孤独を

eLe(エル)

おまじない

 雪の降る午前十時。

 

 お父さんお母さん。私の人生は終わりました。

 

 それは今日で二度目のこと。

 

 私は殺されたのです。無機質に佇む、この白い看板に描かれた数字の羅列に。


 ---


 二度あることは三度あるというけれど、財布を落とした日にもう一度財布を落とすとは考えにくい。何故なら人は学習する生き物だし、健全に生きていればその失敗の痛みを覚えて、気を付ける。


 そして何より私は、この物語の主人公だから。物語には喜劇か悲劇しかない。私は中途半端な喜劇の主人公。そこそこ裕福な家に生まれ、平凡に育って今に至る。故に創作のような怒涛の展開に覚醒したり、大勢から同情されるような凄惨な事件の被害者になることはない。それは、私が気をつけて生きてきたからだ。


 でも、それはもうどうでもいいのです。私は失敗したのだから。


『貴方は優秀な子よ』


 そう言われて、自分もそれを疑わなかった。教師も同級生も、当たり前のこととしていた。そんな私が、受験に落ちた。皆が驚いたことだ。


 けれど、それは私が一番に驚いた。振り返ってみれば、ちょっとした気の緩み。油断。慢心が故。しかしどうしようもない。私は引きつった笑顔を浮かべながら、


「いやぁ、油断しちゃった。驕ってたのかも」


 と、口々に説明していた。その都度、心の底から湧き上がる業火に焼かれ、引き裂かれるような痛みに襲われる。何でこの私が、こんな屈辱を味わわなければならないのだ、と。


 かくして、私は孤独になった。あれほど充実していた取り巻きは掌を返し、教師は落胆した。母親は気が狂ったように毎日叫び散らし、父親は私を見限った。


 そんな私は、一度死んだ。死んだようなものだった。

 いっそのこと死んでしまおうかと考えたが、死んだ方が心残りであった。今この惨めな風評のまま借金を返さずに逃げ出すような真似は、残された矜恃が許さなかった。


 それから私は、独りでもがいた。浪人だ。それは特別珍しいことじゃない。わかっている。けれど、私にとっては特別で、例外で、異常事態だ。


 日々様々な葛藤に苛まれ、身を焦がし、何度も川に飛び込んでしまおうか、家に火をつけようかと悩んだことだろう。それでも私はやり遂げた。


 その頑張りに、少しずつ周りの信頼を取り戻していった。温かい声、背中を押す声。凍りついた心に、それは痛みを伴うほど沁みるものだった。


 けれど、ここで慢心するわけにいかないのだ。私はこれから、たったの一度でも失敗することは許されない。そうして準備に準備を重ね、リベンジへと挑んだ。確定的な勝利を手にする為に。


 ---


 誰もいない時間にここを訪れ、その時には降っていなかった雪が強くなっていた。その雪が積り始め、やがて人だかりが出来始める。願う声、啜りなく声、雪を踏み締める音が、一人佇む私の心臓を震わせた。


 吐いた息を眺める。刻一刻と、意識が遠のいたように音が消えていく。


 ——そうして起こるのは、歓喜と悲鳴。項垂れる人々、抱き合う人々。どれもこれもが去年目の当たりにした光景だった。


 それを今、私はどんな顔をして見ている?


 ---


 我に返った時には、ここには誰もいなかった。係員に促され、その場を後にする。身体が相当冷えていたことに気がつき、震え出す。いや、これは寒さが理由ではない。私は一体、どうなった。あれは、確か。


 ——係員が番号の書かれた掲示を晒し出す。その瞬間、何百回と記憶した受験番号を探し出した。その作業はほんの数秒で終わったはずだったのだけれど、決して終わることはなかったのだ。


「……やった、やった!!」


 静かに拳を握りしめ、颯爽とその場を後にする予定だった。けれど、柄にもなく喜んでしまう。声を上げ、両手を上げて、飛び上がる。もう一度掲示を眺める。


 あれほど恨んでいた番号の羅列が、今は愛おしい。ありがとう、ありがとう。感謝しながらその番号を何度も心の中で復唱する。報われたのだ。


 いや、考えてみれば当たり前だ。これほど準備をして、これほど努力をした。私の物語の読者は、こんなどんでん返しを見たかったに違いない。報われない主人公など、何の存在意義もない。もう一度失敗してしまったらと考えることはあったが、そんな未来は想像出来ない。想像足り得ないのだ。それに、既に一度死んでいる私だ。受かってもまだ、マイナスなのだ。


 それでも今この瞬間、歓喜に浸ることくらい許されてもいいだろう。家に着いたらまず最初にベッドに飛び込んで、枕に顔を埋めて叫ぼう。そうしてから両親にお詫びと感謝を伝えるのだ。そして……


 そして?


「いや、落ちたんだよね」


 ——はは、と乾いた笑いが漏れる。どこから気を失っていたか。今のは、走馬灯だろうか。寒すぎて幻覚を見ていたらしい。母親に短いメッセージを送る。既読が付いてそれきりだ。


 復縁した友人たちとのグループ。どこから話が漏れたのか、一切連絡は付かなかった。正直、当たり前だと思った。


 二度死んだ私は、一体どこにいるのだろうか。


 これが架空の物語なら、この後私が自殺をするだとか、自暴自棄になる話があったり、もう一度再起を図って努力するような、そんな落ちが付くのかもしれない。


 でも現実は非情だ。私は慢心というレッテルを一生剥がせないまま、ここでフェードアウトすることもなく、傷だらけで塩水の中を歩くみたいに生きていく。


 誰からも白い目で見られ、期待を満たせなかった不良品として生きていくのだ。私は決して、恵まれていないわけではなかった。それは、免罪符を取り上げられているのと同じだが、そもそも成功する確率が高いのだから文句も言えない。


なんて、一層自分を追い込む論理に嫌気が差す。私は老人になるまで、惨めであることが確定している。ほんのちょっとの慢心と、自分への甘さ。


『これは絶対に大丈夫だ』


 という、根拠のない自信。いつしか不安に押し潰され、本質から目を背けていたのかもしれない。二度目は落ちない。そんなジンクスに縋り付くだけで。


「……次は私かぁ」


 ふと思い出して、呟いてしまう。


 誰かから温かい言葉を掛けられても、それは気休めでしかない。何を言われても頭から火が出てしまう。もはや腫れた存在である私は、どうしてこうなったのか。運が悪い? 努力が足りない?


 いや、そういう運命だったのだろう。私は私という存在に、こうであると盲信していた。こうはならないだろうと、確信していたのに。


 こんな喜劇にも悲劇にもならない現実は、まるで面白みがない。故に、誰も寄り付かなくなる。私が第三者なら、わざわざ関わりたいとは思わない。まるで前科でも付いたみたいに、私が私として生きている限り、それは消えない。


 であれば、これ以上は蛇足だ。ここで幕を下ろす人生も、一興かもしれない。とはいえ、それでは余りにも面白みに欠ける。


 何がそうさせたのか。それは誰にも分からない。分からないけれど、この世には目に見えず俄かに信じがたい、因果やら運命というものが確固として存在しているのだ。


 それが原因なら、せめて一矢報いたいと思うのだ。私は私の運命を呪っている。


 だから私は、貴方に会いたい。


 ---


 私が十歳だった時に、とある小説を読んだ。

 それは親戚のお姉さんが紹介してくれた本。親戚が集まってる中、唯一一人で、暗い顔をしていた彼女の顔を、今でも覚えている。


「これ、面白くない」


「そうだよね。でも、面白くなくて当然なの」


「どうして?」


「これはね、呪いの本だから」


 その時の彼女の引きつった笑顔が、今でも私を苦い顔にさせる。


 今ならその時の気持ちが分かる。私も一人、同じ顔で笑いながら、これを書いている。


 だって、独りぼっちは嫌だよね。




 了



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