エピローグ

 数年後 とある港




 アンは、船を探していた。

 どこか遠くへ向かうための船。

 しかし、それほど大きくはない船を。


 港を散策していると、一つの小さな船に目が留まった。

 いや、船ではない。

 そこに乗っている人物に。


「……貴方は……」


 彼女が見た人物は――。


「……久しぶりだな」

「…………一ノ宮王人……!」


 アンは、どうしても彼に尋ねたいことがあった。

 本来の目的を見失い、もうそれを聞くことしか考えていなかった。


「……どうしました?」


 アンの後ろから、別の声が聞こえてきた。


「な……何で……貴方たちがこんなところに……」

「アンさん……久しぶりですね」


 彼女は、ジョシュア・レイニースール。

 

アンは、もうずっと二人のことを探していた。

 しかし、全く足取りが掴めずにいた。

 なのに――。


「貴方たち、一体……」

「ま、乗れよ。遠くまで連れてってやるぜ?」



 アンは断らなかった。

 王人の言うままに、ジョシュアと共に彼女は船に乗り込んだ。


「……聞かせて。あの時……何があったのか」

「そうだなぁ……まあ、その前にさ、何で俺たちが姿を消したかの方が聞きたくないか?」

「……そうね。どうせそれも聞きたいから、そっちから教えてもらえるかしら?」


 運転しながら王人は微笑んだ。


「……俺たちは、『愛の逃避行』って奴をしたのさ」

「は?」


 アンは唖然とした。

 思いもがけない解答だったからだ。


「いやいやいやいや! 意味わからないわ!」

「私たち、愛し合っているんです!」

「いやいやいやいや! そういうことではなくて!」


 ジョシュアの言葉も意味がわからない。

 アンは、激しく混乱した。

 なおも船はどこかへと向かい続ける。



「私は……愛することがどういうことかわからないんです」


 ジョシュアは一旦落ち着いて語りだした。


「誰かの目線が怖い……声が怖い……手が、足が、髪が、口が、耳が。……私は……本当は他人の全てが怖かったんです。だから……『愛する』と言ってくれた人を拒絶してしまった……」


 アンは彼女の言葉にじっくりと耳を澄ませていた。


「『どうでもいい』と思うふりをして、本当はただ怖かった。本当は死にたくなかった。愛されたかった。その筈なのに……私は自分に嘘を吐いて……何も言えずに……」


 ジョシュアは涙を流し始めた。


「それはもしかして……七月柚絵のことかしら?」


 ジョシュアは頷いた。


「私は、エイデン・マクスウェルの手紙に違和感を持っていた。何故なら、彼の手紙に書かれていることで、唯一の『誤り』があることに気付いたからよ。それは……謝る相手が違うのではないかということ。紫龍園の闇が晴れていくにつれ、本当の意味で『奴隷』だった平民出身の『非籍民』の実態が露わになった。彼らは貴族に……人間扱いされていなかった。七月は平民出身。だから……謝る相手は、彼女だけではないはずだと思ったの」

「……マクスウェル氏の双子の娘は、確かに工作員としての人生を強制されていた。だが、彼女らよりも虐げられている人間がいたんだ……。ジョシュアのように……」


 アンは納得がいった。

 七月の本当の目的が、誰かの為だということはわかっていた。


「七月は……貴女を守るために州議会に従ったの?」

「……彼女と出会ってから、体罰が減りました。唯一受けたのは、双子を逃がした時だけ。……もしかしたら、七月柚絵が私を守っていたのかもしれませんね……。でも、もうわかりません……。私には……愛がわからないんです……」


 ジョシュアは目を伏せた。

 これまでずっと彼女の真意を考え続けていた。

 しかし、どうしても彼女が自分に本心から『愛情』を向けていたとは信じられなかった。

 だからこそ――。


「だからこそ、俺と逃避行したのさ」

「……いや、何故かしら?」


 その問いにはジョシュアが答える。


「『俺が愛を教えてやる』って言われました」

「うわぁ……」

「『うわぁ』ってなんだよ!」

「そうですよ! カッコいいじゃないですか!」


 アンは二人の勢いに押されそうになった。


「はぁ……まあ、別に何でもいいわ。それで? 『愛』とやらは教えられそうなのかしら?」

「ぐ……!」

「う……!」


 二人は共にグサリと胸に言葉を刺された。


「……そもそも、逃避行する理由は? 心配したわよ?」

「いや、『愛』と言えば『逃避行』だろ?」

「わたくしには到底理解出来ない論理だわ……」

「一つ! 逃避行するということは二人きりになるということだ! 二つ! 二人きりならば愛が生まれるものだ! よって三つで締めくくる……俺たちは愛し合えるということだ!」

「オートさん!」


 ジョシュアの目は輝いている。

 アンは呆れを通り越して溜息を吐いた。


「前提がおかしいでしょ……貴方馬鹿になってない? ……ってあれ? 今貴女、『オートさん』って……」

「はい! 呼び方変えてみました!」

「俺もジョシュアって呼ぶことにした。実は七月の付けた名前らしいぜ」

「いや、まあ……好きにしたら?」


 二人のテンションにアンはついていけなくなりかけていた。

 船はなおも海の上を走り続ける。



「……ところで、この船どこに向かっているのかしら?」

「水平線の向こうまで!」

「どこまでも!」


 アンは、今日最大の溜息を吐いた。

 しかし、その表情は晴れやかだった。

 今ならどこまででも行ける気がしていたからだ。

 どこまでも、どこまでも遠くへと。

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虚ろに潜む現実に 田無 竜 @numaou0195

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