老人と剣

峰川康人(みねかわやすひと)

本文

「爺さん。今度、王国が取り仕切る『大遠征』で怪物の討伐に行くんだ」


「ほう。それで?」


 王都のとある武器店にて傷一つない新品の茶色の革製の防具を身にまとった若者の男性が真剣な目つきで店のオーナーである老人に突如話し始める。

 短い白髪にくたびれた白シャツを着てしわのある紺のズボンを履き、茶色の煙パイプを加えていた男性の老人はそれをやんわりとした表情で聞く。


「あの白銀の剣、俺に売ってくれないか?」


「……なんじゃと?」


 若者は店内の壁に飾られていた剣に指を指しながら店主の老人に交渉を切り出した。思わず老人は顔をしかめた。


「頼む!いくらなんだ!?」


 元気な姿勢の若者に対し、白髪の老人はくわえていた煙パイプを手に取って口から煙をため息交じりに吐き出す。その若者に老人は驚愕の表情を浮かばせる。


「お前さん……あの剣を買いたいというのか?」


 二人の話題になっているその白銀の剣は店内の壁にケースに入れられ、丁寧に保管されていた。


「そう!あの飾られてる超かっこいい白銀の剣!俺はあの剣で大遠征にて英雄になるんだ!!あれでワイバーンやオーク、巨大蛇をズバズバっと斬り倒してかわいい子を救って――」


 子供のように興奮する若者をよそに、老人はどうにも腑に落ちなかった。

 大遠征。王国によって約二十五年に一大執り行われる一大行事。概要は王国が勇気ある兵士や戦士達を国内から呼び集め、一定周期によって増えた国内各地の怪物達を国内を旅しつつ、討伐していく。ちなみに魔物の種類は若者が言ったように多種多様だ。王国側は自国の安全の為、集いし勇士達は報奨と引き換えにこの遠征で己が武勇や知識を怪物相手に示す。彼らは単に力ある者だけでなく、医療に長けた者や土地勘に優れた者など様々な人材がこの遠征に集う。それぞれで活躍した者達は英雄と称えられ、王国から仕官の話や国内で今後についての職務を持ち掛けられる事も。大遠征には王国にとって未来の逸材を探すという目的もあった。その大遠征の日まであと三日だった。


「それにしても凄いなあの剣。ピカピカで綺麗で……」


 店の壁の窓よりも高い箇所に飾られていた白銀の剣にうっとりと魅せられたこの若者もまた『大遠征』に向かうことを志願していた。うっとりする若者を老人は不思議に見る。


(……何故だ。今までこんな事はなかったのに)


 老人の彼はずっと一人でこの武器店を切り盛りしていた。店は二階建てではあるが店となっているのは一階のみで八畳ほどの広さで経営していた。なお、二階は生活空間である。店内は壁際に置かれた棚にナイフや弓矢等が入っており、支えによって飾られた剣が規則正しく並んでいる。


「坊主、あの白銀の剣が欲しいと言ったな?」


「ああ!やっぱ武器を選ぶならこういう場所の掘り出し物ってね!」


 正直若者の理屈が老人にはわからず、思わず首を傾げた。

 老人の武器屋は商売が盛んな王都の中心から外れた通りに建っている。通りは商売が盛んな王都中心と比べて比較的静かで店は他に服屋やパン屋や酒場などが営業している。


「そういや爺さん、何で王都の中心で露店とか出さないの?向こうは今結構盛んだぜ?」


「こういう場所がいいんじゃ。静かでまとまった話がしやすいからな」


 彼がそこを選んだのは商売相手とにぎやかな街の中心ではなく少し静かなところで話が出来るからという理由である。

 この店の主な客層は王国の兵団や傭兵部隊といった所謂団体様。この静かな場所で客人達と必要な武器の量や質などの情報を正確に確認するためだ。なお、王都の武器屋の中ではこの店の広さは平均よりやや小さい方。だが店の裏にこの店よりも広い倉庫があり、店にあるのは各種一つずつで倉庫内に在庫があるという形式だ。若い戦士や遠征参加者は基本的に品揃え豊富な王都の中心の武器屋に行く。同型の武器が複数欲しければここへ。それが老人にとって普通だったため、今日のような若い戦士一人の到来は全く予想だにしていなかったのである。


「なぜ王都の中心の武器屋の方へ行かぬ?あそこなら商売上手な連中がお前さんにとって最高の一振りを金貨二十枚程度で提供してくれるはずじゃ」


 金貨二十枚。王国では平均的な武器の価格だが、王都中心の店であればその額でより良い品物が手に入ると老人は言う。


「そりゃあ決まってるよ!ああいった店は


「ほほう?」


 若者のその返答に老人は思わず笑みを見せて、興味を示す。


「確かに王都の中心の武器屋の商品は悪くない。だからわからないんだ」


「どういうことだ?」


「考えたんだ。俺は英雄になるかもしれない。それがでいいのか?俺はこっちから探しに出てその武器で英雄になる。そうしたいんだ!」


「ああ……こだわりたいと?」


「ああ!それであの剣が気に入った!だから頼む!」


 若者は老人に心情を訴える。


「ふむ。ちょっと待ってろ――」


 老人はとりあえずと思って椅子から立ち上がる。店の隅に畳まれてしまってあった脚立を取り出すと、窓よりも高い位置の壁に飾られていたケースの位置に置いて上り、ケースを手にしてそれを店内の机に置いた。カバーを開き、中にあったその剣を若者の手に取らせる。


「……うぉぉっ」


「気に入ったようだな。それを」


「ああ。こりゃすげぇ。他のどんな剣に比べても切れ味も何もかもが遥かに凄そうだ……」


 若者は汗を流し、その武器をまじまじと眺めては軽く振る。その間、彼は驚愕の表情を浮かべていた。

 その白銀の剣の刀身は一般的な剣と同一の長さ。特に刃こぼれもなく、むしろ店内に並べられた青銅や鉄の剣達よりも遥かに切り裂けそうな刃を持っていた。また、柄や持ち手といった細かい箇所にも手入れがしっかり行き届いていた。傷はなかった。

 そして何よりその剣の刃は店の窓から差し込む光によって輝きを増していた。若者は一段とその剣の魅力に引き込まれる。


「これ、何て名前の武器なんだ?もしかして王国に伝わる名剣のどれかなのか!?」


「……悔恨のかいこんのつるぎ


「え?」


 それまで興奮気味だった若者は老人の回答によって一気に冷める。


「か、悔恨……?何か呪われてるとかじゃないよな?」


「ああ、違う。儂が勝手にそう呼んでいるだけだ。手に入れたのは五十年以上前じゃ」


「五十年!?噓でしょ!?これ……まだめちゃくちゃ斬れそうなのに!?」


「手に入れた時以来、手入れはしっかりしてるからな」


 にやつく老人をよそに、長い年月を得ても未だ刃に煌めきを宿すその剣に若者はまた驚きの声を漏らす。

 しかし若者には疑問が残る。


「じゃあ何でこんな凄そうな剣を『悔恨の剣』なんて呼んでいるんだ?」


 彼は老人に問いかける。なぜこんな立派な武器を『悔恨の剣』と呼んでいるのかを。


「さあな」


「さあなって――」


「それより、この剣はやめておけ」


「えっ――」


 いきなりだった。老人は若者の手から白銀の剣を優しく取り上げたのだ。


「な、なんだよいきなり!?五十年物とはいえ全然まだ使えるじゃん!馬鹿な俺でもわかる!こいつはすごいって!!」


「性能の問題ではない。儂が売るか売らないかなんじゃ」


「……なんだよそれ!?」


 困惑する若者に老人はこう述べる。


「確かにお前さんの言う通り……自らを守り、自らを輝かせる武器は自身の手で選び抜いた武器が一番だろう。だがそれとこれは別。やはりこれは……売れんよ」


「じゃあせめて聞かせてくれ。なんでこれに悔恨の剣なんて名前を付けたんだ?やっぱり誰かの形見とか『何か』があるのか?」


 その問いを老人は無視し剣をケースにしまうと再び壁に掛けた。そして店の隅にある椅子に腰かける。


「悪いな若いの。お前さんにはアレは売れんよ」


 その間、若者はやりきれない表情で老人を見つめていた。

 結局、しばらくして若者は肩を落として店から出ていった。





 その日の夜。老人は店を閉め、店内の机の隅に置かれていた戸棚から一つの帳簿を取り出す。


「そうか……あの日から五十年以上も経つのか」


 あるページを開く。そこにはいくつかの新聞の切り抜きが折れ目なく丁寧に切り抜かれて貼られていた。切り抜かれた記事は発行された順に並んでいた。


――来たれ次代の英雄!迫る怪物達から無辜の民を守れ!


――王都に集結する勇士達に国王より激励の言葉


――偉大なる英雄達の帰還。そして我らの為に眠った者達へ祈りを


「もう大遠征の年なのか」


 老人は店の壁に飾られた剣に視線を移す。蝋燭で照らされた室内でその剣は昼の時ほどではないが刀身を輝かせた。その光が老人の瞳に飛び込んだ時、彼は顔を暗くした。


(どうして儂はここにいる?彼らのようなあの世ではなく――)


 老人はパタリと帳簿を閉じた。その顔は憂いに満ちていた。






「爺さん!やっぱりあの剣を売ってくれ!」


「……な、なんじゃと?」


 若者の来店から二日後。大遠征前日。

 剣を売ってほしいとあの若者が再び来店したのである。


「王都の武器屋全部見てきたよ。中心含めて。でもやっぱりあの剣以上の武器はない。どうかあの剣を金貨六十枚で売ってくれ!」


「ろ、六十枚……?」


 金貨六十枚。一般的な武器の三倍の額で彼は剣を買うと言ったのだ。


(うーむ……こうまでしてぶら下がって来るとは。だが……)


 老人は真剣な眼差しの彼にどう答えていいかわからずしばらく顔を伏せて沈黙した。


(何故儂はあの剣を売るのを躊躇っている?もうこの体だ。目の前の若い者に売ってもよいのではないか?)


 しばし老人は思案に囚われる。自身の老いた肉体と目の前の若き肉体。老人は輝く剣を持つべき者はどっちだと秤にかけていた。


「頼む爺さん!守るために振るってこその剣じゃないか!」


 若者の言葉に老人はまだ口を閉ざしていた。


(そうか。もしかしたら儂はいつの間にかに――)


 老人は大きくため息を吐いた。両者に流れた沈黙の後、そして――


「わかった。売ってやろう。金貨二十枚だ」


 ついに答えは出た。老人のその顔はどこか呆れて笑っていた。


「……ああ!恩に着るぜ!爺さん!!」


 若者は大いに喜んだ。

 こうして老人は『悔恨の剣』と呼んでいた白銀の剣を若者に売った。

 白銀の剣を腰に差した若者を老人は見送ることにした。


「気を付けてな。それと……今度はちゃんとした金貨で支払うんじゃぞ」


 老人のその手の内には数枚の傷や擦れのあった金貨があった。剣を買う時の金貨の一部だったが老人は敢えて良しとした。


「すまねえ爺さん!貰った報奨金で店の品物を棚の端から買って帳消しにしてやるからよ!!」


 そう言って元気に走り去る若者を見送り、老人は店に戻ると隅に置かれた椅子に座り込む。


「どんな帳消しの仕方じゃ」


 老人は彼の大胆な言葉に笑っていた。


「しかし、これで良かったのかもしれんな」


 『悔恨の剣』が収められていたケースがあった壁際の箇所に視線を向ける。そこにはもう何もない。

 店の窓から差し込む光はさらに強くなっていった。それは段々と温かみが増していた。






「わり、ちょっと行ってくるわ!」


 遠征が終わり、若者が武器を手にしてから既に一年以上経過していた。

 若者は王都に帰還した。そして仲間の下を離れ、老人より買った白銀の剣を腰に差してどこかに向かおうとしていた。


「まさか一年以上も経つとはなあ。凄い冒険や戦いしてたようなそうでもないような……とにかく帰ってこれたぜ爺さん!」


 若者は報奨金の入った袋を手に走っていた。その間、街の風景を見ながら若者は遠征の日々を思い返す。


(遠征の最初に同世代の仲間を何人か見つけて互いの出身地について話をして、それから医療班の可愛い子と知り合って惚けていたらワイバーンが飛んできて一人死んで……それで敵討ちにとソイツをこの剣でぶった斬ってやったんだ――)


 腰に差した剣に若者は手を当てる。それは老人に無理を言って売ってもらった剣で彼の武勲を立てた『最高の功労者』と言っても差し支えなかった。


(それから剣の稽古を手練れの人達にしてもらって……森でオークの群れを仲間と共に討ち果たして……『君は勇猛たる一番槍だ』っていろんな人に褒められたっけ)


 彼は遠征を主催した王国の士官や他の仲間達に勇猛さとその腕を高く評価されていた。武勲も貰った報奨金も人一倍多かった。

 若者は周囲の視線など気にせず顔をにやけさせていた。肩を並べて戦った者達。恐るべき怪物の群れ。全身全霊で守りたいと願った人。大遠征で彼は失ったものもあったがそれでも多くを得た。

 その立役者たる剣を授けてくれた老人の元へと礼を言うために向かっていた。


「あれ?」


 しかし、王都の中心から外れた通りの店が並ぶその一角に確かにあったはずのその店はなかった。


「……ここだよな?」


 周囲を確認する。場所に間違いはなかった。そこはまるで何もなかったかのようにがらんとしていた。


「建て替えか?折角何か買ってこうと思ったのに……」


 きょとんとしていた若者。そこに誰かが声をかける。


「あれ?兄ちゃんもしかして……ここに住んでた爺さんの知り合い?」


 中年の男だった。若者はその男に問いかける。


「ええ。あの……ここで武器屋で営んでた爺さんって今どこにいます?」


「ああ、死んじまったよ。確か半年くらい前だったかなあ。急にぽっくり逝っちまったんだ。驚いたよ本当に」


「……え!?嘘でしょ!?」


 報奨金入りの袋を落とし、若者は声を上げて驚いた。老人とはいえ特にそこまで悪いものを持っているようには見えず、むしろ健康に見えていた彼の死は驚きでしかなかった。

 老人と飲み仲間だったという彼の話からどこに墓があるのかを聞き、若者はそのまま墓地へと足を急がせた。 

 そしてもう一つ、その男性は気になることを言っていた。


――あ、そういや爺さんが生前に『白銀の剣を買ったヤツが万が一来たら渡したいもんがある』って言ってたけど何か知らないか? 


 老人と飲み仲間だった彼曰く老人は生前にあの剣を買っていった若者に何かを遺していったとのこと。それはどうやら彼の眠る墓地にあるのだと男は言う。


「ここか?」


「あら?お墓参りに来たの?」


「あ、そうです。お姉さんは?」


 若者が墓の入り口にて中年の男性から聞いた情報から目的のお墓を探そうとしていた矢先、今度は黒いワンピースに身を包んだ不思議な雰囲気の女性に出会った。


「私?ここで墓守の仕事をしているの。誰のお墓を探しているのかしら?」


「えっと……武器屋の爺さんなんですけど。半年前に亡くなった方で。なんでも俺に渡したいものがあるとかで」


「ああ、あのお爺さんね。……ってことはアナタが――」


 女性は若者をじっと見る。そして視線を入り口近くに建てられた木製の小屋に向ける。


「ちょっと待っててね。『預り物』があるの」


 しばらくして二人は掃除用具と『預り物』を持って曇り空の下、老人の墓へと歩く。

 墓地は広大な敷地に一定の間隔で墓石が並んでおり、入り口近くには墓守の小屋、その近くには墓に眠る者達を弔う為の教会がそれぞれ建てられていた。


「それにしても信じられないな……なんというか病気って感じがしなかったというか」


「そうなの?私があった時はどこか後ろめたいというか……なんというか暗かったわね」


「暗い?」


「ええ。じゃないけどなんというか……弱々しくて。あ、ここよ」


 二人は老人の墓の前に立つ。墓石は長方形の板が地面にはめ込まれているように設置されていて、斜面上に名前、そして亡くなった年月日と年齢が彫られていた。

 墓自体はさほど汚れていなかった。だが両隣の墓が偶然にもその日家族か誰かが掃除をしていたせいか若者にはどうにも汚れているように見えてしまっていた。それを見て若者は決めた。


「墓は俺が掃除しときます。案内ありがとうございました」


「いいえ。どういたしまして。渡されたのはその二つよ」


 墓守の女性は笑顔で若者に軽くお辞儀をすると小屋の方へと去っていった。

 若者は受け取った手紙と巾着袋の内、最初に複数枚つづりで構成された手紙の方を開く。


「これは……?」


 案の定、差出人はあの老人だった。若者は手紙を読み始めた。


――お前さんがこの手紙を読んでいるということは儂は既に死んでおり、お前は遠征から元気に帰って来たのだろう。手紙と巾着袋は儂が死ぬ前に墓守に預けた。儂が死に、お前さんがもし儂の下を訪ねてくるようなことがあればこの手紙を墓守に渡すようにと生前に依頼した。

 さて、手紙を遺した理由だが何故わしがあの剣を『悔恨の剣』と呼んでいるかだ。それについてお前さんは聞きたがっていたので理由を書いておく。


 かつて儂がお前さんほど若い頃、儂も大遠征への参加を希望していた。理由はお前さんや他の儂の友と大体一緒で遠征によって栄光をこの手にし、仲間や愛する者を見つけ、そして後世に名を残さんとしていたが為だ。

 その為に手に入れた武器、それがお前さんに売ったあの『悔恨の剣』だ。わしもお前さんと同じように英雄になろうとしていた。

 だが遠征前日、儂は恐怖したのだ。怪物達に。

 怪物討伐の旅が目的である大遠征は当然危険なもの。怪物たちとの死闘で命を落とすこともあれば自然の脅威に晒されて死ぬ。死なずとも手足を失うなんてこともあり得る。そういう風景が自分の身に遠征の数日前から不自然に脳裏を駆け巡り、酒場で遠征の話を聞くときだけでなく、眠る時にもそれは襲い掛かって来た。

 想像したことはあるか?怪物に四肢を食いちぎられる自分を。仲間や恋人を守れず、目の前で殺されていくその光景を。

 そうした光景がどういうわけが数日前から襲い掛かって来てそして前日になった。儂は買った剣を抱きかかえるようにして体の震えを抑えようとした。しかし震えは止まらなかった。

 そして朝が来た。大遠征の日が来たのだ。窓から入る日差しが儂の目に刺さるように入り込んできた時、いよいよ死ぬ時が来たのかと思うようにすらなった。

 そして儂は否応なしに頭に叩き込まれた。腰抜けで英雄になるとホラを吹く醜い存在が自分であるということに。

 昼前に外から足音がした。家の前には王国軍の鎧に身を包んだ者達がいた。志願した儂を探しに来た兵士だった。鍵のかかったドアにノックしてくる彼らに対し、儂はドアを開けることはなくただ彼らが過ぎていくのを待っていた。白銀の剣を手にしながら。しばらくして彼らは帰っていった。


――入れ違ったのかもしれないな


 ドア越しに聞こえた彼らの残念そうだがどこか嬉しそうな声が今も忘れられなかった。ドアを開けて走れば間に合う。そう言う脳裏の声も結局は虚ろに消えた。ドアの前で立つ儂の足にまるでいくつもの蔦が絡んでいるかのようでピクリとも動こうとしなかった。大遠征は儂を置いて始まった。


 それから一年以上が過ぎた。その間、儂は王都内の武器屋で働いていた。商売に関する知識を得るために。その内いつか自分の店を持つために。

 その理由はとても醜かった。英雄を志す熱き意思の若者から日々の糧を得るために日陰で静かに生きる若者に自分を変えることで過去の自分を消そうとしていたのだ。まるで初めから商人志望の若者であるかのように儂はふるまって見せた。

 やがてある時、儂の友で遠征に参加していた男の一人が店に来た。戦士として参加していた彼は遠征で壊れた武器の代わりを買いに来たのだ。彼にその時、話を聞いた。やはり遠征に向かった儂の友や何人かの若人は怪物との戦いで死んでしまったと。話をしていく中で暗くうつむく彼の下にいつの間にか可憐な女性が寄り添って来た。どうやら遠征時に知り合った医療班の者らしく、彼女に怪物の牙が迫った時には彼が武器を手に取って戦い、彼が傷ついた時には彼女がそれぞれ手を差し伸べて手当てして助け合っていたそうだ。

 そうして彼らは互いに深く深く結びつき、一か月後に結婚式を挙げると話をした。そう言って彼は多くの遠征の仲間達が酒場で待ってるからと言って二人で笑顔でその店を出ていった。『それじゃ。遠征の仲間が待ってるから』と言った彼の顔はとても眩しかった。

 彼らとのやり取りの中で儂は後悔と苦痛が交じった波に襲われた。そしてこう思うようになった。


――こんな気持ちになるのなら怪物に食われて死んでいた方が遥かにマシだった


 遠征に持っていこうとしたあの白銀の剣はまだ手元にあった。その刃は輝いていた。叫びたくなるような苦しみを腹にして、儂は次の遠征には絶対に向かおうと決意した。その為に剣術や遠征で必要になるであろう様々な知識を商売の傍らで勉強した。儂に残された道は二つ。次の大遠征にて怪物に無残に殺されるか生き残って武勲を示すか。その二択だけが儂に残された道だと信じて疑わなかった。


 だが次の遠征があった二十五年後、儂はその遠征に参加できなかった。なぜなら集まった人の中で儂は単に弱く、集まった人の中で王国から足切りされるほどだった。若い世代の振るう剣や知識に何一つ勝てなかったのだ。参加できる人数には限りがある為、志願した全員が参加できるわけではない。遠征の中心にいる王国の士官達にどうにか参加できないかと相談してみた。だがやはり無理で、それどころか『何年も商人をしているあなたには出来れば王都でこれからの勇士たちの為に商売を続けてほしい』と頭を下げられた。その時はしまったと思った。日陰で生きることを選んだ自分をその時ばかりは殺したくなった。


 そして春を、夏を、秋を、冬を季節を幾度も超えていく中で王都の外れの通りに建てた武器屋で儂は黙々と商売を続けた。子供も妻も持たずに。王都の中心に武器屋を建てなかった本当の理由は遠征から帰って来た者たちと出来るだけ会いたくなかったからだ。

 『それがどうしたんだ?』とお前はそう言うだろう。儂は彼らを見ているとどうにも心に僻みの炎を灯してしまうのだ。大遠征という危険な冒険から生還し、そして愛する者や多くの友を得た彼らの姿は日陰者である儂の心にはいつの間にか苦痛でしかなかったのだ。だから儂は王都の中心から外れた通りに武器屋を建てたのだ。

 その店に後に儂が『悔恨の剣』と呼ぶ白銀の剣を飾って。


 店を建てて更に二十五年後。逃げたあの日から五十年以上が経過した。しわも出揃い、たまに目も霞むようになってきた儂の下についにお前が来た。色々な客が来たが不思議な事にお前が初めてだった。あの悔恨の剣を欲しがったのは。あの剣は墓まで持っていこうとした。何もできなかったのならせめて共に眠ることが償いだと。そう思った儂は剣を欲しがったお前さんに一度帰ってもらった。

 だがお前さんは再び店に来た。

 そしてこう言った。『守るために振るってこその剣だ』と。

 儂はもう一度、飾られた悔恨の剣を見つめた。未だにどうすべきかわからなかった。それでもこの老いた体と共に運命を共にするには余りにも強い輝きを持っていた。その事に気づいたのだ。だから儂は悔恨の剣をお前さんに託すことにした。勇敢なるお前さんなら儂と剣の周囲にある悔恨を断ち、剣の輝きを誰よりも強くできると。だからお前さんにそれを売った。

 ついに儂は悔恨の剣を手放した。悔いはなかった。

 お前さんに剣を売ってからしばらくしてこの手紙を儂は書いている。なぜこんな手紙を書いているのかは儂自身にもわからない。墓まで持っていこうとした過去を何故誰かに話そうとしたのかを。哀れみが欲しかったのかもしれない。同情が欲しかったのかもしれない。日に日に儂はせき込み、立ち眩みも増えていた。

 もしかしたら儂は待っていたのかもしれない。お前さんのような存在を。儂の闇をあの剣を持って切り裂く存在を待っていたのかもしれないと。そしてそれは叶ったと思っている。

 若者よ。どうか強く生きてほしい。そして願わくば儂の代わりに英雄になってほしい。

 朽ちて死にゆく者からの最後の願いだ。どうか、どうか頼む。






 手紙はそこで終わっていた。気が付けば空の雲は晴れていた。

 若者は老人の手紙を読み終えると泣きそうな表情を浮かべながらもう一つの老人が遺していった巾着袋を開いた。中には傷や擦れを含む金貨二十枚と小さな紙が入ってあった。若者は紙の文字に目を通す。


―—仲間と飯を食うにしろ、愛する者と暮らすにしろ金はいるもの。商人からの確かな意見と贈り物をお前に託す。持って行け。


「……ありがとよ、爺さん」


 最後の一枚を読み終えた時、いつの間にか涙を零していた若者はせめてものお礼にと墓を目一杯に掃除した。そして墓前にて腰に差した剣を引き抜いて空に掲げると剣の刃に陽の光に当てて輝く刃をさらに輝かせてみせた。

 涙をぬぐい、赤くなった目で若者は高らかに大きな声で宣言する。


「約束するぜ爺さん!爺さんの悔恨を断ち、そして託されたこの剣で大切な人達を守るために振り続けて俺は英雄になるって!!」


 輝いた刃の光が老人の墓に当たる。老人の墓はその光で輝いているように見えた。

 後にその『若者と剣』は『英雄と名剣』として王国の歴史に刻まれる。

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老人と剣 峰川康人(みねかわやすひと) @minekawaWorks

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