真実

 キランゲ岬 




 ジョシュアの話を聞いて、王人は事件の全容を理解した。

 全ては、ジョシュアの為にと行動した七月柚絵の暴走だった。

 だが、王人はジョシュアも知らないことを一つだけ知っていた。


「……これが、私の全てです」

「……ジョシュ」


 ジョシュアは、自分が今どういう表情をしているかがわからなかった。

 笑っているのか。

 それとも泣いているのか。

 だが、目の前の王人の表情はわかる。

 彼は――泣いていた。


「アルジ……?」

「違う……違うんだ……ジョシュ……それは違うんだよ……」

「何が……違うって言うんですか……?」

「七月は……アイツは……昔言っていたんだ……。自分には……たった一人の家族がいるって……でも……離れ離れになったって……」


 ジョシュアは激しく動揺した。

 そんなことはあり得ない。

 今更……あり得てはいけなかった。


「……な……! そ、そんなはず……そんなはずない! 私は! ずっと一人だった! 家族なんていない! 彼女が勘違いしているだけ! あり得ない! あり得ない! あり得るはずが――」

「違うんだよ、ジョシュ……そういうことじゃないんだ……。催眠術は……自分自身には掛けられないんだ」

「え……?」


 そんな話は、聞いたことが無かった。

 どうして今更、そんなことを知らなければならないのか。

 もう何も、わからなかった。


「もう……お前がアイツと家族だったのかどうかはわからない……。でも、一つだけ言えるのは……アイツは……愛する一人の命を守るためなら……そいつが幸せな人生を送れるのなら……何でもしちまう馬鹿だったってことだけだ……」


 王人は歯を食いしばっていた。

 ジョシュアはそんな王人の姿を見て、何も言えず、唇を噛み締めることしか出来ない。

 もう戻らない時間が、ただただ過ぎていくだけだった。



 数日後 州議会所




 万丈玄二は、『議会法廷』で起きた騒動の後始末をしていた。

 彼は、アンの身にもしものことが遭った時、すぐに駆け付けるつもりではいた。

 しかし、流石に議会法廷の最中に発砲事件が起きるなどとは想像のしようがない。

 彼は己の無力感を抱きながら仕事にとりかかっていた。


「こんにちは、万丈警部」


 議会所に入ろうとした時、彼に声を掛ける人物が現れた。


「アン……か」

「浮かない顔をしているわね。徹夜続きなのかしら?」


 アンは万丈が無力感を抱いていることに気付いていない。

 万丈は彼女の姿を見て安心したのか、軽く溜息を吐いた。


「もう大丈夫なのか?」

「あら? わたくしは別に怪我していませんわよ?」

「……心の話だ」

「……まあ、穏やかでないですわね。でも……わたくしは一人ではないから」


 そう、彼女にはマルクがいた。

 彼の存在が彼女のことを救っていた。

 それに対して、万丈は何もしてやれない自分自身を責めたくなっていた。


「……一つ、お前に言わなくてはならないことがある」

「? 何ですの?」

「久間凛座についてだ。奴が何者かわかった」

「……!」


 万丈は、アンの護衛を外れてから独自に久間について調べていた。

 それだけで十分何もしてやれなかったとは言えないはずなのだが、彼は自分を責めることを止めなかった。


「あの男は……鏑木家に関係する人間ではなかった」

「え……?」

「だが、鏑木家のことはよく知っていた。あの男は、鏑木才人の祖父・鏑木才蔵によって催眠術を掛けられた『非籍民』だったんだ」

「……つまり、七月柚絵とは別の方法で駒として利用された人物だったと……?」

「最初は……そうだった」

「『最初は』?」

「鏑木才蔵は、『自己愛』を糧に催眠術を使う悪党だった。だが……自分と同じタイプの催眠術師を作ろうとしたことが間違いだったんだ。……催眠術で、『愛情』を操ることは出来なかった……」


 催眠術は、『愛情』を糧に使うことのできる力だった。

 そのため、力の源泉である『愛情』を誤魔化すことは出来ないようになっていたのだ。

 万丈は、事件後鏑木家を調べることでその事実を突き止めた。


「では……久間は何故催眠術を使えたというの?」

「……違う。あの男は催眠術師ではなかった」

「え?」


 アンは呆然とした。

 久間が催眠術師ではない可能性は、完全に理解の外だった。


「あの男は、自分を催眠術師だと思い込んでしまったんだ。そして、その力の源泉をお前への『愛情』だと思い込んだ。だが実際は……何の力も無い、ただの人間だったんだ。」

「そんな馬鹿な……。そ、それじゃあ、オジサマとオバサマはどうやって……」

「七月の仕業だ」

「な……!」

「七月は、『怪死事件』を調べてようとしたオーバーン夫妻、そしてマルクを殺すつもりだったんだ。彼女は四年前の事件から完全に暴走していた。州議会の指示に従うこともなく、ただ自分の起こした事件を調べようとする者を排除していた。その動機は……残念ながらわからない。久間は七月に罪を被せられた。だが、これは私の想像だが、恐らく久間自身がそれを望んだのだろう。自分の催眠術で人を殺したとお前に伝えて、反応を見たかったんだ。『愛情』の形が、鏑木才蔵の催眠術の所為で歪まされていたから……」


 拳銃を使ったのが七月なら全ての矛盾は解消される。

 拳銃の持ち込みも、久間の侵入も、証拠の隠滅も、彼女が催眠術を使ったのなら説明できる。

 発砲音を鳴らしたレコーダーは、七月が所有していたのだ。


「結局……あの男も催眠術師に狂わされただけの可哀想な人だったのかもしれないわね……。でも、七月は……どうしてマルクを殺さなかったの?」

「……」

「万丈警部?」


 万丈は、『第四の事件』の真相を掴んでいた。

 そして、更に彼の独自の調査で、もう少し先の真実にも辿り着いていた。

 それを言うべきか悩んでいたのだ。

 だが、彼はアンの為に何かをしたかった。

 黙っておくわけにはいかなかった。


「アン……お前に話すことがある」


 そして、アンに彼女自身の正体に関する真実を全て話した。

 アンが、自分から記憶を失うことを決めたという話を――。



「そう……だったのね。……鏑木さん……」


 彼女は、才人が自分の実兄であることを知った。

 実感は湧かなかったが、目の前で彼の死を見た彼女には思うところがあった。


「お前は鏑木才人に記憶を消してもらった。しかし、四年の時を経て、お前は新しい人生を歩んでいたのだが、久間の口車に乗せられ、記憶を失ったまま病床の鏑木才蔵の前に現れた。そして……久間の言う通りの記憶を才蔵に植え付けられたんだ」

「……一体何故……?」

「鏑木才蔵は脳を患い、もう正常な判断が出来る状態にはなかった。唯一親身になったのが久間だったんだ。だから、奴の言うままに記憶を植え付けた」


 アンはようやく自分にまつわる全ての真実を知った。

 だが、一つだけわからないことはあった。


「何故、七月がお前を救ったと思う?」

「……さあ? 催眠術師の考えることは……わからないわ」

「……理由は単純だ。お前と、七月の幼馴染である鏑木才人が兄妹だったからだ。そして、マルクを殺さなかったのは……まだ事件を調べる夫妻に合流していなかったのと、お前の支えが一人もいなくなると思ったからだ」

「? どういうこと?」

「七月は、『家族』という関係に異常に拘っていた。それは、彼女の暗部での任務からも理解出来る。彼女はたとえ敵国の人間でも、家族同士で争わせるような事態は避けた。何故かはわからないが、人の『家族』を引き離すような任務にも絶対に関わろうとしなかった。そして、昔馴染みの鏑木才人に対してもそうだった可能性はある……。もし、お前とオーバーン夫妻の間に絆が生まれつつあることを知っていれば、二人を殺すこともなかっただろう……」


 ただ、実際には双子の命を奪っているので、彼女にも優先順位があった。

 七月にとって、他人の家族を引き裂くという苦渋の決断を下すほど、ジョシュアが大切な存在だったのだ。


「……わからないわ。何人も殺しておいて……そんな一面を聞いたからって、同情はしないわよ」


 万丈は首を振った。


「いや、これは彼女の動機に関わる重大な真実だ。恐らく……いや、間違いなく、彼女は『誰か』の為に生きていた。闇崎に脅迫を受けていた可能性もある。……もっとも、仮にそうだったとしても、奴の駒の催眠術師が七月以外いなくなった時点で、闇崎に催眠術を掛け、その『誰か』はとっくに逃がしていることだろうがな……」

「……『誰か』……」


 アンは、マルクから話を聞いて、その『誰か』が何者かの予想が出来ていた。

 しかし、まだ信じることが出来ずにいる。


「……ありがとうございますわ、万丈警部。たくさん教えていただいて」


 アンの感謝の声にも万丈は首を振った。


「いや……私は何も出来ていない。結局……何も……」

「そんなことは無いわ。マルクが嫉妬するから一度しか言わないけれど……わたくしは貴方にも救われていたのよ?」


 万丈はハッとした。

 彼は気付いていなかった。

 マルクが現れるまで、彼は孤独なアンの話し相手だった。

 護衛もそうだが、彼女は間違いなくアンの支えになっていたのだ。


「……そうか」


 万丈は、フッと微笑んでアンに背を向け、仕事に戻っていた。

 その後ろ姿を見たアンも微笑み、そしてマルクの下へと帰っていった。



 アッシュド墓地




 明日雛は、一人蓮二の墓参りに来ていた。

 議会法廷での騒動は彼女にとっても激しく動揺する出来事だった。

 だが、一度前を向くことを決めた彼女は、もう立ち止まることはなかった。


「……蓮二君。あのね、オートさんとジョシュアさん、どこかに行ってしまったみたいなの。……一体どこに行ったんだろうね……」


 二人は騒動の後、行方をくらましてしまった。

 アンとマルクは二人を探し続けたが、結局見つかることは無かった。


「……でも、きっと大丈夫だよね? だってあの二人は……愛し合っているのだから……」


 明日雛は表情を和らげた。

 彼女は二人の無事を信じていた。

 そして、この先の自分の未来にある希望にも――。



一ヶ月後 一ノ宮探偵事務所




 『紫龍園連続怪死事件』は、全てが明らかなものになった。

 そして、『議会法廷事件』と呼ばれる大和国でも歴史に類を見ない騒動によって、全てが幕を下ろした。

 州議長・闇崎堂山の死は、紫龍園に多大な影響を与えた。

 州議会は完全に解体され、紫龍園の貴族たちは国内外からかなりの批判を受けることになった。

 紫龍園の『橋の下街』は他州からの援助を受けて再建の計画が立てられた。

 『非籍民』という制度も表沙汰となり、彼らには新しい戸籍を作らせようとする動きが始まった。

 しかし、全てが好転したわけではなかった。

 鏑木才人の死は鏑木家の失墜を招き、もはや催眠術師は存在そのものが無くなりつつあった。

 さらに、『非籍民』の中には現状で満足していたり、変革を恐れたりするものが溢れ、加えて貴族と平民、『非籍民』での対立関係は、以前よりも溝が深まってしまっていた。

 そして何より、紫龍園は、あらゆる観点から見てもとても平和とは言える状態ではなく、貧民が都市部に乱入してきたことにより、むしろ治安は悪くなってしまった。




「……結局……七月は誰の為に事件を起こしたのかしら」


 アンは呟いた。

 彼女は、会議場で意識を失ってしまったために、その後に何があったのかを理解していなかった。


「ジョシュアさんだよ。間違いない……七月は彼女の為に……」

「……じゃあ、オートさんは?」

「……わからない……。でも、いなくなったということは……何か僕らに後ろめたいことがあるとしか……」


 マルクとアンは、二人のいた事務所に来ていた。

 しかし、二人が帰ってくることはなかった。


「……わたくしたちは、二人に騙されていたの?」

「わからない……でも」

「でも?」

「黒幕とまではいかなくても、二人の存在が七月柚絵の行動原理だった可能性は高い。彼女は……きっと、誰かの為に動いていたんだ……」


 二人には、真実はわからなかった。

 だが、一つだけ言えるのは――。


「愛しているよ、アン」

「な……何よ、急に」


 突然の愛情表現にアンは少し頬を紅潮させる。


「……ジョシュアさんは、誰かを愛したことが無いらしい。……笑っちゃうよね。誰がどう見ても……そんなわけないくせにさ……」

「……そうね」



 二人は気付いていた。

 ジョシュアが、ただ自分の気持ちが何なのかわかっていないだけだということを。

 彼女は、確かに本当の意味で誰かに愛されていたということを。

 あの二人の間には……確かに『愛』があったということを。


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