不幸せどり

kgin

第1話 不幸せどり


 お察しの通り、佐藤來夢らいむは不幸な女である。

 

 生まれは平凡な母子家庭であった。ただし、子離れが出来ず娘に過干渉を繰り返す母親を除いてだ。粘着質な母をうとんじ、高校を卒業してすぐに実家を出た。そのとき來夢は確かに不幸から脱却した、と思ったのだ。


 しかしながら、やはり來夢は不幸だった。

 

 バイト先のコンビニではセクハラに曝され、愛車は駐車場でぶつけられて廃車になった。さらには付き合った男に騙されて散々な目に遭った。終いには、噂好きの同僚にうっかり口を滑らせてしまった失恋話が次の日にはSNSに勝手に投稿されて……物の見事にバズっていた。自分の不幸を利用して有名になった同僚に腹立たしく思わなかったわけではない。また、自らを「やはり不幸だ」と思わなかったわけでもない。それ以上に來夢の心を支配したのは、不幸に需要があるという事実である。


 『不幸せどり』は、そんな來夢だからこそ思いついたビジネスであると言える。


 せどりというのは所謂転売のことだ。転売と言うと聞こえは悪いが、「安く買って高く売る」というのは商売の基本である。仕入れをして値付けをし、販売する。來夢はそれを、フリマアプリを使ってやっている。せどりを始めて半年。來夢のフリマショップ『メシウマ商店』と言えば、既にSNSでもそれなりに知られた存在となっていた。それが証拠に、來夢に連絡を寄越す者は後を絶たない。純利益もそこそこある。仕入れの手間や購入者との値引き交渉など面倒なことも多いが、來夢はこのビジネスに手応えを感じていた。



 ある日のバイト帰り、仕入れをするために待ち合わせ場所のコーヒーショップに着いた來夢は溜め息をついた。通り雨が過ぎて一気に冷え込んだ気候を反映しているかのように、店内はしっとりと静んで見える。目印のライムグリーンのジャケットを見ても誰も声をかけてこないところを見ると、まだ相手は来ていないようだ。期間限定のきなこ豆乳オレを買って窓際の席に着く。既に約束の時刻を十五分過ぎていた。“人生×ゲーム”などというしみったれたアカウント名なのだ、どうせ碌な奴ではないのだろう。來夢は自分のことを棚に上げて思った。


「すんません。“ライム”さんですか?『メシウマ商店』の……」

 唐突に声をかけられて振り向くと、スーツ姿の男が申し訳なさそうに笑って立っていた。

「そうやけど」

「あ、やっぱり。俺、“人生×ゲーム”です。遅うなってすんません」

 帰り際に上司に捕まってしもて、と男は頭を下げた。

「別に、気にしてへんから。早う座って」

 來夢が言うと男はようやく腰を下ろした。外は肌寒いほどなのに汗をかいて前髪が額に貼り付いていた。年は三十路くらいだろうか。図体の割に童顔だ。笑った顔は不器用そうだった。

「いや、実は不安やったんです。ほんまに不幸話なんて買い取ってくれるんかなと思て。その上着見てほっとしましたよ。ちゃんと来てくれとる、と思て」

「まあ、そう思われてもしゃあないな」

 少し冷めたきなこ豆乳オレを啜りながら來夢は答えた。表情は同じくらい冷めていた。対して目の前の男は、好奇心半分、疑い半分という表情をしている。言いたいことはわかる。「不幸話なんか買って商売になるか」と言いたいのだろう。(仕入れ先の連中はこうやって他人の心配ばかりしている。)大きなお世話だった。実際、來夢から不幸話を買っていった顧客は数知れず。不幸ネタで同情買ってバズりたい奴、動画でディスって炎上させたい奴、嫌いなヤツの不幸ネタ買ってざまあみろと喜んでいる奴もいた。「他人の不幸は蜜の味」とはよく言ったものだった。


「で、×ゲームさんはどんな不幸を売ってくれるん?」

 來夢はボイスレコーダーアプリを立ち上げて、録音ボタンを押した。不幸話の音声データや動画、写真などをセットにして販売するのが來夢のやり口だ。少し息をついた男は汗をかいたアイスコーヒーをひと飲みする。

「ああ……今年九十になるウチの祖母のことなんですけど」

「……」

「年やから体もガタが来とるし、認知症も進んどって。退職した両親が自宅で介護しよるんですけど……」

「ええやん。施設に放り込まれてほっとかれるよりマシや」

「まあそうかもしれんけど……とにかくウチに来てもろたらわかるんで」

 話半分で聞きながら適当にメモを取っていた來夢は、男の思い詰めた声色に顔を上げた。年の割に幼げな頬が震えているのは憤りのためだろうか。これは、何かある。商人特有の嗅覚を以てそう直感した來夢は、男の家を訪れることに決めた。



 男の家は郊外の一戸建てだった。実家なのだろう。表札に「佐藤」とあるのを見て、來夢は勝手に親近感を覚えた。人生×ゲーム改め佐藤という男に連れられて家の裏口へと回る。

「こんなとこから入ってええん?」

 と小声で言うのに応えず、佐藤は鍵を開けた。革靴をそっと手に持つ佐藤に倣って、來夢もキャンバス地の厚底スニーカーを持って家に上がる。狭い廊下。ドアの向こうからテレビの音が聞こえる。泥棒のように足音を忍ばせながら着いていくと、どん詰まりの和室に通された。仏壇の間に雑然と布団が敷かれた十畳ほどの部屋は佐藤の私室らしかった。

「靴、その辺に置いてくれたらええんで」

 灯りをつけず薄暗い中、佐藤はまだ声を潜めていた。

「両親にバレたらウチのいつもの様子がわからんと思うたんで、こっそり入りました。隣が祖母の部屋です」

「このまま黙っとったらええのん」

「はい、もうすぐおむつ替えの時間やから、両親が入って来るはず」

 そう言って座布団を差し出す佐藤に勧められるがままに來夢は腰を下ろした。そうして何分たっただろうか。薄暗さに目が慣れてきた頃、襖が開く摩擦音がした。顔を上げると、佐藤と目が合う。目配せをされて、ボイスレコーダーアプリを準備した。電灯の紐を引くバツンバツンという音の後、欄間から光が漏れた。ぼそぼそと夫婦らしい小声が聞こえる。


「あーあー、またうんちしとる。くさあ」

「ほんまや。ちょっと、お尻ふきと新しいおむつ取って」

「はい。おむつがなんぼあっても足りんなあ」

「困ったなあ。今月分、もう使い切ったで」

「いつまでこんなんが続くんやろうか」

「ああ、早く解放されたいけど」

「早う死んでくれないかいな」


 來夢は一瞬息を呑んだ。そういうことか、と思った次の瞬間、商人の顔に戻っていた。エグい。確かにエグいネタだ。けれどもそれほど非凡な話でもない。この程度の不幸ならありふれているように思えた。これは悲壮な老婆の面影でもカメラに収めておかないと取れ高がないなあと考えを巡らせる。隣室は無言で衣擦れの音や粘着テープの音ばかり。そしてそこにいるであろう老婆に声をかけることもなく、襖を開け閉めする音がして二人の足音が遠ざかっていった。

「わかりました?毎日こんな調子なんですよ」

 佐藤の声に、ハッと我に返った。消し忘れたであろう隣室の灯りがぼうっと佐藤の表情を浮かび上がらせる。

「祖母は耳、遠いから、この話は聞こえてへんと思います。でも、聞こえてへんとは言うて、家族にこないに言われて嫌々介護されとる祖母が不憫でならんくて……」

 佐藤の声は震えていた。俺、ばあちゃん子なんですよ、と目元を拭う。

「今回買い取ってほしい不幸ってのは、おばあちゃんの事なんやな?」

「そうです、そうです」

「不幸なんは、おばあちゃん自身なんやね?」

 來夢は念を押した。

「はい」

「そうしたら……できたらおばあちゃんの写真データがほしい」

 佐藤は黙って頷いた。立ち上がって、静かに襖を開ける。一気に視界が明るくなった。糞尿の生々しい臭いがする。思いの外整然とした部屋には古ぼけた木製のベッドが置かれていて、その上に布団がこんもりとしている。

「ばあちゃん、ただいま」

 近づいて声をかける佐藤に着いていくと、そこでは萎びたように小さなかわいらしい老婆がすやすやと寝ていた。來夢は思ったより穏やかなその寝顔を数枚、スマホで写真に収めた。佐藤は老婆の肩をトントンと叩く。すると、目元をしょぼつかせた老婆がゆっくりと目を開けた。

「ああ、帰って来たんか。今日も遅いな」

「遅うないよ、ばあちゃん。今日はいつもより早いよ」

聞こえてないであろう老婆の耳元で、佐藤は優しく話しかける。老婆はふと、気づいたように來夢の方を見た。

「どなたかいな」

「ばあちゃんのお見舞いに来てくれたんやで」

 老婆は不思議そうに來夢をじっと見た。白く濁った瞳だ。ぺこりとお辞儀すると、老婆はほう、と一人得心した様子だった。

「そうかそうか」

「よかったなあ、ばあちゃん」

「ほんまに……見舞いにも来てもらえるし、孫にはよう面倒みてもらえるし……」

「……」

「ほんまに……幸せもんじゃ。いつ死んでもいいわ」

 そう言って老婆は少女のようににっこりと微笑んだ。その笑顔が來夢に突き刺さった。直視できなくて、來夢は佐藤の背中越しに数枚、写真を撮った。このデータは使えないな、と思いながら。



 佐藤家を辞した來夢は自宅に帰ってきた。一人きりのワンルームは泣いた後のように湿っていた。ベッドに座っていつものように出品作業を始める。『メシウマ商店』の出品ページ、商品名に「不幸なばあちゃん」と打ち込む。説明文を書いて写真を添付した。画像加工するために写真をアップにする。写真の中の佐藤のおばあちゃんは、穏やかに眠っていた。その寝顔をじっと見つめた。しばらく考えて、商品名を消した。親指がスマホの液晶の上を行ったり来たりする。


「何が不幸や……」


 もう一度佐藤のおばあちゃんの寝顔を見て、写真ごと商品データの下書きを消去した。ボイスレコーダーの音声データも全て消した。不幸とは何であるのか、自分の物差しが間違えているような気がした。スマホを枕元に放り捨てて、思い切りベッドに寝転がった。されども天井を見上げる來夢の表情は晴れやかだった。





<了>

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