第4話ローローアウトロー

 四年前、夜の新宿に梅下正志ことマサシはいた。


「マサシ、探してるガキ見つけたぞ。」


「ヨシダさん、有難うございます、助かりました!」


 骨伝導マイクフォンで通話しながら、マサシこと梅下正志は勢いよく頭を下げる。


 所は新宿の雑踏の中だ。下げた頭が前を斜行しようとした歩行者にぶつかりそうになって、マサシはその相手にむかってもう一度頭を下げる羽目になった。


 頭突きをもらいそうになった初老の男はなにか言いたそうに口を動かしたが、マサシのいかにも悪党といったいでたちを見ると軽く会釈して不承不承といった様子でその場を離れる。


「めんどくせえガキどもに絡まれてるみたいだが……出ていった方がいいんだよな?」


「いえ、地場の方が出て行っちまうとそれこそ迷惑かけてしまうことになるんで自分がなんとかします」


 マサシは通話しながら雑踏の通行人を器用に避けながら足早に前に進む。


「そりゃガキどもも災難だ……レオさんによろしくな」


「うっす、アザッス」


 通話を切って、目に痛い照明の林と人込みの間を縫うように、夜の深くなる方へマサシは小走りを始める。



「え、嫌なんですけど普通に」


「いや、ぜってーそうだから。いいじゃん、マスク外して見せてよ。君ハジメちゃんでしょ?お父さんの動画のファンなんだよ俺」


「しつこいな。それに人の話聞いてない。あたしがそうかそうじゃないかの話じゃなくて、見せたくないから断るって言ってるの」


 歌舞伎町の外れで、少女が一人、自分を囲んだ少年たちを睨みつけている。見上げる視点になるが、総合娯楽施設の巨大なビルがそびえる場所だ。人工の光が眩い。


 顔を隠すためのマスクを少女は引き上げる。


「えーじゃあ……断るのを断るけど。おれらに外されるより自分で外した方が平和じゃない?」


 この、総合娯楽施設近辺に形成されるコミュニティは警察や自治体からも問題視されており、監視の目は厳しい。その為、逮捕送検されるものも複数回にわたって出ており、コミュニティは急速に衰退しているという背景がある。


 トレンドとしてはこの場所にコミュニティを置くことは近年では『終わった』、過ぎ去ったものとしてとらえられている向きが強い。


 しかし、未だにそれが把握できないものや情報を捉えるのが遅いものはこの場所に留まっており、警察や自治体もリソースを割いてはいるが『終わりつつある』問題の場所から監視の目やリソースを引き上げ始めていた。


 しかし、未だ健全な場所というには隔たりが残されている。


 掬い切れない淀みは未だこの場所に残っていた。


 見知らぬ少年たちに囲まれ難儀をしているといった様子のレイハジメからしても、ここはそうした場所だという知識はあるにはあった。


 家出して新宿近辺に住む友人の女子の部屋に暫くいる折り、彼女と別行動となった後にこの場所に足を踏み入れてしまったのは、不用意ではあったろう。


 レイの父親がそこそこ名の知れた動画配信者で、彼女の顔が思っていた以上に人に知られているという意識も甘かった。


 しかし、なによりも彼女が常日頃抱えている虚無感や孤独感が、それを緩和してくれる雑踏や、人工の光のある場所に向かわせたというのが最も大きなところだろう。


 この場所でくだを巻き、自分の内側のなにかに酔いしれる少年たちは、支配できる程度の事件を求めて退屈していた。


 名前を欲する自分たちが群れを成して吹きだまるこの場所に、自分の名前を知られた少女が一人で来たのだ。


 それは、彼らにとってそこに群がる口実として十分だ




「警察呼ぶよ」


 少女が、ツートンのサコッシュに手を添える。


 スマートフォンを探る動きとみて少年の一人が素早くその手を掴んだ。


「え。そんなこと言われたら呼ばせるわけないじゃん」


「マスクマスク!マスク剝がせ!」


 ショートボブの髪型に下膨れの顔をした少年がはやし立てる。


 右手にいた同じ髪型の、フライトジャケットの少年が半笑いの表情でレイの顔に手を伸ばしてくる。


 レイは顔を背け、掴まれた腕を振りほどこうと抵抗を示すが、腕を掴んだ少年に強く引き戻されてしまう。


「かーお!かーお!」


 バチン、という音が横合いから鳴る。


 たたらを踏んだショートボブの少年が腰砕けになって、スチールの看板に衝突して、そのままダウンする。


「船谷もカスだが、かと言って新宿なんてくるもんじゃねえな、人が多すぎる」


 横合いからショートボブの少年に渾身のストレートを見舞ったマサシが拳を振って、少年たちを睨みつけた。


 少年たちも、場所柄揉め事には慣れているし、悪党も今日び簡単には自分たちに手出しできないことを知っている。


 レイのそばに立っていた少年二人が、マサシからゆっくりと間合いを取りながら野次る。


「何々……?チンピラ?田舎の人?」


「その服かっこいいっすね、どこで買ったんすか」


「東京見物っすかぁ……?」


 マサシは、構えを作らない。


『格下に前のめりにならない』


 格闘技を習得した身であるがそれはケンカ屋で鳴らした自分の矜持ではあった。


「おおよ、珍しいサルの繁殖期見るとテンション上がるなぁ、新宿動物園」


 若干距離の離れていた二人は、逆に下がる二人をカバーするように、回り込みながら前進してくる。


(四人か。一人一発で黙らせねえと困ったことになるな)


 胸を張り、待ち受ける立ち姿を崩さないマサシに苛立った少年が、舌戦を吹っ掛ける。


「おじさん何処の組の人?後が怖いよ。つかなんでオレらに絡んできたん?」


「オメェーらも知らねえガキに無理やり絡んでんだろ。それと同じで理由なんかねえよ」


「は?理由もなしに人を殴るなんて頭おかしいんじゃないの老害」


「方便つうのがあるぜ、子供。田舎から新宿くんだりまで来て群れてるサルの方が方言には詳しいんじゃねえのか?あれか?電車で来たのか?」


 舌戦を打ち切り、まず正面、左手の少年がマサシに向かって間合いを詰めてきた。


(こいつは問題にならない)


 大ぶりのフックを躱し、反撃を見送って突き飛ばして通り過ぎるようにこの相手をいなすと、そのまま勢いを殺さずマサシは左に半回転する。


 たたらを踏んだ相手の、ガラ空きになった背面にフックを叩き落す。


 背中から腎臓の位置を打ちぬかれてはたまらない。少年はオッと唸って前につんのめる。


 ダメ押しにもう一撃、マサシの反対側の手から無情なフックが飛ぶ。バスン、とでも言うような密度のある打撃音がして、少年は膝を追って頽れた。


「シャッ」


 その右手、やや遠間からマサシの膝を狙ってタックルを仕掛けてきた相手にカウンター、下段寄りのミドルキックが飛んだ。


 振り抜かずともタイミング、威力も十分できれいな軌道の蹴りにしこたま首筋を強打された相手は身体を支えきれず、硬い石畳の上をすべるようにダウンする。


 路面の石畳が少年の顔面の皮を割き、石畳は汚泥に濡れたように汚れる。


 振り抜かなかった蹴り足を素早く戻して飛びのくと、飲料の空き缶がマサシの頬を掠めた。陽動か。


 側面、後ろに回り込む影を見てマサシは頭部を守りながら腰を落としてそちらに旋回する。


 空き缶に気を取られた遅れが大きい。側面に回り込んでいた相手はマサシの腹に腕を回し、クラッチを固めて拘束する。


 正面で間合いを取ったフライトジャケットの少年が自分のポケットを探る。


(光り物……)


 マサシは小さく舌打ちした。


 しかし、腕を上げてガードしていたため羽交い絞めは免れていたのは幸いだ。


 まずマサシは、自分の腹の上でクラッチされた相手の指を一本握りこむ。


 マサシの予想通り、少年はポケットから何か光るものを取り出し、展開する。猶予がない。躊躇なく握りこんだ指を反らして折る。


 相手の重心がわずかに揺らいだところを突いて、重心を下に落としてから身体を回し揺するようにして、重心の崩れを大きなものにする。


 背筋と肩の筋肉、それから腕を使って重心の崩れた相手を振りほどく。遠心力と筋力、それに姿勢を戻そうとした自分の力を利用されて、少年はクラッチを切られた上に、投げ飛ばされるように振り飛ばされる。大東流の返し技の形の一つだ。



 ナイフを手にした相手が前進してくる前にマサシは振り飛ばした相手の二の腕に手を添え、密着した状態から足を掛けて転倒させ、裏に回り込む。


 投げる相手を盾にして緩い襟を掴んで引き、背部から裸締めに掛ける。


 マサシの体躯は、ナイフを持った相手からは隠れ、締め技を掛けられた少年の身体が盾になる。


「やめ……ろ……」


 首を絞められながら少年が呻いた。


 雷火の手際で優位を崩され、ナイフを手にした少年は、立ったままパニック状態になり、一歩あとじさる。


「そおだ、おまえからももっと言ってやれ。さすがに道具持ってる奴相手だと」


 マサシが、相手を締め落とさぬよう加減を加えながらもなお首を揺さぶる。


「手加減できねえからな」


 相手の肩越しに、マサシの眼光が少年に突き刺さる。


 彼が締め落とされれば、ナイフがあるとはいえこの男と一対一で勝負することになる。


 少年には、手にしたナイフよりもマサシの眼光の方がずっと鋭く見えて、彼はもう一歩あとじさった。




「はあ、探したぜ、レーちゃん」


「ありがとう、サンガ社長のところの人でしたよね……?」


 短く整えた眉の、野蛮だが下劣さのないこの男に見覚えがあった。クロちゃん……九龍院と話していた男だ。


「あー、あの親父さんだからな。行先なんかわかんねえって言われてさ。船谷で知ってるゴンタどもに頼んで探してもらったら、今新宿あたりにいるっていうじゃんか」


「……パパのところに連れ戻しに来たの?」


 金髪の下の大きな目が、マサシを不安そうに見上げる。


 その表情は、年相応に幼い。


 大分背伸びをした服装に、この金髪もあの父親の動画の為に染められたのだろうか?


 マサシは、胸の底に不快な澱が溜まるのを認識する。


 人の家の事に首を突っ込んで良しとする時代ではないが、しかし。


「……」


 サンガは、簡単にではあるが彼女の身の上をサンガに聞かされていた。実際は、彼女の父親からは何もリクエストされていない。それを彼女はうすうすとはわかっているのだろうが……。


(やっぱ、どっかでそうだと答えを貰うことを期待してるんかな……)


 マサシは、人情の機微を察するに長けたところがある。


 しかし、事実をそのまま伝えるのにも、そうだと言ってこの場を取り繕ってこの少女を失望させることにも両方抵抗があった。

 幸いなことに、今日、彼は第三の答えをサンガ社長から預かってきている。


「あー、オレはサンガ社長から探してきてくれって言われただけだからな、あんたのお父ちゃんに話聞いたのは社長だよ」


 影を落として、レイは俯く。


 その影を嫌ってマサシは、畳みかけるように一気に用件を打ち明けた。


「カラウス……だったっけ。オレは知らねえけどそいつとクロと社長が話して、バンチョーの所に住んでもらうのはどうかって話が出たみたいなんだよ。あんた、知ってるかな、バンチョー」


「カラたんとクロちが?」


 ぱっと表情に光が差したのは、彼女が上を向いたからというだけではあるまい。


(乙女だねぇ)


 少々早口になったマサシの言葉を拾って、レイの影が晴れる。


 その声が意外と大きかったもので、マサシは驚いた。


「つか全然関係ない事聞いていい?」


「はい」


「さっき服装の事煽られたんだけど、このジャケットダサくないよね?」


「えっ……うーん……」


「マジかよ……高かったのによぉこれ……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヨルノクローラース 二木一 @nikki__ichi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ