえな」

 兄貴はハムスケの墓の前にしゃがみこむ僕の隣にきて、同じように姿勢をかがめる。兄貴の頭から、青りんご色の整髪料の香りがした。

「うん、きっと、悪いようにはされてないから」

 彼女の仕事は丁寧だ。ハムスケの死体も、きっと丁寧に引き出しに入れてくれたのだろう。

 彼女は、そういう人だ。

 僕はハムスケの墓に手を合わせる。そして「ありがとう」と告げた。

 引き出しから消えたハムスケは、どこかでまた新たな命を受けるのだろうか。

それともなにもない、無の世界に行くのだろうか。

 僕は、死んだことがないからわからない。

 時々考える。あの白い部屋はどういう場所で、あの子は何をしていたのか。

 僕は神様なんて信じていない。けれど、生き物の生き死になどの管理などをしている管理室があるとするのであれば、彼女はそれの管理人だったのだろうか。それを、気が遠くなるほど、永遠に近い時間、続けていたのだろうか。


 そして、今も。

 

 そんなことを考えているうちに、僕は中学生になっていた。

 

 自転車で一緒に学校から帰る女の子の知り合いもできた。

 彼女はよく笑う子で、その子のことが、僕は少しだけ好きだった。

「ねえ、なにあれ」

 彼女は道路の方を指さした。

 そこには、甲羅がばらばらになったカメがいた。

 きっと車で轢かれたのだろう。体のパーツも道路に散らばっている。道路には亀の血が飛び散っていて、とても綺麗といえる状況ではなかった。

「ひどいね」

 別に車に悪意はないのだろう。不幸な事故だ。別に誰が悪いというわけじゃない。

ただ、一つだけ思った。

 あの亀は、きっとあの部屋に送られる。きっとばらばらの状態で。

 僕が拾い集めたところで、どのような形で送られるか、わかるわけもない。

 ただ、少なくとも、あの瞬間。僕は部屋の管理人であるあの子と共に働いた。

「ちょっと行ってくる」

 それならば、これくらいするのが、筋だろう。僕は自転車を降りて、車通りの少ない道路へと走った。僕は、しゃがんで、両手にカメの甲羅の破片や、腕や足のパーツを思われるものを拾い続けた。血の鉄臭さや、内臓の生臭さが鼻を刺す。ただ、不快ではない。彼が生きた証だから。 

「危ないよ!」

 彼女はそう叫ぶ。エンジン音が背後から聞こえてきた。そうだ。道路というのは車が通るのだ。迫りくる車は、僕の存在に気づき、高らかなクラクションと共に左にハンドルを切って、僕の命は助かった。

 

 不思議と怖くなかった。心臓の鼓動も落ち着いていて、呼吸も乱れていない。ただ車が通り過ぎた風圧と、排気ガスの香りを感じるだけだった。

 車の音はもう聞こえない。彼女が何かを叫んでいたが、聞いている暇はない。早く拾い集めないと、亀のパーツが、別の車のせいで散り散りになってしまう可能性もある。

 亀の死体を拾い集めた僕は、パーツすべてを両手に抱え、近くの空き地に走って向かった。地面に僕は亀の死体を丁寧にパズルのようにあわせる。壊れたコウラの破片は大きかったため、なんとか原型に近づけることはできた。

 そして、手で土を掘り、小さな穴ができた。亀を埋めるとき、ふと近くにタンポポが生えていた。あの殺風景な真っ白の部屋に、これくらいあってもいいだろうと思い、タンポポの束を何本か抜き取り、亀と一緒に埋めることにした。薄汚れた亀の甲羅に、黄色いタンポポが明るく彩る。そして、掘り返した土をかけ、両手を合わせた。


「ねえ、どうして」


 彼女はきっと、どうしてこんなことをするのかと尋ねているのだろう。答えてもわかってもらえなさそうだなと思って、適当に言葉を考えながら彼女の顔を見た。

 彼女の瞳から大粒の涙がこぼれていた。涙は彼女の頬を伝い、地面にボタボタと落ちていく。涙で濡れた地面に、小さな水たまりができそうだった。天気は呆れかえるほど晴れているのに、まるで雨が降っているみたいだった。

 彼女の顔はぐしゃぐしゃになっていて、鼻水もたれている。すん、すんと何度も鼻をすすり、ひっくひっくと、嗚咽が漏れていた。

「どうして、泣いてるの?」

 彼女が泣いているのを見るのは初めてだった。彼女は涙をセーラー服の袖で拭いながら、僕の方を向いてこう言った。

「死んじゃうかと思った」

 僕はもしかしたら、あの部屋で過ごした時間もあって、少しだけ死ぬことが、怖くなくなっていたのかもしれない。あと、僕が死んだら、どうやら彼女は悲しむらしい。

 僕は彼女のことが少しだけ好きだったし、彼女が死んだらきっと僕は悲しい。もしかしたら、彼女は僕ほどじゃないにしても、そこそこ僕のことが好きなのかもしれない。

「あの、もしよかったら、なんだけど」

 彼女に、僕はある提案をした。

 彼女は、意外そうな顔で僕を見つめた。


 数分ほど自転車を漕ぐと、僕の家にたどり着いた。

 裏手には、あの日、あの部屋に行くことになったきっかけの、小さな川が流れていて、水の音が聞こえていた。ハムスケが脱走するにしては、今思えばハードすぎる場所だ。

 彼女は少し緊張した様子で、僕の家のリビングにあるコタツの中に入っていた。

 窓の外からは裏庭の様子が見えて、あの日兄貴が埋めたハムスケの墓はまだ健在だ。

 僕はヤカンで沸かしたお湯を、紅茶の茶葉の入ったティーメイカーに注ぐ注がれるお湯と共に、茶葉がふわりと浮かぶ。まるで水中を泳ぐ魚みたいに見えた。

 注いだティーメイカーと二つのマグカップをコタツへ持っていった。

「もうちょっとしたらできるから」

 時間と共に部屋に紅茶の香りが漂い始める。窓の外は、あの部屋のように魚は泳いでいないけど、木の葉が風で飛んでいた。

 しばらく他愛のない話をした後、紅茶の色もしっかり出たところで、二人分のマグカップに紅茶を注ぐ。湯気が部屋を包み、少しだけ部屋が、あの時のように白くなる。

「ありがとう、でも、どうして? 今までお茶しようなんて、言ったことなかったのに」

「えっと」

 どうこたえようか少しだけ悩んだ末、こう言った。


「一緒に飲みたかったから」


 僕の言葉に、少しだけ嬉しそうに彼女は笑った。泣いた後で赤くなった頬が、より赤みを増し、紅色に染まった。

 僕は優しい香りの紅茶を一口飲む。少し苦くて、でも、優しい味がした。

 彼女も紅茶を一口飲んだ。

「おいしいね。好きなの? 紅茶」

「うん。しんどい時は飲むことにしてる。少し楽になる気がして」

彼女は「そうなんだ」と納得したようにうなずく。そして、カップを置いて、僕の方を向いた。


「ねえ」

「なに?」

「えっと、こんなこと言うのも、変かもしれないけど」

「うん」

「危ないことはやめてほしいし、するにしても相談してほしい」

「うん」

「だから、私より、長生きしてくれる?」

 僕は死ぬのは今でもそんなに怖くない。

 きっと、悪いようにはされないのがわかっていたから。

 でも。

「うん、わかった」

 誰かにお茶を入れられるこの世界には、もう少しだけ長くいたい。そう思った。



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