4-4

 辺りに響くガラス音。

 悲鳴のような破砕に、その場にいた全員が教会へ視線をむけた。

 丘のうえ、一見すると何も変わらない建物がそこにある。ビルの窓が軒並み吹き飛んだかにも思えた一瞬のできごとが、すぐに残響となり霧散していく。

 ただの空耳だったのではないか。幻聴だったんじゃないか。そう思いたい自分を、記憶の奥で否定するもうひとりがいた。

 だって、知っているから。

 教会のガラスが割れる音を、気配を。余韻と呼ぶには鋭すぎる、後味のわるいこの感覚を。


 振り向いたままの木陰さんとシオンさんの横を縫って、私は駆け出した。妹さんもうしろをついてくる。

 残されたふたりは、もう止めようとはしない。その意味がどうしようもない絶望の気配を覗かせていて、わたしは振り払うように教会へ向かう。

 たった数メートルの距離を祈りながらすすみ、

 半ば開けられた柵を通り抜け、馴染んだ手触りの扉を、今までにない勢いであけた。


「──、」


 言葉を失う。

 鮮やかさでホールを彩っていたステンドグラス、一際大きい真ん中の一枚が、黒いケイムを残しすべてが割れていた。光を通し芸術の世界を創りだしていた面影おもかげは失われている。

 色は床に散らばっていた。

 空気は澄み渡り、何事もなかったかのように無。

 物寂しさが増したはずなのに、空間はどうしてか現実離れした雰囲気に包まれていて。この場所をよく知る私だからこそ、「終わってしまった」と気づいてしまう。

 ……いや、この場所がどこだろうと、たとえ私でなくとも悟っただろう。

 失われたひとつの命を思い浮かべて、泣きたくなりながら、私はぎゅ、と両手を握り込む。


 視界の中心には、いるはずのない人物がただひとり。

 おおきい魔女帽子。

 黒を基調とした装い。

 手にしたソレも、ひとつのガラス。


 散らばった破片に包まれ、儚さの化身ともいうべき輪郭が刻まれる。記憶の彼女と寸分違わず一致して、積み重なった怒りが迫り上がった。


 動揺し、ショックで黙り込む妹さんを置き去りにして、私はゆっくり踏み出した。

 あかいカーペットを進み、声の届く距離、通路の半ばまでくると、きらきらとした欠片がつまさきにあたる。飛び散ったそれらが、割られた瞬間の壮絶さを物語っていた。


「――ガラスの、魔女」


 彼女を呼んだ。

 もはや別世界となったそこで、声を挟む他人はいない。

 ふたり加わり、背後で見守る気配はもちろんのこと、こうして数年ぶりに声をかけた相手でさえ、言葉はない。

 魔女はただただ、指を強く折りたたんだまま俯いていた。頭上からは日光の色がそのまま降り注ぎ、わずかに漂う埃を輝かせた。

 ツバに覆い隠され、表情は窺えない。もとより不明瞭な素性、感情を読むことすら望めない。

 ずっと、訊きたかったことがある。いくつもある。だがそのどれもが別の感情で塗りつぶされてしまう。やつ当たりだろうと構わない。溜め込んだ衝動をぶつけたくて仕方がない。

 あなたが死んで、世界はなんの支障もないように進んでいって、でもたった一人だけは誰よりも傷ついた。そんな現実を、あなたはどこまで捉えていたのか。

 きっと私たちの想像もできないほど先まで読んでいたに違いない。

 であればこそ、私はあなたを許せない。

 私の恋路を邪魔したからとか、そんな利己的な理由ではない。

 あなたは自身のために、木陰さんの人生をめちゃくちゃにして、三上さんを殺して、そうまでして生き延びようとした。

 何も知らず犠牲にしたのなら、それは三上さんの自業自得といえよう。でも、あなたは何もかも見通した上で彼を犠牲にした。そして蘇った。復活した。やっていることは悪魔と変わらない。

 私は許せない。許すことなんてできない。溢れる負の感情を込めて、私は口をひらく。


「満足ですか、魔女」

「……」

「こうしてもう一度空気を吸えて。自分の脚で立つことができて、満足ですか」

「……」

「三上さんと引き換えに生きる気分はどうですか。彼の献身もすべてあなたの計画通りですか」


 魔女は答えない。

 答えず、ずっとそこで立ち尽くしている。

 どれだけ語りかけても空虚に流されていくのみか、そう思われた問いかけは、しかし間を置いてから、唐突に、静かに返された。


「──ざけ、ないで」


 絞り出された声音が、空気を揺らした。

 掠れるほど小さい、けれど確かな旋律で生きている証を発した。

 果たして、そこに込められた感情は。


「満足したか、ですって……? これの、どこが、」


 尖った帽子が傾く。

 色白の肌、目元を腫らした彼女が、キッとこちらをめ付けた。


「これのどこが満足いく結果にみえるっていうの!」


 その表情に、思わずたじろいだ。

 あまりにも人間的で、生前よりも濃い在り方。世を俯瞰し、常にありきたりな感情を仮面として貼り付け、ドライに生きる──そんな印象が間違っていたと、肌で実感する。

 固執?

 固執なんてレベルじゃない。コレはもっとひたむきで、一途で、重い感情だ。あなどっていた。深さを見誤っていた。

 夜色の瞳を濡らして、私なんかよりも遥かに強い怒気を滲ませながら、魔女はヅカヅカと近づいてきた。

 私よりすこし低い背丈、現実にできた穴、得体の知れない女の子が、せまってくる。感情的になった彼女がなにをするのか、私には予想がつかない。

 自身の解釈が根本から間違っていたと悟り、身もすくむような敵意を露わにする彼女から、数歩後ずさった。

 私は制止するように言葉で訴えた。


「だってあなたは、そういう意図でいくつもの魔法を遺して──」


 しかし、意味はなかった。

 ほとんど予備動作すらみせない、綺麗な所作。流れるように、顔面に拳が迫る。

 瞬時に顔を背け、それでも鉄槌は頬をとらえ、ガツンッ! と音が轟いた。


「いっ、!? ……ッ!?!?」


 脳内に衝撃がはしった。視界が揺れて、ちかちかと瞬く。よく聞く『星がみえる』という感覚を、初めて体験する。どこかから「ひっ」と悲鳴めいた怯え声が聴こえた。

 どうやらバランスを崩したようで、気づくと床に尻餅をついていた。

 数秒して回復した視界に、改めて魔女をおさめる。目を白黒させながら、見上げる。

 怒りと哀しみを露わにする、ガラスの魔女を。


「私とハルマの時間を否定するな! 私たちがどれだけあの日々に救われていたか知りもしないくせにッ! あんたらの事情なんてどうでもいいのよ! 私はただ……ただハルマがいれば、それでよかった……!」


 まくし立てられる。罵りを受ける。

 それなのに、傷ついているのは魔女の方だった。大きい帽子のした、手の甲で何度も涙を拭っている。右手を使わないのは殴った衝撃で痛めたからで、それだけ本気で殴られたということでもあった。


「だれがこんなこと望んでやるの……私だって、こんな非道なことやりたくなかった。どうせなら死んだままでもよかった。それでもこうするしかないの! 未来の私も、ハルマ本人でさえも、こうしろって口にした……!」


 何を言っているのか、わからない。

 『やりたくなかった』……? じゃあなぜあなたは三上さんを殺してここにいる。本心と行動が噛み合わない。結局魔女らしい悪辣な選択をしたという事実は変わらない。

 頭に血が昇る。頬の痛みを忘れ、ついカッとなって言い返す。倫理観とか、道徳だとか、そういった制御は抜けてしまった。


「否定する口くらい持っているでしょう! なぜ否定しなかったのです! あなたがいさぎよく突き放していれば、何も残さず死んでいれば、彼が苦しむことも、犠牲になることもなかったんです!」

「うるさいッ! 魔法が使える以外になんの取り柄もない人間が、都合よく自分を制御できるわけないじゃないッ! こんな異能があれば価値観歪むことくらい察してよ! 化け物みたいな私でも迷うことはあるの! あなたたちみたいに上手い立ち回りを期待しないで!」

「ヒトを殺しておいてよく言えますね! そうです、化け物ですよあなたは! 自覚があったのなら、関わった相手を不幸にすることくらい分かったでしょう!? なのに曖昧な距離で近づいて、話して……!」

「そ、それは、」

悪戯いたずらに刺激して! こんな運命に引き込んで! 挙げ句の果てには殺して!」

「私はただ、」

「もうほんとにやめてくださいよ! どこまで彼を弄んだら気が済むんですか!? そういうどっち付かずな優柔不断さが、」


「……ッ、――好きなのよッ!!」


 キン、と響いて、静寂がおりる。


「──、」


 告げられた本心に、唖然としてしまった。立て続けに溢れてきた罵倒が引っ込んだ。

 魔女が本当は恋愛感情をもっていることを、私は漠然とだが察していた。それがいくつかの行動に直結しているという推測もあった。でも、かつて彼女がこれほどまでに正直な感情をこぼしたことがあっただろうか。

 簡潔な理由。嘘偽りのない、ひたむきゆえの動機。きっと魔女が手に取った選択の何もかもが、その一言で説明できてしまう。

 三上さんを護りたい。死なせたくない。三上さんと生きたい。死にたくない。

 相反した欲と願い、どちらかしか選べない現実において、彼女の根底にある好意は苦渋の決断を迫っていたのだと、ようやく本人の口から聞くことができた。こうもはっきり言われると、同じもどかしい境遇であったゆえに納得してしまう。

 許しがたい存在だというのに、理解できてしまう。

 言葉を失う私に対して、彼女はへたり込んだ。杖のような透明なペンを抱いて、心を吐いた。


「彼の特別でいたい、傍にいたい……好きなのよ、どうしようもなく! 自分でも醜いって思うくらい……好きになっちゃったの……!」


 耳を塞ぎたくなるほどの感情の波。細く、簡単に壊れてしまいそうなガラスに縋って、その人は涙を流していた。

 私のなかが、底の見えない虚無感に覆われた。


「だから、彼が死ぬことさえも、許容、したのですか?」


 魔女は力なく、そして弱々しく頷いた。その丸めた背中には、不可視の重さがのしかかっているように感じた。気を抜けば押し潰されてどうにかなってしまいそうな、計り知れない重さだった。

 彼女は私の想像を遥かに越える葛藤のなかで、先の先を目指していた。


 静寂の降りた教会には、残された二枚のステンドグラスと、鮮やかさを手放した一枚の窓枠。陽の光が差し込むその光景は、どこか物寂しい、何かが足りていない現実を突きつける。気のせいではなく、勘違いでもない。どう捉えようと、『三上春間』は消えてしまった。

 そしてここには、置き替わるように復活したガラスの魔女。

 彼女が隠していた本心はどうしようもないほど深い迷いに満ちていて、私も、妹さんも、加担したふたりさえもが押し黙っていた。

 唇を噛む。

 私も目頭が熱くなって、割れたステンドグラスを仰いだ。

 すこしでいい。

 時間が戻ってくれれば、今度は三上さんを止められるかもしれない。具体的には、午前十時の鐘の音を聴いた、あの時間まで。

 そんなあり得ないことを考えて、『だれか助けてほしい』と願った。


 ガラスの魔女は、ずっと、ずっと。



 嗚咽をこぼしながら泣いていた──。

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ガラスの魔女は復活できない。Ⅲ 九日晴一 @Kokonoka_hrkz

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