ソロ登山で遭難した話

葉山 宗次郎

低山で道迷いした

ソロ登山で遭難した話――低山で道迷いした


 その時は、少しばかり、いや初めから焦っていた。


 ソロ登山が趣味の私。

 昔から人からあれこれ言われていてストレスが溜まっていたので、気分解消のためにソロ登山を趣味にしている。


 普通はグループ登山を推奨されるが、集団の中にいることにストレスを感じる私には無理な選択肢だ。

 それにパーティーでも遭難するときは遭難する。

 はぐれた場合は、自力での下山を覚悟しなければならない。


 結局、単独で下山できる技量が無ければグループ登山もすべきでは無い、と開き直りソロで登っている。

 失敗もあるが失敗も自分のモノ。

 人からあれこれ言われることも、押しつけ押しつけられず、奪われる事もない。

 何もかも自分で背負い、掴み取れるのがソロ登山の醍醐味だ。


 だが無鉄砲に登ってきたわけではない。

 ガイドブックを読み難易度の低い山で実践して確認し、自身のレベルを上げ、安全マージンを確保しながら、難しい山へ挑戦して行き、少しずつランクアップした。


 お陰で小屋泊での富士山登頂、妙義山の稜線走破、雲取山でのテント泊を単独で成功させることが出来る位には上達した。


 そして今回は神奈川県の焼山登山口から石砂山と石老山を超えて、相模湖駅まで行く登山計画を立てていた。


 登山を始めた頃、登山レベルを上げるため高尾山周辺をよく登っており、陣馬山から縦走したり、相模湖駅へ行ったこともある。

 そしてレベルアップを実感した私は焼山登山口から神奈川県最高峰蛭ヶ岳で一泊し丹沢を縦断することに成功した。


 次の目標を考えているとき、これまでのコースを繋ぐと丹沢から高尾を通り奥多摩まで結べるコース、今回のルートを思いついたので選択した。

 自己満足だが、それが登山だ。

 でなければ文明の利器を無視して己の身体で抱えられる範囲の装備しか持たず山に入るなどしない。


 富士山やガレ場――岩や砂の多い悪路や鎖場――鎖を伝って上り下りしたり横切る岩場、痩せ尾根――、一人分の幅しか無い細い尾根を踏破したことのある私にとって、登山者が少ないとはいえ、標高五七八メートルの低山――標高五九九メートルの高尾山より低い山は登りやすいと考えた。


 より正確に、正直にいうと舐めていた。

 そのためしっぺ返しを食らった。


 最初の躓きは、登山口までの移動だ。

 登山口までは最寄りの鉄道駅である橋本からバスに乗り、三ヶ木のバスターミナルへ行き更に乗り換えて行く。

 だが乗り換えるバスは平日は五本通っているが、土日祝日は朝夕の二本しか通っていない。


 しかも日曜朝の始発便は早朝の朝七時に出発するで、家からだと、始発列車に乗ろうが、始発に乗ることが出来ない。

 蛭ヶ岳へ登ったときは、運良く、同じコースの人達と会い、途中までタクシーで相乗りして行ったのだ。


 流石に今回の様な幸運は期待できない。

 逆方向、相模湖側からのコースも考えたが、夕方のバスに乗り遅れたらアウトだし、土地勘も少ない。


 だから焼山側から行くことにした。

 乗り換えのバスに乗れなければ、三ヶ木から焼山まで六キロの道のりを歩くことにする。

 案の定、朝のバスに乗ることが出来ず、ひたすら一時間、焼山登山口まで舗装道路を歩いて行く。


 途中で折り返してきた恨めしそうにバスを眺めつつ、ひたすら歩き焼山登山口へ。

 そして到着すると予定通り五分休憩。

 登山では一時間に五分の休憩が最もペースよく進む事が出来る。


 休憩が終わると更に舗装道路を進む。

 焼山とは反対側、しかも川を渡る必要があり、都心の川と違って橋が架かっている箇所が少なくそこまで歩く必要がある。


 ようやく、橋へ向かう分かれ道にたどり着き、下り坂を進む。

 大分、坂を下ったとき橋に到着したが、橋の欄干から下を覗くとまだ十数メートルもの崖下に川が見えた。

 山間だと川はこのような崖下に多いのだ。


 それからは上り道だ。

 途中まで舗装道路を歩き石砂山の登山口から山道へ入る。

 典型的な石ころが地面に埋まっている道だが、まあまあ歩きやすい。

 砂や泥道よりマシだ。


 道もしっかり見えていたので、安心して登れた。

 途中、送電線と、切り払われ見通しの良い場所にたどり着き、風景を眺める余裕もあった。


 お陰で一時間ほどで石砂山山頂に到着した。

 木々が生い茂り、見通しが悪かったが、ベンチとテーブルがあり、休息できる。

 腰を下ろして休みながら私は考えた。

 予定では登山道に従って進むが、それで良いのかと思ってしまった。


 整備された登山道だと、一度麓まで降りて再び登る。

 しかし、東の尾根に向かう破線コース――あまり使われず、道が不明瞭なコースを使えば峠近くを通り時間短縮になる。


 登山では水平距離より標高差が大きい方が負担が重い。

 また、天気予報では午後に雨の降る可能性も出ていて焦っていた。

 石老山から更に相模湖まで歩くことを考えると、ショートカット出来れば時間短縮となりスタミナも温存できるし疲労も蓄積しない。


 早速、私は山頂から東へ向かう尾根へ向かって歩き始めた。

 それが、間違いだとも知らずに。


 下りはじめは酷い傾斜だった。

 山頂近くは急斜面が多いのだが、落ち葉が積もっていることも加わり歩きにくい。

 地面を踏みしめられず落ち葉に足を取られ滑ってしまう。


 それでも標識となるリボンやビニールテープを目印に歩く。

 生えている木の根元を足場に、して滑っても止まれるよう、木の根元を選んで歩く。

 急斜面を下りきると多少は歩きやすい尾根道に出る。


 蜘蛛の巣が多かったが、使う人の少ない道だからと考えて進む。

 時間も無いため、急いで進む。

 途中、尾根を間違えて下ってしまい、慌てて上りなおし迂回する事もあった。


 何か変だ。

 歩いている途中でおかしな事に気がついていた

 予定では四十分ほどで峠まで到達できるハズだった。


 なのに時間を過ぎてもたどり着けない。

 初めての道で、途中、尾根を間違えたため、と考え歩き続ける。

 しかし、おかしな事は他にもあった。


 北東の方角へ向かわなければならないのに、時計のコンパスは東を向いたままだ。

 そして、いずれ見えなくなるはずの焼山が進行方向右側、茂みの置くにいつまでもみえている

 自分の腕が未熟で見え方が違うだけと言い聞かせ進む。


 だが自分の腕が劣っている訳ではなかった。

 もっと根本的な間違いを犯してる事に私は気がついていなかった。

 その間違いを突きつけてきたのは送電線の鉄塔だった。


 予め地図で確認していた予定のコースには送電線も鉄塔も存在しない。

 改めて確認しても予定のコースに送電線など無かった。

 私は、焼山の位置と送電線のルートを確認して、自分が何処にいるか判別し、分かった事実に愕然とする。


 石砂山山頂で一つ手前の尾根に、間違ったコースに入って仕舞ったことにようやく気がついた。

 引き返すことも考えたが歩き始めてから一時間、大分歩いてしまった。

 しかも山頂前のあの急斜面を登る気力が残っていそうに無い。


 尾根道を歩けばいずれ人里に行く。

 そう思ってしまった私は、ひたすら尾根道を歩く。

 だが、道はどんどん険しく、そして不明瞭になる。


 歩いている内に何処まで進み、残りがどれくらいか分からなくなった。

 やがて、谷底へ向かう道らしい物が見えてきた。近くの小さな名刺程度の標識から送電線点検用の作業道と私は、判断した。

 南側を見ると、私が登山口へ向かって先ほど使った道が見える。

 このまま、進むより作業道が道路に通じていると考え、下っていった。


 しかし、歩いた先は、送電線の鉄塔だった。

 次の鉄塔まで歩こうとしたが、尾根を横断しているため、高低差が大きい。

 しかも谷の部分は滑りやすく滑落の危険があった。


 それでも私は舗装道路に向かうため、下ることにした。

 少しでも傾斜が緩やかで歩きやすい尾根を通り、滑りやすい谷を避けて慎重に降りていく。

 やがて降りていくと川が見えてきたが、その先の断崖絶壁を見て、唖然とした。


 日本の川は滝だ。

 とは明治時代日本にやって来た土木関係の御雇外国人だが、正にその通りだ。

 急流によって山間を削り取った川は、片側か両岸が崖になっているところが多い。


 遭難したとき、無闇に山を下ってはいけないという言葉が伝えられているが、下りきって四方を崖に囲まれニッチもサッチも行かなくなることを避けるための警句だ。

 私は見事にその警句を疲れて思い出せず、無意識のうちに破ってしまった。


 知っていたが、実践できなかった。

 疲労と目の前にある舗装道路、文明の輝きに目が眩んで目の前の危険を見逃してしまった。


 途方に暮れた私だったが、何とか出来ないかという心が目を動かし、対岸に登れる場所が無いか探した。

 そして上流に川岸と登れそうな尾根があるのを見つけた。


 続いて川の流れを観察し、漣の立っている場所。

 少し流れが速いが、目的の尾根に続く河原へ行ける浅い場所を見つけた。

 私は渡河できる場所に向かって降りてゆき、川岸から、川を観察する。


 川底は、石のようで歩けそうだった。

 渡河する事を決断し、準備を始める。


 濡れるのは良くない、山で濡れたまま過ごすと低体温症の危険がある。

 安全を、足をケガしないよう考えると靴のまま歩いた方が良いかもしれないが、その後の山道での行動を、急斜面を濡れた靴で歩くと滑ることを考え、乾いたままにした方が良いと考え脱いで渡ることにした。


 靴を脱ぎ、靴紐でよく縛り繋いで首にかける。

 靴下も脱ぎ仕舞う。

 ズボンも脱いでザックにしまい濡らさないようにする。


 準備が終わると、私は川へ入っていき、早速誤算に悩まされる。

 浅瀬の部分に、流れの緩やかな部分に藻や泥がこびりついていて素足だと滑りやすかった。


 ザックが濡れるのを嫌がり、ザックを頭に抱えてバランスが悪いことも渡河を困難にした。

 しかし前へ私は進み、次の誤算に悩まされる。


 思ったより川が深く膝上まで来てしまった。

 通常、流れのある場所では、膝下程度が限界だ。

 それ以上の深さだと川に流されてしまう恐れがある。


 引き返そうかと思ったが、流れが緩やかだったので進む。

 股下まで、水面が来たが、そこが一番深いところだった。

 足を取られないように、上流側に足を踏み出し、前に進む。


 徐々に上り斜面となり、足が水面から出てくる。

 対岸の藻や泥に足を取られそうになりながら、転びそうになりながら歩き続け、渡河に成功した。


 渡河に成功すると適当な大きさの岩に腰を下ろし、ザックを下ろした。

 持っていたタオルで足を拭き、ケガが無いか確認すると、ホッと一息吐く。

 それからザックに入れたズボンを履き、靴下を履いて、登山靴を履き、ザックを背負い、斜面に向かった。


 予想通り、登れそうな斜面だった。

 しかも運の良いことに荒れているが、作業道らしきものがあり標識となるビニールテープがあった。


 標識をたどって、登りはじめる。

 急斜面だったが、その先の道路、そこから聞こえてくる自動車の走行音が自分の力になりぐんぐんと登っていく。


 やがて自動車橋の橋のたもと、整地された広場にたどり着いた。

 だが、道路の前は壁面でそそり立ち、登り口が目に出来なかった。

 疲れて気が立っていた私は、壁面沿いの斜面を登り、自分の背丈程度の高さになると腕の力で登りあがり、上の道路へ登った。


 道路に戻ったとき、私はようやく文明に戻れた、帰った来れたという安心感に浸った。

 そして、これまでの失態について自分をあらん限りに責めた。

 最後犯した間違い、道路の反対側に整地された広場に通じる、広場を作る為に重機を通したであろうスロープがあったことを責めた。

 目の前の事に捕らわれて、周囲を確認しない悪い癖が、疲れて視野狭窄に陥った事を責めた。


 時間は正午を過ぎていた。

 道路の何処か読図で確認すると、焼山登山口の近くだった。

 結局二時間ほど登山して、道に迷い元の場所に戻ってしまったのだ。


 再び登り直すか、違うコースを進むか考えたが、疲労で重くなった身体、遭難という初めての事態に驚いている自分の心の事を考えて、中止にすることにした。

 今朝、自信満々に歩いてきた舗装道路を自動車に追い抜かれながらとぼとぼと歩いて行く。


 途中、昼食がまだだったことを思い出し、持ってきた、うどんをコッヘルとバーナーを使って煮込んで食べ、余った汁をアルファ米のパックに入れて雑炊にして食べる。


 疲れ切った身体に栄養が行き渡り、人心地がつく。

 同時に嫌悪感も少しは晴れた。


 遭難という事態にショックを受けていたが、少しは回復した。

 バスの時間までかなりあったので、帰り道はバスターミナルまで歩く。

 失敗して足取りは重かったが、ひたすら歩いてたどり着き、バスと電車を乗り継いで家に帰った。


 何年も山を登っているが、この登山で初めて本格的な遭難をした。

 慢心だった、としか言いようがない。

 今までも道を間違えた事はあったが、五分もしたら間違いに気がつき、戻ることが出来ていた。


 今回はバリエーションルートを通るということで道が荒れていても気にしなかった。

 変だと思っても自分の腕が未熟だと決めつけて事態を悪化させ、自分を疲れさせ、判断力を奪い、悪い方向へ、谷底を下り川を渡河するという最悪の事態へ導いた。

 もっと酷いことになっていたかもしれないと思うと冷や汗ものだ。


 低い低山でも遭難の危険があるし、命を落とす危険がある。

 それを再認識させられた遭難だった。


 だが、それでも山を登るのを止められない。

 山登りが好きなのだ。

 悪天候の中、山を登ってひどい目に遭ったが、雲の切れ間から見える景色に感動してそれまでの苦労が吹き飛んだことなど幾度もある。


 今回の遭難だってそうだった。

 失敗しても、死の淵に立っても、何とかしようと考えれば、切り開ける、打開できるのだ。


 実際、登山を止めることはなかった。

 暫く時間をおいてから、失敗を見つめ直し、平日にバスを使い体力を温存し、整った登山道を使う事で走破することが出来た。


 それでも困難なところがあったが、無事に目的を達成する事が、今までのコースをつなぎ合わせる事が出来た。

 多分これからも、走破した場所を増やすために歩き続けるだろう。

 それだけの魅力が山には、登山にはあるのだ。

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