最終話 遺されたひとたち

 俺の観た日本は滅びた。

 ここに至り、四戦のエンジンに命中した米軍の『地対空ミサイル』の爆風が自機の破片と共に、俺の身を襲い始めていた。

 これで、俺も終わるのだ。

 所謂、令和時代の横田空域に俺は飛び込んだ――そして撃墜される。

 あの世界ではもう、米国は我が国の敵ではなくなっている。

 その米軍に俺は堕とされる――何とも言えぬ皮肉だ。

 しかし、不思議と悔恨の念は湧いては来ない。

 俺は生まれた時代に従い、信じた道に全力で挑みこの身を捧げた。

 祖国を、守るための戦いに。

 その始まりは無謀であり、それを始めた権力者は無能だった。

 だが、俺はその中で己に出来うることはやってのけたつもりだ。

 この、命を懸けて。


 ――そうか。

 いつの時代でもそうなのかもしれない。

 どの時代の人間も、一生懸命精一杯生きていることに変わりはない。

 未来を知ってさえいれば、いくらでも軌道を変えようとすることは出来る。

 歴史を後世から俯瞰できれば、誰でもその時代の評価は容易いものだ。

 しかし、人はみな歴史や時代といった大きな流れの水面に浮く小さな葉に過ぎず、大小の渦に巻かれてくるくると翻弄される存在に過ぎないのだ。

 その環境では、自分の周囲より遠くを眺める事すら難しい。

 自分が今、時代の中でどのような場所にいるのかを正確に把握し、先を見通す能力を有する人間は、歴史上でいえば英雄と呼ばれるひとたちに他ならない。

 そのような人間が、市井にあふれている訳がないのだ……。


 だが、少なくとも為政者はそうであってはならない。

 そのために国民は良き支配者を望むのではなく、より良き為政者を育てなければならなかったのだ。


 俺はここで散る。

 だがせめて、魂だけはあの時代に還り、靖国で皆に逢って共に眠りたい。

 母や家族がいるあの国を、空から見守っていたい。

 そして、俺の観たものに意味があるのならば……。


 もしそれが出来れば、或いは――



 ― ― ― ―― ―― ―― ― ― ―



 轟音が空に響き渡った。

 多摩飛行場に詰めていた者たちは、一斉に茜色に染まっていた空を見上げた。

 突然の爆発音で、建物の中にいた者たちも外に走り出て来て天を仰いだ。

「何だ!?」

「何かが爆発したぞ!!」

 だが、監視兵はその爆発音の直前まで、空に飛行物を何も確認してはいない。

 夕暮れの空には鳥が逆光の中、影となって数羽飛ぶのみで、飛行機が飛んでいるような音すら聞こえなかった。

「敵襲か!?」

 対空機関砲への配置に急ぐ兵たち。

 それら滑走路に出た者たちの頭上から、パラパラと何かの破片が降ってきた。

「これは……アルミ片?」

 降ってきた破片を手のひらで受けた整備兵が再び空を見上げると、キラキラと夕日に輝くアルミ片を掻き分け、宙から湧くようにして大きな何かの塊が、続けざまに幾つも落ちて来た。

「――ああっ!?」

「危ないっ! 避けろぉっ!!」

 それらの塊が次々と落下してきて地面に激突し、ひしゃげた音を立て続けて転がった。

 空から降って来る物がひと段落すると、兵たちは落下物に近づいてみた。

「飛行機の……残骸だ」

 その中でもひときわ大きな塊を覗き込んだ整備兵が、あっと短く叫んだ。

「エンジンだ! めちゃくちゃにひしゃげて焦げてはいるけど……これは、もしやハ45では?」

 別の古参の整備兵が、黒くなって焦げた匂いのする塊に顔を寄せ、指で触れてみた。

「熱っ! かなりひどくやられてるが、恐らく……いや、確かにハ45だ。ということは、こりゃ四戦……疾風かい?」

 そこからかなり離れた駐機場で別の残骸を確認した者が、手を振って人を呼んでいる。

「おーい! 垂直尾翼だ! 番号、機体番号があるぞお!」

 皆はその垂直尾翼の周りを取り囲んだ。

「この機体番号は……おい、佐久間軍曹を呼んできてくれないか」

 取り囲んでいた中で、少佐の階級を付けた士官が兵士にそう告げると、しばらくして顔の半分に包帯を巻いた佐久間軍曹が、怪我をしたおぼつかない足取りでやって来た。

 そして機体番号を認めると、驚きを隠せない表情で少佐に告げた。

「これは、我妻伍長が乗っていた機体です」

「間違いないか?」

「はい。今朝出撃した際に、我妻が乗っていた機体に間違いありません」

「うむ……しかし、今になってこの上空で爆発したのか? 誰もその機影もエンジン音も確認しちゃおらん。突然、空から湧いて現れたようだ」

「は……」

「それにこの機体の状態は、空中分解なんかじゃなく、何かに攻撃された痕跡に違いないよ。だが、敵がいた様子も無ければ、肝心の操縦席周りの部品と、我妻自身の手掛かりになるようなもんが全く見当たらん……不可思議にもほどがある」

「私は戦闘中にはぐれて後は、我妻機の姿を認めることが出来ないまま、この多摩飛行場へと帰投しました。奴ほどの腕前ならあるいは、と思っていたのですが……。しかしこれは……」

 二人は何やらさっぱり分からないといった顔を、お互い見合わせて唸った。


 その後、日が暮れきる前までに兵たちは飛行場付近一帯を捜索したが、我妻伍長の手掛かりになるものは、その後もついに何一つ発見することができなかった。

 我妻伍長は行方不明とされ、戦後、相模湾上空での迎撃戦で戦死――と公式な資料に記されることとなり、靖国神社にその御霊は移された。



 ところで、多摩飛行場で謎の爆発があったその日、その時。付近に一人の少年がいた。

 その少年は国民学校高等科1年生の名札を国民服の胸に縫い付けていた。

 その日が彼の12歳の誕生日であったが、いつもと変わらず学校での授業が終了した後、近辺で農作業を手伝うと、帰宅をせずに飛行場へ大好きな飛行機を遠望しに来ていたのだ。


 少年は自分も16の歳には少年飛行兵に志願し、いづれ御国の為に戦う立派なパイロットになると固く心に決めていた。

 この日も飛行場から少し離れた高地の木の陰に座り、離着陸する飛行機はないものかと、滑走路と空とを熱心に見やっていたところ、あの爆発音を聞いた。

「なに?」

 少年は立ち上がり、木の陰から出て音の方を眺めた。

 すると飛行場の滑走路上空からキラキラと雪の結晶のような光るものが舞い落ちてきた後、何もなかった宙から大きな何かが次々と落下するのを見た。

 そのうちの一つは、ひらひらと蝶の羽のように落ちていく。

「飛行機の……翼?」

 何か大変なことが起こったのだ。

 少年の顔から好奇心が消え去り、血の気が引いていった。

 だが何があったのだろう?

 直前まで確かに空には何も飛んでいなかった。

 なのに大きな音のした後、何もない空中から突如としては現れたように見えた。

 滑走路上には多くの人たちが走り回る様子が見て取れる。

 誰かまた死んだのだろうか。

 少年は、はらはらとそれを見続けていたが、ふいに肩を誰かに叩かれた気がした。

「っえ?」

 振り返るが誰もいない――が、少年の視線の先。

 代わりに、っど、という音と共に、地面に落ちてきたものがあった。

 少年の目は、土の上に転がったそれに釘付けになった。

「パイロットの……ゴーグル」

 少年は息をするのも忘れ、喉を鳴らして唾をのんだ。そして何かに導かれるようにゴーグルの元まで歩むと、それを両手で拾い上げた。

「あたたかい……」

 空を見上げてみたが、暮れかかる夕日を雲が反射しているだけだ。

 そのゴーグルのガラス面はおろしたてのように傷一つ無く奇麗で、その周りの古ぼけ使い古された様子とは別物のように違っていて、少年の心をキラキラと反射させた。

(あの飛行機のパイロットのものだ……)

 少年は直感的にそう思い、これを拾った以上は届けなければと考えたが、不思議な輝きを放つガラス面に魅入られ、ふと欲望にかられた。

 ――少しだけ、装着してみよう。

 パイロットへの憧れが強い少年が、その誘惑に抗うのは難しかった。

 それに、何者かに装着することを望まれているような、そんな不思議な後押しを感じてもいた。

 一度装着してみたら、飛行場へ返しに行こう……そう決めて装着し、茜色の空をガラス越しに見つめた。

 すると――


「――っあ!!」


 少年の視界は光の中に飛び込んだ。

 朱かった空の色から変化し、様々な極彩色の渦が、少年の瞳に流れ込んでくる。

 少年は驚き、咄嗟にゴーグルを外そうとしたが、既に自らの身体が光の中に溶け込んでしまった感覚になっており、自分の手を動かせたかどうかも定かではない。

 そして、その光の中に様々な光景が、映画のスクリーンに映るように少年の目に飛び込んで来た。

 それは、この国がこれから辿る未来。

 そして、それから行き着く最後。

 少年は、全てを観た。

 一生分の旅をしていたような気がしていた。

 だが、体の自由が戻ったように感じ、ゴーグルを外した時、まだ茜色の空はそのままだった。旅は一瞬に過ぎなかったのだ。

 少年はガクガクと膝が震え、ゴーグルを外した眼から、涙を滝のように流れ落とした。嗚咽が辺りの木々の葉の間をすり抜けて、枝にとまる鳥を羽ばたかせた。

「そんな……こんなことって……」

 少年は涙を湛えたまま飛行場を見た。

 あの飛行場も、もうすぐ米国のものとなってしまう。

 だが、少年が絶望感に打ちひしがれたのもそれまでだった。

 少年は即座に涙を使い古した国民服の袖で拭った。そして鼻を一度鳴らして涙を止めると、強い意志を込めた眼差しでゴーグルを見つめた。

「絶対に、この国を滅ぼしはしません。俺が……が、守ります!」

 そう何もない宙に向かって宣言すると、少年はそのゴーグルを帆布でできた肩掛けカバンに詰め込んで、その場を走り去って行った。


 パイロットになって戦う事だけが国を守る術じゃあない。

 平和になってからも、国を守る戦い――戦い方があるんだ。

 経済、工業、教育、そして政治。

 その戦いを怠った時、国は衰亡の坂を下り始める。


 少年はむしろ清々しさを覚えながら、家路を急いだ。

 それはこれからの未来に向けた滑走のように。

 世界に羽ばたく見えない翼を、少年はこの日、得たのだった。




 昭和22年6月


 日本国憲法が施行された次の月、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥が横田飛行場を訪れ、その付近も視察した。

 護衛の車が列を連ね、住民代表の者たちが畏まって出迎える中、マッカーサーはピカピカに磨かれた黒塗りの車から、見学にやって来ていた民衆の前に姿を現した。

 トレードマークのコーンパイプを咥え、その先から煙をくゆらせている。

 その時――。

 上目遣いでそれを迎え入れる住民代表者たちの隙間から、一人の少年がすり抜け出てきた。

 少年は着古された服を纏い、害意なさげに笑顔を浮かべながら両手を開いてマッカーサーへと、するすると近づいていく。

 護衛の兵は不思議とその少年を妨げようとする行為を、みな他の兵士に譲るような空気となり、そこに意識の隙が生じた。

 少年はその意識の隙を利用してマッカーサーの元になんなく辿り着いた。

 マッカーサーはやれやれ、といった表情をつくり、少年の差し出した右手の握手に応じようと背をかがめた。

 その時、少年は口内に貯めていた水を、口をすぼめて水鉄砲のように吹き出した。

 その一筋の水は、マッカーサーのパイプの先に見事命中し、煙をくすぶらせて消してしまった。

 マッカーサーは真っすぐに立ち直ると、首を傾けサングラスの奥から少年をきつく睨みつけた。

 少年は腰に手を当てて、してやったりの笑顔をつくると、捕まえようと迫ってきた米兵の手をすり抜けて、大衆の中へと俊敏な身のこなしで消えていく。

 わあわあと騒ぎ出すひとたち。

 追いかける米兵。

 拍手をする人も出てきて、そのうち喝采も上がった。


 逃げていく少年の肩掛けカバンには、あのゴーグルが収まっていた。


 ――ここから日本の歴史が、変わり始めた。


 少年が戦後政治家中で第一の手本、と後世日本の歴史書に掲載される、はるか以前の話である。



 終わり

 

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遺されたものたち 涙田もろ @sawayaka_president

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