中島敦の処女作

社会人となり、さて世に問おうと認められたという謂において処女作となる作品。
この後に『虎狩』があるが、それと同じく、私小説、に分類されるものになっている。
実際に、中島敦の伯父である中島端が主要人物となっていて、タイトルの『斗南先生』は端をさしている。端が斗南狂夫と自虐、自嘲した号による。
社会人になって初の作品、まだまだ若い時分の作だが、(といって、亡くなったのは三十三。晩年も若いものだけれど)すでに老成した気韻がある。本作はほとんど評価されなかったらしいが、当時の陰湿な狭い私小説が持て囃されるなかにおいては、あまりに規格外であって、持て余されたといったところではなかろうか。
骨格といい、気品といい、諧謔があるところといい、本格的な小説と言い得るものだ。斗南先生たる伯父をみつめながら、結局は自分をみつめ、描出しているという、理性、すごみ。
あまり言われないが、中島敦の描写のときにあらわれる美しさ。陶然とさせられる。

読んでいて、山月記だの弟子の基が、斗南先生にあるのだと感じた。
処女作にすべてある、とよう言われるところだが、そういう意味においても、処女作と言い得るだろう。
若書きとは思えぬ、しみじみよい佳品。

また、伯父のように、中島敦が似ていると自他ともに認めるそのひとのように、長生きしてもらいたかった、と思いもした。