こたつ列車

Mondyon Nohant 紋屋ノアン

2018年12月

 非公式な視察旅行という計画を日本政府が知ったのは夫妻来日の二週間前だった。I国のイルサ・ギルファドータ女史は、夫とのハネムーンを兼ねた私用での来日だからと賓客待遇ひんきゃくたいぐうを固辞したが、I国とつながりのある企業に忖度した日本政府は賓客としてのオモテナシを強く申し出た。日本政府を気遣った夫妻はそれを受け入れ、さらに、国土交通大臣への表敬訪問と岩手県知事が主催する歓迎会への出席も了承した。ただ、普通の観光客として直接民情に触れたいので出来れば少人数で行動したい、そして、警護等を担当してくれる同伴者には自分たちの友人を装って欲しいと日本政府に頼み込んだ。その結果、外務省の森本志朗もりもとしろう通訳官と警視庁警備部警護課の津々見寛子つつみひろこ警部補の二名のみが夫妻の視察旅行に同伴することとなり、さらに二人とも夫妻とお揃いのフィッシャーマンセーターにダウンジャケットという恰好をさせられた。

 寛子のフィッシャーマンセーターは若干大きめだった。右腰のホルスターに納めたシグ・ザウエルが見えてしまうと何かと都合が悪いからである。

 イルサ女史は若干二十九歳。北大西洋上に浮かぶ島国I国の観光大臣だった。

 現在、彼女の国には一本の鉄道も通っていない。観光は彼女の国の主要産業だが、その資源のひとつとして彼女が考えたのが観光列車である。海岸沿いに敷設した路線長七十キロ程度の単線に汽動車を走らせるという極めて具体的な青図とハードウェア的に合致していることから、視察対象として白羽の矢が立ったのが岩手県三陸鉄道北リアス線のこたつ列車だった。夫妻が宮沢賢治のファンだったことも視察先を岩手にした理由のひとつである。

 外務省はオスロとレイキャビクの大学で北ヨーロッパ言語を学んだ森本志朗を通訳として、警視庁はロンドン警視庁での研修経験があり英語に堪能な津々見寛子をSPとして夫妻に同行させた。両人とも岩手県出身で夫妻と年齢が近いことも彼らが同伴者に選ばれた理由のひとつだった。 

「志朗さんおすばらぐしばらく

「おすばらぐ、寛子さん。七年と九か月ぶりだね」

 大使館で車に乗る直前、二人はそれしか言葉を交わしていない。久しぶりに会ったとはいえ、今日は仕事上のパートナだ。視察旅行中、個人的な話は控えようと二人とも考えていた。

 東京駅で新幹線に乗り換え八戸へ、そこから岩手県庁が用意した車に乗り久慈くじ駅に到着したのは、こたつ列車発車時刻の二十分前だった。大使館から久慈に至る四時間、大臣夫妻は始終陽気で志朗と寛子に気さくに接してくれた。「アリガトウ」という言葉を何度聴いただろう。これほど人を気遣ってくれる賓客は初めてだ。こんな人たちをリーダに頂く国の人々はきっと幸せだろう。志朗も寛子もそう思った。こたつ列車に乗車する頃には四人はすっかり打ち解けていた。

 客車内の左右両側に一台ずつ四人用の堀炬燵が設けてある。

 乗客は炬燵こだづあだって蜜柑みがんを食べビールを飲みながら冬の列車の旅を楽しむ。道中、アテンダントと呼ばれる車内販売担当の女性が盛岡弁でガイドをしてくれる。海の幸をふんだんに盛り込んだお弁当も人気だ。久慈・宮古間の七十キロを一時間四十七分で結ぶ北リアス線のこたつ列車は、三陸の冬を楽しむ素敵なアトラクションである。

 乗車前、寛子は「オッパおばちゃん、おすばらぐ。まめだが元気だった?」とアテンダントの女性とハグをし、しばらく話した。

 大臣一行いっこうを先導して列車に乗り込んだ寛子は、車内を見渡し警護環境を確認した。一行いっこう以外の乗客は既に乗車している。

 こたつ列車の定員は四十八名である。満席という情報を寛子は事前に得ていたが、車両最前列右側の炬燵には二名しか座っていない。不在の二名は直前にキャンセルしたのか、それとも乗り遅れたのか、寛子は少し気になった。二人炬燵の乗客は二十代後半くらいの白人の男女だった。

 彼らの反対側の炬燵には中年の女性四人が座っている。四人とも地元の人間ではない。彼女たち四人の賑やかな標準語は車両最後部まで聴こえていた。

 あとの三十六名は地元の人達だ。雰囲気でわかる。

みんなさん、北ヨーロッパの国がら大臣様がおでてくなはったよ」

 アテンダントのオッパちゃんが大声でアナウンスした。

 オッパちゃんには、お忍びで来ていると言ったのに……と寛子は呆れたが、

「よぐ、ござったなは~ん」

「よぐ、おいであんしたなす~」

 乗客たちが口々に歓迎の言葉を発し車内が拍手で沸くと、当の夫妻は上機嫌で、「ミナサン、コンニチワ」と大きく手を振った。

 車両最後列海岸側の炬燵に四人は座った。夫君のアルティ氏は窓際の席に細君を座らせた後、列車の進行方向に背を向け夫人と対座した。アルティ氏の隣に志朗が座ったのを見届けると、寛子はもう一度車内を見渡し、堀炬燵には足を入れず膝を崩すようにして座った。今回の様に警護対象マルタイの隣に座らねばならない場合、通路側且つき腕側に席をとるのは警護の基本だ。寛子は座る際、右手で腰のホルスターを確認した。

「どうぞおあげって召し上がってくださんせ」

 アテンダントのオッパちゃんが掌を上に向け炬燵の天板を指した。

 炬燵の上には既に、蜜柑が山盛りのバスケットと缶ビール四缶、それに四折のお弁当が置いてある。四缶のビールのうち、二缶はノンアルコールだ。

 弁当の予約は今朝、志朗がした。予約の際、彼が見せたメニューから夫妻が選んだのは最も経済的な「ホタテ弁当」だった。国内での旅費滞在費全ての負担を申し出た日本政府に気を遣って、廉価な「ホタテ弁当」を選んだのだろうと志朗は推察した。

 夫妻は午前九時ごろ、新幹線の車中で朝食をとっている。朝食が遅かった理由は、駅弁が視察対象のひとつだったからである。因みに夫妻の朝食は盛岡の駅弁「前沢牛ローストビーフにぎり寿司」だった。家を出る前に朝食を済ませていた志朗と寛子は新幹線車中では何も食べていない。 

「あなたたちのランチボックス、私たちと同じでよかったの?」

 志朗と寛子の「ホタテ弁当」を見て、イルサ女史は申し訳なさそうな顔をした。自分たちが一番廉価な「ホタテ弁当」を選んだために、志朗と寛子は他のメニューを選べなかったのではないか。そう懸念したのだ。

「ええ、このお弁当、私、一番食べたかったんです」

「お二人が選んでくれたんだよ。注文したのは僕だけどね」

 弁当の蓋を開けて子供のように喜ぶ寛子と志朗を見て、この気遣いこそが日本人のオモテナシなのかと、イルサ女史は感心した。

 二〇一八年十二月吉日十二時七分、112Dこたつ列車は警笛を響かせ、三陸鉄道北リアス線久慈駅を発車した。

 大臣夫妻は、華やかさがあるとは言い難い三陸の冬景色を気に入ってくれるだろうか。志朗と寛子は少し心配になった。

 静かに降る雪が、寂しい風景をより寂しく見せていた。

 

「Do you speak English?」

 白人男性が中年女性四人組に英語で話しかけた。

「イングリッシュ? ちょっとだけ。ベイリーリトル」

 四人は口々になジャパングリッシュで応じた。

「You aunties don't speak English, do you?(オバさんたち、英語話せないわよね?)」

 白人女性が早口の英語で言って、オバさんたちに笑顔を向けた。「彼女、何て言ったの?」

「わかんない。アイアムソリー。ウィキャンノットアンダースタンド、ユアイングリッシュ」

 二人のガイジンは「サンキュー」と言って顔を見合わせた。

 その時、ひとりのオバさんのスマホからイヤホーンのコネクターが外れ、かなりの大音響で曲が流れ出た。

「ソーリー、アイライクジスソング『さそり座の女』ユーノウ?」

 ガイジンさん二人は首を横に振った。

「さそり座の女よ。スコーピオン・ウーマン」

「スコーピオン?」

 ガイジンさん二人の顔に緊張が走った。

「キャー、あんたの英語、通じたみたいよ」

「だって、一応私、青学だし」

「青島自動車学校だっけ?」

 四人組は大笑いした。

 白人カップルは、彼女たちを無視して英語で話し始めた。

「スコーピオンには焦ったぜ。あのオバさんたち、もしかして」

「まさか。ただのパーティーピープルでしょ」

「だよな。英語めちゃくちゃだし、頭悪そうだ」

 白人男性はフンっと鼻で笑った。


「三陸鉄道の駅にはニックネームがついでらす」 

 例えば久慈駅の愛称「琥珀いろ」は久慈が琥珀の産地だったことに由来すると、オッパちゃんは説明した。

 夫妻が興味を示したので、志朗はオッパちゃんから北リアス線全駅の愛称を全て聴き取り、メモした。

「みんなさん、これから三鉄の景色ん中で一番綺麗な景色が続くでらすよ」

 オッパちゃんのアナウンスが終わると、列車は速度を落とし、安家川あっかがわ橋梁きょうりょうを渡り始めた。

「ワオ! 銀色の海よ。墨絵みたい」

 夫妻は箸を置いて、窓の外に目を遣った。

 オッパちゃんが言う通り、安家川橋梁、堀内ほりない駅、大沢橋梁からの眺めは絶景である。特に晴れた日に高さ三十メートルの大沢橋梁から望むコバルトブルーの太平洋はこの上なく美しく、三陸鉄道北リアス線の象徴的風景として多くのガイドブックを飾っている。当日は曇り空で雪も舞っていたが、風が強くなかったためか、白銀に染まった凪いだ海がイルサ女史が例えたような墨絵の世界をつくっていた。

 列車が堀内駅を出て大沢橋梁に差し掛かると乗客たちの嘆息は車内一杯に広がった。


「お向かいのガイジンさんたち、何か、困っているみたいよ」

 白人カップルが三陸線のパンフレットを見ながら首を傾げている。

「助けてあげなさいよ。青学なんでしょ?」

「しょうがないなあ。メイアイヘルプユー?」

 青学オバさんが向かいの席に身をのりだし、日系英語でヘルプを申し出た。

「This station is Ichinowatari, right?」

 白人女性がパンフレットの「一のいちわたり駅」上に指を置き頭の悪そうなオバさんにもわかるように、ゆっくりと言った。

「イチノワタリって読むのかって訊いているみたいね」

「イエス。ジスステイションズネイムイズ、イチノワタリ」

 青学オバさんがな和風イングリッシュで答えた。

「アリガトウ」

 白人女性は日本語で礼を述べた。

「通じたみたいよ。さすが青島自動車学校」

「青学って言ってよ」

 二人のオバさんは笑いながら互いに目を合わせ小さく頷いた。

「あっ、いけない忘れてた」  

 自分の炬燵に戻ると、青学オバさんは携帯を手に取った。

「あなた? こたつ列車、最高に楽しいわ。今度一緒に乗りましょ。言い忘れていたんだけど、一時四十五分の『西部警察』の再放送、録画しておいてね。お土産? もちろんもって帰るから宮古で待ってて。えっ? あの『さそり座の女』、歌っている人って美川憲一のそっくりさんなの? なあんだ」

「宮古まで私たちを迎えに来てくれるなんて、なんて優しいご亭主なの。彼、青学の恩師だよね?」

「そうよ。青島自動車学校の教官」

 オバさんたちの笑い声が車内に響いた。こたつ列車を一番楽しんでいるのはこの四人のようだ。


「はい、デザートだよ。あんずきのおしだ。おかげで、二人とも元気まめで高校に通ってるっちゃ」

 オッパちゃんが白いカットケーキを四つ、炬燵の上に並べた。

 夫妻がケーキとオッパちゃんに視線を交互させる。

「この二人のウェディングケーキでらす」

 オッパちゃんは笑顔で志朗と寛子を指さした。 

「ウエディングケーキ? 君たち、結婚するのか?」

 二人は大慌てで首を横に振った。

「私たちは今日、七年九か月ぶりに再会したただの知り合いです」

……この二人、絶対にデきてるわよ。

……いや、ヒロコが嘘を言っている様には思えない。

 夫妻は暫く国の言葉でひそひそ話をしていたが、

「二人の関係を、ちゃんと説明しなさい」

 I国の有名な弁護士であるアルティ・モゲンソン氏が、証人尋問のような多少強めの口調で釈明を求めた。

 寛子に眼で促され、志朗がし始めた。

「東日本大震災の日に僕らは初めて出会いました」

「ツナミの時だね?」

 志朗は頷いた。

「二人とも大学の春休みだったのですが、知人の結婚式に招待されていたのです。新郎は僕の高校の先輩、新婦は寛子さんの幼馴染でした。式場は浄土ヶ浜じょうどがはまのホテルです」

「もしかして、我々が今日泊るミヤコのホテルかい?」 

「そうです」

 一行はこたつ列車の視察を終えた後、宮古駅から浄土ヶ浜のホテルに向かい、そこで県知事主催の歓迎会に出席する予定だ。

「結婚披露宴がお開きになり、平服に着替えている時でした」

 二〇一一年三月十一日十四時四十六分、地が激しく揺れた。遡上そじょうこう六・五メートルの津波が浄土ヶ浜を襲ったのは、その約四十分後だった。高台にあったホテルは津波の被害を免れたが、当日ホテルに居た客たちは帰宅するすべを失い、足止めを余儀なくされた。

 人々はロビーに集まりテレビの震災報道に見入っていた。志朗と寛子も、二人の実家がある鍬ケ崎くわがさき地区の惨状をテレビの報道で知った。家族の安否が気になったが、どうすることもできない。

 建物を避難所として開放したホテルには被災者が次々と避難してきた。志朗と寛子はホテルのスタッフとともに被災者の世話をすることで気を紛らわせた。

 被災者の中に寛子の実家の近所に住むオッパちゃん親子がいた。オッパちゃんの二人の子供は寛子を見つけると「あねちゃ」と、抱きついてきた。大泣きに泣いている。

「もう、おっがねくねぇよ」

 寛子は二人の子供を宥めた。

「そうだ」

 寛子は引き出物が入った手提げ袋から小箱を取り出した。

「ほら、ケーキだよ」

 ホテルではウェディングケーキを小分けにし披露宴の出席者のお土産にしていた。

 子供二人にカットケーキひとつでは可哀相だと思ったのか、近くにいた志朗が自分のケーキを手提げ袋から取り出してテーブルに置いた。

「なんて優しい人なんだろうって思いました」

「それで、あなたたちは付き合い始めたのね」

「ですから、それっきりで、付き合ってはいません。今日、七年九か月ぶりに再会したのです」

「それで、君たちの御家族は無事だったのか」

 二人は首を横に振った。二人とも、祖父母と両親を亡くしている。

 慰めの言葉が見つからず、夫妻は黙ってしまった。

「志朗さん、その後鍬ヶ崎くわがざきには帰ったの?」

「いや」

……怖くて帰れないんだ。

「この仕事も断ろうとしたんだよ。足がすくんで宮古の駅で降りることが出来ないんじゃないかと思って」

「私もよ」

 二人はこの七年半、故郷の鍬ヶ崎に帰っていない。

 宮古の海に魂がのみ込まれる。そんな気がするのだ。


「イチノワタリに停まる五分前に決行だ。十三時四十分だぞ」

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 仲間が一の渡駅に車を駐めて待っている。列車の最前列に座る二人と駅で待っている仲間の三人、実は駆け出しの環境テロリストである。環境テロリストといっても実質は売名が目的のただのお騒がせピープルなのだが、今回は一応「反捕鯨」を看板に掲げたテロリズムを計画していた。

 捕鯨国の観光大臣が同じ捕鯨国の日本を訪れている。彼女を誘拐し、その身柄と引き換えに捕鯨中止をI国と日本に約束させるという計画である。捕まっても、どこかの大手反捕鯨団体が保釈金を出してくれるだろう。そんな甘い考えで始めた計画だ。I国は採算がとれない捕鯨を来年からやめるかもしれない。反捕鯨という大義名分が利用できるのは今年が最後である。切羽詰せっぱつまっての犯行計画だった。 


「タノハタ駅のニックネーム『カンパネルラ』は『銀河鉄道の夜Night On The Milky Way Train』の登場人物だね?」

 志朗がメモした駅の愛称一覧を見たアルティ氏が質問した。

 列車は普代ふだい駅を出て、次の田野畑たのはた駅に向かっている。

「そうです」

 田野畑たのはた駅の愛称は「カンパネルラ」である。『銀河鉄道の夜』の主人公ジョバンニの親友の名だ。

「『銀河鉄道の夜』は私たちの仲人マッチメーカーなの」

 二〇一〇年、コペンハーゲン空港のロビーで当時大学生だったイルサ女史はアルティ氏と出逢った。火山噴火による火山灰のためにヨーロッパで多数の航空便が欠航した時だ。アルティ氏もイルサ女史も空港で足止めを食らっていた。

「退屈していた私に『銀河鉄道の夜』を貸してくれたのがアルティだったの」

 夢中で読んだという。

「空港の書店で買ったのだが、私は一ページも読んでいなかった。アニメだけは観ていたんだけどね。イルサと話を合わせるのが大変だったよ。主人公はネコだと思っていたからね」 

「その本を読んで私は鉄道への憧れを抱いたの。なんて美しい乗り物なんだろうって思った」

 今回の視察旅行は、その憧れの延長線上にあると女史は言った。

「『ほんとうのさいわい』とか『いちばんのさいわい』という言葉がこの物語には何度も出て来る。本当のさいわいとは何だろうね」

 アルティ氏は日本語の「サイワイ」という単語を使った。

「いったいどんなことが、おかあさんおっかさんのいちばんのさいわいなんだろう

……と問うカムパネルラに、ケンジ・ミヤザワは、……ほんとうにいいことをしたら、いちばんのさいわいなんだ。だから、おかあさんおっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う……と自問自答させる。シロウ、カムパネルラがしたほんとうにいいこととは何だった?」

「自分を犠牲にして溺れた友人を救ったことです」

「そうだ。ザネリを救ったことはほんとうにいいことだ。だが、自分が死んでしまったことはほんとうにいいことなんだろうか。……もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから……そう言ってカムパネルラの父親は息子の捜索をあきらめるんだよ。私はこの台詞がどうしても忘れられない。例え友を救うために亡くなったとしても、父親は息子の死を受け容れられるだろうか。昔亡くなったカムパネルラの母親も、天寿を全うしなかった息子を許してくれるだろうか。子供の死は親にとって、いちばんのさいわいでは絶対にない。私はケンジのそんな『迷い』を感じた。宗教も科学もケンジの迷いを消してはくれなかった」

『銀河鉄道の夜』はケンジの死後、草稿のまま発表された。ケンジがこの物語を未定稿として遺した理由は、この『迷い』だったのではないか、とアルティ氏は続けた。

「ただ、これだけは言っておこう。津波で亡くなった君たちの家族にとって、ほんとうのさいわいは、間違いなく今生きている君たちだ」

 イルサ女史が「That's right」と呟いた。

「ほんとうのサイワイとは何か。ケンジはその答えを得られなかった。だからこそ彼はジョバンニにどこまでも行ける切符a ticket of eternityを持たせ、終わりのないさいわいさがしの旅に出立しゅったつさせたのだ。私はそう思う」

 目を潤ませたアルティ氏の手を彼の妻が優しく握った。


「決行するぞ」

 時計を見て炬燵から足を出そうとした男性ガイジンは、しかし、脇腹に押し当てられた硬く冷たい感触に気づき動きをとめた。女性ガイジンは両手を肩まで上げて小さくホールドアップしている。オバさん二人が知らぬ間に自分たちの炬燵に足を入れ自分たちに密着していた。

「そのまま座っていて頂戴。一の渡りいちのわたり駅のお友達は私たちの仲間が面倒みてるから心配無用よ」

「一の渡り駅にいる私たちの仲間はね、みんな渡哲也似のイケメンなの。あっ、テツヤって日本の俳優、あなたたち知らないわよね。『西部警察』も観たことないか。ごめんね」

 見事な英語である。今までのかしましオバさんとは打って変わった実にクールな身の熟しと引き締まった顔つきだ。ハリウッド流アクション映画に登場する美人女スパイを彷彿とさせる。

「炬燵の中のバッグ、邪魔だから、私たちの炬燵に移動するわね」

 二人は炬燵からバッグをとりだし自分たちの炬燵に放り投げた。

「気を付けてよ。危ないわね。暴発したらどうするの」

「大丈夫よ。そっくりさんだから」

 オバさん炬燵の二人は、バッグを開け、中に入っていたVz61短機関銃、通称スコーピオンを確認した。

「あら本当だ。このスコーピオン、よくできたモデルガンだわ」

「よかったわね。モデルガンなら強制送還程度で済むわ。誘拐も未遂だし。ニュースにはならないから残念でしょうけど」

 この中年女性四人組、実は警視庁公安部の捜査官である。自称公安ガールズ。公称は公安オバサンズだ。


 こたつ列車は幾つかの長いトンネルをナモミが出現しないまま通過した。残るは全長約二・九キロの猿渡トンネルしかない。

「ナモミ」は岩手県の沿岸部に伝わるナマハゲとよく似た風習だ。鬼の面をかぶり蓑や毛皮をまとった来訪神が小正月の夜に家々を訪ね「怠け者かばねやみはいねか」と子どもたちを威嚇する。こたつ列車では久慈・宮古間の何れかのトンネルで二体のナモミが客車に乱入し乗客を怖がらせ、楽しませてくれる。

 寛子の予想通り、猿峠トンネルに入ると列車は速度を落とした。

 突然、照明が消え、車内は真っ暗になった。乗客達が小さく叫ぶ。車内灯が薄く点灯し、客車最後部にナモミが姿を現した。

 ナモミは大臣夫妻に顔を寄せ、「うお~っ」と唸り声をあげた。

きだヨーロッパがら三陸さ来でおもしぇたのしいと思っでねえづれカップルはいねか」

 志朗が通訳する。

「タノシイデス。タノシイデス。コワイコワイ」

ゴテいだわらねえかがはいねか」

「……」

 モゲイソン氏は黙っている。

「アルティ、いないと言いなさいよ!」

 イルサ女史が夫を小突いた。

 満面の笑顔で精一杯怖がってくれた夫妻に「ハヴ・ア・ナイスディ」と流暢な英語で挨拶すると、二体のナモミはそれぞれ志朗と寛子に顔を近づけ二人に迫った。

津波ゆだ地震ない思い出すけげだすのがやんで、何年も故郷さどけえってねぇ若者わげもんはいねが」

 寛子が下を向いて「もさげねえごめんなさい」と小さな声で言った。

とどかががいねのがつらすくで何年も故郷さどけえってねぇ若者わげもんはいねが」

 ナモミのセリフを英語に訳し終えたとたん、志朗も堪えきれず泣き出した。そして涙をボロボロ流しながら、「もさげねえ、もさげねえ」と、繰り返した。

「ミヤコ駅で降りたら、ホテルに向かう前に寄り道をして……」

 アルティ氏が志朗の肩に手を置いた。

「一緒にクワガサキの海を眺めよう。君たちの家と家族を奪った海を眺めながら、君たち自身のために、君たちの亡くなった家族のために、私たちみんなのために、ほんとうの幸いreal happinessをさがすのだ」

 声をあげて泣く寛子の肩をアルティ氏の妻が抱き寄せた。                               

                               了

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