出立して

「……時間か」


 まだ日も昇らぬ、夜明け近く。勇者は、ベッドから静かに身体を起こす。


 前日のうちに用意した、革製の鞄を背負う。寝袋と火おこし道具しか入っていないその鞄が、嫌に重く感じる。


 続いて、愛用しているベルトポーチと、革製の鞘に入れた愛刀を腰に着ける。金属部品が少ないので、かなりの消音効果が得られる優れものだ。


 それに、丸盾。木と鉄で作った丸盾になめし革を貼り付けた、冒険初心者用の盾。木と皮は矢を、鉄は剣撃を和らげてくれる。経験上、戦闘にこれ以上の盾は必要ない。


 まぁ、ドラゴンの炎や高位魔法になると防げ無いが……それはほとんどの盾において同様である。


 後は防具。籠手、胸当て、佩楯、臑当。背中は鉄板仕込みの鞄がある。問題は頭だが……勇者は鉢金しか持っていなかった。


「無いよりマシか」


 そう呟きつつ、勇者は頭に鉢金を巻く。兜は高い。視界も妨げられる。不意打ちは怖いが、仲間がいる。大丈夫。


 勇者は装備を検め、自分の部屋を見渡す。畳まれた布団、チロチロと燃える蝋燭。他には何も無い、殺風景な部屋。思い出は、全てあの村に忘れてきてしまった。


「…………」


 勇者は音もなく扉を開け、玄関へと向かう。シンと静まり返ったリビングに、血の匂いが漂っている。匂いの元を辿れば、台所の麻袋があった。


「〜…………」


 どこか安心した勇者は、踵を返して外へと向かう。


「行ってきます」


 勇者はそれだけを残して、肌寒い春の空の元、約束の酒場へと向かった。




 カラカラン


「邪魔するよ、マスター」


 ドアベルの音を鳴らしつつ、勇者が酒場へと足を踏み入れる。ここのドアベルは、勇者が幾度となく音も無く扉を開こうとしてきた。しかし、終ぞそれは達成する事ができなかった。


「いらっしゃいませ。いつもので宜しいかな?」


 マスターはガラスコップを拭きつつ、勇者へと問い掛ける。"いつもの"とは飴湯のことだ。まぁ、夏だけは冷やし飴になるが。


「ああ、頼むよ」


 勇者は自然とカウンターの椅子へと腰を下ろし、飴湯を作る過程を眺めていた。


「どうぞ」


 小さなガラスコップに注がれた飴湯。

 それを勇者は一息に飲み下す。


「……うん、甘い」


 何処か懐かしい、麦芽と生姜の味わい。子供の頃から、これを飲むのが好きだった。時には、これを飲むために喉を潰したものだ、と、勇者は思い出に浸る。


「……そういえば、待ち人がいらっしゃいますよ。ほら、あそこの席です」


 マスターが勇者に、一口飲み終わった所を見計らって声を掛ける。彼が示したテーブルには、酒の入ったグラスを片手にニヤけている男がいた。


「あれ、戦士じゃ無いか。てっきり僕が1番かと思ったのに」


 勇者はそう呟きつつ、飴湯を手に戦士のテーブルへと移動する。


「そりゃ残念だったな。昨日の夜から1人だよ」


 戦士はグイと酒を仰ぎ、グラスを空にして見せる。


「魔法使いは? ご飯をいただきに行ったんじゃ無かったかい?」


「最後になるかも知れねぇんだ。一家団欒に、部外者は邪魔だろ」


 戦士は達観したような、静かな声で語る。両親が既にいない彼は、1人で夜を越したらしい。


(こういうところなんだろうなぁ……魔法使いも苦労人だ)


 勇者は、魔法使いの想いに関して口をつぐんだ。


「そうか。……それで、何を飲んでるんだい?」


 勇者は、しんみりとした空気を払拭すべく戦士の酒に話を移す。


「決まってんだろ。火酒だ」


 火が着く酒、通称火酒。どんな酒豪も、酒瓶1つで泥酔するという酒だ。それを涼しい顔で呑む戦士は、異常者と罵られても仕方がない。


「大丈夫か? 動けなくなるんじゃ無いのかい?」


「で〜じょぶ大丈夫。まだ酒瓶3本だ。俺が酔うには、まだまだ程遠いからよ。……呑むか?」


 因みに、火酒の酒瓶3本は常人の致死量に近い。


「いや、いらない」


 もちろん、勇者は断った。まぁ、実際は下戸なだけであったが。


 カラカラン、カラン


 そんなやり取りのさなか、2回続けてドアベルが鳴る。誰か来たようだ。


「お邪魔しま〜す……ほら、しっかり立って下さい魔法使いさん」


「眠い〜寒い〜。僧侶ちゃん温っためてよ〜」


 柔らかな少し困った声と、眠たげな声。僧侶と魔法使いだ。早朝という曖昧な時間指定であったにも関わらず、ほとんどの誤差なく集まったのは冒険者だからだろうか。


「やあ、おはよう2人とも。随分と仲良くなったね?」


 勇者は2人へと声を掛ける。それと同時に、ほぼ初対面であった彼女らが仲良くなっている事を不思議に思ってか、軽く問うた。


「あ、お待たせしてしまってすみません勇者様。道すがら合流しまして。そこで、女の子同士のお話と言いますか……それで」


 言葉を濁しつつ、必要な情報は提供する僧侶。十中八九、戦士についての話だろう。昨日の"争う気は無い"という耳打ちの真意を問いただす内に仲良くなった。そういう経緯。


(なるほど。昨日のアレか)


 勇者は黙して納得した。


「おはよ〜戦士、勇者。……ぁふ」


 魔法使いは小さく欠伸をしてみせる。わざとらしいフリだったが、戦士にはバレなかったようだ。


「おう、大丈夫か? そんな眠そうな状態で」


「無理。おんぶして」


 そう言いつつ、魔法使いは戦士の後ろに回り込んでもたれかかる。


「歩けば目が覚める。歩け」


 が、戦士は残った酒をグイとやりつつ塩対応。つまり、いつも通り。素面でも酔っていてもコレとは……戦士は硬派である。悪い意味で。


「言うと思ったわ。は〜あ。さっさと勘定済ませなさいよ」


「終わってる。んじゃ、勇者サマ。行くとするかね」


 魔法使いはフリをやめ、さっさと机の上の瓶を片付ける。

 戦士は残った火酒をグイと一気。酒灼けしないのが不思議でならない。



 カララン、カランカランカランカラン



「……またのお越しを」


 誰も居なくなった酒場に、マスターの渋い声だけが静かに響いた。




 王都の領域を出て3日。勇者達は王都近郊の廃村で足止めをくらっていた。


 理由は簡単。魔物が異常に強くなっている。王都の領域は、いわゆる雑魚しか出現しなかった。が、その外部。紫の霧が立ち込め、魔物がひっきり無しに襲ってくる。


 ただのゴブリンさえも、一撃で仕留められぬ程。それも、レジェンド……最高ランクの冒険者でもだ。


「あ〜クソ! どうなってんだこの辺りの魔物共は!」


 戦士が疲弊した様子で、廃村の外から戻ってくる。

 下から上まで、ベットリと着いた赤黒い返り血。自慢の戦斧は血に塗れ、激戦を物語っている。


「お帰りなさいませ、戦士さん。治療しますか?」


 倒壊した家屋から、ひょっこりと顔を出したのは僧侶だ。

 勇者達は、その家屋を宿にしていた。三角屋根の真ん中に焚き火を据え、周りには焼け残った茣蓙が4枚。宿としては最悪だが、野宿の部類としては上等……といった模様だ。


「いや、怪我はしてねぇ。水浴びだけしてくる。飯、あっためといてくれ」


 戦士はぶっきら棒にそれだけ言い、井戸へと向かう。

 近くに川もあるが、1人裸で水浴びは危険すぎる。故に廃村の中の井戸を使うのだ。


「んん……戦士が帰って来たのか。おはよう、僧侶」


 音に気づいたのか、勇者が茣蓙から身体を起こす。こちらもかなり疲弊しているようだ。目の下にはクマができ、小さな傷が随所に散見される。


「おはようございます勇者様。戦士さんは水浴びに。ご飯を温めますが……勇者様も召し上がります?」


 僧侶は鉄鍋を焚き火の上にかけ、昨日の残り物を温める。

 因みに、気になるメニューは"干し肉とスライムのドロドロシチュー"。味はお察しである。


「お願いするよ。食べなきゃ動けない」


「分かりました」


 僧侶は鍋に水と少量の岩塩を砕き入れ、水増しする。

 味は元々が酷いので、岩塩は気休めだ。水と肉と塩。冒険者の食事はこんなモノばかりだ。


「ただいま〜……はぁ」


 と、魔法使いも戻って来た。外傷は無いが、精神的にかなり疲弊している。三角帽子やローブには枝葉が付き、近くの森に行っていた事が見て取れる。


「おかえり、魔法使い」


「おかえりなさい、魔法使いさん。シチュー、入ります?」


 魔法使いはフルフルと首を振り、自分の茣蓙へと腰を下ろす。それから、懐に入れていた麻袋を取り出し、中身出す。


「周辺で食べられるモノはこのくらいね」


 中身は、数種類のキノコと野草。食べられるだけであって、どれも味は最悪。基本的に苦いかエグい。……まぁ、ドロドロシチューよりかはマシだが。


「ありがとう。……エグミタケ、マキノコ、薬草、ブラッドベリー、か。殆ど調合素材だね」


「この辺、素材の産地なのよ。魔法使いとしてはありがたいんだけどね〜。食べるとなると困るわね。……僧侶ちゃん、頑張って!」


 魔法使いは僧侶の肩をポンと叩く。苦々しい笑顔から、それがどれだけ難しい事かが良くわかる。


 因みに僧侶は回復要員なので、基本的に拠点でお留守番である。他にも結界を張ったり、火の番や調理をしたりと、縁の下の力持ち的な役割だ。


「干せば幾らかマシにはなるのですが……時間が無いですからね。"不味い"を"苦い"くらいにはして見せます」


 素材もとい食材を手に、苦笑いで応える僧侶。健気である。


「だぁ〜疲れた!」


 戦士が水浴びから戻って来ると、4人で食事をする。この食事の時間に情報交換をし、今後の方針について語り合う。


「で、戦士。この廃村を拠点に行動して3日。君の見立てでは、どのくらいのランクだと思った?」


 ランクというのは、各魔物に割り当てられる強さの指標だ。現在はアイアンからレジェンドの16階級がある。


 これは冒険者のランクともリンクしており、自分と同等か1つ上のランクの魔物が討伐可能範囲。それ以上は危険。また、それ以下のランクは捕獲可能範囲となっている。


「……んん、耐久面だけなら、少なくともプラチナはある。以前ソロでやり合った竜と同じ感覚がしたしなぁ」


 戦士はドロドロシチューを飲み込みつつ、顎に手をやって答える。プラチナは上から数えて5番目。魔物に例えるならば上級の竜種か、町を襲う魔物の軍勢か。


「耐久面だけなら、か。やっぱり、動きはそのままだったよね?」


 戦士は勇者の言葉に黙して頷く。要するに、皮膚が異常に硬いだけと言う事だ。……竜種並みに。


「……いいかしら?」


 魔法使いは読んでいる魔導書に目を落としたまま、静かに手を挙げる。いつもは聞いているだけだったが、今日だけは何かあるようだ。


「珍しいね。なんだい?」


「見て」


 魔法使いはそう言って地図を広げる。地図は、廃村を中心とした詳細図で、後から書き足された記号や図形で埋め尽くされていた。


「これは……この辺りの地形図、かな? 村長宅でも漁ったのかい?」


 基本的に、村を中心にした詳細図というものは出回っていない。各村々で制作するか、重要な場所なら国が制作してくれる。故に、一冒険者が所持している事はほぼ無いに等しい。


「入手先はこの際どうでも良いでしょう? 重要なのはこの線よ」


 魔法使いはそう言いながら、地図上のいくつかの曲線を示す。それぞれの曲線には数字が割り振られており、村から北は大きく、村から南……即ち王都方面は数値が小さくなっている。


「これは、魔力濃度の等高線よ。恐らくだけど、とある中心点から放射線状に広がってる」


「……続けて」


「周辺の調査で分かったのだけど、この線に沿って魔物の強度や筋力量が上がっていたわ。後、それに比例して私の魔力の低下と一時的な痺れがあった。……要は、弱体化ね」


「……つまりだ。まとめると、こういう事かな? ある場所を中心に、魔物を強化し、人間もしくは僕達を弱体化する魔法的な力場が発生している、と」


 魔法使いは無言でパチパチと手を叩く。勇者の言った事で間違いないようだ。


「んで? どうすりゃ良いんだ? 話からするに、その真ん中にある何かをぶっ壊しゃ良いのか?」


 戦士が空になった腕を僧侶に渡しながら、誰ともなくに目的を提示する。決定権は自分には無いと、遠回しに言っているのだ。戦士とは、そう言う奴であった。


「場所の目星は付いているのかい?」


「北に、攻め落とされた砦があったわ。曲率から計算しても、合致したわよ。距離は……2日って所ね」


「よし! 皆んな、行けるな?」


 勇者が聞くまでもなく、皆準備を整え始める。道があるなら、進むだけ。そう言うモノだ。


 ◇  ◇  ◇


「……将軍様、勇者達が動きます」


 光の届かぬ、どこか。くぐもった女の声が、静かに告げる。


「ふむ、早かったな。魔法に精通する者がいたか」


 将軍と呼ばれたモノは、手元にあった水晶を起動させ、外界の様子を映す。闇に満たされた部屋に、水晶の光が溶け込む。


 やわやわとした淡い光は、部屋とそこにいる魔物を明らかにした。執務室のような部屋。古びた、しかし気品を感じる椅子と机。


 机の前には鉄仮面を着けた騎士が立ち、その対面。椅子にはグズグスになった死体が、水晶を眩しそうに見つめる。


「いかがいたしましょうか?」


 鉄仮面が小首を傾げ、顎に指を当てる。その仕草は、騎士と言うよりも幼い女児のようであった。


「魔霧の砦を目指す気か……。砦にスケルトンを100程忍ばせて置け。まずは小手調べだ」


 そう呟くように言いつつ、死体は鉄仮面に手招きをする。

 嫌がる様子も無くそれに応え、死体の隣へと跪く鉄仮面。

 ソレは、上司と部下の構図では無く、愛する者同士の構図だろう。


「将軍様……」


 鉄仮面は死体にゆるゆると頭を撫でられ、艷やかな吐息を漏らす。水晶の光が消えた部屋には、水音だけが響いていた———


 ◇  ◇  ◇


「……日がだいぶ傾いで来たな。皆んな、野宿の用意をしよう」


 勇者は、霞んだ太陽を見上げて立ち止まる。森の中を進むせいで、時間の感覚が曖昧になってはコトだ。まだ明るいうちに準備をするのが、冒険の鉄則である。


「獣はいなさそうだが、ゴブリンが怖ぇな。上か?」


 戦士は、木の上を見上げて適当な枝を探す。ゴブリンは夜が昼。野宿中に寝首を掻かれる事は多い。


「そうしようか。魔法使い、木組みを頼めるかい?」


「はい、はい。私の魔法は戦闘用なのだけどね。私の寛容さに感謝しなさいよ」


 そう言いつつも、風魔法と崩壊魔法を駆使して足場を組み始める。崩壊させてから結合させる、というのはかなり高度な技術なのだが……魔法使いは涼しい顔でやってのける。


「寛……容……? 狭量の間違いじゃねぇのか?」


「あら、アンタがそんな言葉を知っていた事に驚いたわ。屋根も作らなきゃかしらね」


「火でか?」


「アンタの上だけそうしてあげる」


 戦士と冗談を交わす魔法使い。そしてコレを有言実行して見せるのが、魔法使いである。今夜、焚き火をする必要が無くなった。


「……炒め物にしましょうかね」


 僧侶はと言うと、魔法使いが採ってきた食材素材を見繕う。野草を煮ると、臭みとエグ味がでて仕方がない。基本的に、野外の食事は焼きか炒めが正解である。


 因みに、スライムを焼いてはいけない。理由は簡単で、焼いたりした時に出る煙がとんでも無く臭いのだ。学会では、自身の弱点をカバーした結果という説が、まことしやかに囁かれているとかいないとか。


 そんなこんなで、今夜の宿が出来上がる。


 2段構造で、最上部には火の屋根が出来ている。戦士と勇者の寝床は最上部だ。最下部は魔法使いと僧侶の寝床。寝心地はそこそこと言った所か。


「さあ、夕ご飯にしましょう!」


 僧侶の呼び声と共に、皆々が最上部に集まる。屋根の炎は蒼くなり、夜空に溶け込むような、そんな幻想的な風景を作り出していた。


「好きだなぁ、魔法使い。この魔法。お袋さん直伝だっけか?」


 戦士が後ろ手を付き、蒼く燃える空を見つめながら言う。

 雄々しい戦士の体躯と顔面を抜きにすれば、非常に絵になるのだが……似合わない。


「そうだけど……止めてくれないかしら? その、鼻につく姿勢。アンタは酒飲んで笑ってるのがお似合いよ」


 魔法使いは吐き捨てるようにそう言うと、戦士を押し退けて腰を下ろす。まぁ、予想通りである。


 要するに、魔法使いはナチュラルに"戦士の隣"という席を獲得したのである。


 あざとい。まぁ、もう少しやりようはあっただろうが。


「あんだとぅ!?」


「何よ!」


(で、いがみ合いが始まると。体力は回復したようだね)


 戦士と魔法使いが喧嘩を始めると言う事は、周辺に魔物がいない事と同義である。その事を、本人たちは自覚していない事が末恐ろしい。


「仲良しですね〜」


「「どこが!」」


「ほら、ご飯ですよ〜」


 僧侶が2人をあしらいつつ、出来上がった料理を配分する。木製の椀によそわれたのは、野草と木の実の炒め物。薬膳の香りがする程度で済んでいるのは、ひとえに僧侶の腕の賜物である。


「ありがとう、僧侶」


 勇者はそう言って、僧侶から椀を受け取る。


「はい、戦士さんも」


 次いで、戦士。この順番は毎回同じだ。理由は簡単。戦士が最も良く食べるからに他ならない。


 勇者は標準、魔法使いは基本的に食事をせず、僧侶は少食……というか、あまり物で十分というスタンスである。まさに母親的ポジション。


「おう、ありがとよ」


 と、言うわけで。戦士は大盛りの炒め物を受け取る。因みにだが、戦士は舌バカである為、残飯処理も役割っている。


「……あ、私は今日もいらないわ」


 どこか遠く、北を見ていた魔法使いはそう言いつつ、首元の認識票の鎖を指で持ち上げる。屋根の炎がチラリと反射し、オパール色のタグが蒼く染まる。


 それはレジェンドの証。オリハルコン以上の希少金属、白虹鉱で作られた認識票だ。


 白虹鉱の特性は幾つかあり、中でも特筆すべき事は3つある。魔力の記憶、魔力の合成、完全な安定性。要するに、無尽蔵の魔力を発生させる、腐食……錆びない金属という事だ。


 前2つの特性を利用すれば、何らかの魔法を記憶させ、常時発動させる……という事も可能になる。魔法使いが食事を摂らない理由はソレだ。


 と言うのも、魔法使いは認識票に"サバイブ生存"の魔法を登録している。簡単に言えば、飲食と睡眠の必要が無くなる……まぁ、禁術の類だ。


 そう言う訳で、魔法使いは食事を摂らない。とは言え、内臓が弱ってしまう為、時々食事はしなければならないのだが。


「たまには食べた方が良いと思いますけど……まぁ、わかりました」


 僧侶がこう言うのも、魔法使いの自己管理能力を信頼しての事である。


 後に、それが間違いであったと分かるのだが……それはまたの機会に。


「……さて、じゃあ、頂こうか」


 勇者は、皆(魔法使い除く)に椀が行き渡ったのを確認し、食事の挨拶をする。


 勇者は旧式の挨拶ではなく、"頂く"という新・略式の挨拶だ。これは、両親が無宗派であり王室との関わりがあった事に起因している。


モナティス・グラコクいただきます!」


 戦士は旧・略式の挨拶。手は合わせない。ただ、言葉や形式略せど、調理主へと感謝は伝えねばならないのが面白い所。


「では私も……グラティア・ドミニいただきます


 僧侶はと言うと……教会式の最もスタンダードな挨拶。手を組み、創造主へと感謝するのが特徴だ。


 他宗派だと、ドミニの部分がヘルメアとかラビとかプラトナとかボイドとかになったりする。つまり、僧侶は創造主信仰と言う事だ。


 勇者パーティーはレジェンド級の冒険者の寄せ集めである為、こう言うことが起こるのだ。


 補足すると、勇者が北。戦士と魔法使いが西。僧侶が恐らく東出身である。恐らくと言うのは、僧侶が孤児であるが為だ。


 捨てられた時の手紙に、東の地名が書かれていたからだと言う。だから、恐らくだ。


 さて、僧侶が挨拶を済ませ、口に炒め物を運ぼうとした時———



 一瞬の閃光



 一拍遅れて聞こえる、爆発らしき音



「……近いね。魔法使い、見えるかい?」


 勇者は焦る事なく、既に杖を構えて警戒している魔法使いへと問い掛ける。


「女の子がスケルトンウルフと術師に追われてる。数は3と1。北北東に600」


 勇者はそれを聞くやいなや、鞄を引っ掴んで木から飛び降りる。


サーチ・アンド・デストロイ索敵必殺か? 行くか? 付いてくか?」


 戦士は、心なしか楽しげに勇者へと言葉を投げかける。ゴブリン皮膚や肉は駄目でも、スケルトンなら砕けるという考えだろう。短慮である。


「いや、エイド・アンド・エスケープ人命優先だ。留守を頼むよ」


 勇者はキッパリと断った。懸命な判断である。


「そう言うんなら。……骨とは言えどワン公だぞ? 臭いも魔力も追われんなよ?」


「そうだった。……魔法使い、魔硝煙幕か何かあるかい?」


 魔硝煙幕。文字通り、魔力でできた煙と硝煙を撒き散らす道具である。仕組みとしては、マナポーションを混ぜた反応液の瓶が割れると、爆発。魔力煙幕が展開すると言うモノだ。


「あるけど……ローゼン式のしか無いわよ?」


 ローゼン式とは、ローゼン式爆煙弾の事だ。詳しい説明は省くが、旧式で威力が高い上に安全性に欠ける魔硝煙幕、と覚えれば良い。


 一昔前では、高性能手榴弾として使われていたのだが……案の定というか、使用者の事故が相次いだので、今では規制品となっている。


 それを、魔法使いは木の下にいる勇者へと放る。もし、勇者がキャッチし損ねたら全滅する所であったが……無論、そんなミスはしない。


「ありがとう、十二分だ。じゃ、行ってくる」


 そう言うと、勇者は風のように駆け出した。


 ◇  ◇  ◇


「ハァ、ハァ、ハァ……」


 月光差し込む森の中、手籠を下げた少女が一人走っていた。


「———! ———! ———!」


 草や茂みが揺れる音に混じって、声にもならぬ吠え声が3つ。微かに聞こえるカラリという音。


 スケルトンウルフだ。



 どうして? どうして?

 親孝行したかっただけなのに!


 少女は数時間前の自分を思い出す。


『お母さん、待ってて! 私、お薬採って来る!』


 咳き込み、起き上がる事も出来無いのに、森へ行こうとする私を必死に止めてくれた母。


 そこの森で、切らした薬草を採るだけだと高を括った自分。


 どうして? 自分のせいだ。


 森の奥地にあるんじゃ無いかと、良く知りもしない地に足を踏み入れ、気付けば帰り道が分からなくなっていた。


 日はまだ高いからと、そこで諦め無かったのがいけなかった。


 薬草を見つけた頃には、既に木の葉の天井は紅くなっていた。


 歩き回り、視界が開けたと思えばそこは、腐肉の散らばる魔物の寝ぐら。骨かと思えば操り人形スケルトン


 親孝行? 親不孝の間違いでしょう?


「ハァ、ハァ……キャアッ!」


 そんな事を思い出しながら走っていたせいだろうか。ついに木の根に足を引っ掛け転んでしまった。


「———!」


 すぐに起きあがろうとしたが、目の前に現れたのはスケルトンウルフ。


 カラカラと音を立てながら、ゆっくり、ゆっくりと、少女へと近付いて行く。


「ハァ、ハァ、やめて! 来ないで!」


 少女は近くの石を掴み、スケルトンウルフへと投げつける。が、それはヒョイと避けられ、少し離れた茂みに落ちた。


「———!」


「———!」


 他の2匹も現れた。前、後ろと取り囲まれ、絶体絶命。そんな時、不意にパチパチという拍手が聞こえる。


「いやぁ、素晴らしい。素晴らしい逃げっぷりです! あぁ、何て意地汚い!」


 木陰から、這い出るようにして現れたのはリッチだ。即ち、スケルトンウルフを操っている術師である。


「はぁ……全く、生への執着というモノは実に意地汚い! 元から死んでいるワタクシには理解しかねます!」


「ハァ、ハ、ァ、ハァ……」


 少女は、既に諦めていた。母の姿を思い浮かべながら、手籠の持ち手をそっと撫でる。


 母がまだ元気だった頃、枯れツルを編んで作ってくれたモノだ。


「? 貴女、諦めていますね? 拍子抜け、興ざめです。理解は出来ないながらも、ワタクシは楽しませていただいたのに!」


 リッチは大仰に嘆き、崩れ落ちるようにして地面を叩く。


「ハァー、残念です。仕方がない、貴女は私の付人にしようと思っていましたが……気が変わりました。お前達」


 リッチは指をパチリとならし、スケルトンウルフ達に少女を襲わせる。


「〜〜〜!!! キャアアアァァ!!」


 スケルトンウルフ達は、少女の柔肌へと牙爪を突き立て、その感触を楽しむ。


「いぃぃぃぃぃい声だ! やはり人間の、それも女子の声はイイ! 最っっっ高です!」


 服は爪によって引き裂かれ、腕や足は牙によって穴が開けられる。


 ボキン———


 スケルトンウルフが、左腕の骨をねじり折った。


「っ———!! いやぁぁぁぁあ!!」


 少女は叫ぶ。森中に響かんばかりに。誰かの助けを願って。


「ふむ、骨が折れると尚良いですね。……火炙りにしたら、さぞかし良い声で鳴いてくれるのでしょうねぇ……」


 さて、リッチ変態はそんな少女の声を聞こうと、さらなる手段を思いつく。


イグニス点火スファイアラ球体クムラレ蓄積……」


 リッチは呪文を唱え、持っていた杖の先に火球をつくり出す。


「ひっ……!」


「あぁ、表情も良いですねぇ……期待大です。タルクスとても遅くスルクールス射つ!」


 リッチがそう唱え終わると、杖先の火球がゆっくりと少女の顔へと進み始める。


 ジリジリと、熱を放ち、赤々とした炎を渦巻いて。


 リッチとスケルトンウルフ達はいやらしい笑みを浮かべ、少女が悲鳴を上げるのを、今か今かと待ち焦がれている。


「やめ、て……! やめてよぉ!」


 少女は、股に温かい物を感じる。布団の中で何度か感じた、嫌な温かさだ。


「あぁ、焦らすのは良い! やはり人間は、恐怖に歪んだ顔が一番良い! 中でも貴女達子供は特に良い! サァ! 貴女の悲鳴を聞かせて———」



 ドオォォォン———



 リッチの声を掻き消して、辺りに轟音が鳴り響く。火球が弾けたのだ。


 それの反動か、衝撃波が発生し、小さな少女の身体は軽々と吹き飛ばされる。リッチも、まとわり付いていたスケルトンウルフも同様だ。


 少女は反射的に目を瞑る。


「ぐぅぅぅう……狙撃とは! しかも、ワタクシの魔法が崩された!? 馬鹿なっ!」


 リッチの叫びに目を開けると、周りの木々に火がついていた。大陸北の、油を含んだ上質の木にだ。


 たちまち枝葉に火が回り、少女らの周りを赤く照らす。


 少女は、自分が立っている事に気づいた。

 そして、それに気づいた頃には走り出していた。


 まだ、走れる。まだ、逃げれる。

 誰かは知らないが、恐らく助けてくれる人だ。


 左腕の痛みが、自分が生きている事を実感させてくれる。地を蹴り、落ち葉を舞い上がらせ、走る。走る。走る。


「チィッ……! 邪魔立てが! お前達! 骨だけ持ち帰りますよ!」


「———! ———! ———!」


 後ろから、またカラリカラリと音がする。


 振り出し……いや、もっと悪い。

 血が足りないらしい。


 視界がぼやける。


 暗い。


 寒い。


「お、かあさ、ん……」



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