島が、トロピカル因習アイランドになる日

デストロ

島が、トロピカル因習アイランドになる日


 鹿児島県鹿児島郡血牽ちびきじまに、因習アイランド化計画が持ち上がったのはある春のことであった。


南国的なんごくてき因習いんしゅうがた島嶼とうしょ観光かんこう事業じぎょう誘致ゆうち計画けいかく……ですか」


 血牽村役場の一角、狭苦しい地域振興課のオフィスの奥で、井中田いなかだ課長はプリントアウトされた企画書を手に眉間に皺を寄せていた。


「はいっ。要は今流行はやりの因習リゾートですよっ。

 うちの町おこしとしては最適だと思うんですけど」


 井中田のデスクの前でガッツポーズを掲げるのは転任して一年目の因野よるの ちょう

 ロングの黒髪をポニーテールにまとめ、ちびきん(彼女考案のマスコットキャラ。血牽島にかつて生息したチビキカワウソがモデルらしい)の髪留めで縛っている。

 吸い込まれそうな大きな瞳を爛々とかがやかす彼女に、井中田課長は怪訝な視線を向けた。


「因習化って、簡単に言うけどねぇ……。

 たしかに最近よく聞くけど、そう簡単なものじゃないでしょう、因野くん」


 そう、井中田とて近年インターネットを中心に世間を席巻しつつある因習ブームのことは耳にしていた。

 とはいえ、そうしたブームに安易に便乗してよいものなのか。


「そう簡単にブームに乗らなくてもいいじゃないですか。

 それよりは、最近始めている『血牽島まつり』のPRにでも力を入れた方が……」


「もう、課長は発想がすぎます。普通の町おこしなんてしても誰も振り向きませんよ!

 何より、この因習化の波はただのブームじゃありません。新時代の到来なんです!

 今のうちにIXインシュー・トランスフォーメーションを始めておくことが重要なんですよ。因習カルチャーに先んじて乗り込む先駆者効果は馬鹿にできません。

 全国を見てみても、岩手の"遠野デス座敷童ザシキワラシ徘徊はいかい殺戮さつりく旅館りょかん"、千葉・浦安村の邪教体験型施設"浦安インスマスィー・シー"、島根のオーダーメイド・コトリバコのサブスク"放題ホーダイ"……。

 こうした成功例に続くのは今しかありませんっ。レッドオーシャンになってからじゃ遅いんです」


 一息に喋り切った因野がずいと詰め寄る。

 井中田はそんな因野を茶化すように、


「孤島だけに、レッドオーシャンは勘弁ってねえ」


 と呟くと、因野にぎろりと睨まれてしまった。そんな目を上司に向けないでくれ。


「しかしね、そもそも因野くん、この血牽島に因習、と言うのかね……そんなものないじゃないか。

 おしなべて平和な島だよ……どこにでもあるような……」


「何言ってるんですか!

 『血牽島』なんて島、明らかにわらべ歌殺人のひとつやふたつ起こってないとおかしいですって」


「ええとね因野くん、島に来たての君が知らないのも無理ないけどね……、

 『血牽島』というのも伝えられるところでは仲哀ちゅうあい天皇の熊襲クマソ平定にまつわる伝説によるものであって、ちゃんとした由緒正しい地名なんですよ。

 もう少し厳密に言えば、『血牽ちびき』は当時の辺境民の単語『ケセン・ケキン』の当て字に由来するという説や、この島で伝統的に営まれる製塩業から『しおびき』が転訛てんかしたとする説、かつての被差別階級の居住地に対する蔑称が定着した説などがあって学問的にも決着を見てないし……。

 そもそも『血牽ちびきむら』とか『血流川ちながれがわ』とか、『血』の字を含む地名は全国的にみられるもので、決して珍しくは……」


「ああもう、まだるっこしいなあ」


 井中田を遮って因野はデスクをだんと叩く。


「そういう話は象牙の塔の気難きむずかしー学者さん達にしていればいいんですよっ、課長。

 観光客が地方に求めるのはただひとつ」


 因野はぴんと人差し指を立てた。


「『ストーリー』です。坂本龍馬が暗殺されたとか、炭鉱掘りたちの努力が日本の経済成長を支えたとか、山奥に住む頭が××な××××たちが毎年××××を捧げて笑い合っていたとか……。

 厳密な歴史とか現地民の生の声なんて犬の餌にもなりません。都会人はたまの連休に地方へ飛んで、サルでも理解できるストーリーを消費し、自分が生きる日常のストーリーの価値を再確認してほくほく顔で職場へと戻るんです。

 あたし達がするのは血牽島の歴史を正確に伝えることじゃなく、血牽島を咀嚼そしゃくし、ときに調味料を加えて、彼らが食べやすい離乳食を作ってあげることなんですよっ!」


「観光への偏見がすごいね君」


「真実ですよっ。

 それに、もう因習コンサルの企業にも見学の話をつけちゃいましたし」


「えぇっ!? 勝手に何してるんですか!?」


 井中田が眼鏡の奥の目を見開く。


「いや、そこについてはすみません。話の流れで……。

 とにかく、来てもらって話を聞くだけ聞いてみましょうよ。最終的な判断は後でもできますし」


「まあ、そう言うなら……」


 何か騙されたような気分だったが、井中田はやむなく手帳のスケジュール欄に「因習コンサル 来島」と記入した。

 しかし、この時すでに彼はうすうす理解していた。自分はおそらくこの計画を裁可し、例によってプロジェクトが動き出してしまうのだろうと。

 彼女はいつもこうである。疾風のごとく新規計画をぶち上げ、なし崩し的に話を通し、あれよあれよの間に事業が動き始めてしまう。血牽島の複合型観光施設の誘致も、公式SNSアカウントの開設も、マスコットキャラ「ちびきん」の提案も。

 しかもそれでいて彼女の提案はそれなりに成功を収めているのだから、周囲としても何も言えない。今では島民にも、島役場の顔として知れ渡っているとの噂も耳に届いていた。


「課長は、普通すぎる……か」


 因習――妙なものが流行る時代になったものだ。もはや自分のような普通の中年が引っ張る時代ではないということなのだろう。

 ここはひとつ、彼女に任せてみるべきなのだろう――井中田課長は鼻歌をうたう因野の背中を見送りながら、ほうと溜め息をついた。

 その判断を、彼は数日後に後悔することとなる。



**



「ども、おはようございますー。

 わたくし、因習コンサルタント業を営んでおります㈱Shareシャレ Co-workersコワーカーズ嶋崎しまざきと申します。こちら名刺に」


 空港の駐車場で井中田ら地域振興課のふたりの前に現れたのは、亜麻色の茶髪をツーブロックに固めた若い男であった。

 服装はラフなポロシャツにチノパン、腕に巻いたショッキングピンクのスマートウォッチが目を引く。一目見ると少し老けた大学生にしか見えない。

 普段だったらその格好に眉をひそめる井中田であったが、その時ばかりは例外だった。彼らの目は、嶋崎の背後の人物へと釘付けになっていたからである。

 そこに立つその人間は、黒いタートルネックに黒いジーンズを合わせ、手には薄手の黒い手袋を装着、さらに頭部を黒いタイツのようなもので覆っていた。つまり、自身の皮膚を完璧に布地で覆い尽くしていたのである。

 そうして唯一露出しているはずの顔面には――紙粘土を捏ねて作ったような、簡素な白い仮面を嵌めていた。


「おっと、同伴をお伝えしてなかったでしょうか? 失礼。

 こちら、因習アドバイザーのバナナです」


 嶋崎の紹介に合わせ、仮面の男?がぺこりと頭を下げる。

 ええと、すみませんがもう一回言ってくれませんか――井中田がそう口を開く前に、後ろの因野が声を張り上げていた。


「えっ、あのバナナさんですか!?

 Web怪談のライターとして近年注目を集め、今やホラー業界では飛ぶ鳥を落とす勢いの……」


「説明を省いてくれてありがとうございます。

 今や因習事業も高度に発展してきていまして、本職の方の目線というのも必要になってきているんです。

 ただ、なにぶん覆面作家ですので、こういうスタイルで失礼します」


 覆面作家ってそういう意味だっただろうか。


「信じられない……わたし、この前の新作買いましたよ!

 とても面白かったです。一昔前のインターネットの空気をバックにした、人間の嫌な部分の描写が巧みで」


「おお、それは頼もしいですね……うん? どうしたんだいバナナ君」


 バナナと名乗る男?が嶋崎の耳元に顔を寄せ、何かつぶやく。

 それを聞いた嶋崎は口元を綻ばせ、こちらを向いた。


「バナナ君も、『ありがと(笑)』と言っているようです」


 色々と言いたいことはあったが、もはや指摘するのも馬鹿らしくなって井中田は愛想笑いを浮かべた。

 今の若い子にはこういうのが人気なのであろう。時代は変わるものである。

 因野が、手元のタブレットをスワイプしながら呼び掛ける。


「えー、それではこれから車に乗りまして、島の観光名所や集落を見ていただきながら、わたくし達の暫定的な因習化プランを説明させていただきます。

 お二方には、プランを評価していただいて改善点等ありましたら適宜指摘していただければと」



**



「しかし、そもそもの話なんですが……こんな島が『因習化』、っていうのをできますんでしょうか?

 今までの因習化成功例ってのは、全部内地ないちなんですよね? うちは見ての通り、南国ですから」


 役場のワゴン車に揺られながら、井中田はおそるおそるかねてよりの疑問を切り出す。

 後部座席の嶋崎は、自信満々といった風に笑ってその質問に答えた。


「あーっ、ありますよねそういう誤解、わかるわかる。

 いやいやもう、全然オーケーです」


「大丈夫なんですか?

 この通り、幽霊なんて出そうにない土地ですけど」


「ほら、アレです。

 かのナポレオン……ニュートンだっけ? まいいや……その人は『梃子てこさえあれば私は地球も動かして見せる』って言ったらしいですけど。

 僕に言わせれば『因習さえあれば、火星だろうと怖くできる』。

 南国にも怖い因習はいくらでもあります。たとえば沖縄なんかには『沖縄怪談』ってジャンルがありますし、海外に目を向ければ中南米にも独自のホラー文化があります。

 特にグァテマラなんて独特ですよ、カラッとしていながら生々しい、独特のいや~な感じがあるんですよ」


「はあ……」


「つまりね、南国であることはコア・コンピタンスとして顧客に訴求できるんですよ。シャーマンとかアニミズムとかの未開文化、じめっとした森の雰囲気、他国の影響を受けた理解できない風習……。

 こうしたコア・コンセプトを軸にブランディングしていけば、十分インパクトあるIPが確立できると思いますよ。

 因習業界では、遅れていることはむしろアドバンテージなんです。自信持ってください」


 嶋崎の言葉に、井中田は形容しがたい心地になる。

 だが、ちらりと目を横にやると運転席の因野は気にも留めない様子で「流石ですねえ」などと相槌を打っていた。


「それに僕、『』も用意してきましたから。

 そうだな……名付けて、『トロピカル因習アイランド』計画です」


「と、『トロピカル因習アイランド』、ですか……?

 あんまり想像がつかないですけど……」


「まあま、後のお楽しみということで」


 嶋崎は楽しげに笑った。

 ワゴンは、森と海の間の道を走り抜ける。

 井中田は胸中に生じたもやもやを吹き飛ばすように、深く大きい溜め息をついた。



**



「こちら、血牽島の横穴よこあなぐんになります」


 井中田が手で示した先を見て、嶋崎がほうと感嘆の息を漏らす。

 亜熱帯特有の赤茶けた地面を覆う森、その中に忽然と崖が現れていた。

 高さは七~八メートルもあろうか、薄ベージュ色の崖の中腹には、まるで巨人がミシンで縫ったように規則的に、人間ひとりが辛うじて入れるほどの穴が空けられている。

 穴は数段にわたって穿たれ、崖の表面はさながら古代のコンクリートビルとでも形容すべきものになっていた。

 井中田は説明を続ける。


「えー、こちらは五世紀から七世紀にかけて当時の有力者一族を葬ったとされる墓でして、一部の穴からは棺や副葬品の断片と思われるものも発掘されております。

 また、崖の手前の空間は平坦にならされた痕跡があり、何らかの祖先崇拝の儀礼が行われていたという説もあります。

 しかしながら学術的価値が低いとされ発掘が進んでいないこと、また戦時中に防空壕として内部の改修が行われた際に発掘品が廃棄されていることなどから、詳細はいまだ不明でありまして……」


「とにかくっ」隣の因野が言葉を引き継いだ。


「正体不明の墓穴です。どうでしょう、不気味じゃないですか?

 わたくしどもとしては、ここ一帯の森を『禁足地』とし、この島では幼少より『この穴に近付いてはならない』と教え込まれている、という設定でいきたいと思っております。

 因習を破って森に立ち入った観光客の方々は、女の顔を持ち、八本の手足を生やした『ちびきさま』に穴へと引きずり込まれて失血死し、生きて帰ったお客さんにも精神に錯乱をきたすような処理をして恐怖を演出したいと考えております。

 『血牽島』という地名についても、そこで回収するものとしまして……」


「いや、ここは生活道路だから勝手に立ち入り禁止にするわけには……。

 っていうか因野くん、それはやり過ぎじゃ」


「課長、今や因習ブームもどんどん加速してるんです。

 "浦安インスマスィー・シー"では人語じんごを喋る半亀人はんかめじんが観光客の不意をついて海中へと引きずり込むサービスが大人気と聞いてます。

 今どき、旅行者に何の危害も加えられないようでは因習スポットとしてインパクトに欠けるんですよ」


「えぇ、そうなの……?」


 時代の進み方に井中田が困惑の表情を浮かべたとき、黙って話を聞いていた嶋崎がふいに口を開いた。


「ん~……『ちびきさま』、ねえ」


 食い付いたと見たのか、因野がぱあっと笑顔を見せて返答する。


「はいっ。

 『ちびきさま』はかつて島で死んだ娼婦たちの怨念の集合体ということにして、彼女たちの呪念が……」


「あ、もうそこまでで。

 いや、悪くない、悪くないと思いますよ」


 嶋崎が手をひらひらさせて、どこかわざとらしい笑みを浮かべる。


「ただ、『なんとか様』というのはちょ~っとコンセプトとしてオールドウェイブと言いますか、コモディティ化してる感は否めない気はしますね。

 昨今の因習マーケットでは、コンペティターとの明確な差別化が重要ですから」


「そうですか……」


「ええ、たとえばこの穴……何でしたっけ、よこあなぼ? で言ったらそうすね……、

 島で栽培してる薬物をうアヘン窟になってる、とか。

 で、それを隠蔽するために島民が適当な因習をでっち上げて禁足地にしている、とかね。この方がまだインパクトが出るでしょ、『祝言の島』みたいで。

 ま、この穴自体が地味だしファースト・インプレッション微妙びみょいんで、どうしたって訴求力には欠けますけど」


「……えっ、あ、アヘンですか……?

 いえあのっ、血牽島ではそういったものは一切……」


 因野が慌てて否定する。


「だからっ、設定ですよ~。因習化するんですから。

 田舎の娯楽なんて大して無いんですから、ヤクくらいやってても自然でしょ?」


 嶋崎は手元のスマートフォンをいじりながら、当たり前のようにそう返した。

 その言葉に因野はしばらく黙っていたが、やがてきゅっと唇を結んだ。


「……そうですね、確かにコンセプトが未熟だったかもしれません。

 こちらについては、ご意見を参考に再度……」


「まあま、しょうがないすよ、素人さんなんすから。

 それより次、どこ行くの?」


「はい、次はですね……」



**



 井中田たちを載せたワゴンは森を抜け、集落を見下ろす小高い丘の頂上で停車した。

 丘にはアカマツが群集し、その中にひっそりと神社が佇んでいる。

 嶋崎らが車を降りたのを確認し、井中田が手元の資料を読み上げようと口を開いた。

 その瞬間、嶋崎が大声を発する。


「はあ? これ、もしかして八幡はちまん神社?」


「え? ええ、八幡さんですが……。

 こちら、島内に三つある八幡さんの最も大きい神社でして、お正月や盆祭りなどが行われます。

 特に近年では、町おこしの一環で『血牽島まつり』を開催しており、特にここの境内で行う綱引き大会では島民が盛り上がりまして……」


「いやいやいやっ、冗談でしょ!?

 八幡神社って……こんな、どこにでもある神社出してきてどーすんの。まだしも『ちびきさま』の方がマシでしょ?

 それともなんか因習あったりすんの? 南国らしく、成人式でそこの丘からバンジーしたりとかさぁ、ははは」


 因野がタブレットをスクロールしつつ、おそるおそる返事をする。


「ええと……因習などは特にないですが、実は邪神を祀っている神社、という設定にしようかと。

 本殿に立ち入ったら気が触れて怪死する、という設定にする予定です。

 邪神も、たとえば異界から血牽島に流れ着いた、蛭子ひるこ神などのような……」


「えぇ~っ!? いや古いって! ヒ、ヒルコ~!?

 ゼロ年代のホラゲーじゃないんだからさぁ、ヒルコって……いやちょっとセンスないよ君、あははは、やべ、ははははは」


 嶋崎は何が可笑しいのか腹を抱えて笑い続ける。

 井中田は因野のほうを窺った。因野は目を伏せ、黙りこくる。


「……ええ、そうですね、まあ様々な意見もあるかと思いますが、

 じゃあ一旦お車に戻りまして、昼食にいたしましょうか」


 井中田が精一杯の笑顔で後を引き取る。

 嶋崎の噛み殺した笑いが、松林まつばやしのなかに木霊こだましていた。




 その後、昼食の弁当を食べたのち(ちなみにその間、井中田は血牽島特産の塩の紹介をしたが嶋崎は一笑に付すのみであった)、いくつかの島の観光地を巡る。

 海岸の海食洞、怪獣かいじゅういわ、大戦中の要塞跡……。

 しかし嶋崎の反応は相変わらず――というより、スポットを巡るほどに――馬鹿馬鹿しくてたまらないといった態度に変わっていくばかりだった。



**



「……というわけで、血牽島の因習スポット候補を紹介させていただきましたが。

 いかがでしたでしょうか」


 空港の駐車場に車を停め、因野がおずおずと切り出す。

 今朝までの覇気はすでに消え、嶋崎の様子を慎重に窺うような口調だった。


「その……、多数の至らない点はあったと思いますが、

 どうでしょう、何か改善できるプランなどございましたら……」


「それよりさぁー、そろそろ話してもいい? 僕の『トロピカル因習アイランド計画』。

 いや、さっき色々見てたらさらにインスピって来ちゃってさ! ヤバいよ本当」


 嶋崎はスマートフォンを操作しながら、いきなり大声を上げる。

 いつの間にか敬語は消え、まるで友達のようなくだけた話し方に変わり果てていた。


「……えーと、その計画というのはどの因習スポットの改善案でしょうか?」


「え? あ、いや今日のはどうでもよくてさ。

 それより、これこれ」


 嶋崎はそう言いながらスマートフォンの画面をこちらに見せてきた。

 マップアプリの画面に、血牽島が表示されている。嶋崎はその一部分をタップして見せた。


「地図だとこの島、ビーチがあるらしいじゃん。うわ綺麗きれー。でもこれ結構いい感じにさびれてそうだねー。

 いやねいやね、僕、前から考えてたんだけど。こういういかにもトロピカルって感じのビーチがさ、実は因習の舞台だったら絶対面白い!って考えてたんすよ」


 嶋崎が楽しそうに笑う。


「トロピカル、ですか……?」


「たとえばさ、『くねくね』ってあるけど、あれって一面が緑の田園風景に異物が紛れ込んでるから不気味なわけじゃん?

 あれをさ、海バージョンでやるんだよ」


 嶋崎は子供のように声を弾ませて語り始める。


「たとえばこう。その島だとね、『うみをみてはいけない』って風習があるの。ただ口承こうしょうで伝わってるだけじゃなく、道端とかにも古臭い看板でヘンな警告がされてたりさ。

 で、ある日ビーチで遊びながら海上を見てるとね、海の藍と空の青が混じり合う彼方で、雲みたいな、溺れてる人みたいなのがうごめいてるの。

 それをまじまじ見た人間は、その意味がわかっちゃって、気がふれちゃう。

 名前も、由緒もない。神とも、悪霊ともされてない。それが島の当たり前なの。

 あ、だから島のビーチは若い人しかいなくてさびれてるってことにしよ。古くからの島民は『それ』を見たくないから。

 でも、決してビーチを閉鎖したり過剰に反応はしない……そこがよくある因習との差別化なわけ。

 島民の日常に異常が混じってるってのが因習ポイント高いと思わない?」


「はぁ……」


 嶋崎は爛々と目を輝かせながら、ますます早口に説明とも独り言ともつかない言葉を紡いだ。

 

「あ、あとあとあと! これ最高なんだけど、島には一個だけ神社があってさ、島民によるとそれは戦前に中央から来た役人が建てた神社らしいんだけどさ、行ってみると明らかに異様なの。

 鳥居は見たことない様式で、本殿は雑に木の板を張り合わせた社にペンキでびっしり目が描いてあったり。本殿の中にもなぜか顔だけ切って上下逆に付け直した変な人形があるだけだったりさ。

 でも島民は大らかなのか本当の神社を知らないのか、その異様さに気付かず普通の神社として普通にお参りしててさ。観光客だけがその異常に気付いて、それがかえって不気味に感じるんだよ。

 どう、南国のゆるさを逆手に取った因習じゃないこれ?

 あ! あとまだあるまだある、これ火山島であることを活かしたアイデアなんだけど……」


 人が変わったようにまくし立てる嶋崎に、因野はあっけに取られた表情で固まっていた。

 なおも話し続ける嶋崎に、井中田は僅かに表情を曇らせて言う。


「……あの、嶋崎さん。

 血牽島の海水浴場は決してさびれてないですし、むしろダイバーの間ではそこそこ有名な観光地なんですよ。

 それと、血牽島の八幡さんには変な建築も風習も無いですし。

 あと、この島は火山島では……」


 そう言った瞬間、嶋崎が叫んだ。


「だから、それセンス・オブ・ホラーが無いんだって!

 『八幡神社』なんて全然じゃないの、じゃないの、じゃないの、じゃないの!」


 嶋崎の顔からは笑みが消え、かわりに烈しい憤りの色が宿っている。

 その変貌に、井中田は狼狽うろたえた。

 苛立ちが募っているのか、ぎしぎしという嶋崎の貧乏ゆすりの音が車内に響く。


「そーいう『ファスト風土』でさ、因習のひとつも無くて恥ずかしくないの? って話。どこでも脱因習化デインシュアリゼーションしてさ、世間に迎合した平凡で穏当なものばかりが並ぶ世の中になってさ……。

 何がここらじゃ有名、だよ、知らねーよ。それよりそんなビーチ潰してさ、因習のひとつでも付けた方がよっぽど現代的で鋭い因習性の備わった島になるとか考えないわけ?」


「いや、血牽島のビーチは島民の皆にも愛されている場所で……」


「あ、そうそう、その『血牽島』ってのも禁止ね。

 ここは、『血牽島』じゃなくて『トロピカル因習アイランド』にする予定だから」


 あっけらかんとした調子で嶋崎が言う。


「は、はぁ……?」

 

「だって不気味な名前の田舎なんていくらでもあるじゃん? こっちの方がコア・コンセプトが明確で差別化できるでしょ。 トロピカルと、因習の融合っていう……わかんないかなあ?

 今の因習ってさ、もう神道とか仏教とかじゃないじゃんか。

 なんなら民間信仰だけでも弱くって、『伝統的な民間信仰』と『個人の狂気』が交差する果て、未知の恐怖と人間のいやらしさが像を結びそうで結ばない特異点にしかセンス・オブ・ホラーは生まれないわけでさ?」


「せんす、おぶ……?」


「あーもう、どうして分かんないかなぁ!」


 ふたたび嶋崎が激昂して、助手席を後ろから殴りつける。

 井中田の額から冷れ汗が垂れた。

 ――こいつは、何なんだ?


「さっきから前時代的なんだよ、因習観が……、なんとかさまとか女の顔の怪物とか入ったら死ぬとかさあ、ゼロ年代の因習で止まってるんだよね!?

 ただの因習じゃもう時代遅れなんだよ! いい加減アップデートしてこうよ!?」


 彼の言葉はますます熱を帯びていくが、その内容はどんどん難解さを増していく。

 その口元には唾が溜まって泡を作り、相当苛立っているのか喋るたびに上体を揺さぶる。しかしその眼はかっと開かれ、まるで井中田たちを目で殺そうとしているかのような陰鬱な眼光を放っていた。

 男の貧乏ゆすりは激しさを増し、車全体がぎしりぎしりと小刻みに揺さぶられる。

 目の前の生物が理解できない。

 井中田の背中は、脂汗でぐっしょりと濡れていた。


「……そう、わかるよね!? そっちの人」


 そのとき、急に嶋崎は因野の方へと顔を振った。

 ――そうだ。因野は因習推進派なのだから、こいつに賛同してしまうのではないか?

 井中田は、そっと因野の方に視線を向ける。

 彼女は――


「はい、そ、そうですね……」


 表情を強張らせながら、辿々しくそう答える。


「……で、で、でも……、血牽島、である意味、というか……、

 嶋崎さんの設計通りにすると、その、もうそれは嶋崎さんの作品でしかないんじゃないか、と思ったんですけど……」


「え、何、何、何か不服なの」


「あっ、いえ。その……」


「だって、意味ないじゃん? 


 嶋崎は喉を鳴らす。


「えっ……」


「普通すぎなんだよ。今日いちにち喋って、変な方言ひとつ使わないし?

 本当っ、こんなんだからさ、日本の因習カルチャーは周回遅れなわけ。落ち武者とか土地神とか言ってさあ!

 とりあえず怪物に追わせたり人をグロく殺せばいいっていうファスト因習ばかり流行って、わかる?

 ささやかな不条理っていうものを突き詰めてるのが現代因習のフォーカスなのにさあ? 本当、大衆に迎合するしか能のない連中が……」


「は、はい。そうかもしれないですね……」


 相槌を打つ因野の顔は色を失っていた。

 目の前の嶋崎の変貌に戸惑いを隠せないらしい。ハンドルを握る手はじっとりと汗ばみ、かすかに指先が震えていた。

 その姿を見たとき、井中田の中で何かの糸が切れた。

 

「そっ。わかるよね?

 だからさ、この島もトロピカルさをギャップとして活用して、先鋭的な因習を――」


「すみませんが、少々わたし達の間には方向性の違いがあるようですね。

 どうでしょう、一旦ここで話を持ち帰りまして、後日また検討させていただきたいのですが、よろしいでしょうか」


 井中田は、精一杯の笑顔を作って割り込んだ。

 嶋崎の顔から、ふっと笑みが消える。


「……いや、いやいや。

 あの、それ常套句でしょ? お役所の。

 え、え、え、え、何、田舎体質? 改革とか変化とか嫌ってすぐ引きこもってコミュニティで馴れ合う、そういう気持ち悪いやつ?

 あのさ。こっちは真面目にこの島にイノベーションのアイデア出してやってんのにさ――」


「ご心配なく。血牽島も改革はしていますし、貴方がたがそれに必要かはこちらで協議させていただきますので」


「いやっ、だからさ、だからさ、因習!

 ありきたりで平穏な田舎も時代遅れの因習も、誰も求めてないんだけど! そういうのがさ、僕たちのコンサル目線がないと分かんないっていう話なんだけど――」


 嶋崎はますます顔を赤らめて声を荒げる。

 井中田はそんな嶋崎の様子に構わず、ずいと助手席から身を乗り出す。そして懐から袋を取り出すと――島崎の身体に向け、その中身を撒き散らした。

 白い砂粒のようなものが、宙に舞う。


「――――、え?」


 何が起きたかわからず戸惑う嶋崎に、井中田はにっこりと慇懃な笑みを向けた。


「この島特産の、塩です。

 貴方がたがわたくしどもにとって望まぬ客だと判断しましたので、。望まない客には塩を撒くのが、この島の『因習』ですので」


 そう井中田が言うと、ぽかんとした表情を浮かべていた嶋崎の眉が徐々に吊り上がり、顔全体に怒りの色がみなぎっていくのが見て取れた。


「――つ、つ、つ、つ」


 嶋崎が、上擦った声で叫ぶ。


「――つまんなっ! し、塩を撒くのが、因習なわけねえだろぉ……! つまんなっ……!

 田舎なんだからもっと、余所者よそものに『変な呪い』をしろよ……方言で『不気味な言葉』を吐けよ……『意味わかんない論理』でひとり納得しろよ……!

 お前ら、普通、普通すぎなんだよ……! つまんな……! し、島住みのくせにさ……!」


「これは失礼。アイムソーリー、ひげソーリー」


 そう笑うと、嶋崎はあまりの怒りからか目を見開いて口をぱくぱくさせる。言葉が出てこないらしい。

 車内が静寂に満たされる。わずか数秒だが、井中田には永劫にも思えた。

 張り詰めた空気。それを破ったのは――嶋崎だった。

 小さく舌打ちをすると後部座席のドアを荒々しく開き、空港へと足早に歩き出す。どうやら帰ってくれるらしい。

 井中田は全身の力が抜け、安堵の溜め息を漏らした。緊張が解け、シートに深々と体中を預ける。


「……すみません、井中田課長。

 わたし、因習化するってことがどういうことか、深く考えていませんでした」


 ふと気づくと、隣の因野がこちらに微笑んでいた。

 その目元はかすかに潤んでいる。


「いや、私の責任です。因野くんなら大丈夫だと、預け切ってしまいました。

 血牽島をトロピカル因習アイランドにするということは、血牽島がトロピカル因習アイランドになってしまうということ。そんなこと、よく考えれば分かったのに」


「いいえ、あたしの責任です! あたし、調子に乗っていたんです。

 血牽島のPRに成功して、このままうなぎ上りだって……。今日も課長がいなかったら、血牽島をトロピカル因習アイランドにしてしまうところでした。

 ……どんな厳罰も、甘んじて受けます」


 顔を伏せる彼女に、井中田は静かに声をかける。


「わかった。

 じゃあ、罰として……来年から『血牽島まつり』の準備、因野くんにも手伝ってもらうからね」


 そう言って、井中田はにこりと笑う。

 雲の切れ間から射す夕陽が、ふたりの笑顔を鮮やかな赤色に染め上げていた。



**



「因習バブル崩壊、かい。

 一時期ブームになってたけん、早かったなあ」


「よかったねぇ~、うちの島が因習リゾートになったりせんで」


 食堂のテレビを見ながら、日に焼けた老人たちが声を弾ませる。

 昼のワイドショーでは、先日因習業界を震撼させたニュース――浦安インスマスィー・シーで頻発していた入園客の大量水死事件――の続報を報じていた。

 事件をきっかけに国土交通省が全国の因習リゾートに監査に入ったところ、不適切な因習や捏造された因習が多く発見され、大部分の因習リゾートが閉業を余儀なくされたのだという。さらには因習市町村の職員や因習コンサル企業から逮捕者も続出する事態なのだそうだ。

 あるいは、血牽島もそうなっていたかもしれない――恐ろしげな想像を止め、井中田は味噌汁を啜る。

 

「しかし、あの嶋崎さん?も、よくわからない人でしたね~。

 どこにもない因習を求め続けて藻掻いているような人でした。トロピカル因習アイランドなんて、どこにも存在しないというのに」


 因野が、漬物を食べる手を止めてぽつりと呟く。


「……僕には、因習、というのはよくわからないけれど。

 因習を『奇妙なルール』とするのなら……彼の方がよほど、変な因習ルールに縛られているように見えましたね」


「因習を求めるあまり因習にがんじがらめになるなんて、皮肉な話ですねえ。

 ……あ、そう言えば、一緒についてきていたバナナさん。あの人は、何がしたかったんでしょうか」


 彼女はそう漏らすと、大盛りのご飯をぱくつき始めた。

 井中田はあの日の事を思い出す。

 あの後、帰り際にふと気になって空港を覗いた井中田は、空港のお土産売り場に並ぶ黒ずくめの人間を見つけた。

 彼はお土産の「ちびきん」(血牽島のマスコットキャラ。血牽島にかつて生息したチビキカワウソがモデルらしい)のイラスト入りTシャツを買うと、おもむろにTシャツを着て、ぽつりと独り言を漏らした。



「かわうそ(笑)」



 どうやらその一言がいいたかっただけらしい。



 井中田は、店内をぐるりと見渡す。

 島で唯一の食堂は、満員になりつつあった。役場の職員と漁師たちに加え、サーファーやダイバーの団体客が大挙しているのだ。彼らは「ちびきん」イラスト入りTシャツを纏い、談笑に興じている。

 食堂のおばちゃんは、てんてこ舞いで客たちの注文を受けに走っていた。まさにうれしい悲鳴だ。

 そんな様子を見ているうち、井中田の表情がほころんでいく。

 ――血牽島は、トロピカル因習アイランドではない。血牽島なのだ。



 ちなみに嶋崎はあの後、空港に入るところを島民総出で捕獲したが、「血牽島まつり」の大人気コーナー「ドキドキ!人間出血つなき」で使用した際に上半身と下半身がちぎれたため、死体はバラバラにして横穴よこあなのひとつに埋めておいた。

 そういう伝統なので仕方がないのだ。


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島が、トロピカル因習アイランドになる日 デストロ @death_troll_don

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