小さき虫よ、冬を抱いて眠れ

豆腐数

記憶のひとかけら

 地中深くに潜るセミ。成虫までの長い時を暗い土中で過ごし、友となるは同じセミか、土の中の生き物ばかり。ある日セミは、トカゲに聞いた。冬景色は美しいものだと。普段は他の季節と比べて、緑もなく、花もなく、仲間のトカゲも虫もなく、ただ寂しいだけの季節だ。けれど一等寒くなった時、他の季節では見れぬ光景に、地上は様変わりするのだと。トカゲのご高説に、過半数のセミ達は馬鹿らしい、そんな寒い時に僕らが土の外に出られるものかと一蹴したが、ただ一匹、トカゲの言葉をキラキラと潤んだ目で反芻する個体がいた。


 僕、見たい。「冬」、見てみたいよ。どんなに綺麗なんだろう。どんなものがあるんだろう。寂しい季節を彩るものってなんなんだろう。当然周りは止めた。特に仲のいいセミは言って聞かせた。トカゲだってとてもまともに動けるような季節じゃないんだ、僕らみたいな虫けらなんかひとたまりもないぞ。それでそのセミはションボリ身を縮こまらせて、大人しく引き下がった。ように思ったのだけれど。


 ある寒さの激しい夜。土の中の家で、いつもくっついて眠る友のセミがふと目を覚ました時。トカゲの話を熱心に聞いていたセミの姿は消えていたのだった。


 〇


 ──土が冷たくなって来た。前足で地上までの道を掘り進めながら、セミは思う。普段いる土の中でさえ、なんだか寒いような気がしたくらいだ。きっと自分の目的の光景は今日、作り上げられている。そんな根拠のない確信めいた気持ちだけを共に、セミは前足で土を掘り続ける。


 やがて土が白くなった。白い土は非情に冷たく、セミが触れると水になった。水は冷たかった。だけどここを越えなければ地上には出られそうもない。冷たいのも我慢して、冷たい土の中を突っ切って行った。


 小さき虫は、外に出た。空には三日月。星。それらの優しい光が、地上に敷き詰められた冷たい白い土を照らし、キラキラと銀にきらめかせ。


 ──これが、トカゲの言う冬の様変わり。

 ──雪。


 冬の雪景色は見事なものだった。常緑樹は雪の帽子を被ってオシャレだし、夜は土の中と同じで暗いものと聞いていたのに。雪は月と星のささやかな灯りだけでその白を引き立たせ、暗い世界に一矢報いていた。


 どこまでも続く海の海岸線のように。雪の砂浜は、セミの小さな視点で見ると、世界の果てまで続くよう。


 セミがそのちっぽけな身体の中に、銀世界の記憶を刻み込むだけの時間が経った頃。彼は動かなくなっていた。小さな虫に、雪の積もる気温は酷だった。雪で濡れた身体は凍り付き、二度と動く事も、眠る事も、土を掻く事もなくなった。


 同時刻。冬に憧れたセミの友人は、友が死んだ事を感じ取る。大自然の1パーツに備わる野性の勘、いつも隣で眠る親しさが、自分の身の一部のような存在の消失を感づかせたのだ。


 

「君もバカだね。だけどこの世にたくさんいる虫けら達、一匹くらい馬鹿の変わり種くらいいるもんさ」


 泣きもせず、悲しみもせず。地上で凍っているであろう友を慰めるように、セミは語り続ける。


「僕たちは生まれて、死んで、やがて土に還る。そしてまた生まれる。誰と誰の区別もつかない、個体差もほとんどない、生命の連鎖の一番下にいる僕ら。だけど冬を見たがるセミは悪目立ちするね。きっとまた生まれても、バカな真似をするに違いない。そしたらもう一度出会った僕が、もう一度言ってやるのさ。君はバカだねって」


 ──だからそれまで眠るといい。美しい冬景色の記憶を抱いて、眠るといい。愚かで夢見がちな友よ。虫の世界の同胞よ。

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小さき虫よ、冬を抱いて眠れ 豆腐数 @karaagetori

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