死の4、死の13、そして死の6

kumanomi

 死の数字

 八百万やおよろずの神がある。神々は人の営みに沿うように、「そこ」に在り、ただ在り続けている。切欠はそうであっても、五穀豊穣も、天下平定も、万病退散もこれ全て人が保ったものである。また同時にこれら全てに綻びが表れるのも同じく人のゆえである。万物の切欠きっかけは神が。維持は人の領分である。


 そんな八百万やおよろずの神の中には死の神もある。死の神は死のよどみの中で生まれた。墓地や教会など死に近い場所で。死んだ者の死への念が形を成したのである。そうして死を司る神が3つ生じた。人々は人々の間で語り継がれる死と数の関連からそれら3つを「死の4」「死の13」「死の6」と呼んだ。


 死の4は女の姿をしていた。顔を覆うほどにその髪は長く、重く垂れ下がっている。時折簾のようなその髪の間から覗くその目は酷く病んで、落ち窪んでいる。しかしその瞳は鈍く、しかし爛々らんらんとこちらを見つめてくるのだった。

 その墓地には女の死体が多く埋まっている。女共の死はそれぞれ多様だが、多くの共通点があった。裏切り、嫉妬・憎悪の対象、尊厳の剥奪・破壊。つまりはこの墓地の女共は自らを死に追いやるほど追い詰めた者への憎悪を懐いて死んだのだった。「いつかあの畜生共に報いを。必罰の二文字を」と死の間際までその瞳を憎悪の炎で輝かせたのだった。

 

 かくして死の神「4」は生まれたのだった。憎悪渦巻く墓地にぞるり、と。そして生きながら同じ憎悪を懐く女共の神にもなった。必罰を招く、因果を成した穢らわしい男や女共に惨く、おぞましい死をもたらし続けた。

 寝静まった男の枕に現われ、呪詛の言葉を吐き、その肉体を決して治らぬ病の温床に作り替える。

 色欲と男に狂い、他の女を食い漁る女には身の周りの男共に「その女を独占せよ」と囁き、争奪を招いた。その果てにその女は身も心も身の周りの男も破壊され、うわごとを抜かすだけの呆けと化したという。

 死の4にとって死は警句けいくであった。自らの死を味わった者を指差し「こうはなるな」と。「必罰を招くな」と。死の4は死と同時に復讐の神ともなった。

 

 しかし今や死の4の死は歪んでいる。死の4を崇拝する者は常に怒り狂い、「我の怒りは正統なる怒りなり」と唯々ただただ気にくわぬ者を貶め、りくする殺しの徒となってしまった。死の4もまた崇める彼らに答え、理不尽に自らの死をばらまいている。


そうしていつからか、死の4はまつろろわぬ神として人々に忌み嫌われ、その墓地に近づく者はほんの一握りとなった。




 死の13は男の姿をしていた。死の13は、元は人間であった。世の救済を祈る信仰の徒である司祭であったのだ。様々な者から人の身で在りながら崇められ、讃えられた彼はやがて己の欲も、情も捨ててしまったのだった。遂にはその顔を石膏で塗り固め表情すらも固めてしまい、ただ微笑みの感情のみを表す生きた石膏像に彼はなってしまった。救いの神になって果てたのだった。それは元にあったその信仰の神を押しのけるほどに強大であった。

 

 しかし救済の神となった彼ですら、自らの信徒の真の苦しみを除いてやれなかった。その苦しみとは「死」である。愛しき者との別離・喪失、自分の消失、大きな戦や罪深き者共に自らが殺められるやもしれぬ恐怖。戦や流行病、飢饉によって更に世の混乱が深まったことも相まって、それら全ての恐怖は、どんな教えを説いても拭えなかった。彼らに「生きたい」と思わせることは不可能だった。

 ゆえに彼は、「揺り籠」を作ったのだった。安寧の地。諍いも争いも起きぬ永久に平穏な優しい世界。しかしそこに至るには1つの条件があった。「死」である。死なねば行けぬように彼は作ったのだった。彼が新たに目指したものは死の克服では無く、死の受容であったのだ。死は恐怖の終わりでは無く、待望の救いの到来であると。彼が作った楽園への出発である、と。

 信徒は戸惑いつつも、その教えを信じ始めた。俗世は生き地獄である。もはやどんな死の教えであれ、俗世の法に比べれば全てが救いに見えたのだ。さらに我らが神はそこに確実たる居場所すら作り給うたのだ。信じてしまえ。「そこ」に至ってしまえ。


 そして信徒は次々に死んでいった。五月雨さみだれに祈り、五月雨さみだれに死んでいった。首を吊り、火に身を投げ、その身に刃を突き立てて死んでいった。死の覚悟無き者は彼と共に死んでいった者達の救いを祈り続けた。一意専心に、ひたすらひたすら。


しかし、死んだ者達はそこに至り、初めて知るのである。揺り籠の平穏の意味を。


 そこには何も無かった。何も、無かったのだ。完全なる無。ただの闇。

 情も欲も捨て、石膏になった彼にはとっくのとうに人らしさ等残っていなかったのだ。人が生きるために不可欠な欲を、争いの病巣であるとしか認識できなくなっていた。彼が考えた平穏無事とはつまりは虚無だったのだ。

 揺り籠に至った者達は彼らの神、つまり彼に向かって有らん限りの侮蔑ぶべつを叫んだが、その声は生者である彼には届かなかった。それは揺り籠で赤子が泣きいくら叫んでも自ら揺り籠の外には出られぬように、無為な行いであった。

 かくして彼はいつからか死の13と呼ばれる。もっとも敬虔けいけんに、もっとも無欲に聖なる死を人々に説き続けた。その石膏の死の神は自らが死の絶対なる救いに疑いを懐かず、ただただ象徴で在り続けた。

 

 しかし死の13の死は歪められた。かつては死の恐怖を受容するために死にたがっている者、死を避けられぬ者のみに教えは説かれていた。しかし彼らの信徒によって教えは「万物そう為すべし」と全てに遍く伝えられようとしている。「生など俗世などに意味は無い。死ね」と。人間性を手放せと。その教えの元に他人を殺める信徒も現われた。しかしもの言わぬ石膏はそれを治めることも諫めることもせず、沈黙し続けた。もはや死の13にとっても俗世は意味の無いものだったからだ。


 そうしていつからか、死の13はまつろろわぬ神として人々に忌み嫌われ、彼の教会に近づく者はほんの一握りとなった。




 やがて死の4と死の13のそれぞれの信仰はぶつかった。互いに互いの死を侮蔑し、自らの死によって辱めた。死の4の信徒は未来永劫の虚無に幽閉され、死の13の信徒は揺り籠に至ることのできない惨い死を刻み込まれた。互いに互いの死を許せず、そしてその死を規定する生き方すらも愚弄しあった。そうして正しく死ぬことのできなかった死体が山と積み上がり、彼らの戦の場となった町や村は死山血河しざんけつがの修羅の地となって果てた。




 そんな戦場跡の1つに神が生じた。死体の山の中に生まれた。その神は白無垢の少年の姿であった。少年の神は山に向かい狩りをした。狩った猪や鹿を食らい、川水を飲む。やがて腹の調子が悪くなると野原で用を足した。そして眠りにつく。明くる日もまた狩りをした。すると山の中で女と出会った。

「あなた名前は?」

 少年の神は戸惑った。

「うあ? ううあう」

「言葉がきけないの?」

「えうう。うう、あう」

「家においで、着るものをあげるだけの優しさは私も持ち合わせているわ」

 

 少年の神は女についていく。ずたぼろの服を纏った女はどうやら戦で町を追われたようだった。使われていない山小屋で暮らしている。

「これは男の人の服で私には大きすぎたから」

 手渡された服は狩人が着ていたものだろう。確かにその女にはサイズが合っていなかった。

「ああうい、うああ」

 少年の神は服を着るという未知の感覚を楽しんだようだった。布が肌に当たる感触や服の形を触って確かめはしゃいでいる。

「よかった、喜んでもらえて」

 女もはしゃぐ少年を見て喜ぶ。

「ねえ君。言葉を教えてあげる」




「……今日もたくさん考え事をしたんだ」

「へえ、聞かせて」

 あれから一年が過ぎ、少年の神は青年にまで姿が成長し、女と同じくらいの歳の姿になった。女との共同生活は続いた。言葉を青年となった神は学び、それ以外にも狩猟や農耕、家畜の放牧も生活の中で学び、夜には女と肌を重ね合わせることも学んだ。それら全てを大いに楽しみ、寝物語にそこで学んだことを女に聞かせるのだった。

「君は人じゃ無いんだね。君は一体なあに?」

「分からない。僕はきっと何かを体験するために生まれたんだと思う。その何かをあなたと体験できた。その何かをいつか言葉にして僕は帰らなければならないんだと思うんだ」

 

 そう言って神は旅に出た。いつかきっと必ず帰ってくると、女に言って。

 

 そして神は戦場跡に帰った。生まれ故郷に。今も尚、正しい死に至れなかった怨霊はさまよい、怨嗟の声を上げている。

「惨たらしき応報こそ死の正道なり」

「神の国への出発こそ死の正道なり」

 今も尚、互いに互いの死を侮蔑している。

「違う。断じて違うぞ」

 神はそんな怨霊に語る。


「死とは、絶対応報の報いでも完全平穏への旅立ちでも無い。死は生の謳歌の結果だ。僕が体験したように、飯を食い、糞をして、眠り、時折誰かを抱く。その本能の循環を楽しく、愛しく感じる。いつまでもこの時があれば良いのにと死があるからこそ思う。終わりがあるからこそ感じる。僕は心から楽しみ、しかし心から悲しんでいる。僕の大好きなあの人はいつか死んでしまうからだ。だがだからこそ生は輝いて美しいのだ。生きていたいと思うのだ。どうしようもなく逃れられない死があるからこそ我々は残された生を慈しむのだ。本能への慈しみだ」


 神は死体の山に身を預け、抱きしめた。歪んだ死の塊を。身を穢されるやもしれぬ不浄の塊を抱いたのだ。その抱きしめによって怨霊達は神の中にあるこれまでの生を垣間見たのだろうか、もしくは修羅の巷と化した自分達の戦を恥じたのだろうか。少しずつ侮蔑の声は止み、すすり泣きが聞こえ始めた。その哀しみをただただ神は聞き届け、抱きしめるのだった。


 


 その後、神は約束通り女の元に帰還した。そして女が死ぬまで添い遂げ、農場や牧場をさらに巨大にしていった。


 


 いつからかその山を訪れる人々をその神はもてなした。飯を食わせ、寝床を与えた。そんな彼を人々は山の神だといって崇め始めた。

 しかし神は一切の信仰を拒絶した。

「僕には愛し、愛された人がいるから。君達の神にはなれないよ」

 にこやかに語る彼に人々は。

「しかしお名前だけでも……!」

 すると神は答えた。


「じゃあ……僕は死の6だ。皆、よく食べてよく眠って満足に死ぬんだぞ。人生は一度きりだから」

 

 


 6は人々にとって「獣の数字」であった。獣の本能を穢れと呼ぶ時代もあったという。しかし死の6はその本能を。生の喜びを。死をもって知り、なによりも尊ぶのだった。

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