後編

 合唱コンクールは無事に終わった。

 結果は、見事金賞に選ばれた。葵を中心にみんなが一丸となって練習に取り組んだからだろう。


「やったね。金賞が取れたのは宮坂さんのおかげだよ」

「宮坂さんの伴奏が良かったからだ!」

「さすが宮坂さん! すごいよ宮坂さん!」


 葵はこれでもかとチヤホヤされていた。「みんなががんばったからだよ」と言うのも謙遜に受け取られたらしく、さらに葵を褒める熱が高まった。

 葵を囲む人の輪は分厚くて、ちょっと入っていけそうにはなかった。

 もし幼馴染じゃなかったら親しくなれなかっただろうな……。こうやって遠巻きにするだけで、話しかけることすらなかったかもしれない。

 こういう光景を目の当たりにする度に、そう思わずにはいられなかった。


「む」


 人の輪の隙間から、葵と目が合う。

 たまたまじゃなくて、しっかりと見つめられていた。なんとなく頷いてみれば、彼女は嬉しそうに目を細めた。

 ……こういう無条件の信頼ってやつも、幼馴染だからなんだろうな。



  ※ ※ ※



「──もし良かったらさ、俺の彼女にならない?」


 またもや葵は告白されていた。

 しかも相手は高校生だ。長身で顔に自信がある様子。年上ってのもあるからだろうか、やたらと不敵に笑っていた。

 下校中。いきなり「君、ピアノの子だよね? 合唱コンクールすごかったよ」と声をかけられた。同級生男子にはない馴れ馴れしさが、初対面の高校生の彼にはあった。

 彼は会話もそこそこに告白に踏み切っていた。一応俺もいるんだけどね。眼中にないようですね……。


「ごめんなさい」


 葵はにべもなく断った。話は終わったとばかりに俺の手を引いてこの場から離れようとする。


「ちょっ、待てよ!」


 彼は慌てて葵の行く手を阻む。さっきまでの余裕のある表情はどこかへ吹っ飛んでしまったようだ。


「え? もしかして俺の聞き間違い? だって俺だよ? この俺だよ? それとも緊張していたのかな? ははっ、断るなんてあり得ないだろ」


 彼は混乱していた。これまで女の子が自分の思い通りにならなかったことがないって感じだ。ある意味感心させられる。


「ごめんなさい」


 ぺこりと頭を下げて、葵はもう一度丁寧にお断りをした。

 ひくっと、彼の頬が歪んだ。

 なんだか不穏な雰囲気。そう思った瞬間、彼は葵へと手を伸ばしていた。


「女のくせに生意気言いやがって! いいからこっちに来いよ!」


 乱暴する気満々の手。化けの皮が剥がれた彼の魔の手から守るために、素早く葵の前に立った。


「女子に手を上げるって何考えて──ぶはっ!」

「トシくんっ!?」


 葵の悲痛な声が響いた。

 伸ばされた手首を掴んで止めたところまでは良かったが、すぐさま逆の手が俺の顔面を捉えた。グーで……。え、いきなり殴るって短気すぎない!?

 咄嗟に首をひねってダメージを逃がしたけど、唇を切ってしまった。血の味が口内に広がる。

 人を殴ることに躊躇ねえな……。たぶん俺が間に入らなかったら、抵抗した葵が殴られていたのかもしれない。


「お前何? 葵ちゃんの彼氏気取り? ハッ、釣り合わねえから」


 俺を鼻で笑う男。ちょっと年上なだけなのに、ここまでゲスの顔ができるもんなんだな。

 あと「葵ちゃん」って馴れ馴れしく呼んでんじゃねえよ!


「それとも本当に彼氏か? まあこんな学校のレベルじゃたかが知れてるよなぁ。こんな程度の男が彼氏って……くくっ、本当に良い男ってのを知らないんだな。だったら俺が教えてやるよ。その体なら満足できそうだしなぁ」


 こいつ……。葵に下卑た視線を向けやがった。怒りで頭が沸騰する。

 俺が怒りに任せて何かをするよりも早く、葵が動いていた。

 パシンッ! と、乾いた音が響いた。

 葵が男の頬を張ったのだ。さすがに葵が手を上げるとは思っていなかったらしく、彼は呆けた間抜け面をさらしていた。


「トシくんはあなたなんかに馬鹿にされる人じゃないの。トシくんは最高に素敵な男なの。もう男の中の男なの! それ以上勝手なことを口にするつもりなら、私はあなたを許さない……っ!」

「うっ……」


 葵の本気の目に、男はたじろいだ。暴力を振るう奴をビビらせる雰囲気が彼女にはあった。

 こんな時だというのに、俺は葵の言葉に嬉しくなっていた。怒っている彼女以上に、俺の心が温かく、熱くなっていく。


「う、うるせえっ! 俺の言う通りにならねえ女の顔なんざグシャグシャにしてやらあっ!」


 激高した男が拳を振り上げる。


「葵を傷つけるんじゃねえぇぇぇぇーーっ!!」


 激高した男よりも怒り、俺は瞬時に背負い投げで暴力男を投げ飛ばした。

 地面に叩きつけ、すぐに固め技を極めた。


「ぐえ……テメッ……」

「約束しろ……二度と葵の前に現れるんじゃねえぞ!」


 無意識に力が入る。男は呻き声を上げた。


「ぎぃっ!? わ、わかった……ぎゃあっ! わ、わかりましたっ! わかりましたから勘弁してください!!」


 手を放すと恐怖に引きつった顔をしながら男は逃げ出した。


「「「この野郎ただで帰れると思うな! 追えーーっ!!」」」

「ひえぇーー!!」


 それをいつの間にか葵が集めた男子集団が追いかけた。追われてるのが自分じゃなくても恐怖する光景だった。自業自得だけれども。


「大丈夫トシくん?」

「ああ、大丈夫だ。むしろ俺が近くにいたのに怖い思いさせてごめんな」


 葵は首を振る。その目には涙が浮かんでおり、やっぱり怖い目に遭わせてしまったと反省する。

 彼女の指が俺の唇に添えられる。それで唇を切っていたのだったと思い出した。


「痛かったよね……」

「葵が無事なら名誉の負傷ってやつだよ」

「ふふっ。こんな時まで優しいこと言うんだね。変わらないなぁ……」


 葵は無邪気に笑っていた。そこに艶が混じっていたことに、俺は唇を奪われるまで気づかなかった。


「……え?」


 しばらく呆けてしまう。今何があったかを脳が理解して、急激に顔が沸騰した。

 葵は自分の唇をぺろりと舐めて、小悪魔的に笑った。


「応急処置だよ。ほら、傷口を舐めるといいって言うよね」

「……」


 子供らしい発想だった。勘違いしそうになってた自分が恥ずかしくなる……。


「トシくんを徹底的に惚れさせるんだもんね。もっと、もっともっともっと……。私なしじゃいられなくなるくらいまで……トシくんが私をめちゃくちゃにしてくれるまで……。それまでは、ちゃんと我慢しなくちゃ……」


 羞恥心に悶えている俺は、葵が顔を真っ赤にしながら呟いた言葉を聞いていなかった。

 いつまでも子供だと思っていた葵が、もうとっくに大人の女になっていたことを、俺はもう少し先になってから知ることになるのであった。


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手が届かないはずの高嶺の花が幼馴染の俺にだけベタベタしてきて、あと少しで我慢も限界かもしれない みずがめ @mizugame218

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