無詠唱時代に物申す!

七洸軍

無詠唱時代に物申す!


 かつて奇跡の一種と見なされていた魔法には、歴史上二つの転換点があったと言われている。


 一つ目は、技術としての仕組みが明らかにされた時。それまで特別な力とみなされていた“魔法”という技は、個人の才能の差違こそあれ、簡単なものならば誰であっても使用可能な技術となった。

 二つ目は、軍事利用された時。個人の技術や才能だった魔術を、複数人で組織的に運用することで戦場を制し、覇を築いた帝国が生まれた。各国はこれに驚愕し、魔術の軍事活用を積極的に推し進めた結果、国営の魔術士官学院が乱立することとなった。皮肉なのは、最初に軍事利用した彼の帝国は、世界的な魔術士官学院設置の波に出遅れ、小国にまで零落れてしまったことだろう。

 これら二つの転換点に共通するのは、技術と伝播である。

 それからも各国は求め続けた。魔術の画期的な技術と、誰にでも使わしむ体系化、そしてそれを為し得る発想を。


 魔獣が跋扈する世界にあってなお、国家の敵は国家であった。


 そして時は流れ、歴史的三度目の転換点が、とある国の一人の天才から始まろうとしていた。




 シレンという魔術師は天才である。

 C共和国の最難関の魔術士官学院に十歳にて合格。各国で使用される魔術の詠唱の差違を突き詰めることで、これまで魔術の発動には必須と言われていた詠唱部分を省略する“無詠唱魔術”の技術を確立。その研究成果が認められ、国の援助を受け、その技術を体系化。彼自身は後進にその技術を指導することで母国に貢献。無詠唱魔術を駆使する魔法兵団は周辺国から怖れられ、あるいはその技術を欲した友好国が傘下へと下ることで、C共和国は一気にその版図を広げ、無詠唱魔術は魔術師達の新たなスタンダードとなりつつあった。


 しかし、敵対姿勢を崩さない国もあった。X皇国である。

 元々C共和国とX皇国は境界を接する国ではなく、お互いがお互いを知らぬまま国交もなかったのだが、共和国側が版図を広げるにあたり、境界を接するようになり、一年ほど前から小競り合いが頻発するようになった。とはいえ、拡大を続けるC共和国にとってはそのような国も珍しくもなく、皇国ばかりにかかずらうわけにもいかない。結果、それほど大きな戦いにならないのをいいことに、砦を一つ築いたきりで戦線は半ば放置されていたのだが、此処にいたってその砦が攻撃を受けたという連絡がシレンに届いた。たまたまその近辺に魔術指導に赴いていたシレンは、直ぐさま砦に駆けつけ防衛に当たることになった。


 司令室にて状況を確認すれば、散発的な攻撃でいくらかの被害が出ているらしいが、現状守りきれない程ではないそうだ。

 ならば威力偵察の類か。近々大規模な侵攻があるかもしれない。しかし、砦の司令官は楽観的であった。

「未だに呪文を唱えている奴らなどものの数ではありません。シレン様から教わった無詠唱魔術ならば、奴らの詠唱が聞こえてからでも十分迎撃が間に合いますから」

「油断はするな。実際に損害は出ているのだ。接敵して相対する状況だけでもないだろうさ」

 相手を馬鹿にしたような楽勝ムードを上司として諌めながらも、シレン自身も敵方への嘲笑が抑えられなかった。

 最初こそ敵方に無詠唱魔術のやり方が漏れたとか、仕掛けて来る以上何らかのアドバンテージを持っているのを警戒していたが、未だに敵方は昔ながらの長い呪文を唱えながら仕掛けているらしい。そんな奴らに声を出すことなく短時間で発動する無詠唱魔術が負ける筈もない。

「……こちらから仕掛けてみるか」

 聞けば敵の拠点がこの先にあるらしい。




 魔術の発現は、術式、魔力、詠唱の三つで決まるというのがおよその定説となっている。

 術式は魔術の設計図。魔術師達が脳内にイメージで組み上げることもあれば、魔道具のように外部に備える場合もある。

 この術式にエネルギーとなる魔力を注ぎ込み、詠唱をトリガーにして発動させるのが従来の魔術である。

 学院生の頃のシレンは、術式が脳内で出来るのならばと、詠唱もまたイメージで構わない事を発見した。また術式を工夫すれば、トリガーに過ぎない詠唱もまたずっと短くする事も。これらを組み合わせて、無詠唱魔術が出来上がる。

 利点は二つ。長ったらしい詠唱を省くことで、発動までの時間を大幅に短縮させることができること。そして声を出さない為非常に隠密性が高いこと。

 特に詠唱の際には魔力が注がれることで組み上げた術式が浮かんで見え、傍から見るにはかなり目立つ上、詠唱中なので狙って下さいとばかりに無防備なのだが、無詠唱魔術はその術式が浮かび上がる現象すら大幅に短い。

 これらの長所により、潜入任務だけでなく、それまで長い詠唱時間のせいでどうしても現実的ではなかった魔術師の近接戦闘までも可能となった。魔術師の火力が騎士の武器が届かない間合いから、術式を組み上げるほんの僅かな時間で飛んでくるのである。

 C共和国魔法兵団の破竹の勢いも頷けようというものだ。




 その日の夜半。砦の無詠唱魔術中隊はX皇国の拠点に奇襲に出た。

 シレンと砦の司令官は上役として砦の守備につく。散発的な攻撃が続けられている以上、そこを疎かにするわけにはいかない。

「敵襲!」

 やはり、というべきか、その夜も砦への攻撃はしかけられた。奇襲部隊と入れ違う形での敵襲である。守備に就くシレン達に焦りはない。

 森のあちこちに魔力で光る術式が浮かび上がり、微かに詠唱も聞こえる。砦から躍り出たシレンは、その浮かんで見える術式を的に見立て、一つ一つを無詠唱の『炎の矢フレアアロー』で射抜いていった。時折迎撃に立ち塞がる歩兵とも出くわすが、二歩下がり、槍の間合いの外から他の“的”と同じように撃ち倒せば何の苦戦もない。

「司令官が言った通りだな。……!?」

 その時、暗い森に、一際大きな声が、木霊した。


「天の大弓!螺旋をなし焼き尽くす灼熱の矢ぁ!

ブレァァアロォァァァァァ――――――――ッッ!!!!」


 詠唱である。シレンは直ぐさま辺りを見回し、展開している筈の術式を探した。そうして見つけたのは、彼もよく知る単純な術式。火の魔法と判断し、無詠唱で展開した『水の弾丸アクアバレット』をぶつける。発動までに間に合わなくとも、せめて相殺できればと踏んで。

 同時に、嫌な予感に従い直ぐさま横へと飛んだ。結果的に言えばそれは功を奏した。

 先程まで居た場所を、破城槌かという程の大きさの燃え盛る螺旋の渦が、確かにシレンを狙って過ぎていった。森の木々を薙ぎ払い、シレンの背後にあった砦の城門に衝突し、丸太を束ねた柵を一瞬で弾け飛ばした。

「……は?」

 冷や汗が伝う。

 今の信じがたい規模の魔術は、一体何だ? 馬鹿みたいに大声で唱えられた詠唱をトリガーにした魔術。その聞こえた呪文はともかく、微かに見えた術式は確かに、『炎の矢フレアアロー』のものだった。相殺狙いで放った『水の弾丸アクアバレット』など水滴か何かのように消し飛ばして、それでもなお勢いを失わないままに砦まで届き、背後の城門を破壊した。

 たった今、それを放った魔術師の姿を探す。そいつは確かに術式の見えた場所にいた。

 動きやすく改造したローブに魔術師のマント……いや、マントというより、爆風になびいたそれはマフラーに見えた。伝統的な魔術師の服装に見えないのは、その服の上からでもはっきりと分かる筋肉のせいだろう。全体的に服装のサイズ感がおかしい上に、両腕には銀色のガントレットまで履いている。短く刈った髪は逆立ち、目元は猛禽のように鋭い。そいつは、両腕を前に突き出した残心のような姿勢のまま、たった今放った魔術の威力に満足とでもいうように、ニヤリと笑って見せた。

「一挙両得とはいかなかったか。……ま、欲張るもんじゃねぇな」

「貴様は……、一体何だ?!」

「X皇国軍魔術師団、特別団長のマキシムだ。……テメェの顔は知ってるぞ。“沈黙指導官”シレンだな」

「なんだその二つ名は!?」

 シレンは確かに無詠唱魔術を生徒に教える役割を担ってはいるが、国外からそんなおかしな二つ名で呼ばれているとは思わなかった。教え子を正座させて一言でも喋ったら体罰を喰らわしてきそうな印象だ。

「こんなところで噂の無詠唱魔術の発案者に会えるとはな」

「私も皇国にこれほどの魔術師がいるとは思わなかった」

「はっ…! 俺がすげぇんじゃねぇよ。お前がくだらねぇんだ、沈黙殿」

「……なんだと」

「無詠唱なんてしょうもない事をやっているから、こんな炎の矢フレアアロー程度で驚く事になる。ナンセンスだぜ、沈黙殿」

「……おい、その沈黙殿ってのは止めろ」

「え?いいじゃねぇか格好良くて」

「恰好良いと思っていたのか、最低にダサイ。……あと、お前の使った魔術も炎の矢フレアアローじゃない。何もかも違う」

 シレンがそう指摘したのを、マキシムは鼻で笑った。

「そりゃあ当たり前だろう。『フレアアロー(小声)』と、『天の大弓から放たれた螺旋をなし焼き尽くす灼熱の矢』だぞ?」

「は?」

「同じものが出るわけがねぇだろうが」

「ばっ!?」

 馬鹿者、と言おうとして、シレンは言葉を詰まらせた。

 それは一体どういう理屈だ、と。言葉の上での話ではないのだ。詠唱は発動のトリガーでしかない。だから術式と同様に頭でイメージしてしまえば長ったらしい詠唱は不要。それがシレンの解き明かした理論だ。

 それを、こいつは詠唱部分で強引にイメージを拡大させ、術式自体は同じでも、本来のものよりはるかに大きな形での魔術の発現を為し得ているということだ。出来るのか?そんなこと。出来ている以上は可能なのだろう。そう思うしかない。

 あともう一つ言いたい。無詠唱魔術は別に小声で詠唱しているわけじゃあない!




 マキシムという魔術師は、“てんさい”である。

 X皇国の最高峰の魔術士官学院に十四歳で殴り込み、実技試験会場を絶叫と共に破壊し尽くした。その後、あらゆる指導教官が監督を拒否する中、辺境の村々を守るという名目での魔物討伐ついでに独自の魔術技術を発展させ、ついには皇国地図の一割強を描き直させたという逸話を持つ。元々地方の村々を守る為だったというその功績はなかなか認められず、皇王も頭を抱え、とりあえず前線に置いておけば皇国内の被害は減るだろうと、特別団長という謎の役職と共に辞令が下った。

 かくして、マキシムの相手は強大な魔獣から、世界征服を目論む邪悪な共和国へと変わったのであった。



「ともかく、皇国の平穏を脅かすそこな砦は、徹底的に壊させてもらう!」

 砦を「奪う」とか「落とす」とかじゃなく「壊す」というところが実にマキシムである。

 その宣言にC共和国の魔術師は恐怖し、X皇国の魔術師は安堵した。

「させるものか!」シレンはすかさず『炎の矢フレアアロー』を放つ。

 背後に跳んでそれをかわしたマキシムもまた詠唱に入る。

「変幻自在たる雫よ!其は鋼をも穿ち得る万の飛礫!」

 展開される術式は『水の弾丸アクアバレット』のもの。シレンとしてはほとんど弄られていないそのシンプルさに目を疑う。

 ……おかげで、浮かび上がったその術式が普通のものよりも大きいことに、気付くのが遅れた。妨害しようと放った『風圧斬ウィンドカッター』は、何故だかマキシムの手前で弾けて消えた。

「っ!?」

「アぁクア!!ブぁレットォォァァ――――!!」

 トリガーとなる詠唱が完成する。シレンは、真横へと走った。

 詠唱の内容とは違い、マキシムの『水の弾丸アクアバレット』は線状に放たれ、

 そして身を躱したシレンを追い掛け薙ぎ払われた。シレンはすかさず、『追い風ウィンドセイル』の魔術で加速し、それを振り切る。

 詠唱にあった通りに鋼を穿つ程ならば木々などことごとく薙ぎ倒されそうなものだが、そんなことはなかった。しかし、その表面に無数の弾痕が刻まれていた。そう違うのだ。詠唱にある通り、マキシムは無数の『水の弾丸アクアバレット』を一直線上に連射していたのである。

「ふん、これでも当たらねぇか。……いい脚しているじゃねぇか」

「脚じゃなくて魔術を称賛して欲しいものだがな!」

「何言ってやがる。テメェの魔術はあっさり消えたじゃねぇか」

「そっちじゃない!」

 まさかコイツ、魔術で加速したのに気付いていないわけではないだろうな? いや、何故シレンが放った魔術があっさり消えたのかも、こっちも分かっていないのだが。

「魔術ってのは、こうやるんだよ!

何者をも逃がさぬ緑の旋風!」

「……っ!」

 マキシムが次の詠唱に入った。シレンはそれを遮ろうと、すかさず『炎の矢フレアアロー』を放つ。放たれた魔術はやはりマキシムに届く直前に消滅する。しかし、今度は見えた。

 飛んできた『炎の矢フレアアロー』を、彼は自身の腕で以て叩き落としていた。

(なっ!?)シレンは驚愕する。

 まさか魔術を素手で叩き落とす者がいるとは思ってもみなかった。


 魔術とは、『石礫弾ストーンバレット』のようなごく一部以外は、基本的に実体を持たない。炎や水を掴むことができないように、基本的には干渉できないのが普通だ。ただし、魔術で出現させたそれらの魔術現象は、自然現象のものとは違い魔力を帯びる。それに干渉する事は可能。

 『炎の矢フレアアロー』を叩き落としたのは、正確には素手ではない。からくりは籠手の方にある。それは、魔法防御力の高い=魔力に干渉できる金属で出来ているのだろう。おそらくは魔法銀ミスリル。確かにそれでならば、自分目掛けて高速で飛んでくる魔法を叩き落とすことも出来る。……出来なくはない。……動体視力と反射神経さえよければ。

(いやいやいやいや……!)

 それだって決して不可能とまでは言わないが人間業じゃない。達人クラスの剣士がやる曲芸レベルだ。サーカスで金を取れるに違いない。それを、あのマキシムという魔術師は詠唱途中で難なくやってのけた。馬鹿じゃないのか。


「茨の王、落ち葉の手、この地において其に捉えられぬ者無し!

リぃぃぃーフバインドゥぉぉぉっっっ!!」

 考えを巡らせている間に、マキシムの魔術が完成し解き放たれる。

 動きを拘束する魔術。

 シレンは先程と同じように『追い風ウィンドセイル』を併用してその範囲から逃れようとしたが、

「っ!?」

 魔術の範囲が、尋常でなく広い。……いや、脚にまとわりついてきた木の葉は、マキシムの腕の動きに合わせて、宙に飛び上がろうとしたシレンを何処までも追いかけて来た。ついには掌を象って、彼の脚を掴んだのである。

「ぐっ……!」

 逃げられず、地面に落下するシレン。

「捕まえたぜ!

天の大弓―――」

 すかさずトドメを刺そうと次の詠唱に入るマキシム。

 先程の威力を見る限り、まともに喰らえば人間など一撃で消し炭である。その詠唱を完成させるわけにはいかない。しかし妨害しようにも、シレンの放った無詠唱魔術は、あの籠手に叩き落とされる。

(ならば!)

 瞬時に術式を組み立てる。三発の『炎の矢フレアアロー』が、角度を変え、マキシムに飛来する。先程マキシムが『水の弾丸アクアバレット』を連射していたように、シレンにも同一魔術の連続発射くらい可能だ。

 案の定、マキシムはその三発のうちの一発を避け、二発を叩き落とした。

「―――螺旋をなし焼き尽くす灼熱の矢」

それを見たシレンは、本命の魔術を解き放つ。『炎爆破フレアボム

 発動始点指定型の爆炎魔術は、マキシムの顔面間近で炸裂。炎の矢を叩き落とすことに気を取られていたマキシムは、突然炸裂した爆炎を叩き落とすことも、ガードすることも、勿論回避運動する事もできず、まともに喰らうことになった。

 しかし……

 爆炎が晴れたとこに現れたのは、マキシムの焼けた、しかし歯を食いしばり、不敵な笑みを浮かべた、未だ動けないシレンを射貫く猛禽のような眼光。

「っ!?」驚愕せずにはいられなかった。

「ブラィァァァアロぉぉぉぉぉ――――――!!!」

 詠唱の完成、マキシムの規格外の『炎の矢フレアアロー』が形作られ、飛来する。

(間に合え!)

 シレンは直ぐさま『魔術障壁マジックウォール』の術式を展開、咄嗟の思い付きで少し上を向くようにイメージして発動させる。

 金属がねじれる様な音と共に二つの魔術がぶつかり合う。極大の『炎の矢フレアアロー』は上向きにした障壁の上を滑り、背後の森の何処かへと飛んでいって、そして爆音が地面を揺らした。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 呼吸が乱れ、冷や汗が伝い落ちた。

 障壁が何とか間に合ったが、かなりギリギリだった。咄嗟に反応できなければ、ほんの僅かでも障壁の魔力が足りなければ、あるいは直前にマキシムが『炎の矢フレアアロー』を叩き落とすのを見ていなければ、直撃しないまでもシレンは命を落としていただろう。ほんの僅かな時間ぶつかっただけで、シレンの息は上がり熱にやられて肺も両腕も焼けるように暑い。

 それは、相手にとっても同じだったのだろう。痛みに耐えるように顔を押さえるマキシムも、立っているのがやっとという状態だった。

「……驚いたぜ。無詠唱なんぞ雑魚が使うしょうもない魔術だと思っていたが、あそこまで立て続けに魔術を使えるとは……参ったぜ」

「そっちこそ……詠唱イメージであそこまで威力を引き揚げられるとは思わなかった」

「魔術ってのはそういうもんだろ。古き良き魔術師の時代から、後方から唱えてぶっ放しての大艦巨砲主義だ。異論は受付けねぇよ」

「ぬかせ……貴様のような脳筋魔術師がいるか」


 マキシムの言っている事は分かるのだ。古の魔術師はそうだった。

 騎士や戦士といった前衛が、後ろの魔術師の詠唱時間を死守するというのが、昔からの魔術師の戦術だった。伝統と言ってもいい。

 しかし、シレンの考案した無詠唱魔術がその伝統を崩した。魔術師が前線で戦えるようになり、体術が求められるようになった。

 シレンもまた新たな魔術の構築よりも、そうした実践的な体術の訓練に時間を割かねばならなくなった。

 とはいえ、シレンはやはり天才である。魔術の部分だけ見ても一級以上の能力を持っているし、高等魔術を無詠唱で使えないわけでもない。ただ、術式が複雑になればなるほど発動までのほんの僅かなタイムラグが気になるし、先程のような咄嗟の状況ではやはり術式が単純な初級魔術の方が使い勝手がいいのである。


 とは言っても、マキシムだって魔術師としては普通じゃない。詠唱でイメージを拡大する彼のやり方は、要約すると「気合い入れて強く念じて叫べば威力が上がる」というもの。

 無詠唱を確立したシレンとしても、詠唱の台詞に大して意味がない事は知っていたが、……それにしたってマキシムは滅茶苦茶だ。思えば戦闘中、彼はただの一度も正しく発音していない。なんだ?「ブレァァアロォァァァァァ」って。発音の勉強からやり直せと言いたい。

 仕舞いには、詠唱中の妨害を根性で耐えやがった。お前の中の“魔術師”は一体どうなっているのか?こんな脳筋魔術師、他に見た事が無い。


「脳筋ねぇ…。俺はまだまともな方だと思うがね」

「? 何を言っている、お前以上のヤツがいるとでも言いたげだな」

 その時、砦の方の騒がしさに気付いた。砦内の魔術士官達の悲鳴が、ここまで聞こえてきたのである。

 シレンは思わずマキシムの方を向いた。彼はふらりと立ち上がると、険しい目で砦の方を見やった。

「……やはり動いたか。あんにゃろめ」

「何が起きている?! マキシム! 貴様、ただの囮だったとでも!?」

「答えてやる義理はねぇな。だが……」

 鼻で笑い、身を翻す。

「別に共和国を目障りに考えてるのは、皇国だけでもねぇだろ」

 そう言って、皇国の大柄な魔術師は引き返していった。

 ヤツは仕留めておきたかったが、今は砦の方が気になる。




 

 X皇国の拠点攻めに半数ほどが駆り出され、砦にはシレンも含めた残り半分が守っていた。そんな中X皇国のあの脳筋魔術師隊がちょっかいをかけてきて、その対応にさらに半数が駆り出されていた。アホみたいな高出力魔術により砦門は破壊され、その巻き添えで死傷者も出ていた。

 そこへ、マキシムが言うところの第三国が砦攻めを仕掛けてきた。だとすればQ都市連合国だろう。

 彼の国は砦からは離れているが、この辺りの国境が戦場となったことで交易路が使えなくなったとかで、共和国とも皇国とも揉めていると聞いている。交易路復活の為にこの砦を奪いに来ることも……かなりの無茶ではあるが、一応想定されていた事態の一つではある。


 砦に戻ったシレンは、信じられない光景を見ていた。

 無詠唱魔術の使い手達が、手も脚も出ないまま、一方的に打ち据えられ、魔術の火に焼かれ、倒れ伏していたのである。

 表では、都市連合の魔術士官達が、今も砦の守備隊と戦っているが、これをやった者は既に砦の奥へと侵攻しているようだ。シレンも後を追う。

 そこに奴は居た。今正に、砦の司令官と対峙しているところであった。

「司令官殿!」

「シレン様、お下がり下さい、コイツただ者では……!」

「もう一人来たカ? ならこれはさっさと仕留めル」

 都市連合特有の別言語に寄った訛り。さすがにマキシムよりは痩せ型だが、服装はおよそ兵士には見えない。しかし魔術師にも見えなかったのは、動きやすそうな服を着ていることと、そして両腕に備えたトンファーのせいだろう。それは銀色で、一目で何かの魔道具である事が知れる貴石が埋め込まれていた。……シレンとしては銀色というところが引っかかった。つい先程、同じように両腕に装着したガントレットを見たばかりである。

 彼は一見すると格闘家のように見えた。司令官もそれを見て距離を取っている。踏み込みは届かず、魔術なら届く。無詠唱魔術師が得意とする間合いだ。

 司令官は牽制するように『水の弾丸アクアバレット』の魔術を連続して放つ。それを、奴はトンファーを前に掲げて防ぐ……さすがに叩き落としたりはしない、とそう思っていると……

「……3、2、」

 彼が何やら数を数え始める。と同時に、彼の前に術式の光が現れた。

「司令、避けろ!」シレンは直ぐさま叫んだが、司令官は術式を見て既に妨害の為の術式を構築している。今から切り替えるのでは間に合わない。結果、放たれた数発の『炎の矢フレアアロー』。

「……1、『追い風ウィンドセイル』、どーん!」

 しかし、奴は顔前に掲げたトンファーを盾にそれを弾きながら、物凄い勢いで司令官へと突っ込んできた。

 驚愕する間も無い。次の瞬間には司令官の体は、掲げたトンファーでもって壁へと叩き付けられた。しかも、その状態からさらに別の術式が、それも一瞬で組み上がる。

 彼は両腕のトンファーを、司令官の体を壁に貼り付けるように押し付けると、

あまりにも短い、詠唱とも言えぬ詠唱を叫んだ。

「ほのおぉ!」


 その術式で組み上がる魔術を、シレンは知らない。複雑という意味ではなく、むしろ逆で、例えば炎の矢を飛ばすという初級魔術の術式よりも、さらに数段単純で、そして大きな術式であった。

 魔術の術式は、行程を経ればそれだけ複雑になり、魔力も必要となる。攻撃魔術で使うような「前へ射出する」だとか、生活で使う着火の魔術でさえ火が必要以上に大きくならないように簡単な制御の術式を仕込む。

 彼が使った魔術にはそれすらない。ただ、炎を起こすたけの術式を、トンファーを起点にして展開しただけ。その結果、

「がはあああぁぁぁぁぁぁっっっ!」

 司令官の全身が、一気に燃え上がった。

「うおっっちゃちゃちゃっあっちゃ――――っっ!」

 ……そして一部、術士本人にも。自分の衣服についた火を慌てて消す侵入者の男。

 やがて火は消え、奴はシレンの方へ、……明らかに格闘家がするように構えて見せた。

「……待たせたネ。Q都市連合国W市所属魔術師クアン、砦を貰いに来たヨ。いざ尋常に勝負ネ!」

(ええぇぇ~~~~~………)

 “魔術師”という言葉を聞いて、シレンは言葉もなく立ち尽くした。




 クアンという魔術師は、多分、恐らく、……いや、もしかしたら、人によっては、天才?と言えるのかもしれない。

 Q都市連合国W市の魔術士官学院を十二歳で成績不良と暴行事件にて退学。唯一覚えた『追い風ウィンドセイル』の魔術と、魔術とも言えない超単純な火炎魔術を駆使し、連合国じゅうの魔術師という魔術師に“魔術師殺し”として怖れられた。その頃の口癖は「魔術師、弱いネ」だった。やがてその実力が認められ魔術士団にスカウト。特殊任務を担う魔術士としてX皇国とC共和国の魔術士達と何度か戦った。

 都市連合国としても、共和国の無詠唱魔術士達に打つ手がないまま苦戦していたところに投入されたクアンは、唯一まともな勝利を挙げており、同僚達からは「もしかしてコイツ天才なんじゃね?」と思わせると共に、“魔術士”の定義を改めて考えさせられるというように、周囲からは一目置かれる存在となった。

 ちなみにクアン本人は魔術士を名乗っている。『追い風ウィンドセイル』も『ほのお』も、確かに魔術であるし、一見トンファーにしか見えない武器は、使い方も確かにトンファーそのものであるが、『ほのお』を発動する為の魔術士の杖でもあるからだ。ちなみにクアンの経歴に格闘技修練があるかどうかを調べた者はいない。彼の経歴は、無駄に謎に包まれている。



「いや、お前は魔術士じゃないだろう!?」

「またソレか。会う魔術士みんなそう言う。正直聞き飽きたネ」

「だろうな!」

「……そしてそう言ってきた魔術士はみんな、私より弱かったネ」

 そう言いつつ、突っ込んでくるクラン。仕掛けて来るのは近接格闘戦。もうこの時点でおかしいが……


 クランが魔術士相手に負け無しというのだけは、シレンでさえも当然だろうと思う。

 あまりにも相性が悪いのである。

 詠唱を用いる魔術士なら、その間に踏み込まれて殴られればそれで終わり。無詠唱魔術士ならば、近接格闘が届く範囲の外を維持した戦い方もできるが、クランの使った『追い風ウィンドセイル』がその戦法を打ち破れる。こんな奴が相手では、何年も研鑽を重ねた魔術士でも、いや研鑽を重ねた魔術士だからこそ、いとも簡単に打ち倒されてしまうだろう。本当に、コイツを相手にした魔術士を気の毒に思う。

 シレンは無詠唱魔術と併用して格闘術、体術の類も習得し、士官学院で教えられる程の腕がある。これは、シレンの趣味嗜好が体術に向いて習得していたというのではなく、無詠唱魔術を戦闘で運用するならば必須と考えているからである。もっとも、学院の教師陣にはイマイチ理解して貰えない部分でもあるのだが。

 それでも、シレンの本職は魔術士である。どう見ても魔術士ではなく格闘家であるクアンの攻撃に対しては、技術が追いつかず防戦一方になってしまう。無詠唱魔術の術式構築速度も、ガチの瞬発力で殴ってくる脳筋馬鹿のスピードには全く及ばない。当たり前であるが。

 ではどうするのか。足りない分は、当然無詠唱魔術で補う。

 あのトンファーがあるせいで牽制の魔術はあまり使えないにしても、『追い風ウィンドセイル』に『風の足場エアステップ』、『足枷スネアバインド』に『防護膜プロテクション』などを駆使して、変幻自在に飛び回り、要所要所の攻撃をいなす。言わば体術と魔術の合わせ技。

 瞬時に魔術を発動できる無詠唱魔術だからこそできる技だが、この域に到達するには術式の工夫と、なにより相当な修練を必要とした。つまり、現状は共和国内でもシレンしか使えない。

「ズルいネ!」

 空中に逃げたシレンへの追撃を、『風の足場エアステップ』での強引な三角飛びで躱し、着地を狙ったさらなる追撃を『足枷スネアバインド』で妨害する。それを見て、クランがそう叫んだ。

「魔術士が魔術を使うことの何がズルいものか」

「私の知らない魔術ばかり! それ、教えて欲しいくらいヨ!」

「そうかよ!」

 クランは苛立ちではなく純粋な興味に目を輝かせている。それを見て、シレンは思わず舌打ちをしてしまう。

 分かっているのだ。これらの攻撃魔術を省いた無詠唱魔術の使い方は、今戦っているクランにこそ相応しい。格闘技をベースに魔術を折り合わせて、それでいて自ら魔術士と名乗るのであれば、クランの目指す理想形こそ、己が今している戦い方なのだろうとも実感していた。つまり、今自分は敵方の魔術士に対してお手本を見せているようなものだ。

 今は『追い風ウィンドセイル』くらいしか使っていないが、これらを無詠唱魔術でマスターすれば、クランは己すらも越えて大陸でも無類の強さを発揮することだろう。

 しかし……

「だが絶っっ対に教えてやらん!!!」

 シレンは壁際に追い詰められたところから、魔術を駆使しての宙返りで回り込み、逆にクランを壁際に追い詰めた形を取る。そこに『雷機雷スパークマイン』をばらまく。触れれば炸裂する雷球がクランを閉じ込める。

「甘いヨ……3、2、1、追い風ウィンドセイルどーん!!

 ……っ!?!?!」

 クランが雷球をものともせずトンファーを構えて突っ込んでくる。それは、当然シレンにも分かっていた。クラン目掛けて放つのは、『砂嵐サンドストーム』。砂状の細かい飛礫をぶつける、なんとも攻撃力の低い魔術だが、それだけに二つ掲げたトンファーの間を抜けられる。そこにクランが突っ込んでくるのだが、まず目を守らなければならない。本能的に目は閉じられる。

 シレンはそれを見越して身を屈め、突っ込んでくるクランの脚を払った。『追い風ウィンドセイル』も乗った勢いで、クランは盛大に転倒した。そこへ、シレンはトドメとばかりに『炎の矢フレアアロー』を数発撃ち込んだ。

「ほのおォォっっ!!!」

 クランの悲鳴に聞こえたそれは、先程一度だけ見た発火魔術の詠唱だと、シレンはほんの一瞬だが気付くのが遅れた。モクモクと、フレアアローでは上がらない煙が立ち上る。

 どうやら、転倒させてからフレアアローの着弾までに、受け身が間に合ったらしい。クランが咄嗟に発動させた発火魔術でもって強引に吹き散らしたが、……そもそもそういう魔術ですらないので、一発か二発は命中したかもしれない。いや、発火魔術が間に合ったということは、トンファーも盾にするのも間に合っていた筈で………

 ……ああ! これだから脳筋どもはっ!

「お前は魔術士じゃないだろう」

 さっきも告げたその台詞を、もう一度シレンは吐き捨てた。

 魔術を教えて欲しいだと? 死んでも御免だ。

 敵国だとか、将来自分よりも強くなるとか、大陸でも有数の強さを誇るようになるとか、そういうことじゃないのだ。

 コイツがこの戦術で以てこの砦を落としたとなれば、そのスタイルの有用性が認められ、各国の魔術士官学院でコイツのような戦法が、対魔術士対策として教えられることになる。

 そうなればどうなる? 古い時代の魔術師は駆逐され、術式の研究は廃れ、魔術そものが一気に衰退する。

 自分は魔術士だ。魔術士として、ここで負けるわけにはいかない。こんなものを魔術と認めるわけにはいかない。ましてや、この術式の初歩も分かっていないような自称魔術士に、無詠唱魔術を教えるわけにはいかないのである。

 煙が晴れた所に、クランは立っていた。その身なりはボロボロ。しかしシレンが放った炎の矢が命中したのか、それとも自身の発火魔術による自爆かは判然としない。

「……お前の名前を、聞いていないネ」

 よほど凄味が出てしまったのだろうか。僅かに怯えも滲ませた様子でクランが問うてきた。

「C共和国魔術士官学院無詠唱魔術教官のシレンだ。この砦はX皇国にもQ都市同盟にも渡さん!」

 シレンがそう告げると、クアンは得心が言ったというように一つ頷いた。

「……ああ、お前が“沈黙指導官”のシレンね」

「その名前は忘れろ!」広まっているのか、それは。

「覚えておくネ。次こそ必ずお前を打ち倒すヨ!」

 そう言って、クアンは通路を引き返し、退却した。

追撃しようにも、『追い風ウィンドセイル』を使えるクアンに追いつくのはきっと困難だろう。

 シレンはこれからの時代を思い、嘆息を零した。



 “魔法”というものに対する歴史的三度目の転換点は、そう単純なものではなく、まだまだ波乱含みのようである。


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無詠唱時代に物申す! 七洸軍 @natsuki00fic

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