シレネ・カロリニアナ・ピンクパンサー

改淀川大新(旧筆名: 淀川 大 )

シレネ・カロリニアナ・ピンクパンサー

 前回はあぶないところだった。警察の罠にハマった俺は逮捕現場のどさくさに紛れて何とか逃げる事ができた。


 逃亡者となってしまった俺が最初にやらなければならいことは一つ。逃走資金の確保だ。


 俺は逃げ込んだ住宅街を巡りながら家々を物色して回った。


 強盗が専門の俺だが、こういう場合に「居空き」はマズい。住人が在宅中の侵入窃盗は時間がかかるし、住人と鉢合わせたり住人に発見されたりしたら強盗に切り替えなければならない。俺は人を傷つけたり殺したりしないプロの強盗を自負しているので、この状況で仕事をしても事態が悪くなる事は明白だ。今は逃げきることが最優先。こういう場合は住人不在の住居を狙う「空き巣」に限る。仕事も早く済むうえにリスクも少ない。


 近頃多い塀が無い家や塀が低い家は狙わない。外から丸見えでは仕事ができないからだ。いかにも中間所得層が無理して頑張って建てたような中途半端な豪邸も狙わない。そんな家には金が無い。立派な門構えと高級外車が停まっているような豪邸も無視だ。そんな家はセキュリティーが万全。すぐに警備会社か警察がすっとんでくる。


 高めの生垣に囲まれた適度な広さの少し古い庶民的な家。屋根までが高くて窓が小さく、プライバシーが守られた今風の新しい二階建ての家に三方を囲まれていて、あまりご近所付き合いも無さそうな家、そんな家が俺のお気に入り。これで住人不在なら、まさに「お気に入りのアキ」だ。狙わない手はない。


 そんな家を俺は見つけた。想定より奥まっていて、庭の木はどれも高く成長し茂っている。敷地全体が暗くなってしまっていて、通行人も自然と視線を向けようとしない。


 俺は個人的には澄んだ青い空が好きだ。だから、それが見えないほど緑に囲まれた森とか狭い敷地に高価な木々が何本も植えてあるために地面に光が射さない庭とかは嫌いだ。今日のように空は青くきれいな方がいい。


 でも、仕事をする時は、こういう暗く湿った所の方がいい。こういう所には人が近寄りにくいし、住人も一度出掛けると暫く返ってこない傾向が強いからだ。


 俺はその家の状況をさり気なく観察してみた。ポストに郵便物は溜まっていない。ここから見る限り電気のメーターは回っている。西側の駐車場はからだ。そこから家の前の車道脇の白線の上にタイヤの跡が残っているから、車が出ていって間もないのだろう。これだけ日当たりが悪い家なのに、家の中に電気が点いている様子はない。


 その家の前の道路を数往復した俺は玄関に向かい、古く傷んだドアをノックしてみた。返事は無い。ドアノブを回してみる。開いた。チェーンも掛けられていなかった。


 俺は頭を玄関の中に少し入れて、大きな声で言った。


「すみませーん、どなたかいらっしゃいませんかあ。水道の修理に伺いましたあ」


 返事はなかった。俺は思った。


 だ。


 俺は一度周囲の視線を確認してから玄関の中に入りドアを閉めた。


 下駄箱の上に置いてある白い植木鉢には小さな紫色の花がたくさん咲いていた。その植木鉢に刺してあるプレートには「ピンクパンサー」と書いてある。俺はそれを見てニヤリと笑った。


 家の中に上がり、まずトイレ、次に脱衣所を見て人の不在を確認した。在宅中でも来客の呼びかけに応えない場合、ここに居る事が多い。次にリビングと台所に向かう。誰もいない。水仕事やテレビの音で来客に気付かなかったという事も無かった。あとは寝室で昼寝中なんて事さえ無ければ、この家は住人不在が確定だ。今日の俺はツいている!


 俺が寝室に向かっていると、玄関で物音がした。俺は動きを止めて音を消した。


 玄関から声がする。


「こんにちは。お電話いただきました水道工事店の者です。こんにちは。いらっしゃいませんか?」


 暫く待って、その男は靴を脱いで中に上がってきた。まさか、同業者か?


 結局、目を付ける家は皆同じという事か。俺は片笑みながら肩の力を抜いた。


 すると、トイレのドアと風呂場の脱衣所のドアを開ける音がした。手順もやはり同じだ。呆れて思わずクスリと笑ってしまう。


「おーい、木之下、居るかあ。水漏れ修理にいつまでかかっているんだ。スマホに何度も……」


 浴室の扉を開ける音がしてすぐに男の悲鳴が聞こえた。俺も驚いて廊下を覗くと、ドタドタと音がしたあと、腰を抜かした作業着姿の男が脱衣所から廊下に這い出てきた。俺に気付いた男は、俺を指差して言う。


「ひ、ひ、人殺し!」


 その男の背後には血まみれの雨合羽を着た若い男が立っていて、斧を振り上げている。


「僕のパパとママは水道工事の業者を装った泥棒に殺されたんだ。すぐに来なかった工事業者のせいだ。みんな死んじゃえ!」


「ぎゃああ」


 俺は作業着の男の悲鳴を背中で聞きながら、縁側の方へと走った。サッシの鍵が開けられない。全て溶接されている。窓に斧を振り上げて近づいてくる雨合羽姿が映っている。その向こうの庭の木々の隙間から空が見えた。俺のお気に入りの空が……。


 了

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シレネ・カロリニアナ・ピンクパンサー 改淀川大新(旧筆名: 淀川 大 ) @Hiroshi-Yodokawa

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