第6話 落日

 米中による一度目の大規模軍事衝突が痛み分けに終わったのち、日本は衰亡を極め、原発事故による放射能汚染も自らの力で抑えることが叶わなくなっていた。

 国力はもはや昔日に比して見る影もなく、スラム化する都市も現出していた。

 戦争・地震・放射能への対応という三重苦に経済は既に耐えられる状態になく、ここに国家経済は完全に破綻した。

 この危機のはるか以前から莫大な国の負債は膨れ上がる一方だったのだが、ある時期から財政を健全化させる方策そのものを放棄していた。

 代わりに国民に次々と課せられる重税は、景気の改善をさらなる彼方へと押しやり、さらに経済は疲弊していくという悪循環の渦に搦めとられ、瀕死の状態だったのだ。

 政治家は迫りくる財政破綻に対し、見たくもない現実としてこれを先送りにし続けていたもので、破綻そのものは諸外国から見れば当たり前の帰結でしかなかった。


 そう、周辺諸国もいたのだ。

 日本の政治家には国を正しい方へと導く能力が欠如し、種々の危機に際しても適切な行動どころか、責任を取ることすら出来ない集団であることを。

 彼らは国にとって必要な政策を実行するのではなく、自分のやりたいことをするだけ――世界的な政治家の水準に照らし合わせれば、赤子のようなものだと。

 そして国民がその赤子に、選挙によって常に玩具を与え続けているのだと。

 分かっていたのだ。


 民主主義国家において、政治家は国民を映す鏡であり、その逆もまた真である。

 だが、それをわざわざ我が国に政治レベルで指摘、助言してくれるほど、親切な国は現実世界に存在しなかった。

 同盟国であり、大切な友人であると日本を称すようになっていた米国でさえ、かつて軍事的、そして経済的な好敵手として立ちはだかった我が国を弱体化させている根本的な病巣を教えてやることで治癒させてしまい、またかつてのように強力で厄介な存在にしてやる理由は無かったのだ。

 むしろほどほどに政治的には馬鹿のほうがいい。

 扱いやすければそれに越したことはない。

 米国にとってはそれが『利』となるのだ。

 弱くなり過ぎない程度に、中国に対する軍事的な補助戦力として使用できるのが最も好ましかった。

 だがそのことに、当の日本人は気が付くことができなかったのだ……。


 人間性も、昭和の頃とは様代わりしていた。

 この頃になると、真の苦難に長期間耐え、貧しさと泥にまみれる艱難辛苦を経るとしても自国を再び発展させてやろう、という気概を持つ人間は少数派となっていた。

 国民が、政治家の度重なる腐敗や不祥事に慣れ過ぎてしまい、諦めてしまっていたこともあるだろう。

 だが、国民自身も政治というものに時間を費やしていただろうか。

 自らの余暇を使って、何か政治的な活動を行っていただろうか。

 純粋な政治の話をするのでもいい、自分が推す政治家を見つける努力し、友人に勧めてみるのもいい。

 選挙で投票をすること以外で、己の時間を政治に少しでも捧げただろうか。

 民主主義の国に生まれた特権を行使しただろうか。

 気に入らなければ権力者を変えることが出来る……なんと羨ましいことか。

 何もしないのに、少なくとも良くなることなどない。

 努力をしてやっと現状維持ができれば御の字だろう。

 しかしいつの頃からか我が国の人々は、政治に対して行う努力を忘れてしまった。

 そして、辛辣な言い方をすれば、皆【より良き支配者】や【自らを気持ちよく支配してくれる権力者】を求めてしまったのだ――。

 

 

 その日、米国は日本政府・国民に向けさざ波を起こした――


 『現状を鑑みるに、友人である日本の困窮を見るに忍びない。もちろん最大限の支援はするが、それだけでは多くの困難の克服は難しいようだ。そう……一時的にせよ我が国の保護領となれば、今までの生活水準を保つことを保証する。我が国が、皆さんの苦難を引き受けようではないか――』


 最初は政府高官の談話だったものが我が国に伝わり、国内の世論は沸騰した。

 米国はその世論が『保護受け入れ派』に有利であることを確かめるや、これを公式な声明に格上げし、混沌としていた世界情勢の中、水面下で国連や親米国家の支持を取り付けた後、我が国の中へと投げ入れた。

 その波紋は甚大で、大きな波となって我が国を飲み込み、紆余曲折した挙句、正式に国民投票を行い決を採る段階にまで進行する。


 そしてその結果――僅差ながら、保護受け入れ派が勝利を収めてしまう。


 世界史上類を見ない決定が、ここに下された。

 その国の国民自身の意思により、国土や諸権利、そして自ら国家を再建するという未来を放棄し、それらをそっくり全て他国に委ねてしまうという決定が。


 民主主義国家においては、その国は、その時代においてそこに住まう人たちに相応しい国に必ずなる。

 それ以上にも、それ以下にもならないものだ。

 そう、良くも、悪くも――。

 

 そしてその後、日本国という『保護領』はゆっくりとその形を無くしていき、ある時、静かにその歴史に幕を閉じる。

 世界のほとんど誰もが関心を持つこともなく、正式にとある国の一部となることで、あっけなくもひっそりと消滅した。

 腐った木が朽ちていくように。

 そして、腐るような最後を迎えた木からは、新たに何も芽吹くことはない。


 俺が見た日本国の、それが最後だった。


 

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