Play House

たきた愛

第1話

不揃いの卵や野菜、手作りのジンジャークッキーに、ウインナーを挟んだだけのホットドッグ。所狭しと並んだ出店に、ユリは一旦瞬きをして、そして、より鮮明な景色を視界に焼き付ける。そんなユリを、ハンナは顔を綻ばせながら見ていた。

日曜の朝、住んでいる街から少し離れた場所にある、リバーサイドで開かれた小規模の朝市に、ユリとハンナは二人で来ていた。学校の子達も、近所の陽気なおじさんも、ハンナの厳しいお母さんも、わざわざ足を伸ばすことはしないような、そんな小さな朝市だ。

「ハンナ、連れてきてくれてありがとう!」

「可愛いハニーの為なら、お安い御用よ」

映画さながらのセリフに、二人して笑う。思いきり笑って、少し落ち着いたら、どちらからともなく手を繋いで、様々な肌の色の人達で賑わう中に、足を踏み入れた。



付き合って半年、デートらしいデートはしたことがなかった。手を繋ぐのだって、友達として。キスをするのは、ただの挨拶。そんな風に、自分たちを誤魔化して過ごしていた。ハンナの首元に光るロザリオが、なんだか二人を監視しているようで、ユリはいつも怖かった。

――お母さんは怖いのよ。自分の知らないことが。だから、いつも否定ばかりだし、私のことなんて見ようとしないの。

その代わりがコレね、とハンナはロザリオを揺らしてユリに見せた。キリストの最期の姿が、小さくしっかり十字架と重なっていた。

ハンナはロザリオを外すことはなかった。ユリも、矛盾しているようだが、外してほしいとは思わなかった。自分との交際で、ハンナの家の決まりや守るべきものを、ユリは変えてほしくないと思っていた。



前日に雨が降ったからだろうか、はたまたここがリバーサイドという名の通り、川縁だからなのか。夏真っ盛りだというのに吹く風は冷たく、少し肌寒い気温だった。湿気がないことも関係しているのだろう。

「ちょっと寒いね」

ユリはそう呟き、繋いでいる手を離して、ハンナの左腕を自分の肩にまわす。

「日本の夏はこんなに寒くないよ。もっと湿気もすごくて、髪の毛なんていつも爆発したみたいになっちゃうんだから」

「ユリの爆発ヘアは見てみたいな」

ハンナは自分と正反対なユリの髪が好きだった。手入れがされている艶のある黒髪。風が吹けば、甘い花のような香りが鼻を掠める。

「マーケットってこんな感じなんだね。すごい新鮮。色んなものが欲しくなっちゃう!」

「ユリが欲しいものなら何でも買ってあげる」

微笑みながら言うハンナに、ユリは軽めのアイラブユーとキスをお返しした。


オーガニックのベリージュースを二つ買って、ひとけの無い川縁に腰を降ろす。クランベリーやラズベリー、ストロベリーなど、鮮やかな果実とその果実に染められたジュースは、少し酸っぱい。芝生は昨日の雨が付いていて、冷たかった。

「お尻、濡れちゃった」

「しょうがないよ。座ってれば、そのうち私のお尻の温度で乾くかも」

なにそれ、とユリは笑った。

川の水が、強い陽射しに照らされ、キラキラと光っている。カモの親子が向こう岸から川に入るのを、寄り添いながら見ていた。

「こんなに近くでカモって見れるんだね」

「日本だと違うの?」

「私はあんまり見なかったな。近所の川は汚くて、こんなに綺麗な芝生なんて無かったし」

「日本に早く行きたい。行ってみたい。ユリの生まれた場所をユリと二人で歩きたい」

「私も」

ユリは未だに、自分が同性と付き合っているのが、少し信じられなかった。誰かと付き合って、自分が幸せと不安で泣きそうになることも、肌を、体温を、感じていたいと思うことも、信じられなかった。贅沢な疑念を、こんなにも与えてくれるハンナが愛しくて、この先ずっと、ハンナと手を繋いでおきたいと思った。

ベリーを食べるハンナの唇が、ジュースと同じ、赤く染まる。ブロンドの細い髪が、柔らかそうに風で揺れる。

「ハンナ、」

どうしたの、という風にハンナの顔が、ユリの方に向く。

「キスしたいの。今、ここで」

そばかすが散らばったハンナの頬が、段々ピンク色になるのが分かった。ユリは両手でハンナの顔を挟むと、少し突き出したベリー色の唇に、自分の唇を重ねる。そばに置いておいたジュースが、その拍子で溢れる。唇を離すと、今度はハンナから、唇を重ねてきた。挨拶みたいなキスではなかった。

身体で直接感じる、自分は幸せなんだと。

「ここがモーテルなら良かったのに」

ハンナは少し息を荒くしながら、ユリをキツく抱き締めた。

「私、本当に貴女が好き。ハンナ、愛してるわ」

普段ならこっ恥ずかしくて言えないようなセリフでも、今なら絶え間なく言える気がした。

「ユリ、貴女に渡したいものがあるの」

そう言って、ハンナは首にかけていたネックレスを服から出してユリに渡す。

「これ、どうしたの?ロザリオは?」

「ロザリオは私の部屋のクローゼットで眠ってる。ユリに渡したくて、最近はロザリオじゃなくてコレを毎日していたの」

深緑の大きな石が、皮製のネックレスの先に結ばれていた。

「これは何?」

「翡翠よ。大事な人に自分のものを渡すの。コレは私のおばあちゃんから貰ったもの」

「そんな大事なもの、」

受け取れない、そう言おうとしたユリをハンナは遮った。

「お願い、受け取ってほしいの。それで、私と結婚して」

ブラウンの瞳が、ユリをジッとみつめる。その瞳は、どこか辛そうで、寂しそうで、そして期待の熱を帯びていた。

「わたしたち、明日学校なのよ」

「うん」

ユリの声が震える。

「明日は一限からサイエンスで、テストもあるって言ってた」

「うん」

「勉強しなきゃなのに」

「うん」

「ねえ、ハンナ」

ユリの頬を伝う涙を、ハンナは優しく指で掬う。

「このネックレス、私に着けてくれる?」

花嫁のベールを捲るように、少し下を向いて目を閉じるユリに、ハンナは上から優しくネックレスをかける。祖母から貰った、輝く翡翠を。

「誓いのキスをして」

「さっきしたばかりだよ」

「いいのよ、これは私と貴女の結婚式なんだから」

深い深いキスを、ユリに捧げる。

「永遠の愛を、誓いますか」

「はい、誓います。ハンナは?」

「勿論、誓います」

涙と鼻水で濡れたユリの顔を、ハンナは愛おしそうに両手で包む。

「ねぇ、ハンナ。モーテルへ連れてって」

「明日、学校だよ」

「そんなこと関係ない。今日は私たちのウエディングなんだから」


学校の子達も、近所の陽気なおじさんも、ハンナの厳しいお母さんも、銀色に光るロザリオも、わざわざ足を伸ばすことはしないような、そんな二人の結婚式は、薄暗いモーテルで、静かに閉式した。



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