虚勢の罪―トビオリ

 そこが終着駅であることは、ずっと前からわかっていた。


 西陽が差し込むホームの上。いくつもの影法師が列を成している。彼らは線路に身を投げるために、順番を待っているようだった。


 老いも若きも、男も女も違いなく。ただそこに漠然と並んでいる。時折、ヒソヒソと何かを囁きあう声は聞こえたが、ついぞ笑い声だけは聞こえてこなかった。


「なあ、どうして彼らは、あんなところに並んでいるんだろうな」


 その声は不意に横合いから聞こえてきた。年の頃は二十ほどだろうか、張りのある、力の籠もった声だった。


 私はそちらに目もくれずに、淡々と返す。


「皆、好きで並んでいるんだよ。生きとし生けるもの、全てが終わりを望んでいるんだ」


「そんなことはないだろう、死んでしまったら終わり、命あっての物種だ」


 声は当たり前のことを宣う。使い古された言葉を、唯一の正解であるかのように、振りかざす。


 それが周りの者をどれだけ傷つけようと、きっとこの声の主は気が付くことは無いのだろう。


 何故ならば、生きることを礼賛するのは、常に恵まれた者だけだからだ。


 それに。


「死ぬことは終わりではないよ」私は、努めて静かに言う。

「そんなことで終われたら苦労はしない。身を投げたかと思ったらまた、あの列に並んでいる。幾度も幾度も、この限りある世界に閉じ込められたままだ」


「何を言っているんだ、君は。死後の世界を信じているのか?」


「信じていないよ。だって、世界は一つしかないのだから。生前も死後もない。前も後もない。ただ一つ、小さな器があるばかりだ」


「……君は、随分と詩的な言い回しをするな。つまり、一言でまとめるとどういうことになるんだ?」


 自分で考えなよ。

 私はそう突き放して、再び斜陽に目を灼いた。影法師たちは、そうしている間にも投身をやめようとはしなかった。


 やめられないのだ。あらゆる命は死の中毒になっている。依存症と言い換えてもいいかもしれないし、実際、死とはそれほどに心地の良いものなのだろう。


 死に魅入られたのではなく、死を魅入ってしまった。


 だから、受動的な死などありはしないのだろう。


 どれだけ突発的に、不条理に奪われた命であったとしても、ここに並んでしまった以上は、単に「順番が来てしまった」ということに他ならないのだから。


「わからないな、俺には。生きることは尊いはずだ。残された人間を想えば、胸が痛むはずだ。愛する者を想えば、心が疼くはずだ」


「わからないだろうね、君には。生きることは尊いからこそ、死は快感で、残された人間も愛する者も、やがては死に至るのだから、その感傷に意味なんてないよ」    


「何もかも否定するんだな」声は憤るように鼻を鳴らした。


「何もかも肯定しているんだ。君は、自分を正しいと思っているから、一つとして事実を受け入れられない」


「君こそ、自分を正しいと思い込んでいるんじゃないのか? 俺は、そんな救いのない仕組みなど、絶対に認めん」


 ほら、また否定した。

 私は頭の中で、また一つ判を押す。認めないのではなく、認めたくないだけなのだろう。


 決まっている。こういう手合は、自分のことは疑わないくせに、水が上から下に流れることは疑う。地球が丸いことを疑う。英雄の死を疑う。全てが陰謀なのだと疑う。


 そこに込められたものが邪気であれ無邪気であれ、歪めてしまっているのなら、責任は取るべきだ。それもできないから、朗々と声を出すのだろう。 


 彼もまた、世界の仕組みの被害者なのだ。


「そう、認めても認めなくてもいいんじゃない? どうせその時が来れば心臓は止まるし、君も、後ろから急かされるように落ちてゆくさ」


 私は立ち上がり、天を睨んだ。死にかけの太陽は世界の半分を焼いていたが、むしろ、両手を擦り合わせてしまいそうな程に肌寒い。


 見送るのは、いつだって寂寥感と二人連れだ。別れを飲み込む機構は私たちに搭載されていないし、だからこそ、この場所は常に冷え切っているのだ。   


 死は。

 人を追いもしなければ、待ちもしない。ただただ静かに口を開けて寝転がっているばかりだ。


 そして、その末期の閨こそが、この終着駅のホームなのだ。


「……ほら、耳を澄ますといい。次の電車がやってくる。遠くで、車輪の音が聞こえるだろう」


 私は呟き、視線を正面に戻す。我先にと群がる影の列は、もはや競うようにして飛び込んでいっていた。


 横合いの声は、呆れるように息を吐く。彼からすれば、その景色はひどく不気味に映るのだろう。


 

 それも仕方ない、ヒトのナカミがグロテスクである以上、それを覗いてしまったのなら、あとは怖気を堪えるしかないのだ。


「ああ、聞こえるさ。聞こえるから、なんだ」


「聞こえるんだね、なら、もう手遅れだ」


「なんだ、お前は。何の話をしている」


「当たり前の話をしているんだよ、だって、それが聞こえるということは――」


 ――もう、君の番だから。


 一瞬、声は不思議そうに傾いた。それが驚愕の色を帯びて、やがて、恐怖に変わってゆく。


「いや、待て、待ってくれ! 俺は、あんな列に並んでなど――」


「いたんだよ。君は、ずっと。順番待ちに並びながら、目を背けていたんだろう」


 そんな、と。染まる言葉を最後に。


 生は尊いと説いた声が。

 救いがあると説いた声が。


 隣人を思えばと説いた声が――轢き潰される。


 止まった電車はひどく無感動に、扉を開けてくれた。車内から漏れてきた微かな暖房が、悴んだ指先を温める。


 それでは、またいつか。

 私の望む死に、逢えるまで。

 


 ホームには、もう、誰もいない。


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