「反魂の物語」

 真赤な雫が滴った。

 それはねばりけを帯びて、流れることなく点々と跡だけを残していく。

 知性もつ鬼だった者たちのなれの果てが屍を晒し、神域の瘴気をなお濃く染め上げていく。梶浦摩季かじうら・まきはだらりと垂れ下がった左腕を抑え、しかし焦点の合わぬ瞳を揺らしながら哄笑を張り上げた。

「アハ、ハハハハ……」

 如月神無きさらぎ・かんなが、息を整えながら浪切長船を構えなおした。

「何がおかしいのよ!」

きざはしの儀はもはや止められない! あるじ様は弑した貴様らを贄に儀を完遂させる……勾玉を揺り起こすには十分だ!」

「ふざけるな……!」

 神無はちらりと隣を見やる。その視線の先の人物、萩原真琴はぎわら・まことは天叢雲剣を握り締めたまま、じっと摩季を見つめていた。対する摩季はその視線に気づいたのだろう。ゆらりと向き直ると、溢れんばかりの憎悪を剥き出しにして真琴を睨みつけた。

「なんだその眼は……私なんか、もう眼中にもないか。アハハハ! そうか、そうだろうとも……! 真琴! 貴様は、貴様にとってしょせん、私は――」

 何かを言いかけた摩季が、はたと口を止めた。

 背後、祭殿から歩み近寄る者の気配に、歓喜と共に振り返る。

「主様!」

「苦労を掛けたわね、摩季。いえ、大義である、と言った方がらしいのかしら」

 帳を寄せて姿を現したのは柊和泉ひいらぎ・いづみだった。

「そんな、もったいないお言葉です! この手で奴らの躯を献上さし上げることあたわず……」

 その傍ら、縋りつくように首を垂れる臣下を見下ろして、彼女は事も無げに返す。

「いいのよそれで。いえ、違うわね。勘違いしてもらっては困るわ。だってそうでしょう? 彼らを殺して生贄にしては、世界の崩壊を見せつけてやれないじゃない」

 思わぬ言葉に、摩季が慌てて問い返す。

「し、しかし主様! 魂魄の継承者でなければ、最後の贄には足りないと……」

「継承者なら、いるじゃないの。そうでしょう? 佐河原甚助」

「え……」

 にこりと微笑む和泉。魂魄の名を呼ばわれる違和感に、摩季は、ぽかんと呆けて自らの主を見上げた。その微笑みの奥、感情の籠らぬ瞳が自分を見つめている。それに気づいた瞬間、影が空間に走る。ずるりと何かの崩れ落ちる気配。それは摩季自身だった。彼女は咄嗟にバランスを取ろうとするが果たせず、受け身も取れずに地に転がった。

 腕と脚の感覚が無い。いや、四肢そのものが無くなっている。和泉の“影”がゆらめく向こう、自分の腕が転がり、その指はぴくぴくとうごめいていた。

「主様――」

 その名を呼ぶ前に、彼女に影が襲いくる。

 和泉は指一本動かしていない。彼女の足元から延びる影が、自在に虚実を変化させながら摩季へ絡みつく。

 まとわりついた影は口を覆い塞ぎ、首を鷲掴んで締め上げる。彼女は身動き一つ取れぬまま、和泉の眼前に持ち上げられていった。その惨状に、神無も真琴もただ愕然とするしかない。

 和泉は顔を覗き込むと、微笑みを張り付けたまますっと目を開く。

あの子真琴との暮らし、随分と楽しそうだったわね。私への忠誠とあの子との関係を秤に掛けるなんて、影としての本分を忘れた裏切りだわ」

 和泉の影が摩季の顎を撫ぜあげる。

「私には“真影”があるのよ。すべからくを捧げられないようでは、あなたにどれほどの存在価値があるのかしら……?」

 それは、問いであって問いでない。

 摩季の口は塞がれたまま、答えることが許されない。和泉の問いは一方的な通告だった。影に答えなど、はなから求めてはいなかったからだ。

 摩季は何ら弁明することさえ許されず、絶望の表情だけを残してその身を縊られる。ぱっと放り出された身体はもはや原形を留めておらず、そのまま虚空へと――黄泉比良坂へと消えていく。

 その摩季の懐から、何かが床に転がった。落下の衝撃で二つに割れたそれは、何の飾り気もない黒い携帯電話だった。今まで冷たく黙っていた真琴の瞳が、渇いた音を立てて滑るそれを追いかける。

 祭殿の最奥に置かれているであろう勾玉が仄かな輝きを発しはじめた。

 階の儀が始まった。

 空間そのものが揺らめぎ、和泉の身から霊力があふれはじめる。

「あいつ、自分の部下を……!」

 神無は歯ぎしりを押し隠した。止めなければいけない。だがどうやって。

 和泉と対峙したかつての戦いを思い返す。和泉の力は既に神無たちを圧倒していた。その和泉が勾玉を得、今また階の儀を起動させたのだ。神代より黄泉の国に、数千年に渡って蓄積されたる人の淀み、その全てが和泉の力の源になろうとしている。

「真琴! ここは退がるわよ! 態勢を立て直して――」

「和泉ぃぃぃっ!」

 彼女の言葉を振り切り、影が飛び出した。

 真琴だった。彼女は剣を天高く掲げ、脇目も降らず和泉へと切りかかっていた。刃が影と打ち合わされる。衝撃波が走り、龍の咆哮が響き渡った。剣が冷気を帯びて赤錆びた雫が浮かぶ。それは真琴の腕を遡り、彼女の存在を龍へと変えていく。

 だが、和泉の影はそんな真琴の一撃を軽々と受け止め、その向こうで涼やかな笑みを崩すこともない。

「なにをいきり立つというの? あれ・・は、あなた達にとっても憎き裏切り者だと思ったけれど?」

 その声に嘲笑の色を感じ取り、眼を剥いて睨み付ける。

「摩季は! 摩季はあなたを選んだのに! あなたを……なのに! どうして!」

「言ったでしょう? もの想う何者かなど、私はいらないの。選ぶ・・時点で影として増長しているのよ」

 和泉が嗤う。影に次々と刃を払われ、真琴は弾き飛ばされる。

「ふざけるな!」

 真琴の叫びが響いた。

「そうさせたのはあなたでしょうが! 彼女にそれしか与えなかったくせに! 自分をただの影だと、存在は無意味だと思い込ませてたくせに! その彼女が、自分の意志で、覚悟を決めてあなたの下へ戻ったのよ!」

 切り結ぶ二人に固唾をのんでいた神無が、はっとする。


 姿を消した摩季と敵同士として再会したあの夜、焚火を前に立ち尽くす真琴を見た。火中にゆらめく赤い写真アルバム。神無は声を掛けなかった。そこに収められている写真が何であるかを知っていたからだ。

 あれから、真琴は無口になった。

 容赦なく敵を屠り、一切の情けも垣間見せることなく、ここまで辿り着いた。数多の敵を斬って涙ひとつ見せてこなかった。摩季の裏切りがその原因だと思っていた。そのことが真琴の心を殺したのだと。

(けれど、もしかするとそれは――)

 和泉がおかしそうに口元を隠す。

「覚悟? 覚悟ですって? 笑わせないでほしいわ。あんな者の覚悟に、どれほどの価値があると? 影に徹することさえ忘れた、できそこないの傀儡くぐつと同じよ」

「彼女は、摩季は人間よ! 本当は笑顔が素敵で、怒る時は悲しげで……! ただそれを表すのが苦手なだけの……クリスマスパーティーがはじめてだと微笑んだ、ただの……!」

「その摩季を裏切ったのは、貴女ではなかったかしら?」

 剣先が僅かに鈍った。龍の気が揺らめくその一瞬、影が真琴を切り払って突き飛ばす。辺りに滴り落ちた血は瘴気と化し、どす黒い靄となって空気中に溶けていく。

 真琴は言葉を発することなく睨み返し、辛うじて身を起こす。

(裏切り……)

 ちいさな、けれど繕いようのない綻び。

 和泉が手をかざす。影が唸りをあげて渦を巻き、真琴へと迫る。一閃。その先端を薙ぎ払うものがあった。

「……神無!?」

 抜き打ちの一撃が空間を切り裂いていた。神無は返す刀で次々と影を斬り払うと、振り向きもせずに叫んだ。

「あんたは何をしてんのよ!」

 びくりと肩を震わせる一喝だった。

 神無にはもうわかっていた。真琴は決して、傷ついた己を守るため殻に閉じこもっていたのではなく、あの時、摩季にそうさせた・・・・・己を許せなかったのだと。そうして摩季と相対する度、浴びせられる心ない言葉に反発もせず、ただひたすらに敵として振る舞った。そうすることが、己に対する罰であるかのように。

 けれど、ならばと思う。

「あんたは摩季を連れ戻したいんでしょ!? だったら、あんな女に構ってるんじゃない! 自分を罰してウジウジしてないで、やるべきことをやりなさいよ!」

 行けと、その背が告げている。それでもなお真琴は躊躇した。いかに神無の長船が次元を薙ごうと、影のその先には届かない。

「けど、あなた一人じゃ……!」

「あんたなんか、最初からいなかった・・・・・・・・・ものと思えば同じよ! これは元々、私たち一族の務め……私独りの物語だったんだから!」

 窺い知れぬその口元に、微かな笑みを見た気がした。

「神無……」

 彼女は剣を握りしめ、暫し瞑目する。

「必ず戻るから……それに忘れないで。これはもう、私の物語でもあるの!」

 告げて、身を翻した。背を向けて跳び、虚空へと、黄泉比良坂へと身を投じる。

 背後に友の気配が消えたのを察して、神無は刃を構え直した。周囲には影が揺らめき、その向こうでは和泉が微笑み佇んでいる。

「二人掛かりなら、多少は長生きもできたでしょうに」

「……私の波切長船がどういう刀かは、あんたも知ってるはず。これで、周囲を気にせず全力を振るえるわ」

「神器も無しに私を殺せるかしら?」

「殺してきたのが私たち一族だ!」

 神無は吠え、一刀のもとに空間を叩っ斬った。



 濃密な瘴気に意識を奪われそうになる。

 かつてひとつであった現世と常世が別たれてより幾千年。そこは純然たる瘴気の海だった。まとわりつく瘴気は真琴の肉を犯そうと皮膚を掻き、臓腑は僅かな瘴気にも灼けるように痛む。

 摩季は、そんな世界の底に、無残な躯となって転がっていた。

 常世では時の流れは無窮と等しく、ただ死だけがひたすらに早い。今しがた打ち棄てられたばかりの亡骸は、既に数週間も経ったかのようで、断たれた四肢の断面には瘴蟲が涌き、縊られた頸や胸は青黒く腐敗している。

「摩季……」

 呟きと共に手を伸ばした瞬間、死ねと囁く声がした。死したるモノを前にして、無数の声が囁きかける。彼女が知るあらゆる人たちの声でもって真琴に死を囁く。神無が、陽詩が、かつて戦った敵が、学校の友人が、梶浦摩季が。真琴の死を。

(違う! 呑まれるな!)

 必死に自らに言い聞かせる。けれど地に満ちる瘴気は、彼女の記憶さえも侵蝕していく。想い出の摩季が、真琴に死ねと微笑み掛けてくる。

「あぁぁぁぁぁ!」

 真琴は叫び、剣を両手で構えるや否や、その刀身に自らの頭を打ち付けた。

 鈍い音が意識に響き、額に血が滲むのも構わずに二度、三度と叩きつけ、朦朧とする意識を必死に手繰りよせようとする。

 総合病院で戦いで奇襲を受け、彼女たちは内通者の存在に気が付いた。そうして内通者を探るうち、摩季に疑いの目を向け、偽情報を摩季に掴ませて敵の出方を見た。

 そうして結論付けた。摩季は白であると。

 無論、現実は違った。摩季は出会った時から敵だった。紛れも無く東軍に与する者で、こちらの偽情報を見抜いていただけだった。

 そうしてあの運命の夜。

 全てが偽りだったことが明らかになった。摩季の手引きで彼女たちの主戦力は事実上壊滅し、真琴や神無もわずかな仲間と共に辛うじて虎口を脱した。

 誰もが摩季の裏切りに悲憤慷慨した。けれど真琴だけはただ沈黙して俯くばかりだった。彼女は解っていたからだ。先に裏切った・・・・のは自分であることを。

(全てを壊したのは、私……)


 二人で共に過ごした、最後の夜。摩季は真琴の背中に呟いた。

「怖いんです……信じることが」

 ベッドの中、背に触れる摩季の額から、じんわりと熱が伝わる。

「怖い? なぜ……?」

 感じたのは、微かな震えだった。

「私は傀儡くぐつ衆です。他者は全て敵と教わって育てられてきました。今だってそうです……命を果たすためなら、きっとあなたの事も利用してしまう。平然と裏切ってしまう……」

 修羅の世界に生きてきた摩季にとって、真琴は初めて向き合った誰かだった。触れれば傷つけられるかもしれない。それ以上に、自分こそが傷つけてしまうかもしれない。摩季には、どれほどに触れ合っても決して踏み越えられない一線がそこにあった。

 髪を揺らして、真琴は身をよじった。驚きに声を漏らす摩季の肩を抱きしめて、濡烏のような艶髪に頬を寄せる。

「なら、誓うわ。摩季が私を裏切っても、私は決して摩季を裏切らない」

 摩季は答えなかった。ただ真琴の腕の中、顔もあげずに涙をこぼしていた。

 あの夜、真琴は確かに誓ったのだ。

 先にどちらが――それを問うことに、もはやどれほどの意味があるだろう。裏切られても裏切らないと、そう誓った。けれど真琴は、彼女を疑う仲間の作戦に応じた。それが全てだった。

 事実摩季が敵だったから何だと言うのか。摩季には真琴しかいなかった。真琴だけがただ唯一、摩季に触れようとしていた。摩季もまたその手を前に、恐れながらも手を伸ばそうとしていた。けれど二人の手は空を掻き、それっきり二度と互いへ差し伸べられることはなかった。

 たとえ敵であろうと、たとえ自らが裏切られようと、それでもなお信ずると告げた、その言葉をこそ嘘にしてしまった。

 全てが崩れ去ってしまったあの日、摩季は叫んでいた。

「答えて! 真琴、私はあなたの何だったんですか!」

 苦無の突き付けられた喉に血が滲む。俯く摩季の表情はようとしてうかがえず、ただ突き付けられた苦無だけが現実を伝えている。けれど雨の中、彼女の頬が濡れていたのは、雨のせいばかりではなかった。真琴だけがそれに気付きながら、言うべき言葉を言えなかった。

(その報いがこれだ)

 己を責め、彼女からの敵意を罰と黙って受け止めることなど、ただの自己憐憫でしかなかった。そのために摩季は、務めて傀儡に戻ろうとした。主への絶対的帰依者という枠に自らを押し込めることで、全てをなかったことにしようとした。けれどその忠誠を無碍に扱われ、いらなくなった道具のように黄泉比良坂へと打ち棄てられた。

 その時転がったものを、真琴は見た。

 あの頃と変わらない、そのままの携帯電話だった。ストラップのひとつも付いていない、面白みもない黒いボディをした、ただの型落ちモデルの携帯電話。


 あの夜・・・から、一度でも電話を掛けただろうか。


 摩季は、そこにいたのに。真琴を待っていたかもしれないのに。いつだってそうできた筈だったのに。けれど、そうしなかった。本当は、解っていた筈だったのに。

 これを罪として帰せられるべき者がいるとすれば、それは真琴自身に他ならない。

 断じて、摩季ではないはずだ。

(摩季……帰ろう、いっしょに……)

 その剣を水平に捧げ、真琴は目を開いた。

 自らに宿る魂魄が、天叢雲剣と激しく共鳴する。醜く腐り果てたるその人を取り戻す。それは国造りの神々も為し得なかった、常世の理に反する営み。剣は触媒となって真琴の生命を引き出し、充満する瘴気は巻き戻されようとする命に抗う。さかしまに渦を巻く命と瘴気の濁流が二人の全てを押し包んでいく。

 際限なく激しく高まる共鳴。全身が軋みをあげ、やがて耐え切れず膝を突く。彼女はそれでもなお剣を手放すことなく、朦朧とする意識の中に呟いた。

「ごめんね」

 瞬間、天叢雲剣に亀裂が走った。



 幾度となく滴った血を踏みしめて、神無は膝を震わせた。

 その瞳が闘志を失わずとも視界はとうにかすみ、片腕で構えた刀は切先さえ定まらない。ゆっくりと和泉が振り向く。その頬に薄らとにじむ血を拭って、彼女は酷薄に微笑んだ。

「これが限界だったようね」

 彼女の周囲に影がゆらめく。合図ひとつ無く影が走り、一直線に神無へと迫る。

 それらが一斉に神無の頭上へ翻った瞬間、空を裂いて何かがきらめいた。影が次々と打ち抜かれ、地に縫い付けられる。

 一瞬の静寂。

「この鉄鍼てっしんは……」

 和泉は自らの掌を見下ろし、ぽつりと呟いた。

「霊力の還流が止まった……?」

 ゆっくりと視線を上げた先に、人影が現れる。

 そこには、満身創痍の真琴とその肩を支える摩季がいた。彼女は喪われたはずの四肢を備え、縊られたはずの首には僅かばかりの痣もない。その手元を隠す袖の先からは、黒鐵の鉄鍼てっしんが鈍い光沢をちらつかせている。一度は常世へ渡ったはずの彼女の姿に、神無は息を呑んだ。

「真琴……それに摩季……!」

 呟く神無をちらりと見やる、摩季の静かな瞳。

 かつて満ちていた憎悪は消えうせ、そこには戸惑いと共に確かな覚悟が現れている。真琴を支えるその腕に、わずかに力が込められる。それが答えだった。

 そうした摩季の変化に気付いたのだろうか。和泉はゆらりと首を傾げ、舞い戻った二人を睥睨する。

「いかな神器といえど、肉体うつわを再構成しようだなんて……いいえ、それだけで常世に喰われた魂魄を取り戻せようはずがないわ。どういうからくりかしら」

 その言葉に応えるように、真琴は天叢雲剣を掲げてみせた。剣はその中ほどから真二つに折れ、荒々しい断面を晒していた。

「この剣でも、肉体の再構成までが限界でした」

 真琴は呟いて、和泉の視線を受け止める。

「だから、私の魂魄を使った・・・の」

「……反魂の法とでもいうのかしら」

 和泉が笑う。

「世迷いごとね。かの法は命を贄として死者に命を吹き込むものよ。ならばなぜ貴女が生きているのかしらね?」

「忘れたの? 私の魂魄は一人分ではないってことを」

 その言葉に和泉は眉を持ち上げる。

 この戦いの中、ただ唯一の双子の魂魄。秋津、章平両親王。それを継承した真琴の中には、秋津親王のみならず、章平親王のそれもまた宿していた。真琴自身が、対となる一致不可分の魂魄によって存在していた。

 ややして、神無が顔色を変える。

「まさかあなたたち……!」

 真琴は微笑みと共に、確かにうなずいた。

 もはや答えは明白だった。和泉は嘲りを隠しもせず薄らと笑みを漏らす。

「愚かね。そのようなもの、命とも呼べないわ」

 二人が存在して初めて生きられる。どちらかが死ねば共に死に至る。それが、二人の新たな命だ。和泉はそれをこそ嘲った。彼女にとってそれは、論ずるまでもなく愚かな選択だったからだ。

「命は無より生まれる仮初のものよ。仮初の器を砕き、世界を原初に戻す……。幾度そう語って聞かせたかしら。忘れたの、摩季?」

 彼女の言葉に偽りは無かった。身体いのちとは仮初の器だ。だからこそ、かつて死したる者たちの魂魄を宿して生まれる者たちがいる。それ故に彼女は現世を無に還すことを望んだ。それは天明の乱に死した「北舘将実」ではなく、現代に生きる「柊和泉」の切なる願いであり、それだけが唯一の存在証明だった。

 全てを無に還した時、それをもって初めて彼女は自らを柊和泉であったと信じられる――そう定めた彼女にとって、あるいは真琴たちはその存在そのものが不実でさえあったのだろうか。

「自他の境界さえも曖昧にすれば、半生半死、実在すら曖昧よ。その虚構を対に重ね、そこに存在するかのように呼びならわしたところで、貴女たちが実在することになりはしないわ」

「主様……」

 消え入るようにか細い摩季の声に、和泉が冷酷な視線を投げかける。

「摩季。その汚い口を閉じなさい」

 その威圧感に息をのむ摩季。けれど彼女は、震える拳を握りしめて首を振った。

「……いいえ、閉じません!」

 摩季が気を吐く。 

「たとえこの命が虚ろなものであっても、構いません。それがなんだと言うのですか! 彼女が私にくれた言葉は、虚像ではなかった!」

「ならば私も、偽りの愛でも――愛しているとでも囁いてあげれば満足だったのかしら?」

「違います! そんな言葉じゃない! ただ、真琴は……きちんと私を見てくれていた。もう一度私に向き合おうとしてくれた。ごめんねって……そう言ってくれた……」

「笑わせるわ」

 吐き捨てるように呟く和泉。

 摩季は目じりに滲む涙をこらえ、顔を上げる。

「それの何がおかしいというのですか! 私自身さえ、真琴に何を求めていたのか解っていなかった! その言葉を見つけてくれたのは真琴です! 真琴だけが、私の言葉を見つけてくれた……!」

 今ならわかる。本当に許せなかったのは、裏切られたことではなかったことを。ただその綻びを、たった一言でいい、ごめんと告げて繕ってほしかったのだと。そのことに、自分ですら気付いていなかった。初めてのことだったから。信じることも、裏切られることも、それらの全てが初めてだった。全てに惑い、自分がどう感じているのかさえ、解らなかった。

 肩を支える摩季の掌が、微かに震えている。

 真琴は両足に力を込めて自らの脚で立ち、彼女の掌に自らを重ね、そっと降ろさせた。

「摩季はここにいる。私はそう感じてる」

 手を握り返されて、真琴は頷いた。

 今一度、砕け折れた天叢雲剣を確かに掲げる。

「そう感じる私が虚ろであるというのなら、私たちは虚構を生きる。あなたは一人で無という真実げんじつを往けばいい」

 実在しえない命。報われないはずのもの。

 真実を逸した果てにしかない、私たちの虚構ものがたり

「私たちは存在する」

 そう、信じられる。

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反魂の物語 御神楽 @rena_mikagura

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