黒と、白と。
多賀 夢(元・みきてぃ)
黒と、白と。
今冬の流行色は黒らしい。
繁華街を行きかう人は、全身を黒で装った人ばかりだ。黒のダウン、黒のセーター、黒のチノパンかロングスカート、黒のスニーカーか黒のブーツ。
老いも若きも右も左も、まるで現代の不安を着ているように見えた。コロナ、戦争、価格高騰、低賃金。折からの寒波で背を丸める姿は、ますます侘しさを募らせる。
そういう私も、やはり全身黒だった。
正確には就活用の安いスーツに黒のコートを羽織って、黒いバッグを肩にかけている。手ごたえのない面接を終えて、寒風が吹き荒ぶ昼の町を歩いている。
流行の黒に紛れる私は、昼なのに夜の心持ちだった。久しぶりのヒールは痛いし、安物のスーツは薄くて冷えるし、何よりもさっきの面接は手ごたえがなかった。
女47歳。仕事がない。
真新しいダウンを着た若者の集団が、はしゃぎながら通り過ぎていく。同じ黒でも、彼らの黒は艶めき深く、私の黒は褪せて毛羽立っていた。貧富の差を見せつけられる。みじめだった。
歩道のタイルをなんとなく眺めながら、軽すぎるバッグを持ち直す。点字ブロックに沿いながら、ふらふら歩く。頭の中をロックして、明日も見ないで歩きたい。いや、歩くことすらもうやめたい。
どこかでカツン、カツンと音がしていた。次の瞬間、何かが私の足を叩いた。
「え?……あっ」
白杖だ。私はすぐに我に返り、重大な過ちを即座に悟った。持ち主を見るより先に、思い切り頭を下げた。
「すみませんっ、うっかり、あのっ、その」
黒い視線が、私の周りを取り巻いている。怖くて顔が上げられないまま、私は避けようとして派手に転んだ。バッグの中身が散らばる。
「すいません、すぐどきます、すぐ」
動転しながら荷物をかき集める私に、明るい何かが近づいた。
「これも、落としてます」
――白い袖。
見上げたら、真っ白なダウンジャケットの男性がいた。そこだけ冬の朝のような、すがすがしい笑顔で私をのぞき込んでいた。
ぼんやり見つめる私に、何を思ったのかその人は困った顔をした。
「明るい色なら、見えるんです。私」
「ああ、はい、はい」
私はぺこぺこ頭を下げて、真っ白な消しゴムを受け取った。
なんとか立ち上がろうとした私に向かい、その人は何か探すように手を伸ばした。私は少し考えて意味に気づき、手を取った。
支えられて立ち上がったものの、私は相当に恥ずかしかった。支えるべき人に支えられたのだ。周囲の目にどう映っただろう、どこまで私は駄目なのだろう。
「気にしないでください」
見えないはずなのに、その人は優しく笑った。
「私だって人です。困った人がいたら、助けるものですから」
「あ、その。すみません」
「『ありがとう』、ですよ。――それに。助けられたら、笑顔です」
私は戸惑った。だって、でも、そんな言葉が胸の中で破裂した。だけどあまりにその人が、期待を込めた顔でほほ笑むから。
「ありが、とう、ございます」
無理やり笑ってみた。すると、その人は花のように美しく笑った。なぜだろう、こっちの心が温かくなる。自然と口角が上がる。
「何があったかは、わかりませんけど」
その人はやはり笑顔でこう言った。
「笑顔を返していけば、きっと、大丈夫ですから」
「ああ、ありがとうございます。本当に」
私はそう言って頭を下げた。白いその人は、また白杖で地面を探りながら去った。
心に温かいものを感じながら、しばらく駅へと歩いていた。ショーウィンドーには、春にふさわしいパステルカラーの服が飾られている。就職したら買ってやる、なんて意気込んでいて、あ、と私は立ち止った。
思い出したのだ、どこかの面接で『表情が硬くて笑っていない』と言われたことを。その時、笑えなんて無理だと心の中で悪態をついたことを。
「あの時、笑っていれば受かった――のかな」
そんなことは、もう分からない。西の空は温かいオレンジで、無彩色だった世界を温かく染めていく。
――笑っていきましょ。
私は背筋を伸ばした。横断歩道の信号が蒼に輝いて、私はしっかりと右足を踏み出した。
黒と、白と。 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki
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