終幕「リゼット・フォン・ソレイユと語られざる物語」

~エピローグ~

 すべてが終わった。

 そう思えるほどに、崩壊した魔法図書館は静けさに包まれていた。


 地面に倒れたまま動かないオーレンをさらに縛り上げておいて、リゼットとクライドはぼうっとその場で佇んでいた。


「これで終わったんですかね」


 リゼットがひとりごとのように呟けば、クライドはふっと薄く笑った。装丁師の傍らには四つの魔法装丁が揃い、淡い光とともに姿を溶けさせようとしている。その小さな輝きに触れるたび、砕け散っていた魔法図書館の外壁が元の姿を取り戻す。その様子を眺めているだけで、本当に何もかもが終幕を迎えたのだと知ることができた。


「終わったな。こいつの処遇はそちらに任せるよ、小公女様。とりあえず俺は魔法図書館を再構成して、封印を結び直すとしよう。……強い力はやはり良い結果を生まないようだしな」


 少しの後悔をにじませつつも、クライドの言葉はどこか満足げだった。事実、見上げた横顔には笑みさえ浮かんでいて、それがひどくリゼットの胸をかき乱していく。


「じゃあ、本当に……ぜんぶ、終わりなんですね」


 ぽつりと。リゼットの声が涙のように暗闇に落ちた。クライドがこちらに視線を向け、片眉を吊り上げる。リゼットも、自身が発した言葉の不自然さに気づいたが、上手く取り繕うことはできなかった。どうしても綺麗に笑えない。これが最後だと、わかっているから。


「クライド師匠。いえ……クライドさん、ありがとうございました」

「なんだ、急に」

「わたしを弟子と呼んでくれて、一緒に歩いてくれて……とても、嬉しかったです」

「リゼット?」


 戸惑うようにクライドは視線をさまよわせる。リゼットは何とか笑みを作りながら、言葉を続ける。


「だって、全部終わりなんでしょう? だったら、わたしがクライドさんたちと一緒にいられる理由は、もうないです」

「…………」


 リゼットの声は自分でも情けないほど寂しげに響いた。実際、わずかな間だったけれど、クライドたちと過ごした時間は楽しかったのだ。装丁が好き。たったそれだけで駆け抜けてしまったような関係であっても、とても嬉しくて幸せだったと思う。


「いろいろ大変なことはあったけれど、わたし、今でも装丁が好きです。おばあさまが見せてくれた装丁本を思い出すと胸が温かくなるし、魔法装丁の不思議な力もすごく素敵だと思ってます。……これは全部、あなたに出会わなければ本当の意味で知ることができなかった感情なんですよ。クライド、さん……」


 ただ好きなだけでは、それを真の意味で理解したことにはならない。大好きだからこそ、大切にしたいと思うからこそ、ちゃんと『好き』に向き合わなければ。


「リゼット……?」


 クライドは、何も言わずに眉を寄せた。リゼットは胸の奥に詰まった想いを吐き出すように、大きなため息をつく。自分でもよくわからないことを言っていると思う。しかし、それでも最後だと思うからこそ、想いはちゃんと伝えたい。


「わたし、あなたと出会えてよかった。大好きです」


 時が止まる。クライドの顔から表情が消えていた。リゼットははにかみながら、指先で髪を巻き取るとそっと先を続ける。















「わたし、大好きです。愛してます。やっぱり、装丁愛してます!」

「――は?」




 頭をぶん殴られたような顔で、クライドが目を見開いた。リゼットはにこりと笑うと優雅にカーテシーを決める。その間もクライドの顔色は青と赤を行ったり来たりしていたが、最終的には大きなため息とともにがっくりと膝をついた。


「お決まり文句かよ! いい加減にしてくれ!」

「え? どうしたんです? 何かまずいことでも」

「うるせぇ! もう知るか! お前なんか永遠に『馬鹿弟子』だ! バーカバーカ!」

「え」


 リゼットはきょとんと瞬きする。クライドはがしがしと髪をかき回し、再び盛大なため息をつく。なんだか余計なことを言ってしまったのだろうか。しかし、リゼットもそれどころではなかった。


「え。わたし、弟子のままでもいいんですか?」

「あ? 何だお前、俺が師匠だと気に食わないってのか」

「いえいえ、そんなことは。……えへへ、そうですかー……馬鹿弟子でいいのかぁ」


 にへらと、リゼットは変な笑いを浮かべる。クライドは理解できないと言った様子で顔を引きつらせ、大声とともに指を突き付けてきた。


「お前にものの道理ってものを教えてやる! 覚悟しておけ、装丁好き変態公女!」

「はい! がんばります!」

「やっぱうぜぇ!」


 賑やかな声とともに、魔法図書館は光に包まれる。どこかかみ合わないながらも楽しげな二人の前で、黄金の獅子が「しかたないにゃ」と呟き目を閉じた。





※終幕のあとのあと※


 それから。

 物事は駆け足で過ぎていった。


 崩壊した魔法図書館から帰還したリゼットたちは、大公家にオーレンの身柄を引き渡すと、その足でソレルの住民の救援活動を行った。魔法装丁の被害は思ったよりも深刻で、魔力を吸い取られた人々などが救助を求めて押し寄せてきていた。


 しかし、リゼットを筆頭にした大公家の手回しによって。事態は急速に鎮静化していく。当初の混乱が噓のように、ソレルは穏やかな日々を取り戻すことになる。

 小公女リゼットにより、ソレルや多くの人々が救われた。


 それだけを記し、この物語を終えたいと思う。


 ここまで読み進めてくれた方には感謝を。

 これにて、リゼットの物語は終幕となり――


 …………。

 ………………?

 なんだい?

 もしや、まだ物足りないということかな?

 仕方ない。この後は蛇足だが、もう少しだけ『リゼット』を記すとしよう――



 ――――

 ――


「リゼット、今日もまた出かけるというのかい?」


 リゼットの姿を発見したのは、大公家の門のそば。もっと言えば、門衛の背中の後ろだった。こそこそと隠れている様子は、幼かった日を彷彿とさせ微笑ましくもある。だが、大公家令嬢としてふさわしい姿かと言われればさすがに首をかしげるしかない。


「リゼット」


 再び呼びかけると、びくり、と肩が震える。そろそろ門衛も耐え難くなってきたところだろう。苦笑いを送りながら手を振れば、門衛はほっとした様子でその場から去っていく。


「あ、あああっ! 裏切り者~!」

「誰が裏切ったのかな? リゼット・フォン・ソレイユ嬢? ここの衛兵はすべて大公家に忠誠を誓っている。つまり、私の言うことが正義! 要するに君に味方はいないわけさ。ふはははは!」

「ひ、ひどいです! 出かけても言っていったのは『お父さま』なのに! この仕打ちはあんまりです! 娘として悲しすぎます……!」

「いやいや、我が娘よ。出かけて良いとは言ったが、こっそり出ていっていいとは言ってないよ? せめて誰かに声をかけていきなさいね? でないと、またおかしなことに巻き込まれるよ?」


 リゼットはぷるぷると震えながらくるりと背中を向ける。これはまた遅い反抗期か。ぼんやりとそんなことを思っていた彼――ソレル大公は、娘が脱兎のごとく走り出したのを襟首をつかんで止める。


「うきゃ!」

「はいはい逃げない。別に行くなって言ってるんじゃないんだからね。せめて挨拶くらいしていきなさい」

「う、ううううー! 時間がー! 遅れたら罰則がぁあ!」

「罰則って。そんなものを設けているのかい? 装丁師クライド君?」


 大公の言葉に、リゼットは石になったように固まる。そんな娘の様子ににやにやしておいてから、大公は首を巡らせて庭の石柱の陰に立っている青年を手招いた。


「罰則は言葉の綾です、大公。ご息女におかしなことはさせておりません」

「なるほどなるほど。まあ、クライド君が言うならそうなんだろうね。リゼットが迷惑をかけて、親として申し訳ない」

「いえ、お気になさらず。弟子の面倒を見るのも師匠の役目ですから」


 真面目腐った顔で言う黒髪の装丁師は、リゼットにとってどういう存在なのだろう。親としては気になるところだったが、あまり突っ込むのはよろしくない。まあ、すべては自ずと収まるところに収まっていくのだろう。などと考えてしまう大公はさすがに緩すぎるだろうか?


「クライド君はこう言っているけど。良かったね、リゼット。良い師匠じゃないか」

「う、うううう……! クライド師匠許すまじ……!」

「何がだよ、馬鹿弟子リゼット『様』。それはともかく大公閣下、今日はどのようなご用向きでしょうか? 先日お送りした装丁本に何かの不備でも?」


 少し困惑したように首をかしげるクライドに、大公は緩やかに首を横に振ってみせた。そして、にこやかに笑いながら、懐に収められていた『それ』を取り出す。


「今日お願いしたいのは、『これ』に記す物語の素案を一緒に考えてもらいたいんだ。ああ、物語と言ってもそんな難しいことじゃない。君たちが出会った頃に起こった事件のことを、詳しく教えてもらいたいんだよ」


 大公が取り出したのは、装丁師クライドに制作を依頼していた一冊の装丁本だった。落ち着いた色合いの革表紙を開くと、マーブル紙の後ろに白紙のページが現れる。何となく嫌な予感がしたのだろう。クライドは眉を寄せると、無意識のように背後へと一歩下がった。


「大公閣下。ま、まさかそれは俺たちを物語に……?」

「お父さま! わたしたちをネタにするつもりなんですか!?」


 今度こそ本当に困惑する装丁師と、喜んでいるのか怒っているのかよくわからないリゼット。二人の顔を見比べて、大公はにやりと人の悪い笑みを浮かべる。


「君たちは非常に面白い組み合わせだ。ぜひ、私の話のネタにしたい」

「えぇー」

「ちなみにこれはお願いじゃなくて命令ね? あ、リマラ君。中庭にお茶を運んでもらえるよう母君に伝えてもらえるかな? さ、観念して二人とも一緒にいらっしゃい」


 そばに控えていたメイドのリマラに声をかけてから、大公は年齢に似合わぬ軽快な足取りで中庭へと向かい始める。当然のことながら、リゼットとクライドの二人はそう簡単に続いてはくれない。困った子どもたちだ。特に困っていない表情で背後を振り返ると、いつの間にか二人の姿が消えていた。


「あれ?」


 大公は首をかしげた。どこに行ったのかあの二人は――と思いつつ、視線を門の方に向ける。するとそこには、慌てふためく門衛と金色の獅子に乗った二人の姿が。


「おやおや、これは」


 のんびりと大公がそちらに向かう間に、獅子は門衛の上を飛び越え、ソレルの街に向かって走り出していく。


「リゼットー! 帰ってきたら反省文百ページだよー!」

「いやぁあー! お父さまの鬼畜! ふ、ふふ、望むところです! それでは行ってきまーす!」


 走り出した二人を止めるすべはない。門衛たちもあきらめて、駆け出していく獅子の後姿を見送る。大公は軽く鼻歌を歌いながら、装丁本に今日の物語を書き記すためペンをとる。


 リゼットとクライド。魔法装丁をめぐる物語で結ばれた師弟は、今日はどこへ行くというのだろう。きっとまた、珍道中を繰り広げるに違いない。その物語を聞くことだけを楽しみに、ソレル大公は今日も温かな瞳でソレルの街を見下ろしていた。


「リゼット、君は物語になんて興味ないだろうけど。いつかこの装丁を目にしたとき、私たちのことやこのお話を一緒に思い出してくれるといいな」



 『我が愛娘、小公女リゼットの冒険記』第一巻

          ――フランツ・フォン・ソレイユ著


 ――了――

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小公女リゼットは、魔法の装丁と謎がお好き? 雨色銀水 @gin-Syu

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