雪巫女
めへ
第1話
ああ、ついてない
ピクリとも動かない目の前の車を見ながら、光一は首を回した。
一時間程前はただの曇り空だったのが、急に吹雪に見舞われた。
あっという間に辺りは白くなり、パッと見おそらく一センチは積もっているだろう。
車の列は徐々に動きが緩慢になり、逢坂山に差し掛かる頃には酷い渋滞となっていた。
ガソリンがたまたま満タンだったのが唯一の救いだ。こんな所でガス欠になったらたまったもんじゃない。
前の車がノロノロと動きだしたので、光一も車間距離を縮めぬよう前へ進んだ。
よりにもよってこんな時に事故でも起こせば、帰りがますます遅くなる。
時計を見ると、18時。本当なら今頃ジムに着いている。今日は寄れそうにない、20時には帰っていたいものだがこの調子だと無理だろう。
シフトノブをPに入れ、サイドブレーキを引いた。
だいたい20分置きに数メートル進んでいる。ブレーキを踏む足が疲れてしまった。
窓を開け、ドアミラーに張り付く雪をかき払う。キャメルを一本加え火を点けた。ニコチンが脳に、体に浸透し、少々頭がぼんやりとする。
車から三メートル程離れた所に、何かが雪に埋もれているのが見えた。
―――ゴミか何かだろうか?
じっと見ているうちに、それが人の服であるらしいと分かった。
―――やはりゴミか。
捨てられた服の上に乗った雪の塊がずり落ち、中から黒い髪が現れギョッとした。
―――人?!いや、ウィッグかもしれないが…それにしては服とウィッグの位置が、まるで人の様だ。
人形かもしれない、と思いつつも心配になり、車から降りて側に寄り雪を払うと、そこには黒い長い髪の巫女姿の女性が倒れていた。
「すみません?!しっかりしてください!」
揺り動かすと、女の瞼が動き目が開いて一先ずホッとする。
「すみません、タバコ臭いけど、少し我慢してくださいね。」
とりあえず自分の車の助手席に乗せた女に、そう声をかけた。
「ありがとうございます。」
女は礼を言って頭を下げた。女は驚くほど色が白い。そして唇は真っ赤なのだが、口紅を塗った感じがしなかった。鼻筋が通っており、切れ長の目は長い睫毛に縁取られている。
黒檀の様に黒い髪、血の様に赤い唇、雪の様に白い肌。まるで白雪姫の様だ、と思った。
雪のために塗れた衣服を纏っているせいか、車内は暖房をきかせているにもかかわらず寒そうで、白い肌が青ざめている。
前の車が再びのろのろと動き出したので、光一もシフトノブをDに合わせて車を前へ進める。車はすぐに停止し、動かなくなった。これでまた二十分はこのままだろう。
「どちらへ行きますか?お送りしますよ。」
「実は、すぐそこなんです。来たらお伝えしますね。」
逢坂山の道路沿いにはいくつか民家が並んでいる。そのどれかが彼女の住まいという事か。
「ここらにお住まいなんですか…それにしても、巫女さんですよね?」
「ええ、満月稲荷の。」
「満月稲荷?」
はて、そんな神社があっただろうか?と光一は首を傾げる。
逢坂山の住人という事は、その辺りにある神社だろうと思ったが、満月稲荷というのは初めて聞く。
遠くに勤めている、という事だろうか。
「逢坂山にあるんですよ。」
光一の思いを見透かした様に、女が言った。
「そんな神社があるなんて、初めて知りました。蝉丸神社と…関蝉丸神社くらいしか知らなかった。」
「今度、検索してみてください。出てくると思います。」
女がフフッと笑った。
「それで、どうしてあんな所で倒れていたんです?」
「舞を練習していたんです。つい夢中になっちゃって、気がついたら…」
「舞?神事があるんですか?」
「ええ、まあ。そんなところですね。もうすぐ春が来ますから、そしたら舞を披露しなきゃいけないの。
そうだ、助けていただいたお礼にお見せします。渋滞中の暇つぶしにでも見てください。」
そう言うと女は、光一の返事も聞かずにドアを開けて飛び出して行った。
呆然とする光一の、一メートル程先で女が舞い始める。
白い着物の振袖が、赤い袴がふわふわと女の動きに合わせて、まるで生き物の様に揺れ動く。
途端に、周囲が昼間の様に明るくなり、舞い踊る女に振り注いでいた雪は桜の花びらに、積もった雪は芝生と化していた。
巫女が青い芝生の上を踏むか踏まないかという軽さで舞い、桜の花びらも彼女の周囲を舞い散っている。まるで花の、春の妖精の様だ、と思った。
彼女が車に戻ると同時に前の車が動き出したため、光一も少し慌てて車を出した。
「すごかったよ!あなたの周囲だけが春になった様に見えた、雪が桜の花びらに見えて…」
舞いを終え、車に戻った巫女に光一は興奮気味に感想を伝えた。
外は再び暗い雪景色に戻っている。光一は、まるで夢でも見ていた様だと思った
「楽しんでもらえて良かった…あ、ここです。」
前の車が止まると同時に、巫女がそう言ったのだが、その辺りに民家は無く横には鬱蒼とした木々しか無い。
戸惑う光一に、巫女は構わず車を降りた。
同時に前の車が前へ進んだため、自分も出さねばならずアクセルを踏んだ。
ドアミラーを見ると、巫女はもう居なかった。
その後、光一は巫女の言っていた満月稲荷を検索し行ってみた。
それはあの雪の日、巫女がちょうど車を降りた場所、木々が鬱蒼と茂る中に在った。
稲荷神社といえば、赤い鳥居がいくつも連なっているものだが、ここでは参道の横にあるフェンスに赤い鳥居のミニチュアが数個ぶら下がっている。
小さな参道には小石が敷き詰められ、その先に直径三十センチ程の小さな赤い鳥居が穴のあいた岩の中に、ちょこんと置かれている。鳥居の中には小さな丸いおにぎりが供えられ、狐の置物が社を守っている。
しかし満月稲荷の周囲には緑豊かな木々だけで桜の木は見当たらない。
桜の木が在るのは、蝉丸神社の方である。
―――あの巫女は一体、何だったのだろう
光一は桜の季節が来る度、そして雪が降る度にあの巫女を思い出す。
そしてあの時見た舞いを、もう一度見たくなるのだった。
雪巫女 めへ @me_he
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