春隣の時節に 🎈 

上月くるを

春隣の時節に 🎈





 そっか、やっぱりね~、ひふみは思う。(@_@)

 前から感じていたけど、やっぱりね~。( ゚Д゚)


 見限ることをあらためて表明したんだね、社会の弱者を。

 K政権時代に流行った「自己責任」という、アレの復活。


 いまだにものすごい感染者数を更新中のコロナをインフルの仲間に入れてあげる。

 ずいぶん、ふところが深いんだね、感染症にやさしく国民にきびしいまつりごと。


 いいんじゃないですか、世界でも日本ぐらいでしょう、いまだにマスクしてるの。

 自分は見限られる側ではないと信じているコメンテーターの軽口、ペラペラ動く。


 


      😷




 ひふみ自身、ヨーロッパに住む友人から何度か呆れ口調のメールをもらっている。

 こっちじゃだれもマスクなんかしていないよ、日本特有の同調圧力っていうやつ?


 たしかに少し前まではそうだったかも知れないが、明らかに状況がちがっている。

 だれも助けてくれないから、自分の身は自分で守るしかない、マスクは外せない。


 気になるのは、一時は悲鳴をあげていた医療関係者がなにも言わなくなったこと。

 衝撃、抵抗、葛藤、反発、諦念……お決まりのプロセスの結果だとしたら、怖い。


 せめて、いまは過渡期と思っていたい、どこからどこへか曖昧模糊としているが、船長のいない船も滞留は許されず、とにかくどこかへ進んで行くしかないのだから。


 


      🌷




 いつか、わけの分からないものに支配されていた2020年代を見るのだろうか。

 何十年も闇の世界に操られて来たことをいまさら知ったおめでたい国の民は……。


 いずれにしても、わたしたちは今日を明日を生きねばならない、こういう愚かな国にした責任のある世代はともかくとして、希望に弾むべき世代を守らねばならない。


 ふと気づくと、カフェの窓際の紅色のソファに常緑樹の葉陰がチラチラしている。

 真冬の最中とはいえ、冬至のころとはあきらかに異なる太陽の明度がうかがえる。

 

 そうか、こういうときにも季節は律義に巡って来てくれるんだ、ありがたいこと。

 待春、春隣、春近し、日脚伸ぶ……冬の終わりの季語がひょいひょいと出て来る。





      🐑🦥🦛🐖🥗🧀🌮🍰





 十年に一度という寒波の昨夕、ひふみは掌編小説をアップした、いつものように。

 ひとつ、ちがっていたのは、それがひふみにとってトクベツな一編であったこと。


 ちょうど三年前、ネット小説サイトに登録したときからの、ひそかな目標だった。

 いかな小説といえども(笑)こんな事象を公開してよいものかずっと迷って来た。


 一番の気がかりは、これ以上傷つけたくない息子たちの目に触れることだったが、それでも書こう、書いておくべきだと決意させたもの、それは季節の移ろいだった。


「冬尽きて潮目の変る誕生日 ひふみ」多くの困難のなかで成長した息子たちには、一方的な視線の拙稿への批評も含め、大人の観察眼が備わっていると信じていたい。




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