虚妄の罪―ライカ
かさり、と蝉の死体を踏み潰すような音がして、僕の網膜を切り取った。
それが癇に障ったのか、鳥は大袈裟に羽ばたいていった。後に残された水面の波紋が、苛立つように反射している。
フィルムを巻き上げながら、僕は息を吐く。シャッターを切る指先が、ひどく重く感じていて、まるで死体の腕でも継がれたかのようだった。
あるいは本当に。
僕は死んでいるのかもしれないが。
「カメラの前では、嘘は吐けないんだよ」
君の声が耳元で囁く。あるいは、単なる風の音だったのか。それとも、命を吐き出す虫の声だったのか。
どちらにせよ、酷い眠気を感じていた。君の遺したライカが、手のひらをじんわりと冷やしてゆく。
「カメラは虚飾を写すものだから。あなたが飾ろうとしていることも、このフィルムには全て、写ってしまうんだよ」
そう言って、笑っていたのを覚えている。日々、虫食いのように欠けていく記憶の中で、いつまでも鮮明に残っているのは、君の笑い声ばかりだ。
言葉は写真に残せない。
想いも、熱も、何もかもが残らない。
この感動は瞬きの間に死んでしまう。
だから、せめて。この瞬間を君のライカで写したいのだ。空が裂けるその時を、海が飲み込むその時を、あるいは、ただ路地裏で笑う浮浪者を。
僕のあらゆる情動を、僕が朽ちた後にも、墓の前に突き刺しておきたいのだ。
君がライカを遺してくれたように。
僕も何かを残せるように。
君のように、死にたいのだ。
「それを、私が望まなかったとしても?」
また、どこかから声が聞こえた。けれど、これは幻聴だ。だって、彼女は一度も僕に問いかけてなど来なかったからだ。
木々が何も語らぬように。
花が何も語らぬように。
君が、僕に問うべきことなど一つもなかったのだから。
すうっ、と。僕はレンズを空に向けた。朱の中に混ざり始めた藍の色が、緩やかにカンバスを侵し始めている。
ぽつりぽつりと、孔を空けるようにして輝く星々が、僕を見下ろして、口々に嘲笑を降らせているようであった。
あの中に、君はいるのだろうか。
「人は死んでも、星になんかならないよ」
頭の中の君が、嘲るように息を吐く。僕の薄弱な思考を見抜くように、体重に耐えられない部分を踏み抜くように、また、僕の指先を酷く鈍らせる。
周回軌道上に、もう君がいないことなど、わかっているに決まっている。
それでも、人は星に願いを懸けることをやめられない。いいじゃないか、それで。
だって、永久に生きることなんて、誰にもできはしないのだから。いずれ別れが訪れるのであれば、悲しみに心を錆びつかせてしまうよりは、よっぽど善いに決まっている。
少なくとも、こんな風に腐ってしまうよりは、ずっと。
僕は、レンズを藍の空に向ける。四角く切り取った世界に、繋がれる前の星々が、飽きもせずに燦めいている。
愚かなままで、僕は生きるだろう。
君のようになりたいまま。
君に嘘を吐いたまま。
君の遺したライカと。
かさり、と蝉の死体を踏み潰すような音がして。
僕の感傷を、切り取った。
五つ数えて、凪の梁。 文海マヤ @AYAMIMAYA
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