前日譚

 謁見の間へと、勇者一行は足を踏み入れる。


 鳴り響くファンファーレ。

 豪華ではあるが、どこか貴賓を感じさせる装飾。

 勇者一行を迎えるように並ぶ、剣を掲げた兵士達。


 その全てが、勇者一行の為に用意されていた。


 赤い絨毯の一部。玉座から少し離れた場所に、1本の線が引かれている。この線の意味は"王と謁見者の距離"だ。


 もちろん勇者に限らず、全ての人間がその事を知っている為、彼らは何の迷いも無くその線を基準に跪く。


 並びは勇者を先頭に、向かって右に戦士。左に魔法使い。後ろに僧侶、というような菱形だ。これは冒険者4人パーティーの謁見様式であり、最も美しいとされる並びである。


「よくぞ参った、勇者とその仲間達よ!」


 玉座に座っていた太った髭の男が、厳かな声で言葉を紡ぐ。何を隠そう、彼がこの国の王である。市民からは"無能"との呼び声高い、素晴らしい王様だ。


「今回そなた達を呼び出したのは他でも無い! 魔界より現れし悪の権化! 我等の憎むべき敵! 魔物達の皇帝! 魔帝討伐を頼みたい!」


 王は徐々に声を大きくし、立ち上がる。


「もはや軍は壊滅状態。他の国々からの支援も期待できず、事態は一刻を争う」


 王はゆっくりと玉座を離れ、勇者達の前へと立つ。


「どうか……! どうか、無能と呼ばれたこの身の恥を忍んで頼みたい! 国を! 臣民を! 世界を! 救っていただきたい!」


 王は絨毯へと膝をつき、こうべを擦り付けるように頼み込む。近衛兵は勿論、大臣その他も見た事がない、王の態度。


 その頭からは冠が落ち、一心に民を想う言葉は胸を撃つものがあった。


「お、王よ! おやめ下さい! 貴方は一国一城の主であり、国民を導くべき存在! 勇者様とはいえ、こうべを垂れるなどあってはなりません!」


 大臣はそんな王の頭を上げさせようと、必死になる。

 これは、王が勇者の下であると認めたも同然の行為。魔帝が撃ち倒されようとも、勇者の扱いに困る事になる。


 どんなに民に嫌われ、無能と罵られようとも、王としての筋は捨ててはいなかった彼。


 彼は、良くも悪くも"王"なのだ。


 贅沢と無茶な法案を通し、民の反抗心を自分へと集める事で、この国は平和を保っていた。それは、大臣も、近衛兵も、勇者も分かっていた。


 だから、勇者はこう答える。


「王よ、僕は貴方の頼みを聞く事はできません」


「そんな事を言わずに! この通りだ! 頼む! 地位も名誉も財宝も! 全て報酬として渡す! だからどうか!」


 戦士がその言葉にピクリと反応し、魔法使いに睨まれる。

 僧侶はそれを微笑ましく見守っていた。完全に勇者を信頼しているようである。


「いいえ、王よ。どんな報酬であろうとも、貴方の頼みは聞き入れ難い」


 勇者は、その言葉に力の抜けた王の目を見据え、続けて言葉を投げる。


「……ですが、貴方が王としてでは無く、一個人として依頼して下さるならば、喜んでお受け致しましょう。報酬は、そうですね———」


 後の事は、言うまでも無い。勇者達は魔帝討伐へと乗り出した。


 ◇  ◇  ◇


 勇者達がいなくなった謁見の間。王は1人、ため息をついていた。


「はぁ……敵わんな。流石、あの人の息子だ」


 王は古い銅貨をクルクルと指で転がしつつ、ある旧友を思い出す。


 昔、まだ自分が子供だった頃。よく城を抜け出しては、街の悪ガキ共と遊んでいた。その中でも、よく頭の切れる少年。勇者に、顔立ちのよく似た少年がいた。


 彼には、喧嘩でも、剣でも、チェスでも勝てた事が無かった。自身が大きくなると、王としての勉強に精を出し、会う事は無くなった。


 そして、存在すら曖昧になっていた頃、思わぬ再会を果たした。


 自身の、専属メイドとして。


 王、当時はまだ王子だったが、それには驚いたものだった。凛々しい顔立ちであったが、まさか女性だったとは。


 王子は、恋に堕ちた。が、それは叶わぬ夢。政略結婚により、今の妻と結婚せねばならなかった。彼の恋愛感というのは純粋なもので、1人しか愛してはいけないというものであった。


 それ故に、泣く泣く断念。専属のメイドでいられるのも辛くなり、当時有能であった近衛兵と上手くくっつけたという過去がある。


(その後、彼らは辺境の農村に移り住んだというが……まさか、勇者の両親だったとは。運命とは面白いものよ)


「銅貨1枚、ですか」


 謁見の間の柱の陰から、聞き覚えのある声がする。


「……来ていたのか」


「ええ、王子様。息子の晴れ舞台ですもの」


 今度は、別の声が自分の背後から声が聞こえる。

 こちらは間違いようが無い。あの人だ。


「不法侵入であるぞ?」


「ふふふ、今更ですわね。王子様」


「お久しぶりです、王よ」


 屈強な男が柱から。女が玉座の裏から出てくる。


「貴女の入れ知恵か? 銅貨1枚というのは」


「ふふ、さあ? どうでしょうね」


「懐かしい限りですね、王の横顔が唯一入った銅貨。新造の一枚を、今も棚に飾っておりますよ」


 王子は、彼らの結婚式には参列していた。が、祝福の言葉も無しに帰ってしまった為、王になった際に銅貨を1枚、彼らへと贈っていた。


『新しい私を見守っていて下さい』


 そう、一文を加えて。


 勇者が彼へと求めた報酬、"古びた銅貨1枚"を言い換えるならば、"どんなに時間が経とうとも、私は貴方の無事を祈ります"だろうか。


 つまり、"心配するな"という事情を知らねば意味のわからぬ、勇者から王への隠しメッセージである。


「心配などしておらぬよ、勇者よ。紛れも無い、其方らの子であるのだから」


 王のヒゲがなびく。


 王だけが残された謁見の間に、その言葉だけが静かに響いていた———


 ◇  ◇  ◇


「すまない。勝手にあんな報酬で引き受けてしまって」


 王城を出て開口一番。勇者が仲間に向き直って、腰を折る。


「いやぁ、別にいいぜ? 俺が欲しいのは名声だからよ。気にしてねぇ」


 そう、真っ先に応えたのは戦士だ。彼はかなりの収入と貯金があり、両親も既に他界している為、欲しいものは家庭と名声だけなのだ。


 なので、本当に気にしていないし、寧ろ、貰ったところで使い道に困るほどだった。


「私も、通行禁止の方面に合法的に行けるし、それで満足よ。魔界とか、楽しみじゃ無い?」


 魔法使いも、特に気にした様子も無い。と言うのも、もしこの誘いが無ければ、魔法研究の為に法を破ってでも魔界へ行こうとしていたからだ。


 それに、魔法使いも収入と貯金がかなりある。まぁ、レジェンドのソロならばそうもなるだろう。因みに、父親が健在である。


「今更ですね。ドラゴンの群れの討伐を、子供の飴玉1つで受けた時に比べれば、随分と贅沢な報酬だと思いますよ?」


 僧侶が言っているのは、まだ2人がパーティーだった頃の話。通りすがりの2人に、"村を助けて欲しい"と声をかけた子供。


 汚れた銅貨を何枚と手に溢れさせ、頼み込んできた子供。それを勇者は"飴の方が良い"といって引き受けた時のことだ。ゴブリンかそこらかと思い、蓋を開ければ竜の群れ。


 "あれには肝を冷やした"と僧侶は付け加える。


「ぅぐっ……その話は耳が痛い」


「親切は良いですが、安請け合いは身を滅ぼしますよ? せめて銀貨1枚です!」


(((銀貨なら良いのか)))


 僧侶もまた、お人好しであった。



「さて、出発は明日の予定だ。魔帝軍に気取られないよう、時刻は早朝。彼らで言う、夕刻だ。集合場所は……そうだな、あの酒場にしよう」


 勇者はそう言うと、城門近くの小さな酒場を指差す。そこは後に勇者の酒場と呼ばれるのだが……まぁ、それはまたの機会に。


「んじゃあ、後丸一日ってとこかよ。はぁ〜あ。墓参りして、1人寂しく酒でも飲むかね」


 戦士はそう言いつつ、郊外の共同墓地に続く道へと向かう。


「あ、私もママに挨拶してこなきゃ。じゃ、また後でね! ……ちょっと戦士! 待ちなさいよー!」


 魔法使いは慌ただしく、戦士の背中を追う。

 遠ざかる2人から


"あ?んだよ、何か用か?"

"私もお墓参りよ"

"へいへいそーですか"

"終わったら、家、寄って来なさい。ご飯作ってあげるから"

"……仕方ねぇなぁ。お前の不味い飯、食いに行ってやるか"

"はあ〜!?"


 なんて会話が聞こえてくる。


「何であれでああなんでしょうね」


「本当にね。……それで? 君は?」


 勇者は僧侶の境遇を知っているからか、"僕は家に帰る"とは言わなかった。僧侶は孤児院育ちで、家と呼べるモノに少なからず劣等感を抱いていた。


 本人は、何でも無いかの様に振る舞ってはいるのだが……それなりに長い時間を過ごした勇者相棒の目は誤魔化せなかったようであった。


「私は、孤児院の子達が送別会の準備をしているようで……」


 僧侶はそう言って頬をかく。


「その様子からすると、準備の様子を見てしまったのかな?」


「ええ……まぁ……。それで、泣かれてしまいまして……それでその……とある約束をしてしまいまして……」


 バツが悪そうに、僧侶はモジモジと勇者を見る。


「何だい?」


「子供達に、顔を見せてあげてくれませんか? あの子達に、そうじゃ無いと納得して貰えなくて……」


 僧侶もまた、先の勇者の言葉の次を読み取ったのか、後ろに言い訳がましく言葉を付ける。


「ああ。長くはダメだけど、それぐらいならお安い御用だ」


「本当ですか! ありがとうございます!」


 僧侶は花の様に微笑む。いつもの、染み付いてしまった様な微笑みでは無い。心からの安堵の笑顔。因みに、孤児院の子ら以外には、勇者にしか見せたことが無い。


「じゃ、行こうか。子供達も待ち遠しいだろうしね」


 勇者はそう言いつつ、教会の方向。即ち家とは反対方向へと歩き出した。


 柔らかな風が吹いた気がした。


「はい! ……あ、でも勇者様。家族の方々も待っていらっしゃるでしょうし、一言伝えてからの方が良いのでは無いでしょうか?」


 僧侶は勇者の左へと並び、勇者の顔を覗き込む様に尋ねる。


「……いや、大丈夫。聞いてたらだろうから」


 勇者は、気のせいかとも思える、柔らかい風の吹き去った方向を向き、目を細める。その目線の先には、父母らしき影が見えた。


「? そうですか? では、行きましょう!」


 この後勇者は、子供達と陽が傾くまで遊び倒した。


 ◇  ◇  ◇


 魔王城の、とある一室。


 「失礼します! ご報告! 大っ変です大変です! これは一大事!」


 腰巾着のような、ムカつく顔をした魔物が大騒ぎしながら入って来た。


「うるっっっせえぞ! なぁっんの用だぁ!?」


 そう大声で怒鳴りつけるのは、毛皮に包まれた大柄の魔物。部屋にはあと3つ、影がある。


「ゆっ、ゆゆゆゆ勇者です! 勇者が現れましたぁ!」


 腰巾着は萎縮する事なく、ガクガクと震えながら小脇に抱えた水晶玉を両手で掲げる。水晶玉には、1人の青年とその仲間と思し3人の男女が映っていた。


「あぁん? 勇者ぁ? 本物なのかぁ?」


 というのも、これまでの侵略の途中、自称勇者や自称英雄の登場が後を絶たなかったからだ。実際、人並み外れた魔力や力を持っていたのだが……所詮は人間。侵略の波に飲み込まれ、溶け消えた。


 毛皮は、脳筋にしか見えない見た目であるが、これでも頭はよく回る。それもそのはず。百戦錬磨の大将軍、四天王が1柱である。


「どぅれ、見してみぃ。儂が見極めてくれよう」


 と、腰巾着に手招きする嗄れた声。彼もまた、鳥仮面の参謀、四天王が1柱。四天王の中では、唯一の標準的な人型である。


『じゃ、行こうか。子供達も———』


 それだけを残して、水晶玉の音声と映像が途切れる。映像の最後には、不可解な線が多く見られた。


「うん?」


 参謀はその様子を不審に思い、水晶玉をコツコツと長い爪でつつく。が、音声も映像は戻らない。


「何だぁ? 殺られたかぁ? どんな雑魚に諜報させてんだよ爺さん」


 獣大将軍は、呆れたように肩をすくめ、やれやれと首を振る。


「……儂の、信頼できる直属の部下じゃ」


 参謀の言葉に、他の黙っていた影達が反応する。獣大将軍すらも、その言葉は予想だにしていなかったかのように。


「グルルルル……どいつだ。ハーピーか、レギオンか、それともあの小娘か……」


 喉を鳴らしつつ、参謀を見下ろしながら問い掛けるは強大なる龍。コレも例に漏れず、四天王が1柱である。


「ハーピーじゃ。恐らく、水晶玉ごと細切れじゃな」


 映像の最後。不可解な線は、水晶玉が割れた時に走る線によく似ていた。それが幾つも、しかも直線。斬られたのだろう。


「何だとぅ!? あの鳥女が!? 十二月将だろう!? しかも、映像からして空中だろぉ!? 信じられん……!」


「事実じゃ、獣よ」


「トリ……オレ、トリ、食イタイ」


 因みに、このアホ過ぎる発言をしているのが、残った四天王が1柱。鉄壁番人の巨人である。魔帝の居城を守るためだけに存在しており、何気に最も忠誠心が高い。


 あと、強い。本当に強い。なんなら、参謀どころか魔帝の魔法すら効かない。ほぼ裸体なのに剣は折れる。ドラゴンの炎を緩く感じる程である為、風呂は溶岩である。


 こいつの他3人の四天王は、"耐久力と腕力だけ考えれば魔帝が負ける"という認識だ。しかし、当の本人は頭が弱く、魔帝のようなカリスマ性もない。故に、番人という座に着いているのだ。


 参謀は机に肘付き手を組み、考え込む。


(細切れじゃと? 魔法の類ではない。音すらしなかった。となると剣か? 踏ん張りのつかぬ空中で、あのハーピーに気取られず? それはまるで、まるで———)


 参謀は、ハッとしたように顔を上げ、1つの結論に達する。


「音無し……! あやつらか!」


 それは、参謀がまだ王宮魔道士として、あの国に潜入していた頃の話。とあるメイドと、とある近衛兵の話だ。


 メイドの方は出自が不明であったが、優れた洞察力に読心術。高等魔法に暗殺はお手のものという、自身が気を払わねばならぬ人間だった。


 近衛兵は、アレは人の域を超えている。音もなく剣を抜き、瞬きの間に仮想敵を細切れにしていた。魔物の襲撃によって破壊された城壁の残骸を、剣と拳で粉にしていた事には驚いた。


 そんな2人が結婚したとあって、参謀は流石に危機感を覚えた。メイドの方は、こちらを訝しんでいる言動が多くなっていた頃であり、尚更だった。


 即座に姿をくらまし、魔界に戻って来た、あの苦い思い出。この屈辱は忘れぬと心に誓い、要注意人物"音無し"として魔帝軍に通達した、あの2人。


 そして参謀は、さらに恐ろしい仮説に辿り着いてしまう。


(この勇者、あの2人の面影が……。まさかっ! いや、そう考え無ければおかしい! あの2人はもう王宮に勤めていない。ならばハーピーを始末したのは自分らの決定に基づく筈っ!)


 親切心かもしれないという選択肢は、今の参謀の頭には無かった。しかし、その仮説は正しかった。


「勇者とその仲間3人を厳重注意! それと、勇者の両親についての情報を持って来るのじゃ! 今すぐ!」


 参謀は声を荒げ、腰巾着に指示をする。


「たっ、たた只今ぁ!」


(まずい、まずいぞ……こんな隠し玉があったとは。あの2人の事を忘れるなど、儂の一生の恥っ! 魔帝様に気取られる前に処理せねば!)


 参謀は今後について思案する。勇者自体はさほど問題でも無いが、あの2人。自分が逃げ帰った際の言い訳に、つい"殺した"と報告してしまったのは下作だったか。


 それがバレれば、自分の沽券に関わる。故に、参謀は策を練る。


「良いかお前達。この話は、裏が取れるまで内密にするのじゃ。魔帝様はお忙しい身ゆえ、不確実な勇者の話などで心を乱すような事、あってはならぬ!」


 秘密にする。それが、参謀の下した策であった。杜撰すぎる策だが、それほどまでに彼は焦っていた。


 ……だからか、自身の背後にいる魔帝にも気が付かなかったのだ。


「面白そうな話をしているでは無いか。何を、誰に、内密にするだと? 参謀よ」


「まっ、魔帝様っ!? 背後に居られたのに気付かず、とんだご無礼をっ……申し訳御座いません!」


 参謀は大慌てで椅子から降り、頭を下げる。


「良い良い、責めておる訳では無いし、そう畏まっては話が進まん。それで、勇者が現れたと? 確かなのか?」


 魔帝は諭すような優しい声で、参謀へと問い掛ける。


「確実に、とはまだ言えませぬが……恐らくは。しかし、魔帝様がお気になさる程の事では……」


 参謀は言い訳がましく言葉を並べ、おずおずと魔帝の顔を伺う。


「それは余が決める事だ。今後、勇者については逐一報告せよ! ……良いな?」


 魔帝は参謀の肩に手を置き、厳かに告げる。その所作は、暗に"勇者については参謀に任せる"と言っているようであった。


「異論など、まさか! それでその、勇者の実力を確かめたいのですが……」


 秘密にしようとしていたお咎めが、言葉による注意だけだったことに胸を撫で下ろす参謀。意見を言う程度の余裕が生まれたらしい。


「魔帝殿! その役目、俺様に任して頂けませんか!」


 そう、手を挙げたのは獣大将軍。彼は全身を震わせつつ、許可が出ればすぐにでも飛び出しそうであった。


「ふむ……」


 魔帝は思案する。許可するか、参謀に完全に任せてしまうか。もし、自分が許可して仕舞えば、決定権は参謀では無く自分へと移る。


 それは今は良くとも、組織の停滞化に繋がりかねない。彼が目指すは魔族の繁栄。その為には柔軟な対応力や魔族を取りまとめる力が要る。


 後者は最も強い奴が担当すれば良い。それこそ、自分のような。が、前者はそうもいかない。強い奴は、自己中心的な思考を持つ傾向が強い。それはいけない。


 そういう輩が全ての権力を握ればどうなるか。それは参謀による、人間界の調査で明らかだ。故にあの最後の国は、あの王と大臣だからこそ落ちずにいられるのだ。


「参謀よ、どう見る?」


 魔帝は、決定権を曖昧にすることにした。こういう政治に関しては、参謀の方が自分よりも優れた意見を出す。そう考えての事であった。


 かく言う参謀も、魔帝の目からその意図を一瞬にして汲み取る。


「そうですな……勇者に負ける可能性を考えれば、獣めに任せるのは得策ではありませんな」


 参謀は否定的であった。勇者は未知数。ぶつける事は捨て駒に近い。


「あぁ!? 俺が、負ける? 爺ぃ! もっぺん言ってみろ! その舌引きちぎってくれる!!」


 が、獣大将軍はその発言に噛みついた。椅子を蹴飛ばし、机の上に飛び乗って参謀を怒鳴りつける。


「待て、獣よ。余もお主が負けるとは思っておらぬ。しかし、勇者は未知数。やられずとも、もしもの事があれば魔帝軍にとっても大きな損失だ、と。参謀はそう言っておるのだ」


 それを見かねてか、魔帝が仲裁に入る。これには獣大将軍といえども矛を納めねば、魔帝の顔に泥を塗りかねない。

 

「何だそう言うことかよ! そうかそうか、爺さん、心配してくれたのか! いや〜そうか! なら、俺様は引き下がろう! 決定も爺さんに任せようとも!」


 獣大将軍はわざとらしく礼を言い、機嫌が良さそうに蹴飛ばした椅子へと座る。参謀は奥歯を噛んで、そのわざとらしい感謝を受け流す。


「……っそれでは、勇者に誰をぶつけるかじゃが……十二月将で良いかの? 雑魚では恐らく瞬殺じゃろうし、四天王では役不足。誰ぞ、推薦する者はおらぬか?」


 とりあえず、十二月将の中からぶつける者を選ぶ。彼らならば四天王ほどの損失にはならないし、実力も確か。問題は無い。


「グルル……ウチの奴らは、硬いか魔法が効かぬかどちらかだ。捨て駒にする事も受け入れがたいだろう」


 龍は、推薦する意思が無いことを伝える。確かに、彼の部下らは十二月将の中でも上位の実力。捨て駒には惜しい。


「俺様もパスだ。この頃、部下が見合いをしてな。新婚を最前線に送ることは容認できねぇ」


 獣大将軍も拒否。彼は情の深い武人であり、部下からの信頼も厚い。魔帝がいなければ、彼か参謀が魔界の指揮を取っていただろうと言われるほどだ。


 まぁ、そのせいで獣大将軍と参謀の仲は険悪なのだが。


「ふむ、では儂の部下から選定することになるが……どちらが良いかの」


 不死の軍団長レギオンと、鉄仮面の女魔騎士。どちらも戦力として申し分無いのだが……どうも、デキていると言う噂がある。公私混同を理由にしてはいけないのだが、獣大将軍が前例を作っている事もあり、参謀は頭を悩ませる。


「レギオンで良いじゃねぇか。アイツなら、春と秋のとこの死体も、ウチの死体も持ってるだろ? 適任じゃねぇか」


 獣大将軍が軽く流すように意見を出す。途中の春、秋というのは龍の軍と巨人の軍を指す言葉だ。因みに、獣大将軍の軍が夏。参謀の軍は冬という名称で呼ばれる。


「……そうじゃな。では、レギオンに勅命を下すとするかの」


 参謀は懐から小さな水晶玉を取り出し、少しだけ思いとどまる。


(婚姻……いや、噂じゃ。確定では無い。もしそうだとしても、儂に報告するのがアヤツの責務。愛人ならば、あの娘の心の傷も深くならないじゃろう。回収は獣めに任せるとするかのぅ……)


 参謀は、不確定要素には目を瞑る事にした。


 少しばかりの良心をねじ伏せ、レギオンへと連絡用の水晶玉を起動させる。着々と、勇者を迎え撃つ準備が進んでいった———


 ◇  ◇  ◇


「ただいま。遅くなった」


 勇者は、子供達に持たされた菓子で一杯の手の代わりに、身体全体で扉を開ける。途端に感じる温かい空気とシチューの香り。


(あぁ、我が家の匂いだ)


「お帰りなさい! シチュー、出来てるわよ〜」


 台所から、母の元気な声が聞こえる。テーブルには、まだ湯気の立っているシチュー。勇者は、鶏肉も入っていることを確認すると、少しだけ頬を緩ませる。


「母さん、夕飯にしよう。息子も待ってる」


 普段から無口で無愛想な父だが、今日ばかりは柔らかい口調で母を呼ぶ。何せ、息子の大出世だ。喜ばない親はいないだろう。


「はい、はい。……じゃあ、今日も食べられる事を感謝して……いただきます」


 母は、パンの入った籠を台所から持って来て、机の上に置く。それから、手を合わせて食事の挨拶。他の家や国によって挨拶は違うので、感謝さえすれば祈りの言葉は何だって良い。勇者の家は、"いただきます"を用いていた。



「はぁ……美味しかったよ、母さん」


 勇者はため息をつき、シチューの口に残った余韻を楽しみつつ腹をさする。こうも疲弊した世界でシチューを食べられる事は、この上なく幸福な事であった。


「それは良かったわ。……あ、そうそう。王様が"渡しそびれた"ですって。はい、コレ」


 母親は、思い出したかのように前掛けのポケットから筒を取り出し、勇者へと渡す。


「? 何だろう」


 勇者は筒を受け取り、蓋を開ける。中から出てきたのは、長方形の羊皮紙が2枚と丸まった封筒が1枚。封筒には"極秘"の封蝋がしてあった。


「地図と……これは魔帝軍の情報かな? 魔帝、四天王、十二月将、か」


 地図は良いとして、問題は敵の情報。穴あき部分もかなりあるが、無いよりはマシな情報であった。イラストもある事から、かなり綿密に調べた事が伺える。


 王宮の諜報員には、肝を抜くばかりだ。



 魔帝:

 最重要討伐対象。魔界に居ると思われる。多大な魔力を有している事が示唆される。他の情報は不明。


 四天王:

 龍、獣、巨人、魔導士。順に春、夏、秋、冬と呼称される軍を率いる。龍と巨人についての情報は不明。獣と魔導士については後述。


 十二月将:

 一月〜十二月までの存在を確認。呼称は魔帝軍より入手。詳細は後述。


 獣:(獣大将軍、百戦錬磨の獣大将軍)

 狼らしき外見。名前は不明。性格は好戦的であり、誉と情を持って接する。一対一の肉弾戦を異常に好む。武器は斧を好むようである。一人称は"俺様"が多い。"夏"と呼称される獣系の軍団を率いる。直属の部下には七〜九月を持つ。


 魔導士:(参謀、鳥仮面の参謀)

 鳥のような仮面を付けている。名前は不明。性格は冷静であり、的確な判断と指示を下す。多数対多数の軍団戦を好む傾向がある。武器は杖と思われるが詳細は不明。一人称は"儂"が多い。"冬"と呼ばれる魔術特化の軍団を率いる。直属の部下には一〜三月を持つ。


 一月:(空龍)

 アンピプテラ。名前はケッツァコアトル。武装は確認できなかった。常に空にいると思われ、情報の収集が困難。六月と不仲らしき言動が確認できた。


 二月:(多首毒龍)

 ヒドラ。名前は不明。武装は確認できなかった。9つの頭を持ち、凄まじい再生能力を持つ。また、近寄った魔物が即死する事から何らかの猛毒を持っていると考えられる。


 三月(海龍)

 シーサーペント。名前は不明。武装は確認できなかった。海路に甚大な被害をもたらしている。


 四月:(合成獣)

 キマイラ。名前は不明。魔帝軍の手足欠損者を寄せ集めた部隊と思われる。武装は確認できなかった。


 五月:(多首の犬)

 ケルベロス。名前は不明。行動せず寝ていた。武装も確認できなかった。


 六月:(雨獣)

 黒獣。名前はテスカポリトカ。突撃隊と思われる。武装は杖と短剣を確認。超好戦的であり、国を2つ攻め落としている。一月と不仲らしき言動が見られた。


 七月:(祈りの巨人)

 巨人。名前はオリオン。魔帝軍の救護班と思われる。武装は確認できず。


 八月:(多首多腕の巨人)

 異形の巨人。名前はヘカントケイル。特に目立った行動ナシ。武装も確認できず。同種が他に2体確認されている。


 九月:(月見る巨人)

 単眼の巨人。名前はサイクロプス。魔帝軍の工兵班と思われる。非常に多彩な武装を持っている。


 十月:(不死の軍団長)

 魔族。名前はレギオン。ネクロマンサーと思われる。主武装は杖。十二月と行動を共にしている事が多く、後衛と見られる。


 十一月:(監視者)

 ハーピー。名前は不明。諜報員と思われる。主武装は弓。他の情報は不明。


 十二月:(鉄仮面の女魔騎士)

 魔族? 名前は不明。騎士と似た立ち位置と思われる。武装はランスである事が多い。十月と行動を共にしている事が多く、前衛と見られる。


 ざっとこんな具合の事が記されていた。

 当然その中にも、自分の生まれ故郷である村を攻めてきた存在がいた。そして勇者は、それが四天王ですら無かったことに驚く。


「……不死の軍団長レギオン」


 それが、勇者の生まれ故郷を滅ぼした存在であった。

 噂で聞いた話ではあったが、特徴がピタリと当てはまる。

 不死者を作り出せるのも、恐らくコイツだけだろう。


 勇者は、蓋をした筈の怒りを覚えるのを感じる。コイツだけは、自分の手で葬らなくては。


「…………」


 そんな勇者を気にも掛けず、父親は無言である1枠にバツを付ける。


「父さん?」


 まるで、そいつは既にいないと言わんばかりの行動に、思わず勇者は問いかけた。


「……諜報に来ていたらしい。始末しておいた」


 父は端的にそう言うと、台所の奥まったところにある縛られた大袋を示す。防水加工がされた、目の細かい麻袋。勇者はそれに近づいて口を解き———静かに元に戻した。


「父さんが勇者の方が良かったんじゃないかな?」

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