エピローグ
数年後 とある港
アンは、船を探していた。
どこか遠くへ向かうための船。
しかし、それほど大きくはない船を。
港を散策していると、一つの小さな船に目が留まった。
いや、船ではない。
そこに乗っている人物に。
「……貴方は……」
彼女が見た人物は――。
「……久しぶりだな」
「…………一ノ宮王人……!」
アンは、どうしても彼に尋ねたいことがあった。
本来の目的を見失い、もうそれを聞くことしか考えていなかった。
「……どうしました?」
アンの後ろから、別の声が聞こえてきた。
「な……何で……貴方たちがこんなところに……」
「アンさん……久しぶりですね」
彼女は、ジョシュア・レイニースール。
アンは、もうずっと二人のことを探していた。
しかし、全く足取りが掴めずにいた。
なのに――。
「貴方たち、一体……」
「ま、乗れよ。遠くまで連れてってやるぜ?」
*
アンは断らなかった。
王人の言うままに、ジョシュアと共に彼女は船に乗り込んだ。
「……聞かせて。あの時……何があったのか」
「そうだなぁ……まあ、その前にさ、何で俺たちが姿を消したかの方が聞きたくないか?」
「……そうね。どうせそれも聞きたいから、そっちから教えてもらえるかしら?」
運転しながら王人は微笑んだ。
「……俺たちは、『愛の逃避行』って奴をしたのさ」
「は?」
アンは唖然とした。
思いもがけない解答だったからだ。
「いやいやいやいや! 意味わからないわ!」
「私たち、愛し合っているんです!」
「いやいやいやいや! そういうことではなくて!」
ジョシュアの言葉も意味がわからない。
アンは、激しく混乱した。
なおも船はどこかへと向かい続ける。
「私は……愛することがどういうことかわからないんです」
ジョシュアは一旦落ち着いて語りだした。
「誰かの目線が怖い……声が怖い……手が、足が、髪が、口が、耳が。……私は……本当は他人の全てが怖かったんです。だから……『愛する』と言ってくれた人を拒絶してしまった……」
アンは彼女の言葉にじっくりと耳を澄ませていた。
「『どうでもいい』と思うふりをして、本当はただ怖かった。本当は死にたくなかった。愛されたかった。その筈なのに……私は自分に嘘を吐いて……何も言えずに……」
ジョシュアは涙を流し始めた。
「それはもしかして……七月柚絵のことかしら?」
ジョシュアは頷いた。
「私は、エイデン・マクスウェルの手紙に違和感を持っていた。何故なら、彼の手紙に書かれていることで、唯一の『誤り』があることに気付いたからよ。それは……謝る相手が違うのではないかということ。紫龍園の闇が晴れていくにつれ、本当の意味で『奴隷』だった平民出身の『非籍民』の実態が露わになった。彼らは貴族に……人間扱いされていなかった。七月は平民出身。だから……謝る相手は、彼女だけではないはずだと思ったの」
「……マクスウェル氏の双子の娘は、確かに工作員としての人生を強制されていた。だが、彼女らよりも虐げられている人間がいたんだ……。ジョシュアのように……」
アンは納得がいった。
七月の本当の目的が、誰かの為だということはわかっていた。
「七月は……貴女を守るために州議会に従ったの?」
「……彼女と出会ってから、体罰が減りました。唯一受けたのは、双子を逃がした時だけ。……もしかしたら、七月柚絵が私を守っていたのかもしれませんね……。でも、もうわかりません……。私には……愛がわからないんです……」
ジョシュアは目を伏せた。
これまでずっと彼女の真意を考え続けていた。
しかし、どうしても彼女が自分に本心から『愛情』を向けていたとは信じられなかった。
だからこそ――。
「だからこそ、俺と逃避行したのさ」
「……いや、何故かしら?」
その問いにはジョシュアが答える。
「『俺が愛を教えてやる』って言われました」
「うわぁ……」
「『うわぁ』ってなんだよ!」
「そうですよ! カッコいいじゃないですか!」
アンは二人の勢いに押されそうになった。
「はぁ……まあ、別に何でもいいわ。それで? 『愛』とやらは教えられそうなのかしら?」
「ぐ……!」
「う……!」
二人は共にグサリと胸に言葉を刺された。
「……そもそも、逃避行する理由は? 心配したわよ?」
「いや、『愛』と言えば『逃避行』だろ?」
「わたくしには到底理解出来ない論理だわ……」
「一つ! 逃避行するということは二人きりになるということだ! 二つ! 二人きりならば愛が生まれるものだ! よって三つで締めくくる……俺たちは愛し合えるということだ!」
「オートさん!」
ジョシュアの目は輝いている。
アンは呆れを通り越して溜息を吐いた。
「前提がおかしいでしょ……貴方馬鹿になってない? ……ってあれ? 今貴女、『オートさん』って……」
「はい! 呼び方変えてみました!」
「俺もジョシュアって呼ぶことにした。実は七月の付けた名前らしいぜ」
「いや、まあ……好きにしたら?」
二人のテンションにアンはついていけなくなりかけていた。
船はなおも海の上を走り続ける。
「……ところで、この船どこに向かっているのかしら?」
「水平線の向こうまで!」
「どこまでも!」
アンは、今日最大の溜息を吐いた。
しかし、その表情は晴れやかだった。
今ならどこまででも行ける気がしていたからだ。
どこまでも、どこまでも遠くへと。
虚ろに潜む現実に 田無 竜 @numaou0195
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