7.あなたにふさわしい終幕を

 炎が轟音とともに襲い掛かってくる。

 肌が焼き付くような熱気にさらされ、リゼットは思わず腕で顔をかばった。とにかく熱い。先ほどまでの炎も大概熱かったが、今度の火力は一味違う。


「リゼット、来い」


 迫る炎に怯むことなく、クライドは手を差し伸べてくる。見れば金色の獅子も体を下げ、背に乗るのを待っているようだった。リゼットはぐっと唇を噛みしめ、クライドの手を取って『地』の化身の背にまたがる。


「クライド師匠」

「ああ、これで終幕だ」


 クライドが肩越しにうなずいてくれる。それだけで不思議と心が温かくなって、リゼットは黒いジャケットの裾をしっかり握りしめた。


「猫、オーレンのところまで飛んで!」

「うるさいリゼット指図するな、にゃ!」


 グォオオオオオォン! 高らかに咆哮すると、黄金の獅子は地面を蹴って跳躍する。高く飛び上がれば、地面もオーレンもはるか下だ。怯むことなくリゼットは下をにらみ、一言告げる。


「クライド師匠、風を!」

「……了解した!」


 クライドの肩の上で『風』の化身がくるりと一回転する。瞬間、獅子の周囲に空気の渦が生まれ、下方に向かって鋭い風の刃を放つ。


「な……! くそ、守れ『水の烙印』……!」


 オーレンは炎を引っ込めると、『水』を手に取り障壁を展開する。だが、それより早く風の刃が到達し、オーレンの手から『水の烙印』を弾き飛ばす。


「今です!」「今だ!」


 リゼットとクライドの声が重なった。獅子は身を縮めると、素早く地面に向かって降下していく。


 きっとこれで本当の終幕になる。迫る結末の予感にリゼットの心臓が激しく脈打つ。オーレンの元まではほんの数秒。巻き起こる突風に背中を押されるようにして、黄金の獅子とリゼットたちはオーレンの前に着地する。


「……『水の烙印』、戻れ」


 獅子から飛び降りたクライドは、地面に落ちたままだった『水の烙印』を拾い上げる。すると、光とともに犬のような姿に似た青い獣が現れ、クライドの足元で伏せをした。


「さあて、オーレンとやら。これで均衡は崩れたぞ。まだ抵抗するのか?」


 クライドの言葉に対する返答は、炎の塊だった。投げつけられた炎は、音もなく生まれた水の障壁によって阻まれる。赤い火花に驚きリゼットが駆け寄れば、クライドは涼しい顔で片手を振った。


「これがお前の返答か。良くわかった」


 オーレンは『炎の烙印』を握りしめたまま、クライドをにらみつけた。

 男の目はぎらぎらと輝いていたが、異様な感情を前にしてもリゼットの心は波立たなかった。クライドの手に魔法装丁の大半が戻った今となっては、オーレンの敗北は決まったようなものだ。その程度のことはオーレンにもわかっていただろうに、男は髪を振り乱しいくつもの炎を生んでは放ち続けている。


「くそ、くそ……! こんな幕切れ認められるものか! たかが装丁師ごときにこの僕が負けるだと!? こんな、こんな馬鹿なことがあってたまるか……!」

「たかが装丁師の意見で恐縮だが、これは勝負ですらないだろう。魔法装丁はそもそも俺の曽祖父が生み出したもので、お前はそれを使っていたにすぎない。他人の造形物で自分を飾り立てて、さも己に力があるように見せるなんて滑稽すぎて笑えないな」


 クライドはため息交じりにリゼットの肩を叩いた。ここは任せておけ――言外に込められた意味に、リゼットは黙ってうなずき返す。オーレンに言いたいことは山ほどあったが、弟子としては見せ場を師匠に譲るべきだろう。魔法装丁たちを従えながら決然と歩んでいくクライドの背を見つめ、リゼットは拳を作りエールを送る。


「大体が、オーレンとか何とかよ。お前、魔法装丁師なめすぎだろ」


 降りかかる炎を『水』がかき消し、『風』が吹き飛ばす。『地』の化身が一声上げれば、無数に飛ぶ火の粉がかき消される。どうやったところでもう、オーレンにクライドを阻むことはできない。一歩ずつ着実に近づいてくる装丁師を見つめ、オーレンは初めて悲鳴のような声を上げた。


「くるな……! 何をするつもりだ……!」

「何をとはおかしなことを言う。俺のものを返してもらうだけだ」


 オーレンが指先を向けても、炎は現れなかった。その事実に絶望したような顔をして、男はがっくりとうなだれる。クライドは無言でオーレンの頭を見下ろし、問答無用で『火の烙印』を取り戻した。


「さて、『火』。待たせたな、戻れよ」


 ぱっと装丁本が赤い炎をまとう。クライドの手の中でくるりと回転したかと思えば、瞬きする間に火の鳥が姿を現す。クライドはやっと揃った魔法装丁たちを順に眺め、小さく肩をすくめた。


「長かった。誰かさんのせいでいろいろ振り回された気がする」

「だ、誰かさんって、わたしのことですか!?」

「さあてなぁ。ま、そんなことはいい。あとは」


 おもむろにクライドが手を伸ばす。ぎょっと目を見開くオーレンに構わず、クライドはその襟首をつかみ上げた。ぎりぎりと首が絞まる音が響きそうなほど強く襟を引っ張りながら、魔法装丁師はごく軽い話をするような口調で語り始める。


「いろいろ言いたいことはあるが、お前には必ず罰を受けてもらう。ああ、別に何も私刑とかそんなんじゃない。ソレルを騒がした罪は大公家にて厳正に裁いてもらうとしよう。え?そんなの聞いてないって? いやいやそんなそんな。天下の魔法使いの末裔様が、その程度のことにも思い至らないなんて馬鹿なことがあるはずないよなぁ? はは、そう引きつらなくていい。非道なことをしてなければ、魔法はく奪くらいで済むだろ? ん? ふざけんなって? はぁ、まあそんなことはどうでもいいか。んで、それとは別に俺からは一つ」


 リゼットからはクライドがどんな顔をしているかわからない。しかし、オーレンの表情を見るに、よっぽど恐ろしい顔をしているのだろう。ひとしきりオーレンの襟を締め上げたあと、クライドは笑みさえ浮かぶような声で『それ』を告げた。


「よくも、うちのやつらを散々もてあそんでくれたな」


 オーレンの口から「ひっ」と短い悲鳴がもれる。逃れようともがく男の様子を無視して、クライドは優しい口調で続きをささやいた。


「あと、馬鹿弟子にもちゃんと謝れ。……けじめもつけられないなら、もう二度とその力役に立たないようにしてやるぞこのクズ野郎」


 傍で聞いていたリゼットですら、背筋の凍るような声だった。オーレンにいたってはぶるぶると震えながら首をおもちゃのように振っている。クライドはそんな男をしばし眺めたあと、まるでごみを捨てるかのように手を離した。


「俺の出番は終わり。リゼット、こいつは煮るなり焼くなり血祭りにあげるなり好きにしろ」

「え、ええ。わたしが後始末するんですか……?」


 くるりとこちらを振り返ったクライドは、清々とした顔をしていた。はっきり言って、大半の見せ場はクライドが持って行ってしまったようなものだが。仕方なくリゼットが前へ進み出ると、オーレンは必至に這って逃げようとする。


「オーレンさん、逃げないでください」

「り、リゼットさん、聞いてくれ……! ほ、本当は僕だってこんなことはしたくなかったんだ! だ、だけど、こうでもしなければ一族によって僕は始末されてしまう……わ、分かるだろう? 怖かったんだ! 家族に自分が殺されてもいいなんて、君だって思いはしないはずだ!」

「そうですね、オーレンさんは怖かっただけなんですよね」

「そ、そうとも! わかってくれるかい! だ、だって仕方ないだろう!? 他人がどうなろうと……ああいや、どうなってもいいわけではないけども! 僕が死んだら全部終わりになってしまうんだよ! そんなこと受け入れられるはずが」

「そうですね、オーレンさんは死にたくなかっただけなんですよね」


 リゼットはどこか虚無のような気持ちでオーレンを見下ろした。理解したい。そう思うこと自体傲慢だとしても。せめて最後くらいは何か共感できる気持ちが欲しかった。けれどそれ自体が無意味だったなんて。なんだかすべてがおかしくなって、リゼットはくつくつと笑い始めた。


「り、リゼットさ……」

「どこまでもあなたは自分本位で自分のことだけしか考えられないんですね。せめて、師匠たちに謝ってください……できないって言うなら、いつまでも一人きりで罰を受け続ければいいのですこのゲス野郎」


 リゼットはにこやかに足を上げる。

 そして、半笑いの表情を浮かべる男の顔面に、靴底を叩きつけた。


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