20年分の大好きを

雨月 揺

20年分の大好きを

 人生は一度きり。だから後悔の無いように生きよう。

 似たような事も含めてよく聞く台詞セリフだ。


 仮に後悔の無いように生きていたとして、明日何かしらの事故に巻き込まれて死ぬ事になったら、本当に悔いなく死ねますか?


「後悔の無い人生って一体…何……?」


「夢を叶えたら…?憧れの人に会えたら…?美味しいものをたくさん食べれたら…?」


「そんなものじゃないと思う……。まぁ…でも思い返せば……後悔だらけだったな………」


 今年35歳になった初田はつた かえでは自身の首に縄をかけている途中にこう思っていた。

 親からは結婚の事を聞かれる毎日。会社の部下からの結婚報告。上司から言われる、結婚しないの?という言葉。結婚・結婚・結婚…。


 人生は結婚をしなければならないのか?義務教育というものがあるから小学校に通うのと一緒で、この世に生を授かったからには異性と契り、そして新たな生をこの世に授けなければならないのか?それが正解?


 心から、心から愛してる人がいるならそれで良いと思う。

 でもその愛してる人が、既にこの世から去っていたら?


「そういう私はどうしたらいいの……?」

 

 愛していた人がこの世にいないなら、別の人を愛せと?


「私には…できないよ……」


 そう呟きながら楓は、力なく首にかかっていた縄を外した。


つむぐ…」




 昔の話―。

 向かいの家に住んでいた男の子、木谷きたに つむぐとは小さい頃から一緒にいた。親同士が仲が良かったとか、近くに同い年くらいの子が他にいなかった。とかでは無かった。

 楓が小学三年生の時に近所の家で飼われていた犬が脱走し、追い回されたことがあった。当時、犬が大の苦手だった楓は泣き叫びながら自宅へ逃げていた。


「だ…だれかぁっ…!はぁ…たす、たすけてぇっ!!」


 角を曲がったところで紡が現れ、犬と楓の間に割って入り追い払った。紡は同い年で細身だったが正義感が強く、とにかく頼もしかった。

 それからよく遊ぶようになった。


「何かあったらぜったい僕に言ってね、守ってあげるから」


 楓は紡からその言葉を貰ったとき、好きとかそんな感情は分からなかったが何故だかずっと傍に居たいと思った。


 おままごとが好きだった楓は、普段は母親とやっていたのだが紡と一緒にやってみたいと思うようになった。


 男の子がおままごとをやるなんておかしい。そういう偏見があることくらい楓も分かっていたが、聞くだけ聞いてみた。

 優しい紡は快く了承し、楓の家でおままごとをして遊んだ。


「つむがお父さんね。かえではお母さん」

 少し照れながらもその設定を伝えると、紡は嬉しそうにお父さんの役を始めてくれた。


「ただいまー、今日も仕事つかれたー」

「おかえり、今日もおつかれさま」

 自分の父親の真似をしているであろう紡のセリフに楓はそう返す。


 楓は少し考える仕草をしてこう続けた。

「これだとふつうだね」

「……ちょっと…ちがうやつ…」

「?」


 首を傾げる紡にこう言った。

「合言葉っ!」

「合言葉決めようっ」

「つむ、何かない?」


 急な振りに少し困惑しながらも、考える仕草をする紡。

 程なくして紡は口を開いた。


「おそくなってごめん」

 ドヤ顔混じりでそう言った。


 楓は不思議そうに目を丸くした。

「早く帰ってきても、おそくなってごめんって言うの?」

 そして思ったことを素直に聞いた。


 紡は照れくさそうに話す。

「うーん…。すきな人には、早く会いたいと思うから……」

「少しでもはなれたら、どれだけ早く帰っても…おそくなってごめんって言いたい…かな…」

「…つむはかえでとけっこんしたら言ってくれる?」

「うん、言うよ!」


 おままごとを機に、二人はこういった会話が増えていった。幼馴染の男女が小さい頃に結婚の約束をする。よくある話だ。それらと少し違うところがあるとするならば、楓と紡には合言葉がある点だろうか。


 とは言え、楓は深く捉えることは無く、おままごとで夫婦をやる時は『おそくなってごめん』が合言葉になっていった。


 小学五年生になってから少しして、紡は女の子と二人で遊ぶのが恥ずかしくなったのか、楓が遊びに誘っても、断ることが増えていった。

 友達の多い方では無かった楓は、公園や家で一人で遊ぶことが増えた。


 会話もめっきり減ったまま小学六年生になった時、クラスが一緒になった。そこからまた話すようになった。少し離れていただけで背が高くなっていたように感じた。楓はそれを見て、もう一緒に二人で遊ぶことは無いんだ、紡は知らないところで変わったんだと思った。


 勉強も自分よりできて、スポーツがとにかく万能で何でもそつなくこなす紡をかっこいいと思うようになった。楓はそれを『好き』という事なんだと実感した。

 しかし、伝えようとはしなかった。なぜなら昔おままごとを一緒にやったときに結婚することを約束していたから。


 楓はずっと信じていた。


 中学校にあがりクラスが変わった。紡は陸上部に入り、一年生ながら優秀な成績を残していた。勉強の成績も良いと隣のクラスの友達に聞いた。

 しかし、中学生にもなると聞きたくないことも風の噂とやらで流れてくる。紡には彼女がいる、そんな噂が出回ったことがあり楓は思った。

「あんな昔のこと、もう覚えてないよね」

「私は好きって言うべきなの…?」

 

 どうしても真実が気になり、本人に聞いてしまった。

「あのさ……紡…」

「あ、あの噂って、本当なの…?」

「どれ?」

「紡に彼女がいるって…」

「そんなの大嘘だよ。俺には好きな人がいるからね」


 楓はもし本当に紡に彼女がいるなら応援しようと思っていた。

 しかし、好きな人がいるという回答は楓自身という可能性がゼロでは無いということだった。少しネガティブだった楓はその考えを切り捨ててこう伝えた。

「……そっか、叶うと…良いね…」

 そう言い返し、帰ろうとしたとき、手首を軽く掴まれた。

「………楓だよ、好きな人…」

「え…?」

「…違う人だと思ったの?」


 楓は顔を赤くし、驚きと嬉しさで涙を流した。

「勘違いしてたでしょ、楓」

「…う、うっさいっ…!」


 全て忘れていると思い込んでいた楓は心の中で紡に謝った。


「わ、私なの…?」

「楓以外いないよ、ずっと」

「でも、告白は…待ってほしい……」

「俺は今付き合ってしまったら……。全て楓を優先にしちゃう気がするから…。勉強も部活も後回しにして…」

「だから…!卒業式の日、家に帰る前にあの公園で待っててほしい」

「高校生になったら全部上手くやってみせるから……」


 先程よりも大粒の涙を流しながら、楓は頷いた。紡はあの時よりも大きくなった腕でぎこちなくそっと抱き寄せた。



 楓はその日を皮切りに、勉強・部活を必死に頑張った。テニス部に所属しており、徐々に実力もつけていった。


 クラスの子とも積極的に仲良くし、友達も増えた。

 高校は紡と同じ学校を受験し、合格した。そんな楓を友達は皆、祝福してくれた。

 勿論、紡も喜んでくれた。一緒に高校生活をスタートできる。


 はずだった。


 卒業式の日、紡は学校に来ることは無かった。

 部活を引退してからは紡と一緒に学校に行っていた。しかしこの日だけは紡に「忘れ物をしたから先に行っててほしい」そう言われ学校に一人で向かった。


 妙な胸騒ぎがした。



 紡と同じクラスの男の子が楓のクラスに駆け込んで一言こういった。


「つ…紡っ…事故で死んだらしい…!」


 すぐに大騒ぎになった。

  

 他のクラスの人からも親しまれていた紡の死は多くの人を悲しませた。紡と楓が仲良かったことを知っていた友達は唖然とした表情で楓の方を見た。


「な、何言ってんのよっ!!つ、紡…紡が死ぬ訳ない…じゃないっ……!」


 楓は現実が理解ができなかった。伝えてきた男の子に、叫びながら掴みかかろうとして、その場に倒れ緊急搬送された。

 教室は地獄絵図だった。


 紡はこの世にいない。二度と会えない。病院のベッドの上で抜け殻のようになりながら、心の中でずっとそう唱えていた。

 ずっと傍にいた、大好きだった人は、結婚どころか告白の言葉を聞く前にいなくなってしまった。

  

 退院をした後、何もかも投げ出し、勉強や部活は勿論、人生そのもののやる気が無くなっていった。

 高校は一年の秋頃から通い始めたが、既に輪ができ始めている世界に溶け込めることは無く、登校する回数は次第に減った。

 楓はついに高校を辞め、就職をした。


 朝起きて、仕事へ行き、同じことを繰り返し家に帰る。休日は家にこもる事が殆どだった。

 いつしか楓は紡のいない世界に対して毎日こう思っていた。


「固く閉ざされ、開くことのない扉」

「一生晴れる事の無い、空の様」

「明けることの無い、夜みたい」


 楓は紡が卒業式の日に待っててほしいと言った公園に仕事終わりによく訪れてベンチに座ってそんなことを考える日々だった。

 その場を眺めていると当時の自分たちが手に取るように見えた。


 その度に楓は思った。

 あの時一緒に学校に行ってたら?私もついていくから、中学最後の日くらい一緒に登校しよう。

「そう伝えていたら紡は生きていた?」

「いや…それは無い……」


 楓はあの時、一緒に行くと伝えたが、紡はそれを頑なに拒否した。


「なんであの時、断ったの…!!?」


 過去はどれだけ空想しようが、思い描こうが捻じ曲げて変えることなんて出来ない。だからこそ余計に悔やんで悩んだ。


『悩むだけ無駄』『もう仕方ない』


 相談をしてもこの言葉で片付けられる度に、もう消えてしまいたいと思うようになった。


 時の流れは残酷で、悩む人に振り向いてはくれない。

 30代になり、同僚や同級生はどんどん結婚していった。歳を重ねるごとに部下の結婚報告も増えた。そして親にも結婚をしてほしい。そう言われる事も増していった。

 一度きりしかない人生だからこそ、胸を張ってこの人と人生を共にしたいと言える人としか結婚をしたくない。楓はそう思っていた。

 

 仕事で大きなミスをして上司に酷く怒られたことがあった。

「初田さんまた同じミスだよ。何回すれば気が済むの?結婚もしてないから繰り返すんだよ。」

「大切な人がいればこんなミスなんてしないから」

「はい……」

「だいたい、初田さんはさぁ………」


 この後のことの記憶なんてない。気がついたら家に帰って楓は叫んでいた。

「あんたらに…わ、私の気持ちが分かるかっ……!」

「大切な人が…もうっ…いないんだよ……」

「か、簡単に…結婚って言うな……!」


 その日、楓は自身の首に縄をかけ、自ら命を絶つ決意をした。 

 少し冷静になり思う。


 愛している人が、すでにこの世から去っていたら?


「そういう私はどうしたらいいの…?」

 

 愛していた人がこの世にいないなら、別の人を愛せと?


「私には…できないよ……」


 縄に力を入れる。意識が遠のく中で、紡が見えた。


「紡…」


 楓は力なく、首にかかっていた縄を外した。


 

 そしてまた、憂鬱なまま、時だけは無情に流れた。

 ある日、楓の会社に新しい人が入ってきた。その男の人は楓と目があうと、目を見開き驚いた顔をしていた。

 楓は不思議と嫌な感じがしなかった。藤宮ふじみや 菖人あやとという名前の彼の教育係には別の同僚が担当になった為、会話をすることは無く一日が終わった。


 いつものように荷物をまとめお疲れ様です。と言い会社から出た。暫く歩いて川沿いに差し掛かった時、後ろから誰かが追いかけてくる足音がした。

 振り返ると入社したばかりの男の子が涙を流して立っていた。

「…楓……初田…楓さん……ですか……?」

「え…?な、何で、名前……」


 困惑する楓に、泣きながら菖人は抱きついた。


「…楓っ……!!!」

「…遅くなってごめん……!!」


 顔も名前も知らない彼は、紡と同じ声で、あの日決めた合言葉を言った


「つ、紡……!?」

「紡なの……!?」


 泣きながらそう叫ぶ、楓の言葉に菖人は驚いた表情をして泣きながら続けた。

「覚えてるの……!?」

「たくさん…苦しい思いさせたね…」

「もう大丈夫、俺がこれから守っていくから…!」


 一呼吸置いて、涙を流しながら笑顔で菖人はこう言った。


「遅くなってごめん。俺と結婚してください」

 楓は人生でいちばんの笑顔で、泣きながら頷いた。



 それから時は流れ、二人は結婚をした。


 結婚式の日に楓は言った。

「もう……私を…一人にしないで……。お願い…」

 菖人は頷いた。


 20年分の大好きを、あなたへ。


      ⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

 

 声にならない声で、好きな人の名前を呼ぶのが精一杯だった。

「……か…楓…………」


 短い人生だった。そして辛く、情けない人生でもあった。


 中学三年生ながらに、木谷きたに つむぐは生死の境を彷徨いながらそう思っていた。

 



 昔の話―。

 初田はつた かえでという女の子が家の近くに住んでいるのを知っている。幼稚園に通っていた時は聞かなかった名前だった。

 小学校入学を機にこの付近に引っ越してきたのだろう。彼女に対する感想はそのくらいだった。

 楓はよく公園に一人でいた。滑り台やブランコ等の遊具で遊んだり、家から持ってきたであろう人形で遊ぶ姿をよく見かけていた。

 意識はしてないが、少し気になっていた。


 ある日、遠くから楓の泣き叫ぶ声が聞こえた。遠くて上手く聞き取れないが、僅かに聞こえた。

「……………たすけてぇっ!!」

 話すきっかけになれば、と声がする方に向かおうと角を曲がろうとした途端に犬に追われる楓が目の前に現れた。泣きながら何か訴えかけるような目を一瞬でしたのを見ると、紡の身体は楓を助けるように自然と動いていた。


 追い払った後、楓は泣きながら紡に抱きついた。余程怖かったのだろう。子供ながらにそう悟った紡は頭を撫でた。

 楓は頭を撫でられながら、紡の顔を見上げ、涙を流しながら少し笑ってお礼を言った。

「…ありがとう……」


 自分がこの子を守らなければ。そう思った紡は口を開いてこう言った。

「何かあったらぜったい僕に言ってね、守ってあげるから」

 それを聞いた楓は嬉しそうに頷いた。好きとかそんな感情は知らない。ただ、傍にいたかった。


 ある日、紡は楓におままごとに誘われた。男だからできない。なんて言葉は微塵も浮かばず、一緒におままごとをやることを伝えた。


 楓は顔を赤くしながら言う。

「つむがお父さんね。かえではお母さん」

 紡は嬉しかった。自分と楓が両親の様な関係に、仮でもなる事を認められた気がしたからだ。


 嫌われないようにどんなシチュエーションを振られてもノリノリでやった。

 その度に、楓は嬉しそうな顔をする。

 ただ、一度難しい事を振られた事がある。


 それは二人の合言葉を決めようと、楓が言ってきた時だ。

「つむ、何かない?」


 必死に考えた。二人だけの秘密。みたいな特別な感じがして、それを自分に託してくれて嬉しかったからだ。パッと出てきたのに長く考えていたような気がする。

 「おそくなってごめん」

 自分では良い言葉が出てきたように思い、少し笑顔で言った。


 少し不思議な言葉に楓は意味を聞いてきた。

「うーん…。すきな人には、早く会いたいと思うから……」

「少しでもはなれたら、どれだけ早く帰っても…おそくなってごめんって言いたい…かな…」

 紡は深く考えずに、思っていたことを楓に伝えた。

 

「…つむはかえでとけっこんしたら言ってくれる?」


 楓が変えてきた言葉に、紡は全力で返した。

「うん、言うよ!」

 

 小さい頃に異性と結婚の約束をすることはよくある話だと思う。楓はおままごとのノリで言っただけかも知れないが、紡は本気だった。だからその後のおままごとでも合言葉を大事にした。


 小学五年生になってから少しして、紡は楓を守る為にはどうしたらいいかずっと考えていた。牛乳をたくさん飲んでみたり、たくさん走って体を強くしたり、父親と一緒にトレーニングをしたり、子供ながらに思いつく事を試した。

 そうする事で、楓と一緒に遊ぶ時間は減っていった。紡はそれを悲しいとは感じなかった。それはいつか楓を守る時のための期間だと認識していたからだ。



 小学六年生になった時に、楓と同じクラスになった。紡はこれで学校で話すことができると思い、より将来の為に今できる事を頑張った。


 中学にあがって、楓とクラスは変わった。クラス決めは運だから仕方ないと思い、より楓と一緒になりたいと思う様になった。この頃から紡は楓が『好き』なのだと思い始めた。


 陸上部に所属した紡は、小学生の時に走り込みやトレーニングをしていたからか、一年生の時からそこそこの成績を残せた。

 それもあり、部内では人気があった紡に恋をする女の子も多くいた。告白もされていた。その度に好きな人がいるから、と謝っていた。

 その好きな人、と言うのが彼女なのでは無いか。そんな噂が出回る事もあった。正直言って迷惑だった。そんな根も葉もない噂を、楓が耳にしたらどう思うだろうか。 

 楓にそんな噂が伝わる前に、彼女に何か伝えなければ。そう思うようになったある時、楓が紡の教室に来てこう言った。


「今週の土曜の夕方、あの公園に来てほしい」


 不安だった。もし、あの噂が耳に入っていて、突き放されたらどうしよう、と。


 土曜日の夕方、部活を終え急いで公園へ向かった。

 ベンチで待ってる楓の横に座った。


「あのさ……紡…」

 そう切り出す楓はどこか寂しそうだった。


「あ、あの噂って、本当なの…?」

 案の定、噂のことだった。

「どれ?」

「紡に彼女がいるって…」

 紡は噂について、知らないフリをした。これをきっかけに伝えれると思った。


「そんなの大嘘だよ。俺には好きな人がいるからね」

 この言葉で察してくれると思った紡は、これで少し満足した。

 そう思ったのも束の間、楓はこう言った。

「……そっか、叶うと…良いね…」

 そういう時ベンチから立ち上がり、帰ろうとした。

「(ち…違う……待って………)」


 なぜか声が出なかった。このまま過去の人として、楓の中から自分が消えてしまう気がした。

 紡は犬から楓を守った時と同じように身体が先に動いた。

 そして、楓の服の袖の辺りを優しく掴んでこう言った。

「………楓だよ、好きな人…」

「え…?」

「(やっぱり…)」

「…違う人だと思ったの?」


 顔を赤くし、涙を流す楓に紡は続けた。

「勘違いしてたでしょ、楓」

「…う、うっさいっ……!」

 泣きながら少し笑って、紡の背中を軽く叩いた。


 泣くのが落ち着いた楓は深呼吸して聞いた。

「わ、私なの…?」

 恐る恐る聞く楓に、安心してほしく紡は優しい声で話し始めた。

「楓以外いないよ、ずっと」

「でも、告白は…待ってほしい……」

「俺は今付き合ってしまったら……。全て楓を優先にしちゃう気がするから…。勉強も部活も後回しにして…」

「だから…!卒業式の日、家に帰る前にあの公園で待っててほしい」

「高校生になったら全部上手くやってみせるから……」


 落ち着いていた楓は、先ほどよりも大粒の涙を流しながら頷いた。

「(楓も不安だったのか…遅くなって……ごめん…)」

 心の中でそう言うと、楓をそっと抱き寄せた。


 その日からだろうか。楓は変わったような気がした。笑顔が増えて、明るくなった感じだった。勉強で分からない事を聞いてくることも増えた。

 

 期末テストの勉強を二人でやっているときに楓が聞いてきた。

「つむはどこの高校行くの?」

山査子さんざし高校…かな」

「山査子…か……。偏差値……。私、大丈夫かな……」


 不安そうな顔をする楓に紡は笑顔で優しく言う。

「大丈夫だよ、楓なら。努力家で苦手な事にも全力で立ち向かってるじゃん!」

「だから、大丈夫」

「一緒にがんばろ?」

 楓はそれを聞き、頷いた。



 二人の努力は実り、二人とも山査子高校に合格をした。

「一緒に、高校行けるねっ!」

 手を取り合い、喜んだ。


 時は流れて、卒業式の日。いつもの場所で楓と待ち合わせをして中学最後の登校だね。とか、高校でもよろしくね。といった会話をしていた。

 川沿いを歩いていると、忘れ物をしているのに気付いた。

 今日は大切な告白の日。告白と同時に渡すために、お揃いのネックレスを用意していたのだが、それを家に忘れてしまった紡は取りに帰ることを伝えた。


「私もついていく!」

 楓はほっぺたを膨らまし、そう伝えた。

「今日は寒いし悪いよ、先に行ってて!すぐ追いつくし!」

 そう笑いながら返して、家に向かって走り出した。


「楓……喜んでくれるかな……?」


 そう思いながら、もうすぐ自宅という所の曲がり角で自転車に乗ったお婆さんが飛び出してきた。あまりの出来事に紡は「わっ」と声をあげ驚いたが、冷静に自転車にぶつからないように避けた。

 しかし、避けたのが車道だった。後ろから猛スピードの車が来ているの気付かず紡は跳ね飛ばされた。


 薄れゆく意識の中で、救急隊の様な人や近所の人が周りにたくさんいる気がした。

 声にならない声で呟く。

「……か…楓…………」


 救急車の中で紡は想う。

 短い人生だった。そして辛く、情けない人生でもあった。

 

 そうして、木谷 紡は交通事故により他界した。



 長い眠りについていたような気がする。

 目を覚ますと、そこは知らない家で、知らない人がいた。言葉は話せない。でも記憶の奥底に何かある。

 人の名前か?顔か?いや、もっと大切なものだ。

 今はまだ何も分からない、いつか分かる気がする。



 藤宮 菖人という名前の男の子は変わっていると周りから言われていた。違う人の記憶があるとよく言っている。そしていつも何かを考えているように空を見上げている。

 菖人が高校生になった頃、夢を見た。知らない公園なのに、なぜか懐かしい感じがした。インターネットを使って特徴を調べると、一つの公園が出てきた。

 菖人はそれを見て涙を流した。周りに言っていた違う人の記憶と合致した。

 それは初田 楓という女性と交わした約束だった。


 菖人は高校を卒業したら、その公園のある町に就職をする事を決意した。

 いつか会える気がしたからだ。


 何事もそつなくこなせた菖人は無事に高校を卒業した。親を必死に説得して、念願のその町への就職が決まった。


 休日は町を歩いてみたり、あの公園に訪れたりもしたが会うことは叶わなかった。

 冷静になって考えてみた。違う人の記憶、そんなことある訳がない。だから周りは冷たかったのだ。


 仮にその記憶が正しかったとして、初田 楓という女性との約束という物が事実ならば、それはもう20年近くも前の話だ。

 

 中学生くらいに交わしたような気がする曖昧な記憶から単純計算をすると30代半ば以上の年齢になっている。

 もう自分の事を覚えているはずが無い、そう確信した菖人は19の冬には仕事を辞めてしまった。


 3月のある晩。夢に楓が出てきた。弱々しく首に縄をかけていた。そんな楓に夢の中で菖人は叫んだ。

「もうすぐだよ…!遅くなってごめん!」


 起きて夢だと気付き安堵した。まだ会えてもいないのに弱気になってどうする。もしかしたら希望はあるかもしれない。そう自分に言い聞かせた。そして少しずつ考え方を改めた菖人はもう一度働くことを決意した。

 快く自分を採用してくれた会社があった。

 入社の日、会社の上司が社員に自分を紹介してくれる、とのことだった。既に働いている人がいるオフィスの扉の前に立った。

 ここで働きながら、もう少し頑張って探してみよう。そう胸に秘めたところで、上司が扉を開いた。

 

 視線の先に、会った事も無いのに知っている女の人がこちらを見ていた。

 菖人は驚いた。

「(この人が楓だ)」

 驚いた後、すぐにそう確信に変わった。


 彼女と目が合ったが、反応は無い。菖人は仕事が終わったら声をかけよう。そう決めた。


 終業後、元気なく帰っていった楓を確認した。上司にもう帰っても良いと言われ、追うように走った。既に彼女の姿は無かった。

 このチャンスを逃せば、まずい気がした。何がとは言えないが、嫌な予感がした。川沿いが見えた時、ゆっくり歩いている楓を見つけた。


 心拍数が上がっていくのが分かる。大丈夫。そう自分に言い聞かせて、声をかけた。

「…楓……初田…楓さん……ですか……?」

 そう話す自分の声は震えていて、涙が溢れた。振り返る楓を見て、更に涙は溢れる。

「え…?な、何で、名前……」

 声が同じだった。

「(この人だ……)」

 菖人は確信すると同時に楓に抱きついて叫んだ。

「…楓っ……!!!」

「…遅くなってごめん……!!」


「つ、紡……!?」

「紡なの……!?」

 楓は合言葉を聞き泣きながら叫んだ。

 それを聞いた菖人は、自分の前の名前を思い出した。木谷 紡だ。つむと呼ばれていた。更に大粒の涙を流し叫んだ。

「覚えてるの……!?」

「たくさん…苦しい思いさせたね…」

「もう大丈夫、俺がこれから守っていくから…!」

 深呼吸して、楓を見つめて言った。

「遅くなってごめん。俺と結婚してください」



 彼女は笑顔で頷いてくれた。



 それから程なくして二人は結婚をした。

 楓は紅葉の綺麗な公園を散歩している時に、ふと思ったことを聞いた。

「なんで私の働いてる会社が分かったの?」

「…うーん………」

「…君がいる気がしたから。とかそんな簡単なものじゃなくて……」

「楓が20年も俺を忘れなかったから……楓の想いが運命を紡いでくれたんじゃないかな……?」

「だから本当にありがとう。忘れないでいてくれて。好きでいてくれて。」



 20年分の大好きを、君へ。


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20年分の大好きを 雨月 揺 @ametsukiYuragi

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