北朝鮮の軍事目標は日本じゃなくて中国——北朝鮮の国家戦略についての考察。ロシア・ウクライナ戦争、朝貢制度、および中ソ国境紛争を添えて

たけや屋

【1話完結短編】北朝鮮の軍事目標は日本じゃなくて中国

 ロシア・ウクライナ戦争が勃発して早1年——。

 日本近辺でも北朝鮮情勢や台湾情勢が緊迫化していると、日々ニュースで報じられています。

 色々と理解不能な暴走を続けているように見える北朝鮮の国家目標とは何なのか。

 私見を述べさせてもらうと、


【中国・吉林省きつりんしょうの占領、のちに核兵器の放棄】


 おそらくはこれ。

 北朝鮮が狙ってるのは日本じゃないの? 韓国じゃないの? とは思われるかもしれません。しかし北朝鮮の攻撃目標が中国だというのは防衛関係者からたびたび聞かれる説ではあります。

 なぜ吉林省なのか、そしてそれは実現可能なのか、という部分を以下につらつらと書いていきます。


 ◆ ◆ ◆


 なぜ吉林省なのか?

 それはここに『広開土王碑こうかいどおうひ』があるから。

 この石碑は5世紀に建立されたもので、当時の高句麗こうくり王を讃える文が刻まれています。その中で最も北朝鮮が重視するであろう文面は、


百済くだら新羅しらぎ倭国わこく(日本)に攻められて倭国の臣民しんみんになってしまったが、広開土王はその倭国軍を撃退した』


 という部分。

 韓国や北朝鮮の人にとって『日本に勝った』というのはなにか物凄く特別な意味を持つようで、民族のアイデンティティにもなっていると見受けられます(その肌感覚がどれほどなのかは想像するしかありませんが)。


 サムスン電子という韓国の会社があります。この会社、今では世界に名だたる大企業(ビッグテック)の仲間入りを果たしましたが、前世紀はそこまでの規模じゃありませんでした。しかしあるとき、そんな新興企業がコンピュータチップの生産量でついに日本を追い抜いたのです。

 そのとき社のトップだったイ・ゴンヒ氏は『ミスターチップ』と韓国社会から讃えられました。それくらい韓国社会では『日本に勝つ』ということが重要視されているのでしょう。


 そんな朝鮮民族のアイデンティティ——広開土王碑のある場所が、今は中国領になっています。もしここを取り戻せたなら、北朝鮮は韓国よりも『道徳的優位』に立つことができるでしょう。


 そしてもうひとつ重要なのが、北朝鮮の首都・平壌ピョンヤン。ここも民族のアイデンティティとなる場所です。


 朝鮮の名が歴史書に初めて登場するのは、中国の歴史書『史記しき』朝鮮列伝。紀元前のかんの時代、えいという人がえんの国から朝鮮半島まで逃げて、半島の人々をまとめ上げて国を作りました。

 そのときの首都は『王険おうけん』といい、これが今の平壌です。朝鮮半島で最も歴史ある都市であり、こちらも民族最大のアイデンティティとなり得ます。


 民族最大のアイデンティティを2箇所かしょも手に入れたとなれば、これはもう韓国に対して圧倒的な【道徳的優位】となります。歴代朝鮮王朝の正統な後継国はどこか、勝負は決まったようなものです。

 それを手に入れるためならどんな犠牲を払っても惜しくないでしょう。


 さて【道徳的優位】という言葉、日本人としちゃちょっと聞き覚えがないものですよね。自分も朝鮮○報の記事をあれこれ読むまで理解できませんでした。


 要するに、

【こちらの方が歴史的・社会的・道徳的に正しいのだから、お前はこちらの要望を全部受け入れなきゃならない】

 という『無条件勝利を得た状態』みたいなニュアンスなのでしょうか。


 これは韓国関係のニュースを見ているとたまに出てくる言葉です。どうやら法律よりも重い意味を持つらしい概念がいねん。これを日本語に直すとどんな言葉になるのでしょうか。『にしき御旗みはた』ですかね? いやなんか違いそう。

 まあそれはともかく。


 今までの北朝鮮は、中国を相手に戦いたくても実力がありませんでした。

 しかしいまは弾道ミサイルや核兵器がああります。詳細不明の『特殊作戦軍』なる精鋭部隊も温存しているとか。

 全面戦争では勝てなくとも、中国軍を足止めする程度の戦力はすでにあるのです。


 ◆ ◆ ◆


 ここまで書いたとおり、北朝鮮の作戦目標に日本やアメリカはハナから入っておりません。連日あれほど『アメリカにまで届く弾道ミサイル』を喧伝けんでんしているにもかかわらず。


 目的は最初から中国吉林省。


 なので北朝鮮のミサイル実験では、ほぼ全てが日本海・太平洋方面へ発射されていたのです。

 本当の目標である中国を刺激しちゃまずいから。


 さて、吉林省の占有という作戦目標はともかく、中国相手にそこまで戦えるの? というのが正直なところ。

 特に中国東北部に控えているのは、かつて中国最強と呼ばれた瀋陽(しんよう)軍区の後継・北部戦区です。


 ですが勝てなくていいんです。中国軍はそうそう動けないから。

 強大な軍備を有しているはずのロシア軍が、開戦から1年たった今でも最新鋭戦車を温存しているように。


 北朝鮮が電撃的に吉林省を占有したからといって、中国はすぐに大規模反撃はできないのです。中国としても周辺諸国をいたずらに刺激したくないから。

 中国は捨てる物なんてなにもない『無敵の人』的な国家ではなく、今や名実ともに世界の大国なのですから。


 そんな状況こそ、北朝鮮最大のチャンスと言えるでしょう。


 ◆ ◆ ◆


 さて、北朝鮮の思惑おもわくと勝機はともかく、問題は『中国は吉林省喪失を容認できるのか?』ということ。


 普通に考えたら、できるわけがない。


 何よりもメンツを重んじる中国が、領土を奪われて黙っていられるわけがない。

 しかし、それでも何とかギリギリ実現できそうな手があります。

 それは、


『中国は吉林省の一部を北朝鮮へ割譲かつじょうする代わりに、北朝鮮の核兵器を放棄させる』


 この一見ワリに合わなさそうな一手こそ、北朝鮮の狙いだと思います。


 中国が軍事力を大きく動かせば、周辺諸国や国内の反体制勢力を刺激し、下手すりゃ体制転覆にまで発展しかねません。中国としても北朝鮮には暴走されちゃ困ります。

 なので北朝鮮から中国へ、上記のプランを持ちかけるのです。


 パッと見ムチャなこのプランも、全くの成功率0%というわけではありません。

 なぜなら、中国には古代から『相手国からみつぎ物をもらったら、それ以上の土産みやげを持たせる』という伝統があるから。


 紀元前の漢の時代、軍事強国だった匈奴きょうど族をこの手法で大人しくさせたというのは有名な話です。そうして漢は『兄の国』匈奴族は『弟の国』となり、和平を結びました。


 この制度のことを【朝貢ちょうこう】といいます。【貢ぐ】という字が入っていることから中国が一方的に得をする制度だと思われていますが、実はそうでもありません。

 実際は中国側の持ち出しも多くて、赤字になることもあったのです。かつての日本も中国と貿易をするため、この制度を利用しました。


 現代でも似たようで違う実例があります。

 それは【中ソ国境紛争】という出来事です。現在では盟友と呼ばれる中国とロシアも、かつては軍事衝突を起こすほどの仲でした。しかし60年代に始まったこの領土紛争も、2004年ついに決着します。


 ロシアが全面的に譲歩した形ではあるのですが、しかし『あの中国が』『一部でも主張を取り下げ』『領土を譲って』いるのです。


 以上を論拠に、中国も領土面で譲歩することがあるのだと主張します。


 ◆ ◆ ◆


 今は世界中で戦争の匂いが充満しています。


 そんな中で『東アジアの暴れん坊』に核兵器を放棄させたとなれば、これは中国のメンツを大いに満たすことになるでしょう。実際、それが実現できればこれ以上はない国際貢献ですからね。

 それこそ領土の一部を『くれてやって』もいいほどに。


 中国としても北朝鮮に暴発されると色々とマズいのです。現在の国際情勢・国内状況をかんがみるに。

 そんな中、北朝鮮の非核化を成功させ、なおかつ軍事的衝突も最小限に収める手段が他にあるでしょうか。


 このプランが比較的平和裏に実行された場合——。

 日米としては、あまり旨みのない『対北朝鮮戦』を回避できる。


 中国としては、世界平和に貢献したというメンツの充足。それと、北朝鮮の暴発によって連鎖的に軍事的衝突が起き、その結果の中国分裂という危機も回避できる。


 北朝鮮としては、核兵器の放棄と引き替えに、平壌・広開土王碑という民族最大のアイデンティティを2つも手中に収め、とりあえずは政権も現状維持ができる。

(平和裏に金(キム)一族が権力の座から降りるという選択肢も考えられます。誰だってフセインやカダフィにはなりたくありませんからね)


 このプランでババを引くのは韓国ただひとり。


 民族としてのアイデンティティでは北朝鮮に大きく後れを取り、そもそも北朝鮮との戦争が終わるわけでもなく、平和維持で主導権を握れるわけでもない。

 しかし国際社会はそれで納得してしまいそうだという状況。


 これはちょうど、ロシアがクリミア半島を軍事力でブン取った2014年の世界情勢に似ているのではないでしょうか。一応ロシアも経済制裁などは受けましたが、しかしEU諸国などは昔どおりロシアから天然ガスを買い続けていました。

 それはまさに『ウクライナさえ大人しくしてれば世界はうまく回っていくんだから』という、いじめの構図そのものなのですが。


 そのポジションに韓国が入ってしまいそうなのが、北朝鮮情勢。


 ◆ ◆ ◆


 色々書きましたが、もちろん戦争も紛争も起きてほしくはありません。

 かといって北朝鮮情勢をこれ以上見過ごすわけにもいかないのもまた事実。

 平和裏に解決すれば一番なんですが、国際情勢は複雑怪奇。

 こんな予想はハズれて平和が続くようにと願ってはいます。


 ただこの【吉林省割譲プラン】にもひとつ問題が。

 実は『核兵器の平和的放棄』ってのをやった結果ロシアの侵攻を許してしまったのが当のウクライナです。なのでその結果どうなったかを見ている北朝鮮が、この国家戦略をれるかどうかは定かじゃありません。


 ★ ★ ★ ★ ★


 本作の参考文献


 小川環樹・今鷹真・福島吉彦:訳『史記列伝』岩波文庫

 石原道博:編訳『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭人伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝 中国正史日本伝(1)』岩波文庫

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