第3話 兄は、怒る
「た、ただいま……」
三日ぶりの我が家は、自宅だというのに入りづらさを感じた。きっとこれは、弟に彼女のことを尋ねる緊張感からだろう。ぎこちなく玄関へと入る。
「わっ……」
靴が白い小さな器にぶつかり、甲高い音が響いた。何時も母さんが盛り塩をしている器だ。盛ってある塩は溶け、黒い液体と化している。毎日暑いし、きっと交換の時期なのだろう。今日の買い物も、盛り塩をする為の粗塩が含まれていた。
そっと玄関で靴を確認すると、弟の靴だけがあった。如何やら帰宅済みのようだ。きっと自室にいるだろうから、話しを聞くのは夕食後だろう。そう思いながらリビングのドアを開けた。
「あ、お帰り。兄ちゃん」
「……っ!? た、ただいま……」
リビングに入ると、弟が俺を出迎えた。弟が居るとは思わず俺は、上擦った声で返事をした。そしてもっと驚くべきことは、ソファーに座る弟の後ろに件の彼女が立っていたのだ。俺に会釈をする彼女。まさか、彼女を同伴させて紹介するつもりなのだろうか。玄関に靴がなかったから、すっかり油断をしていた。
「か、買い物して来たんだ。仕舞うから……」
俺は動揺した心を落ち着ける為に、キッチンへと逃げ込んだ。リュックや買い物袋を床に置く。彼女が来ているということは、兄としてお茶やお菓子を出した方が良いだろうか?何か気の利いた物があるだろうか、そう思いながら冷蔵庫を開けた。
「……あれ? 無い?」
合宿に行く前に残しておいたゼリーが無くなっていた。弟が食べたのだろうか?俺は首を傾げた。何だかんだと言いながらも、弟はあのゼリーが好きだ。やはり追加で買って来て良かったと、買い物袋からゼリーのパックを取り出した。これはレジに並ぶ前に見つけたものだ。物で釣るのは良くないが、彼女のことを聞き出す緩和剤として使おうとしたのである。
「ん? ……え、何で?」
パックのゼリーを冷蔵庫に仕舞うと、ゴミ箱に捨てられている物が目にとまった。それは俺が残しておいたゼリーだった。拾い上げると未開封のままであり、冷えている。先程まで冷蔵庫の中にあったのだ。俺は先程帰宅した。家に居たのは弟だ。つまり弟がゼリーを捨てたことになる。何故だ?
「兄ちゃん、ソレ駄目だよ」
「え?」
背後から声をかけられ振り向くと、弟とその後ろに彼女が立っていた。何が駄目なのだろうか?蓋に印字されている賞味期限を確認するが、日付は三日後を示している。
「折角、さっき捨てたのに……ほら、捨ててよ」
「……はぁ? 何でだよ? 賞味期限切れてないだろう?」
食べ物を粗末に扱う弟ではない。しかし、ゼリーを捨てたのは自分だと弟は告げる。彼女の事や食べ物を粗末する事など、まるで俺が知っている弟ではないようだ。その事が無性に腹が立った。俺はゼリーの蓋を乱暴に開け、引き出しからスプーンを手にする。
「駄目だよ、それは! 賞味期限が切れる前に食べないと!」
弟は俺の行動を見ると、顔を青くし叫んだ。全く聞き分けのない弟だ。三日前まで三秒ルールで、お菓子を食べていただろう?彼女が出来た途端に、大人ぶっているのか?
「うるせぇなぁ! 期限内だって、言ってんだろう!!」
「うぐっ!?」
印字された賞味期限が信じられないのならば、己の腹で証明しろ。俺は弟に詰め寄ると、胸倉を掴みゼリーを口に放り込んだ。
「どうだ? 美味いだろう?」
「むぐっ……うん……。あれ? 兄ちゃん?」
大人しくゼリーを咀嚼した弟のシャツを離す。すると弟は不思議そうに首を傾げた。
「そうだよ、お前の兄ちゃんだよ。寝ぼけているのか? それとも熱中症か?」
「そうかな? でも……兄ちゃんが合宿に行ってから何かぼーっとしていたかも……」
先程と打って変わり、すっかり大人しくなった弟の頭を撫でる。ついでに額に手を当て熱がないか測るが、如何やら熱はないようだ。
「なんだ? 俺が居なくて寂しかったか? 彼女が居ただろう?」
弟の自己申告を聞き、嬉しくも恥ずかしい気持ちになる。だが、俺より特別な人が居た筈だ。
「え? 彼女? 俺の学校、男子高校だよ? 彼女なんて出来るわけないじゃん」
「……えっ……」
不思議そうに瞬きをすると、衝撃的な発言をした。慌てて、周囲を見渡すが何処にも彼女の姿はなかった。
『あと少しだったのに……』
代わりに、酷く不愉快そうな声が響いた。
弟とカノジョ 星雷はやと @hosirai-hayato
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