第四話 暁を奔る

(前段略)

 

 親友の田中与四郎が、およそ一年間の西国への遊学を終え、松本藩に帰国したのは、安政六年の秋のことだった。


「また随分と背丈を伸ばしたじゃないか」

 

 辻新次郎は、一年の旅の間にいちだんと体格を増した友の雄姿を見上げて、目をまん丸にした。二人はともに十八歳である。

 

 与四郎は土居尻町にある金丸道場で、道場主の金丸曽門に帰国の報告を済ますと、新次郎と連れ立って表を歩いた。城の北側の濠端をいく人影はまばらで、頂を雪で白くした西方の山から吹きおろす風が、二人の背をひんやりとさせた。二人は武家の子らしく、背筋を伸ばし胸を張って、堂々と歩いた。袴の裾が風にひらひらと靡いた。


「伸ばしたのは背丈だけじゃないぜ」

 

 与四郎は旅空の下で日焼けした丸顔をにんまりとさせて言った。


伯耆ほうき流居合術を修めたそうだな」

 新次郎は与四郎を振り返って問うた。

「ああ、防州の岩国藩まで足を伸ばしてみた」

 与四郎は新次郎の先に歩を進めて答えた。胸を張った。

 

 伯耆流居合術は、片山伯耆守久安によって開かれた。片山久安は、関白、豊臣秀次を指南し、その名声は高く、慶長十五年には、後陽成天皇の御前でその腕前を披露した折、帝のおぼえもめでたく、従五位下、伯耆守に叙任されたと伝えられる。その後伯耆流は片山流ともいって、防州の吉川家の庇護のもとに、岩国藩に根付いた流派だった。


「それで、足を伸ばした甲斐があったのか」

「ああ、その甲斐があった」

 

 与四郎は定心流の金丸道場はじまって以来の俊才といわれ、剣の品格において、若輩ながら藩内の五指に数えられるほどの剣士だった。一方で、辻新次郎は、藩主自ら創設した崇教館そうきょうかんで首席を争う秀才として将来を嘱望されている。二人は家柄も違えば、目指す道もたがえてはいるが、妙に昔から馬があった。


「新次郎。伯耆流はなあ、竹刀打ち込み稽古をせんのだ」

 と与四郎はいった。

「ほう、それはまたどうしてだ」

 新次郎は首をひねった。

 

 黒船の来航いらい、国の内外の情勢が急を告げてきた昨今、武家の子弟の間で武術への関心は高まるばかりだった。竹刀打ち込み稽古はその扇情の華と言えた。


「伯耆流の居合の形にはな、太平を祈願する思想が含まれている。だから竹刀や防具は戦乱を象徴する物として忌避する考え方なのだ。俺はこの考え方に触れたとき、めしいを啓かれたような気になった」

 

 そう話す与四郎の顔は、日に染めて凛としている。もともとが円らな瞳をさらに丸くして、目元を嬉々と輝かせている。

「俺は貧乏で子沢山の軽輩の家柄で、剣より生きる道は他にないのだ」

 そう言って、風雲急を告げる時勢を前にして、目元を逞しくして旅立っていった青年剣士の、ぎらぎらとした面影はもうそこになかった。

 

 旅は人を成長させる。新次郎はそう思った。


「おい与四郎、山辺の湯にでも浸かりにいかんか。旅の垢を落とすがいい」

 新次郎は、先をいく与四郎の逞しい背に、そう声をかけた。


(後段略)

 

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酔剣 たいやきまん @taiyakiman3

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